ディナー(説明会)
「では、改めて自己紹介を。私はマーリン、隣国のキャメロットより遣われた魔法使いであり、現在は当国の宰相を務めております」
「マーリンさん……聞いたことあります。あの、アーサー王の……」
「おお、我が国王をご存じか」
「ええ、まぁ…有名な人だし……」
夕餉の席にて。マーリンが思いのほか嬉しそうに「そうですか」と頷くのを見て、鈴は「おとぎ話で知りました」などと言ってはいけないのだと悟った。
それにしても、おいしい。おばさんの結婚式で食べたフレンチと同じような、ミディアムレアのお肉とフォアグラ、ジャガイモの冷製スープ、スライスサーモンの炙り……外がサクサクで中がふわふわのパンも絶品だった。更に言えば、先ほど通された客室も(実際泊まったことはないが)最高級スイートという言葉がピッタリで、本当にこの建物が女王のための城なのだと実感せざるを得なかった。
緊張のあまり食べながら質問することが出来なかった鈴だが、マーリンの自己紹介を皮切りに疑問を投げかけ始める。
「えっとまずは……勇者ってどういうことですか? 伝説がどうとかおっしゃってましたけど……」
「この国……いや、この世界に古くからある伝説でございます、知らぬ者はまずいないでしょうな。石碑に記されている勇者の姿が、言い伝えのルーツだとか」
「石碑?」
「俺それ見たことあるよ、今はキャメロットが管理してるんだっけ」
「左様。勇者の名はアリス、どの石碑にもそのようにありました。そのため我々は『アリス』という名に特別な反応を示すのです」
実際は、鈴が今「アリス」と呼ばれているのは、チェシャ猫にそういう名前だと思われてしまったから。ここで誤解を解けば、勇者扱いはされなくなるはずだ。期待を込めて、鈴は返した。
「そのことなんですけど……私、アリスじゃないです。今そう呼ばれちゃってますけど、ホントの名前は……」
「ほう……ということは、初めて『アリスではない勇者』が訪れたということになりますな」
「え?」
「名前などいくらでも変えることができましょう。我々が貴女を勇者だと見極めたのは、決してそのような不確かな理由からではありませぬ」
マーリンの視線が鈴の目から少し下に逸れる。首から提げた魔法石・マレフィセントの涙を見つめているのだと、すぐに察した。
「あの、これってどのくらいの価値があるんですか? というか私、いらないので……普通にその、お譲りしますけど……」
上座から大きな溜め息が聞こえたのは、気のせいではなかった。ちらりと目をやれば、女王が「どうしてくれよう、この愚か者」という憂いを帯びた表情をしている。
鈴は反射的に心の準備をした。とは言え、この夢でチェシャ猫に出会ってからというもの、様々な暴言を吐かれたし何度もバカにされてきた。そろそろ何を言われても怖くない。
「……マーリン、一度燃やせ」
「え!?」
「宜しいのですかな?」
「本物であることは分かっている。問題なかろう」
「畏まりました」
「ちょ、ちょっと待ってください! 燃やせって、まさかそんな……」
「この際、加減はいたしませぬぞ」
「してくださいよ!」
マーリンはバサッとマントをはためかせ、競技バトンのように杖を手元で一回転させる。「これから貴女を燃やします」と宣告を受けて享受できる人間はいない。鈴は焦るあまり立ちあがったその瞬間尻もちをついた。命令を下した女王はそっぽを向いているし、チェシャ猫は「うわーすごいなー」と徹底したギャラリー態勢。目を覚ますなら今だ、と念じながら、杖を揮うマーリンを前に固く目を閉じた。
