8 巨悪の影
キャメロット王国、教会地下牢。
決して光を通さぬ石の壁は苔と埃を纏い不潔の二文字を体現していた。
異臭、湿った空気。呼吸するだけでも気分を害する。
だが、どんなに不衛生でもここは王国に唯一存在する牢獄。そしてこの地下牢は二つの役割を果たしている。
当然ながら死刑が確定した犯罪者、禁固刑に科せられた犯罪者を収容する目的。
有罪判決を受け処刑場送りにする罪人を拘置する場所が存在しなかったため、教会側からの要請で地下牢が作られた。
囚人たちは両手両足を鎖で繋がれ身を温める暖炉もなく、早く刑期が終わることを祈るばかりだ。
「お待ちしておりましたアルト様。どうぞこちらへ」
薄暗い部屋で響く声。
獄丁の挨拶に答える男が険しい表情で返答した。
「承知したでござる」
今まさにアルトはこの地下牢に足を運んでいた。
不浄の吹き溜まりであるこの場所になぜ彼が足を運んだのかはこの地下牢のもう一つの役割にある。
獄丁に案内されたのは拷問室。
そうここは国家にとって利益を齎す思われる異常者たちの拘置所でもあった。
「さぁ、中に。奴はもうこの部屋にいます」
「あぁ、感謝するでござる。あとは拙者だけで入る。獄丁殿は自らの仕事に戻られても大丈夫ですぞ」
そうですか、とアルトの気遣いをよそに獄丁はさっさと自分の持ち場に戻っていった。
それを見届けた後、アルトは何の躊躇いもなく扉を開け部屋に入っていった。
「あら、珍しいお客さんね」
中にいたのは口と鼻以外すべて拘束衣に包まれていた男だった。腕は袋状の構造で動かすことが出来ず脚は鎖で繋がれ走れないようになっていた。
男は目も塞がれ目が見えない筈なのだが、まるで入ってきた人物が見えてるかの様な口ぶりで言った。
「ジャック。久しぶりでござるな」
「あらお久しぶり、アルトちゃん。何ヶ月ぶりかしら?アルトちゃんがここに来るのは。前は用件だけ聞いてさっさと帰っちゃうんだもん。寂しかったわ、私。もっと腸の魅力を語りかったのに、殺される側のあの表情を自慢したかったのに!!」
その言葉にアルトは顔を歪ませ、怒りの籠った口調で「今すぐその汚い口を閉じろ。いつまでも饒舌を気取るなら貴様の舌を切り落とす」
「あっら〜こわい、こわい。その程度で気を乱すなんてまだまだね、アルトちゃん♡」
「黙れ、本当に切り落とされたいのでござるか?」
アルトは冷静を装っているが多少の緊張感を持っていた。
男のおネェ口調とは裏腹に妙な威圧感を漂わせそれを感じ取っていたアルトは警戒を高めていた。
「つまんないわね〜、なら何の御用?アルトちゃん」
「………霊廟の守護者。その言葉に聞き覚えは?」
それを聞いたジャックと呼ばれる男は口元を歪んだ笑みに染め言った。
「懐かしいわね〜。昔、連中とは一緒にお仕事したことがあるわ」
「仕事?その霊廟の守護者は何かの役割じゃないのでござるか?」
「んふっ本当にアルトちゃんは何も知らないのね。そんな可愛いアルトちゃんに優しく私が教えてあ・げ・る♡」
「さっさと、答えるでござる」
アルトの怒りはピークに達しそうになっていた。
ジャックはそれを察したのか、彼が求める答えを口にした。
「ん〜多分、アルトちゃんも聞いた事があるわよ。深淵系魔術組織『霊廟の守護者』を」
深淵系魔術組織。
その単語を聞いただけで、アルトの顔が強張った。
この世界には魔法と魔術、二つの技術が存在する。魔法は『自然的マナ』と呼ばれる大気中のマナ、精霊のマナを元に術式を発動させるもの。この『自然的マナ』は決して枯渇することがなく神聖なものとして広く認知されている。
