朝餉 ―口論と共に―
ベーコンエッグの焼かれるジューシーな音と、マーガリンを塗ったシナモントーストの優しい黄金色。少し重たい瞼と体に、野菜スープの温かさがしみる。
「昨日、変な夢見たの」
「また? 鈴の夢っていつもすごいわよね」
「サイの大群が突撃してきてさ、それなのに怪我はしなくて痛くもないの」
「チートじゃん」
子供舌な恵太は、チョコクリームを塗ったトーストをサクサク食べる。いつも通り。
「あと、ちょっとファンタジーっぽくてね、チェシャ猫とか、ハートの女王とか出てきて。マーリンもいて」
「アーサー王伝説! いいわね~、お母さんソレ好き」
向かいの席に座ったお母さんが飲むのは、ドリップタイプのブラックコーヒー。出来たてのベーコンエッグは半熟。いつも通り。
「や、アーサー王には会えなかったんだけど、ハートの女王が超美人でスタイル良くて、デザイナーなの」
「女王なのに?」
「そう。女王なのに。センスの塊」
「その設定イミフ。必要?」
恵太の余計なコメント、いつも通り。着てる制服、いつも通り。窓から差し込む朝日の角度、カーペットにできる影のでき方、いつも通り。
なのに。
カンカンカンカンカンカンカンカン
「う、るさいっ……」
「ん?」
「どうしたの? 鈴」
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン
耳の、頭の奥で響くこの金属音は、何なのだろう。どうして、シナモントーストの味が分からないんだろう。サクサクしてても、甘さがない。ほろ苦さもない。
「そうだわ鈴、今日はお母さんのタンブラー持ってってちょうだい。鈴の、昨日から漂白してるのよ」
「俺のは?」
「お父さんの」
「げ。アレ重いんだけど」
「カビでお腹壊すよりいいでしょ」
「ちぇー」
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン
「もうやめて!」
「鈴?」
……そうだ、答えは1つだ。シナモントーストの味がしないのも、渡されたタンブラーが重くないのも、全部、全部、理由は1つにまとまる。
でも、「それ」を認めてしまったら……
「お母さん、」
「何?」
「その夢ね、結論がまだ、見えなくて」
薄れゆく意識は、待ってくれない。気付いてしまった瞬間に覚めるのは、お約束みたいだ。それでも、お母さんが微笑んだのが見えた。
「やぁねぇ、鈴ったらどこまでロジカルなの? ファンタジーに結論はないわよ。テーマと結果はあっても」
「テーマと、結果……」
「お母さんは日本文学専攻してたんだけどね、物語を読み解くのって難しい論文の結論探すより断然……――」
***
マーリンは絶句していた。朝から物凄い騒音によって心地よい目覚めとは程遠い感覚で叩き起こされ、音のする方へと足を進めてみれば、かの有名なハートキングダムの軍事司令官がひたすらおたまを鍋底に打ち付けるという何とも奇妙な光景が広がっていたのだ。
これにはメイドも執事も料理長も困惑しているようで、キャメロットの大魔法使いと言われるマーリンすら、その行動の真意は掴めない。
「まったく……何事じゃ」
「あ、おはようございます女王様」
騒音に耐えかねたマーリンが声をかけようとしたその時、その後ろからハートの女王が顔を出した。厨房に姿を現すことは大変稀で、メイド・執事・料理長は素早く頭を下げる。おかげで頭一つ飛び出た軍司が騒音の正体と知り、女王は深い溜め息を1つ吐いた。
「そちか……まずは問おう、何の意味があって鍋を叩いておる。頭に響いてならぬ、やめよ」
「これは失礼。てっきり勇者が真っ先に飛び出してくるかと思ったんですが」