…………ちっとも熱くないのは、夢から覚めたからだろうか。閉じた瞼を開ければ、いつもの勉強机が見えるだろうか。ささやかな期待を胸に、それでも鈴はまだ両手で顔を覆っていた。
「よう見てみよ、アリス」
女王の声が聞こえてきた時点で、夢から覚めたわけではないことは分かった。
だとしたら、何故熱を感じないのか。もしかしてまた女王の冗談とマーリンの悪ノリか。恐る恐る両手をおろし、そっと目を開け…………驚愕した。
「やはり本物。恐ろしい魔力でございますな」
「マレフィセントは史上最強の存在だったって話だからねぇ、その魔力がありったけ詰め込まれてるんなら納得もできるさ」
マーリンの杖からは赤々と燃える炎が確かに放出されていて、それは真っ直ぐに鈴へと向かって来ている。女王の城にある他の一切を燃やすまいと、向きを操作されているようだ。
しかし、そうして確実に向けられた炎の帯は、鈴の体はおろか髪の毛一本にも触れないまま、更に「ある一点」へと集約され、吸収されていく。その終着点こそ、鈴が先ほど「譲る」と言った魔法石・マレフィセントの涙だった。
「それが答えじゃ」
目の前の光景と現象全てに圧倒された鈴は、「何の答えですか」と聞き返す代わりに息を呑んだ。女王が軽く左手を挙げたのを見て、マーリンは杖から出していた炎を止める。そして、鈴に簡単な説明をした。
「マレフィセントの涙が持つ魔力性質は極めて単純。すなわち『現状維持』です」
「現状維持……?」
「どんな者であれ、その石に干渉することは叶いませぬ。外界から与えられるあらゆる影響の排除……と言えばご理解いただけますかな」
「は、はい……何となく」
「やだなぁ、これだから堅苦しい魔法使いは。もっとシンプルでドラマチックでピュアな話じゃないか。アリスちゃんはそれを託されているから最強かつ安全で、それを持ってきたから伝説の勇者であって、それを持っている限りお家に帰れない迷子なのさ」
クラッカーをパリッとかじるチェシャ猫の言葉に、鈴は食い付き立ちあがった。
「か、帰れないって何!? どういうこと!?」
クリームチーズと苺ジャムを次のクラッカーに乗せながら、チェシャ猫は目を丸くする。
「だってアリスちゃん、別のトコから来たって言ってただろ? だから、言葉の通りさ。その場所に帰るには、涙を捨てるしかない」
「だ、だからこれ譲るって……」
「あははは! 何のためにさっきマーリンに炎出してもらったんだい? アリスちゃん、それは君の首から外せないんだよ。『現状維持』のための魔力が働いちゃうからさ。魔力は石自体のみに働くんじゃない。持ち主に対しても同じように発揮される。いくら頭の足りないアリスちゃんでも、ここまで全くの無傷で来られたのが奇跡と偶然と幸運の産物だなんて、そんなおめでたい発想は持ち合わせてないハズだけどなぁ」
ぽかんとしながらも、必死に情報処理をした。
石の魔力がすごくて、その効果で外せなくて、だから自分は怪我とか一切しなくて、魔法を受けても全然へっちゃらで、しかし……帰れない。チェシャ猫が並べた論理は大方理解できた。
しかし「帰れない」というのは、どういうことだろうか。この世界は自分の夢の世界ではないのか。目覚めればいつもの勉強机と、その横にはハンガーにかかった制服があるはずで……。そもそも怪我をしない理由だって、夢だから、と片づけることができるのだ。太陽の暑さも、走った後の息の荒さも、美味しい食事も、全てウソで……――
そこまで考えて、ふと気がつく。夢の中の食事を、美味しいと感じたことはあったか。夢の中で暑さは感じたことがあっても、汗をかいたことは?
