日常と非日常の隙間にて
霜太郎と明日描 ララは、暫く他愛のない話をしていた
明日描 ララがネコを飼っていること。年の離れた姉がいること。音楽を割と聞くこと。ギターが少し弾けること。八重歯がかわいいこと。それらの初めて知る明日描 ララの個人的事情に、霜太郎はいちいち興奮した
チャイムが鳴る。お昼休みを告げるものだ
「お腹すいたね」
「うん」
「そろそろ戻ろっかな」
「うん……」
「保健室行くって嘘ついてきたから。そろそろ戻らなきゃバレるし。霜太郎は?」
「俺は……うん。俺も戻るよ」
「そっか。じゃあアタシが先に戻るから。霜太郎は5分後くらいに来て」
「え……」
霜太郎には、明日描 ララが言わんとしている事が分からないではなかった。保健室に行ったはずの明日描 ララが、謎の失踪を遂げた自分とともに教室に戻れば、あらぬ噂も立つだろう。キモ太郎と蔑まれている自分との噂なんて良いものではないし、避けるのが懸命であると霜太郎自身理解していた。しかし分かってはいたものの、霜太郎は少しだけ傷ついた
そんな霜太郎の気持ちを察した明日描 ララは、少しハッとした
「別にキミが嫌なワケじゃないよ」
「え、そうなの?」
「ていうか……アレだ。やっぱり今の無し!」
「え?」
「一緒に戻ろ!」
「えっマジ!?あっちょ……え!?」
明日描 ララは霜太郎の返事を待たずに、霜太郎の手をとって歩き出していた
「待って!いいの!?」
「うん!なんか、そんな気分なの!」
明日描 ララにとって、ウワサなんて大した事ではなかった。ただ煩わしい事が嫌いなので、極力変なウワサが立たぬようにしたかっただけなのだ。しかし時には保身よりも大切なことがあると、明日描 ララはキチンとわかっていたのだ
爽やかな風がふたりを撫ぜる。気持ちのいい程青く澄み渡った空の下、眩しい太陽に照らされて、キラキラと輝きながら歩くふたりにとって、障害になるようなモノなんかこの世界には何も無いような気がしていた
しかしそんな束の間の淡い青春模様は、ふたりが屋上の出口に到達した瞬間霧散する
「待って!誰か来る!」
明日描 ララが焦ったように小声で叫びつつ、霜太郎を物陰へと誘導した。霜太郎は頭を混乱させながらも、明日描 ララとかなり密着した姿勢になり、それはもうタマラなく興奮していた。いい匂いがする。ヤバい。でそう
誰かの歩く音がカンカンと高鳴っている。それはどうやら複数人のものであり、次第に大きく、近くなってきた。ふたりはドキドキしつつも、霜太郎は明日描 ララの背中のラインに夢中であり、明日描 ララは昼食のメニューを考える事に余念がなかった
数秒後。誰かが入ってきた。いかにもワルそうな人達だ。10人くらいは居るだろうか
一番気合の入ったワルが集団から抜け出して前に出る。そのワルはモヒカン風オシャレボウズヘッドの持ち主であり、背が高かった。多分番長的なヤツだ
「おい!前に出ろ!」
「いててて、ごめんなさいごめんなさい」
番長に促されてワル集団からドツキ出されたのは、なんと小田 栗毛その人であった
「すみません本当に悪気はなくて、ごめんなさいごめんなさい」
「あ!?テメェさっきの舐めた態度はどこ行ったんだよコラァ……ォオッ!?」
「ヒィイいや違いますごめんなさいごめんなさい」
ビビりにビビった上に縮こまって震えている小田 栗毛を見て、ワル集団はゲラゲラと笑い合った
「ギャハハハハ!!こいつマジウケる!!違うってお前何が違うんだよ!」
「テメェ喉棒時計さんのラップバカにして、タダで済むと思ってんのかよ!!」
「公開処刑だ!やっちまえ!」
「やめてくださいほんとにごめんなさい」
どうやら小田 栗毛は番長のラップをバカにして囲まれているらしい。その事に対して戦慄しつつも、霜太郎は明日描 ララの呼吸音を心の蓄音機に録音していた。一方明日描 ララは、なんか面白いなぁあの番長ラップするんだ、しかも小田くんにバカにされてるし、きっとイタい感じのラップなんだろうなぁなんか面白いなぁと思いつつ、空腹を我慢していた
「おい!トンチョ!ボイパだ!フリースタイルでコイツとケンカすっから!!」