「勇者…? ……ふふ、それは見込み違いじゃ、マーチ・ヘア。とは言え、そろそろ目覚める頃であろう。皆、朝餉の支度を頼むぞ」
女王の言葉に「はっ」とお辞儀を返し、行動を開始する面々。
「さて、マーチ・ヘア、そちも着替えよ。妾たちの希望、勇者アリスは朝餉の席にて紹介しよう」
「……承知しました」
ひょこひょこと跳ねるように厨房をあとにする軍司の後ろ姿に、マーリンは未だ呆然としたまま。
「どうかしたか? 会うのは初めてでなかろうに」
「いえ…あのような奇行に走る者とは思いも寄らず……」
「軍司であるが故じゃ。過ぎるほどに適する思考を持っておる」
アリスと対面させるのが楽しみで仕方ない、と笑う女王に、マーリンはほんの少しだけ眉を下げた。美しく凛々しく聡明な女王の唯一の欠点は、全てを愉しんでしまうほどの前向きな捉え方ではないか、と。
そして彼の小さな不安は、朝餉の席にて、別の方面で的中した。
***
「単刀直入に言おう。勇者はそんな汚いものを連れるべきではない。よってすぐさま捨てるべきだ」
「汚い、もの?」
「出会って早々アリスちゃんを困らせるなんて、やっぱり頭ガチガチな軍司サマは言うことが違うなぁ。兵士と鉛玉ばかり相手して、女の子への言葉のかけ方も忘れてしまったみたいだ」
「これは奇妙なことを言う。この世界にとってアリスは女である前に選ばれし勇者だ。婦人扱いをする方が見当違いと考えられるが。森番こそ、勇者をただの女扱いとは余程性に飢えていると見える」
「人をフェミニスト通り越した発情期みたいに言うのはやめてくれないかなぁ? 俺はきちんと任命されてアリスちゃんの横にいる『導き手』なんだ。分かるかい? 選択肢の提示や状況理解のサポートをする。誰かと違って無闇に戦闘力や危機的状況下での行動力を試したりしないのさ」
「た、試す? いつの間に…っていうか、何を?」
「朝の騒音だよ。常に敵を意識する軍人はアレに反応して駆けつける、っていうのが最低条件らしい。それ以降の判断と行動によって更に格付けされる」
「落ちぶれた森番の割に知識だけはご立派に備わっているな。勇者アリス、残念ながら現時点で僕から君への評価はEだ。もっとも、軍人としての基準で判断した場合の評価だが」
「い、E判定……合格率5%未満……」
「睡眠時であっても音には敏感であるべきだ。危機察知に大きく影響する。また、騒音の原因を突き止めようとせず遮断に走った君の行動を戦闘時に置き換えるならば逃避という決断になり」
「あーあやだねぇ、これじゃあ折角の朝食が台無しだよ。爽やかになるはずの気分が萎えるし、おいしいはずの食材がこんなにも喉を圧迫してくる。女王様、何で今朝になって突然軍司サマが同席する羽目に?」
「決まっておろう、マーチ・ヘアは基本早寝早起きの生活。昨日の夕は既に眠っておったのじゃ」
「マーチ・ヘア……それがあなたの名前?」
「ああ」
「よ、宜しくお願いします。えっと、軍司って…戦いの作戦とか立てる役職、ですよね? すごく頭良かったり…?」
「アリスちゃん、何言ってるんだい? 彼の名前はマーチ・ヘアだよ? 名前の通り、ぶっ飛んだ脳みその持ち主さ」
「人を惑わす物言いは相変わらずだな、チェシャ猫。感情と事象を素直に正しく伝達する術はまだ教わっていないのか」
「素直? 正しい? それって基準は一体どこに置いている前提だい? 俺は頭の固い軍人じゃないから規律で縛られた『素直さ』や『正しさ』がよく分からないんだよねぇ。絶対的な力の前では事実の歪曲も厭わないご都合主義が、人の表現に口を出すなよ」
「ちょ、ちょっとチェシャ……」
「飽きた。お前達、そこまでじゃ」
ようやく女王の制止がかかり、チェシャ猫とマーチ・ヘアは口を閉ざす。どうしたものかと両者を交互に見ていたマーリンも「やれやれ……」と一息吐いた。