だが魔術は『人体的マナ』、即ち人の生命力を消費し術式を発動させる技術。文字通り命が削られる禁忌の力。
大部分の魔術は禁術とされ、使用することは疎か、学ぶことすら禁じられている。
そして、その禁忌を使用する者たち。魔術組織と呼ばれる集団。弾圧による自衛と知識の共有を目的に作られた組織は多くの災厄をもたらしていた。
「深淵系……人の体を弄ぶ異常者達かッ」
魔術組織には深淵系、暁光系、竜血系の三つの勢力が存在する。
『人体魔術』という魔術の概念の下、非道な人体実験、ホムンクルスの生成など既存の種族よりも優秀な生物へと昇華することを目的とした深淵系。
肉体と魂を切り離し、魔術を用いて自らの魂を浄化し精霊の域まで昇華させようとする暁光系。
魔竜王信仰者たちが竜の洗礼を受けるため人類と敵対する竜血系。
それらが起こす事件はどれも無残で残忍なものが多かった。
「まぁ、それ程大きな組織ってわけじゃないけどね」
その言葉にアルトは一つ疑問が浮かんだ。
「なら中小程度の組織が何故、何回も襲撃を行い今まで足取りが掴まれなかった?たかが教会一つと言えど襲った教会は最大宗教『精霊王教』に属し王国が何もしなくても王教は黙っていない。必ず教えに背く異端には制裁を与える。なぜ『霊廟の守護者』は今も健在でござるか?」
「少し事情が変わってね。魔術組織はもう派閥とか技術の秘匿とか言ってられない状況になっているのよ。連中は手を取り合いより強固な組織を形成しつつある。連中に手を出せば派閥だけではなく、全ての魔術組織を敵にする。だから教会も下手に手を出せないわけ」
「そこまで、巨大な闇でござるか」
「だから、これは私の忠告。止めておきなさい。たとえ、魔竜王を殺した大英雄でも全ての魔術組織を相手するなんて命が幾らあっても足りないわ」
ジャックの忠告にアルトは迷いなく否定した。
「いいや、それは出来ない」
「何で、死ぬわよ?」
「我が子の苦しむ元凶を消すことが親の役目。それが出来ない親が胸張って子供達に父親面などできないでござるよ。それに立ちはだかる者は全て倒していく拙者はいままでそうしてきたでござる」
「そういうとこ私は大好きよアルトちゃん。でも、勇敢と愚行を履き違えないようにね」
「分かっているでござる。貴様に諭されるとは拙者も堕ちたでござるな」
「あら、もう帰っちゃうの?」
「人を待たせているのでな」
アルトは獄丁を呼び地下牢を後にした。
思考する。
魔術組織、今相手しているのは如何なる弾圧、制裁を持ってしても途絶えることが無い巨悪。アルト一人で何とかできるか。子供達を守り切れるのか。
「いいや、やるしか無いでござるよ」
決意に近い独り言を呟くアルト。地下牢から出た外の空気は沈んだ心を綺麗にしこのマイナス思考を切り替えるには打ってつけだった。
「アルト様ー!!」
教会から出で、待っていたのはエリーだった。長時間待たせて疲れているはずかのだが、エリーは嫌な顔一つせず主人であり父親でもあるアルトの帰りを笑顔で迎えてくれた。
この笑顔に先ほどの窶れは消え去り幸せが満ちていた。
「待たせて悪かったでござるな、エリーたん。何か食べていくでごさるか?」
「本当ですか!?じゃあ、私はケーキ食べたいです!」
「また食べるのでござるか?あんまり食べすぎると、ぷにぷにになっちゃうでござるよ!」
なりません!と二人でふざけ合いながら街を歩く。
今後もしかしたら、こんな事も出来なくかるかもしれない。
だが、いまはこの細やかな幸せに浸ることにしたアルトであった。
よろしくお願いします。