ドラキュラ伯爵 ―吸血鬼―
その日の昼も、アリスは自らに出された食事の一部をリトル・ジョンに運んだ。
勿論その前にトー卿との話をマーチ・ヘアに伝え、毒の混入を疑わなくてもいい可能性があることは訴えた。しかしランスロットが、「この城の人間はパーシヴァルの件で、俺やアーサーを恨んでる」と譲らず、今回も朝と同様の作戦になったのである。
「はぁ……」
客室のバルコニーにもたれかかり、溜め息。
リトル・ジョンとは、お互いの昔話をする、という形で会話ができた。アリスが帰りたがっている「日本」という国に興味が湧いたらしい。日本について話す代わりに、シャーウッドとリスティスの関係や、仲間の身代わりで牢屋に入れられた日のことを話してもらった。
捕えられたメンバー5人の家族や兄弟、恋人の涙を見て、腹を括ったそうだ。ペリノア王の寝室に書状付きの矢を放ち、5人の解放を条件に単身出向いた、と。
昔からリスティス中央部では、シャーウッドで村落を形成する住民たちを「移民」扱いしていた。そして「移民」に対する税制度は、「リスティス市民」に対するものと比べ、極端に厳しく定められている。
しかしどんなに抗議してもそれら制度は改善されず、それどころか軍事力をもって無理な徴税を強行し続けるペリノア王に、シャーウッドの獣人たちは皆、不満を募らせる一方だった。
そんな中立ち上がったのが、ロビン・フッドである。持ち前の明るさとリーダーシップでシャーウッドの若者たちをまとめあげ、明晰な頭脳と巧みな武術でペリノア王を出し抜いた。リスティス中央にあるこの城から、これまで何度も金品や食料を大量に奪い去っており、彼が結成したその盗賊集団は村落内で「義賊」として讃えられているらしい。
……と、ここまでは聞けたのだが、肝心の「襲撃の周期」や「侵入経路」については、やはり聞き出せなかった。(盗賊エピソードを自慢げに語るほど)シャーウッドに傾倒するリトル・ジョンが、仲間を売るような重要な情報を口にする日なんて、来るのだろうか。
「悩まし気だな、アリス嬢」
「伯爵……」
「その表情もなかなか魅力的だが、できれば笑顔であって欲しいものだよ」
「へっ? あ、えっと……」
突然の口説き文句に、ぶわっと顔を紅潮させるアリス。
「おや、困らせてしまったかな、すまないね」
「い、いえ……ビックリしただけ、です」
俯きながらそう返し、再び思案し始めるアリスに、伯爵は問う。
「悩ませているのは、リトル・ジョン君かな?」
「はい……私、考えてみたら交渉術とか心理戦とか誘導尋問とか、そういう『単語』しか知らなくて……。どんなものなのか、私にも使えるのか……」
「ふむ、確かヴァンが言っていたな。アリス嬢の長所は、一生懸命なところだと」
伯爵はアリスの頭にそっと手を乗せ、「私も心からそう思う」と微笑む。
「ゆえにアリス嬢、君は真直ぐに彼と向き合い、答えるといい。君の望む結果に必要な知略は、適するものが練ればいいのだから」
「それは、丸投げってことになりませんか?」
「安心してくれ。こちらの世界では、『役割分担』と言うんだよ」
自分一人でぐるぐると考えるのはアリスの趣味であり、クセであり、特技であり、短所でもある……伯爵と話していると、頼ることは悪いことではないのだと思えるから不思議だ。
「ありがとうございます、伯爵」
「礼には及ばない。君が背負っている使命感の、ほんの一部でも肩代わりできれば喜ばしいことだ。さて、彼を牢獄から出すための課題だが、そろそろ本格的に実行へと移していく必要があるだろう」
「実行って……私、まだ何の情報も……」
「確かに、彼らの侵入経路については彼らのみが知り得る情報だ。この城全体を改めて探って見つけ出すのは徒労同然。とは言え、『その先』に関してはこの城全体への調査で対処できうるとは思わないかい?」
「その先……あっ! 目的地!」
「ご名答、さすがアリス嬢」
