ブナ林への突入 ―分断―
ゴウウウウン……
ランスロットの一撃により響き渡ったその音は、数キロ先を移動するアリス達にも感知された。
「今の、地震……?」
「違うんじゃない? 地面揺れてないし。多分だけど、あの騎士だよ」
リトル・ジョンの応答に、アリスは山道の向こう側を見つめる。その胸中を察してか、マーチ・ヘアが言った。
「アリス殿、僕らはランス殿の強さを知っている。彼ならば大丈夫だ」
「マーチさん……」
「ガヴェインと僕と森番、3人相手でも止められないほどの実力を持っている」
「……はい」
そうだ、アリスが怖がることなど何もない。戦っているのはあのランスロットだ。200名相手だろうと、500名相手だろうと、スリリングな状況を心のどこかで楽しんでいるに違いない。大丈夫、きっとすぐに追いかけて合流してくれる。
半ば自己暗示をかけるようにランスロットの強さを思い出すアリスは、自らの行く先に、東西に広がる木々を捉えた。どうやら整備された山道はここまでらしい。マーチ・ヘアは地図を広げ、少し確認してからすぐしまった。
「いよいよだな……このブナ林を真直ぐ北に進むと切り立った崖がある。その崖を含めた一帯がモルガンの居城だ」
「しかし我々は城を落としに来たのではあるまい。目的地はモンス・ダイダロスの『龍穴』たる地点」
「ってことは迂回すんの? ダイダロスの東は海だし、西から?」
「ああ。アヴァロンの城を囲むこのブナ林を西へ横断する。僅かだが、城の近辺を通るよりは敵に遭遇しづらくなるはずだ」
リトル・ジョンは「へぇー、そんなもんかー」と聞き流していたが、アリスはマーチ・ヘアの軍司っぽさを感じ、尊敬した。トー卿に地図を渡された瞬間から、恐らく色んなことを考えていたんだろう。
***
十数分ほど進んだあたりで、ふと、辺りが急激に冷え込んできた。見回してみると、ブナ林の中、徐々にだが霧が発生し始めている。近くに水辺でもあるのだろうか。とはいえ歩みを止めるわけにはいかないので、白さと暗さを増していく林を進む。
「アリス殿、手綱は軽く握ったまま、引くのは僕に任せてくれ。障害物があれば回避する」
「はい。ありがとうございます」
「3人とも、警戒してくれ。……何か迫っている」
「えっ?」
緊張感ある伯爵の声にアリスが身震いした、次の瞬間だった。
「ロビンっ!!」
「深追いするな! リトル・ジョン!!」
ただでさえ暗いブナ林、すっかり深くなった白い霧の中、マーチ・ヘアの制止も聞かず、リトル・ジョンは駆け出した。その姿はあっという間に影も形も見えなくなり、アリスは青ざめる。
「そんな……ジョンさん、1人で……」
「ロビン・フッド応戦は彼の役目だ。ランスの時と同様、進むかい?」
「確かに今、彼が駆けた方に何者かの気配はあった。だが僕は、ロビン・フッドと直接的な面識がない。あれが本当にロビン・フッドであれば、彼に任せるが……」
「マーチさん?」
どうやら伯爵とマーチ・ヘアは何らかの違和感を抱いているらしい。振り向くアリスに視線を合わせ、マーチ・ヘアは言った。
「アリス殿、昨晩の奇襲でロビン・フッドは真直ぐ涙を狙っていたと聞いたが、間違いないか」
「はい」
「となると今回の動きはおかしい」
「もしかしたら、モルガンにそう指示されてるのかも知れないです。ロビン・フッド、ランスロットみたいに操られて従ってるんじゃないみたいなので……」
「あるいは我々を順にアリス嬢から引きはがす魂胆だろうか」
ひとまずリトル・ジョンの位置を特定しようと音波を発した伯爵は、その反響音を知覚した瞬間、顔色を一変させた。彼にとって最も信じがたい現象を目の当たりにしたかのような、はたまた彼にとって最も恐ろしい事態が起きてしまったかのような、焦燥あふれる表情。
咄嗟にリトル・ジョンの身を案じたアリスが問いかける前に、伯爵の背に黒い翼が現れる。
「すまないアリス嬢、どうやら私の客もこの場にいるらしい」