番長が叫ぶと、トンチョと呼ばれたノッポのブサイクが手をYO!YO!といった感じに動かしつつ、クチでビートを刻み始めた。それを見た霜太郎と明日描 ララは思わず吹き出しそうになり、手でクチを押さえた
「コレがオレ達のやり方だ。オレのラップをバカにしたんだ。お前オレより上手いんだろ?ケンカしようぜ。ラップバトルだ」
「ぇえー……」
ラップバトルとはリズムに乗りつつ決められた小節数で交互に相手をコキ下ろしていき、聴衆の盛り上がり具合などで勝敗を決めるというイカした対決である。言葉の流暢さ、韻の踏み方など、より巧みな技術で相手を罵倒すればする程、聴衆は盛り上がってゆく
しかしこの状況。完全アウェーな小田 栗毛に勝機が無いのは明白だった
明日描 ララはいよいよ面白くなり、空腹を忘れて見入っていた。霜太郎はなんだかハラハラとしつつも、明日描 ララの後頭部の髪の毛を一本一本大切に観察していた
「まぁ初心者相手だ。初歩的な感じで短くしてやるよ!先攻はオレだ!行くぞ!」
番長の怒声と共に、ラップバトルが始まった
「チンパンジーの友達 小田栗毛 YO!YO!くりくりアタマ あたかも悪魔 そんな小田栗毛 イェー」
メチャクチャ盛り上がるワル集団。頭を抱える小田 栗毛。ついに吹き出してしまった明日描 ララ。よくわかっていない霜太郎。
「ヘイ!小田!貴様の番だ!なんとか言えよ!なんとかYEAH!YO!」
小田 栗毛は深呼吸すると、ついにクチを開いた
「喉棒時計?NOT仏!ほっとけボケ!クソボウズ!心の狭い呆けたボケはお山の大将気取っとけ!」
「……ッ!!コイツ!!」
小田 栗毛のラップは、その声質の仄暗さと、意外なほどの声量、言葉の流暢さが相まって、とても攻撃的に聞こえてきて、その場にいた全員が呆気に取られてしまった
「すごい……小田くんにあんな特技があったなんて……」
明日描 ララが感心したようにそう言うものだから、霜太郎は少しだけ苛立った
トンチョのボイパはお構いなしに続いていく。喉棒時計は焦ったようにクチを開く
「フザけた戯言抜かしてる!くりくりアタマ、小田 栗毛!下手くそラップ!ゴミクズラップ!降参しろよ 小田 栗毛!」
「下手くそラップのフザけた戯言 それに負けてる喉棒時計!退けよ どうした 泥水すすって 土下座してみろ 喉棒時計!」
「んガッ!!貴様ァ!!」
盛り上がるワル集団!激昂する喉棒時計!不敵に笑う小田 栗毛!そんな光景を見て、明日描 ララは思わず物陰から身を乗り出して興奮し、霜太郎は逆に少し引いてしまった
「テメェブッ殺す!!」
「ジェッ!!やんっ」
喉棒時計が小田 栗毛の胸ぐらを掴む!!ワル集団は「やっちまえ!」とか「常勝!常勝!」とか、口々に勝手なことを喚き散らかしていた
「やっぱこうなるよねー」
明日描 ララは呆れたように呟くと、霜太郎の方を振り返り
「キミちょっと止めに入ってきてくれる?アタシは隙を見て抜け出して、先生呼んでくるから。とにかく時間稼いで!」
と言った。霜太郎は内心とんでもなく嫌だったが、NOと言えない日本人気質を色濃く受け継いでおり、尚且つ女の子からの頼まれごとにひどく弱かったので、断るなんて選択肢は最初から浮かばなかった。代わりに浮かんだ選択肢。それはヤルか、ヤラれるかだ
「ちくしょう、こんな事なら勝負パンツ履いておくんだった」
そんな冴えない言葉を零しつつも、霜太郎の瞳はしっかりとワル達の方を見据えていた
意を決して物陰から飛び出す。そして霜太郎はこれまでの人生で一番大きな声で叫んだ
「オイ、喉棒時計!!俺が相手だ!!」
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返り、ワル達の視線が一気に霜太郎に降り注ぐ。そしてその向こう側。怒りのせいで歪に、シワシワになった顔で霜太郎を睨みつける喉棒時計。その足元で恐怖のあまりに白目をムき、泡を吹いて崩れ落ちている小田 栗毛。渦巻く青春の混沌と光と影のなかで、それぞれがそれぞれの流動する精神をうまく体現していた