複数人で課題を乗り越えていくことはこんなにも頼もしいことなのだと、アリスは初めて心からそう感じた。一人では思い詰めてしまうことを分け合い、また、一人では思いも寄らないような切り開き方もできる。これほど幸せなミッションがあるだろうか。
……いや、あったはずなのだ。部活を引退して以来数カ月、受験という「自分の数値との闘い」を続けていたから、忘れていただけ。
「ペリノア王は『金銭的被害』とも言っていた。つまりは、賊の狙いにこの城の金品類が含まれている、ということになる」
「宝物庫みたいなのがあれば、そこが目的地ってことですね」
「現状、いくら探索してもそれらしき部屋が見当たらない、というのが最大の問題点なんだがね」
溜息の後、「隠し扉でもあるのだろうさ」と笑う伯爵に、アリスは「私も今日から探索のお手伝いします」と意気込む。当の城主ペリノア王とその子息たちが非協力的なのはどう考えてもおかしいが、今更そこをあれこれ言ったところで事態の改善は見込めない。
「あ、そうだ。伯爵、一つ聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「伯爵の周りに時々現れるコウモリたちって、通信機の役割ができたりするんですか?」
「そうだな……平たく言えば、受信の役割を持つのと、送信の役割を持つのとで、2種類の眷属がいるんだ。アリス嬢の想像するように、遠くにいる者との意思伝達を実行するには、互いの場所に2匹ずつ必要になる」
その返答を聞いて何かを考えるアリスに、伯爵は言った。
「使いたければ言ってくれ。各地に眷属は多くいるから、私は特に困らないよ」
「じゃあ、全世界のコウモリが伯爵の指示を聞いてくれるってことですか!?」
「全世界とは、またスケールが大きいな。厳密に言えば、ヴァンパイアにも『系譜』というものがあってね、私はカーミラの系譜に属しているから、従わせるのはその系譜のコウモリに限られる」
「系譜って……一族みたいなものですか?」
「その通りだ。ただ『一族』とは言え、カーミラは己のみで数百年を生き続け、勢力を広げていったヴァンパイアだ。よって、私は二代目にあたるのだが、従わせるコウモリの数は多い方になる」
「伯爵は、すごい名門のヴァンパイアってことなんですね」
アリスが笑顔でそう返したので、伯爵はほんの少し目を丸くした。
「アリス嬢は……私が怖くないのかい? 君とは違う、血を吸う生き物が」
「こうして話していれば、普通の人ですよ? 好きな食べ物が違うって感じでしょうか。それに……誰彼構わず吸い尽くすような人じゃないって、分かってますから」
怖いか怖くないか、その二択で聞かれると選べない。
実際、ランスロット迎撃にあたり力を解放した伯爵の姿や声や振る舞いは、アリスを硬直させた。それでも今は、とアリスは思う。ヴァンにも忠告されたではないか、保障できるのは人柄であって理性ではない、と。
「……君は、本当に強い」
「そ、そんなことは……」
「だからこそ私は君に、言っておかなければならないな」
「何をですか?」
「ヴァンパイアは系譜ごとに血の好みがあってね。まぁ、若くて強い者の血は総じて好まれるのだが……カーミラの系譜はやや特殊なんだ」
「特殊?」
ゆっくりと頷いた伯爵は、左の掌をアリスの右頬にそっと添えた。
「あ、あの……」
「こうして君に触れるだけで、満たされてゆくのさ」
愛おしそうに目を細める彼を前に、アリスは自分の心拍数上昇を感じた。
だから、どうしてそんな台詞をサラッと……ちょっとは言われる方の身にもなって欲しいのに。
いやいや、そうじゃない。今考えるべきは「カーミラの系譜がどうして特殊なのか」についてだ。その答えが、(少女漫画から取り出されたような)伯爵の言葉に隠されているはず。
だが、こんな風に見つめられて緊張状態に陥っている思考力では、とても「答え」を探り当てられそうにない。