「えっ?」
「マーチ・ヘア君、彼女を頼む。アレは凶暴だからね、早く遠くへ」
「……了解した」
アリスの困惑をそのままに、返答と同じタイミングでマーチ・ヘアは手綱を引く。すぐさまユフィは駆け出し、伯爵との距離も開いていく。
「ま、待ってくださいマーチさん! 伯爵の客って……」
「僕も確実な察知に及んでいないが、この地点にはロビン・フッドだけでなく人狼サーヴもいるようだ。とすれば、迅速にこの場を離れることでモルガンの側近2人をかわし、引き離すことができる」
ただしそれはリトル・ジョンと伯爵をこの場に置いて行くことと同義である――マーチ・ヘアが直接口にせずともアリスには分かっていた。手綱を握り直したアリスの覚悟を、マーチ・ヘアも汲み取ったのだろう。「彼らなら大丈夫だ」と、珍しく確証のない言葉をかけた。
ところが直後、ブナ林に一つの悲鳴がこだまする。
「ぐわああああ!!!」
「い、今の……ジョンさん!?」
咄嗟に後方に目をやるアリスだが、やはり白い霧が全てを覆い隠している。この悲鳴を聞いてなお、進まなければならないのか……「困ったら呼んで」と言ったのに、結局何もできずに。将軍様でも姫様でもない、勇者に求められる「勇気」は、こうじゃないはずだ。
「マーチさんやっぱり引き返し……」
「ユフィ止まれ!」
「きゃっ!」
アリスの呼びかけを遮ったマーチ・ヘアの指示は、何故かユフィに通らなかった。突如狂ったように一直線に駆け出したユフィは、制御不能のロデオのような衝撃を与える。しかし振り落とされれば大怪我を負うことは想像に難くない。身を縮こまらせ姿勢を低くした、その時だった。
「この匂い……火薬か!」
「えっ!?」
マーチ・ヘアの嗅覚の反応は、決して遅かったわけでも、鈍かったわけでもない。ただ、彼とアリスの乗る馬が暴走状態にさせられていたことが、回避を不可能としていた。
「アリス殿、伏せろ!!」
一直線に駆けていたユフィは、何らかの罠を作動させたのだろう。林の中に、爆発音とは違う軽快な破裂音が連続して響き渡った。
パパパパパパパアン!!
馬上で目を瞑って伏せていたアリスには、結構大きめのクラッカーのように感じられた。相違点を挙げるとするならば、小規模の爆竹によって土埃も上がったことと、(瞼越しだったが何となく)閃光弾も同時に発動したことだろうか。
パニックを起こし前足を高く上げ嘶くユフィ。ようやく足を止めてくれたらしい。咳き込むアリスの耳に、マーチ・ヘアとは違う声が聞こえてきた。
「ようこそ。つーか早々抜けられるワケねーだろ? ロビン・フッドの罠の林なんだからな」
「ぐっ……!」
刹那、ぶつかり合うような金属音が聞こえ、背後にあったマーチ・ヘアの気配がなくなる。驚き振り向こうとしたアリスを、再び聞こえた第三者の声が邪魔する。
「お前はもっかい走っとけ」
「ちょっ……ユフィ!?」
霧の中から一瞬だけ現れた人影は、ユフィに何かを嗅がせたようだった。それを皮切りに、破裂音で足を止めていたユフィが乱暴な疾走を再開させる。
「ダメ! ユフィ待って! マーチさんがっ……!」
手綱を放すまいとしながら、しがみつくように身を屈めてユフィに呼びかけるアリス。だがユフィは全く止まろうとしない。しかも先ほどの一直線走行と違い、今度は激しくコースがうねる。
「ユフィ、お願いっ……止まっ、て!!」
下手に呼びかければ舌を噛んでしまいそうで、アリスの訴えもたどたどしくなる。そして、暴れ馬となったユフィはアリスを乗せたまま、別の罠に突っ込み、作動させたようだった。
パパパパパアン!!
「ううっ……!」
目を閉じて、振り落とされまいと風圧や衝撃に耐えることしか出来なかった。本当は、自分がユフィを落ち着かせ、操縦し、マーチ・ヘアやリトル・ジョン、伯爵の安否確認に行くべきであるのに。幸い罠の破裂音や、それに連動した閃光弾に恐怖したユフィは足を止めた。