「ここは……何なの……?」
私の夢じゃないの、という意味で聞いたが、登場人物たちは揃って怪訝な顔をした。それもそのはず、今更投げかけるべき質問ではないことくらい、質問した鈴にも分かっていた。だが口をついて出てしまったのだから仕方がない。「君が見ている長い夢だよ」という一番都合のいい答えが返って来る、そんな僅かな可能性を信じながら否定しながら、鈴はチェシャ猫に視線を送る。赤と白がたっぷり乗ったクラッカーをおいしそうに食べ、咀嚼し、飲み込んだ彼は、鈴の視線に対してまたあのにやりとした笑みを返した。
「もう気付いているのに答えさせようとするなんて、本当にアリスちゃんは野暮な行為が得意なんだね」
この物言いがどんな「答え」を示しているのか、鈴は信じたくなかった。
どうして私が、その言葉を呑みこむ。散々教えてもらったではないか、マレフィセントの涙を持っているからだと。深呼吸を一つして、マーリンの方を向く。
「もし……外すことができたら、私は帰れますか?」
ようやく鈴の頭が状況を把握し始めた、そう察したマーリンが顎髭をいじりながら答える。
「無論、その石が勇者を呼び寄せたことは伝説に基づいた事実。ただ……その石が持つ強力で強大な魔力を凌駕することは、並大抵の魔力ではかないませぬ。外すとなると、方法は限られてきますな」
「打ち首にしてみてはどうじゃ? 外せよう」
「わ、私が生き残れる状態で外してもらいたいんですけど……」
「ふふ、冗談じゃ。アリスは面白いのう」
童話を知っている影響か、女王の「打ち首宣言」は全く冗談に聞こえない。逐一背筋を凍らせる鈴をよそに、考え込んでいたマーリンがふっと顔をあげた。
「女王陛下、一つだけ可能性が」
「何じゃ、申してみよ」
「はい。ここから北西へと進んだ先……モンス・ダイダロスには、万物を無に帰す力があると聞きます。その力をもってすれば、強大な魔力を上回るやも知れませぬ」
「モンス・ダイダロス、か……名案だが、1つ問題があろう。あの辺りは魔女の領地ぞ。あの女は石を欲していると聞く。行楽気分で目指そうものなら、それこそ首をはねられ石は奪われよう」
「おっしゃる通りです。そこで提案なのですが……」
また少しずつ置いて行かれ始めた……鈴はそうっと身を乗り出し、向かいに座るチェシャ猫に小さく呼びかけた。
「ねぇ、ねぇってば!」
「ん?」
「モンス何とかの魔女って何?」
「ああ、そっか。お二人さーん、アリスちゃんが途中からわけわかんないってさ」
チェシャ猫は親切にも女王とマーリンの会話に割り込み、鈴に注目を集めさせた。こっそり簡潔に答えてもらえれば良かったものの、いくら余所者だとは言え自分の無知が原因でこうも話を遮らせてはさすがに申し訳なくなってくる。
「あの、すみません……モンス何とかには魔女がいるんですか? っていうか、この石ってもしかして、すごく狙われてたり……?」
「これはすまぬことをしたな。モンス・ダイダロスは巨大な山じゃ。この大陸を築き上げた創世の地と伝わっている。大いなる力を秘めているとも言われておるが真偽は定かではない。調査の最中、争いが起きての……今や、迂闊に近寄れば何人も戻ってくることのかなわぬ魔女の国・アヴァロンの一部となってしまった」
「アヴァロン?」
「幻影の魔女・モルガンの統べる地にございます。その魔術にかかった者は皆、彼女の支配下に置かれてしまうと」
「そちが先ほど申した通り、マレフィセントの涙を狙う輩は数多おる。中でも一番厄介なのが、モルガンと言えよう。下らぬ小者は振り切ってしまえば問題なくとも、あの女だけはそうもいかぬ」
「そんなに強い魔女、なんですか……」
女王だけでなく、マーリンも目を伏せた。まるで、何かを失ったかのような深い哀しみを湛えた表情。その雰囲気に、鈴も思わず口を噤む。
チェシャ猫がクラッカーをかじる音がやたら大きく響き、窓の外からもヒュルルと風の音。
「……さて、夕餉は終いじゃ。アリス、浴室に着替えを用意させている。今宵はゆるりと疲れを取るといい。石についての話し合いは、一度眠ってからでも遅くなかろう」
「あ、はい」
女王が席を立ち、マーリンも続く。その退室を見送った鈴に、城のメイドが「アリス様、こちらです」と声をかけた。