帰還 ―激動の夜の終わり―
***
チェシャ猫とマーチ・ヘアがその場に合流したのは、それから1、2分後のことだった。
「国王サマの馬、速すぎ。それに追いつくランスロットもぶっ飛んでるけど」
「アリス殿、怪我は」
「私は何とも……二人は、あの、傷の具合とか……」
恐る恐る尋ねたアリスにマーチ・ヘアは溜息をつき、
べしっ
「いっ……たー……」
アリスの額を思い切り指ではじいた。
「な、何するんですか……うっ!」
突然の攻撃に抗議しようとしたアリスに、もう一発別のデコピンが飛んでくる。
「いったぁ……チェシャ!」
「本当は思いっ切り引っ叩きたいんだけど、これぐらいで済ませてあげた大海のような寛容さを褒め称えて欲しいぐらいだよ。ねぇ、軍司サマ」
「非常に癪だが同意する」
じんじんと痛む額を掌で覆いながら、アリスはぽかんとした。無理もない。平常時ならば絶対にタッグを組まないであろう二人が、揃ってアリスに苛立ちを向けているのだ。
「その様子だと、どうして俺たちが君を引っ叩きたいかまるで分かってないね。ってことはつまり、ランスロットを自分に引きつけておいてそこから『ほとんど無傷で気絶させる』っていう目標を丸腰のアリスちゃんは一人で達成する予定だったワケだ」
「それは、その……」
「やめておけ。寄ってたかってアリスを責めるな」
気絶したランスロットを馬に乗せたアーサー王が、後ろからアリスの腕を引く。
「お前たちの言い分は分かる。だがチェシャ猫、お前は俺がランスロットを追って森に入ったのを察知していただろう」
「え? そうなの? チェシャ」
「何にせよ過ぎたことだ。アリス、お前も乗れ。王宮に戻るぞ」
王宮、という単語が出たことで、アリスはビクッと肩を震わせた。脳裏を過ったのは先ほどチェシャ猫と共に見た、悲惨な光景――巨木の幹と根に絡まれるように覆われながら赤々と燃える王宮――だった。
「あ、あの! アーサー王様…ごめんなさいっ……私が、出立をもたついてたせいで、マルーシカの魔法であんなことになって……」
「国王陛下、それについては僕からも謝罪を。巨木の排除のためとはいえ火を使うことを提案しました。王宮内の人間を危険に巻き込み、申し訳ありませんでした」
頭を下げるアリスとマーチ・ヘアに、アーサー王は大きく溜息をつく。「いいから乗れ」とアリスを持ち上げ、馬に乗せてから、言った。
「まったく、ランスロットと言いお前たちと言い、些かこのキャメロット王国をなめている」
馬の手綱を引き、王宮の方へと足を進めるアーサー王。突然馬に乗せられ出発されたアリスは、慌てて傍にあった手綱に掴まる。マーチ・ヘアとチェシャ猫も馬の歩みにつられて歩き出していた。
「俺が治めている限りキャメロットは亡びない。此処には俺の目が選んだ精鋭もいる。それに……今は席を空けているが、この国の政務官はかの有名な大魔法使いだぞ」
***
「待ちくたびれましたよ陛下、やっとご帰還ですか。こっちはもう済みましたけど」
「一言多いぞ、ヴァン」
「これは失礼。アリスさん達も、ご無事で何よりです」
にこやかに出迎えるヴァンに答えることができなかった。「アリス御一行」にとって目の前に広がった光景は、それほど衝撃的だったのである。
王宮は、マルーシカの魔法と内部から発生させた火災で全壊したはずだった。三人とも確かに「その崩壊の様子」を目にした。しかしそこには、まるで何事もなかったかのように日中と同じく建っている王宮。
「あ。もしかして陛下、何も話さず戻って来たんですか? そういうトコ、ホント性悪と」
「何か言ったか」
「いえ。お三方、ご安心ください。この王宮にはマーリンの魔法陣が敷いてありまして。修復が可能な仕様になってます」
「へぇ……さすがにたまげたよ、この場にいないクセに後片付けできるだなんて、どんだけ優秀な大魔法使いサマなんだか」
チェシャ猫が笑いながらそう言ったのとほぼ同時に、馬から降ろされて王宮の側へ駆け寄り、その外観を左から右に見渡すアリス。そこに、上空からバササッと黒い翼を持った人物――ルゥ・ドラキュラ伯爵――が横に降り立つ。
「戻られたか、アリス嬢」
「伯爵……あの、中にいた人達は……」
「全員無事だ、被害はない」
ようやく、アリスはほっと一息ついて「良かった…」と零した。そして、覚悟を決めたように顔を上げ、今度はアーサー王の方へと足を進める。
「本当に、お騒がせしました。アヴァロンとの大変な時期に、面倒事に巻き込んでしまってごめんなさい」
「別にいい。こちらも、ランスロットが迷惑をかけた」
アーサー王の謝罪に小さく首を横に振ってから、アリスは再び口を開く。
「私、決めました。明日の朝に此処を発ちます」
「……随分と急だが、まぁいい。せめて最後の夜は客室で休め」
「ありがとうございます」
一礼するアリスに「リスティスにはもう伝わっているはずだ」と残し、アーサー王は王宮へと戻っていく。途端にアリスは足の力がなくなったかのようにその場に座り込んだ。
「アリスちゃん?」
「良かった……ホントに」
不安が解消されたせいで、涙が込み上げる。けれどもう、この世界では泣かないと決めた。チェシャ猫への宣言を自分の中で繰り返し、深呼吸を一つ。と、マーチ・ヘアがアリスの腕を引いて立ち上がらせた。
「君の勇気は凄まじいものだったが、感心はできない」
「……ごめんなさい。ランスロットがマーチさんを狙うの、どうしても納得できなくて」
「手負いの君たちを護ろうとしたのだろう。『勇者』であろうとしたアリス嬢を少しは称えてはいかがかな」
馬に乗せられていたランスロットを背負いながら、伯爵が口を挟む。穏やかな語り口調に対し、マーチ・ヘアは(お決まりだが)全く表情を崩さず、逆にチェシャ猫は大きく背伸びをしながら残念そうに言った。
「あーあ、伯爵サマはアリスちゃんの超無謀行為に賛同しちゃうんだ。どーする軍司サマ、これで2対2になったみたいだよ」
「僕は君と組んだ覚えはないが」
「うわ、まさかの1対1対2? どこまで頭固いんだか、呆れを通り越して尊敬しそうだよ」
「女王様からの依頼以外で君と組むつもりはない。意見が合った程度でさも同胞であるかのように接するのは控えてもらおう」
「その言い方だとまるで俺の方が組もうとしているニュアンスなんだけどさぁ、ちょっと記憶を辿ってごらんよ。最初に『同意する』って言ったの軍司サマだから」
「だから言っただろう。意見は合ったが組んではいない」
「分からないかなぁ? それこそが『同じ意見を持つ者』としてグループになってしまった瞬間なんだよ」
「お二人さーん、一晩中そこで討論してるおつもりで?」
「明日出発だから、早く寝とかないと」
いつの間にか正面入り口に移動していたヴァンとアリスの呼びかけに反応し、二人の言い合いは止まった。決着がつかなかったのが不満だったのか、互いに黙って入り口に向かう。
「ウサギさんは、背中の傷の具合診てからですよ」
「世話になる」
「いえいえ、猫さんはどうします?」
「んー……大丈夫そうかな。お気遣い感謝しますよ、お医者サマ」