検証(迷惑行為)開始
モンス・ダイダロスの東側登山道、5~6合目といったところだろうか。マーチ・ヘアが「そろそろのはずだ」と言ってから数分、アリス達は少し拓けた切り株の多い広場に出た。
「地図に示されているのはこの辺りだな」
「切り株のどれかがワープのスイッチだったりするんでしょうか……リスティスの礼拝堂みたいに」
「可能性はある。が、龍穴というのは人工的に設けられた場所ではない。となると……」
マーチ・ヘアは数秒思案し、アリスを見る。
「僕が切り株を調べる。涙に何らかの反応があれば教えてくれ」
「じゃあ、私も向こうの方から調べて……」
「いや、龍穴が『自然の産物』である以上、この光景は些か妙だ。切り株がトラップのスイッチである可能性も否めない。よって君は待機だ。地面よりは、あの石の上の方がいい」
「石?」
振り向いた先に、跳び箱2段分ほどの石があった。本当は早く龍穴を見つけて魔法石を処分したいが、ここで焦って面倒な展開になるのは避けたい。「手伝います」という言葉をグッと呑みこんで、アリスは大人しくその石の上に座った。
これまで登ってきた道や、そこから見える範囲にはほぼ無かった切り株。それがこの場所にはザッと数えて9つもある。マーチ・ヘアがトラップを疑うのも妥当だった。一番近い切り株から念入りに見て調べる彼に、アリスはふと話しかけた。
「あの、マーチさん」
「何か反応が?」
「あ、いえ! そうじゃなくて……あの、私まだ、色んなお礼を言ってなかったと思って。多分、リスティスで私の部屋に矢がたくさん降ってきたあたりから」
「大したことはしていない。務めを果たしているだけだ」
「……ホント、自分に厳しいですね。マーチさんがそう思ってても、私はいっぱい助けてもらったと思ってるので、言わせてください。ありがとうございます」
切り株からアリスに一瞬だけ視線を移したものの、やはり彼の鉄仮面は変わらない。目の前の問題を解決することに全力を注ぐ、という姿勢がブレることはないのだろう。そんな彼を同行させてくれたハートの女王にも感謝しなくては、とアリスが思った、その時。
「この音……地下か?」
「えっ?」
「地面に触れるな。動かずそこに……」
―「読みは良いが、大変惜しい」
どこからともなく聞こえてきた声。同時にアリスの座っていた石が、バコッと下に開いた。
「わっ……」
「アリス殿っ!」
開いた石の下は深い落とし穴になっているようで、虚を突かれたアリスはお尻から落ちる。マーチ・ヘアが咄嗟に手を伸ばしたが、少し離れた位置の切り株を調べていたせいで、指を掠めることすらない。
後を追おうとするマーチ・ヘアの目前で石は元のように閉じ、落ちていくアリスの悲鳴だけが彼の耳に届いた。
「くそっ……!」
自分の拳を額に押さえつけたマーチ・ヘアは、先ほど聞こえてきた言葉の「意味」を考え……ある一つの結論に行きつく。
「最初から、狙いはこの状況か……」
忘れていたわけではない。先ほどリトル・ジョンをロビン・フッド迎撃に向かわせた時点で、残るアヴァロンの主力メンバーは「あの男」――僅かな戦力でキャメロットの2地区を制圧した策略家、マッド・ハッターのみであると把握していた。その事実は把握していたが、彼がこれまで張ってきた「釣り糸」までは認識できていなかった。
細く透明な糸のような策を張るのは、マッド・ハッターの十八番であり、チェスでは何度もしてやられた記憶がある。よってマーチ・ヘアも、相手が仕掛けてきそうなことは概ね予想していた。シャーウッドの義賊たちから「龍穴」の情報を得た際に、その付近に何らかのトラップが仕込まれているのだろう、と。
だが実際は……伝えられた「龍穴の地点」こそが「トラップのど真ん中」だったのだ。すなわち、昨晩リスティス城を襲撃してきた義賊団の中に、ハッターの手下が紛れていたということ。
さらに言えば、トラップの場所に関しても裏をかかれていた。人為的な工作と思われる複数の「切り株」がスイッチであり、地下から響く異様な音によってトラップは「地面に」仕込まれていると思考を誘導されていた。実際に仕掛けられていたのは、自然のままの形を保っていた石の方。
とにかくまずは一刻も早くアリスの無事を確認するために、石をもう一度開けなければならない。凝視してようやく分かる程度の継ぎ目を見つけたマーチ・ヘアが、そこに短剣を突き刺そうとした、その瞬間だった。
―「チケット無くして通れまいよ」
背後で風を切る音をキャッチし、マーチ・ヘアは振り向きざまに防御する。数秒前までは居なかったアヴァロンの兵が、無機質な瞳で剣を振り下ろしてきた。短剣で受け止めるものの、かなりの重みを感じる。気付けば辺りには他にも4名の兵がいて、マーチ・ヘアを囲むように迫ってきていた。
「なるほど、これがチケットか」
受け止めていた剣を押し返して弾く。
「悪いが僕は今、気が立っている。加減は無い」
***
自分の身体が落下している。安全レバー無しのフリーフォールのような感覚は、そのまま命の危機に変換された。このまま地面にぶつかれば、良くて打撲、やや悪くて骨折、最悪の場合は即死。マレフィセントの涙は作用してくれるだろうか、もし作用しなければ……そんな不安と共に走馬灯が見え始めた、直後。
ザバァァァン……!
「がふっ……!?」
全身を包んだ衝撃は想像していた種類とは違い、かつ、思わぬ息苦しさが伴っていた。混乱の中で反射的に閉じていた目を、思いきって開けてみる。
「んっ!?」
アリスが落ちたのは、たっぷりと水の張られた巨大な水槽の中だった。
「ごきげんよう、勇者アリス君」
波打ち歪む視界に、佇む白衣の男が一人。大きな紺色の帽子から、目の前にいる彼がマッド・ハッターなのだと確信する。
舞い上がるスカートも気になるし、ポシェットの中に入れていたクッキーがダメになってしまったと思うと正直凹む。だがアリスはとにかく、まず浮上して空気を確保しなければ、と思った。水の中に飛び込む予定のないままダイブしてしまったのだ。当然のごとく体内に残った酸素は少ない。が、アリスの行動は瞬く間に制限されてしまう。
「悪いがこれは、君の体力テストではない。私が知りたいのは『魔法石の作用』なのだよ」
真上から降ってきたのは、水槽にピッタリ入るサイズの金網だった。浮上しようとしたアリスは金網を持ち上げながら足で水かきを試みるが、酸素量がもたないのは明白だった。
「対マルーシカの際に見られた効果によると、自然現象の延長であれば魔法石は作用しない。この水攻めが果たしてどう捉えられるか……見当がつかない事象というのは、総じて大変面白いものだ」
ああそうか、とアリスは納得した。この人は疑問とその検証、そして結果以外に興味がない。目的と手段が逆転してしまった典型だ……。けれどそれが分かったところで、腕力も脚力もいよいよ限界だった。
金網に押されて水槽の下へと沈んでいく。息を止めているのも、つらい。呼吸がしたい。ただ、その欲求のまま口を開いてしまえば……
「がはっ……」
大きな気泡を吐いたのを最後に、アリスは全てに対する抵抗力を失った。気絶した彼女を見て、マッド・ハッターは金網についた鎖を巻き上げる。浮力でその身体は水槽の中程まで浮き上がったが、魔法石は光る気配を見せなかった。




