悪意なき残虐性 ―理念違反―
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この戦いに、開戦の合図や号令などは無かった。強いて挙げるとするならば、ロットバルトが大陸全土を支配せんと魔力を発動させた瞬間だろうか。彼が支配対象にかけた暗示はシンプルで、「エーレンベルグ城を攻め落とせ」の一言だった。
この支配を受けて各国民はそれぞれの攻撃をするため動き出したのだが、最も鈍い動きになっているのが、ステファリア・キングダムであった。元々全国民が「オーロラを探し出せ」という指示を受け、亡霊のように街を彷徨い続けていたため、彼らの体力はとっくに底をついていたのである。
「ほーんと、めんどくさいわよね。普通の人間って」
素足に簡素なサンダルを履いた彼女は、黒いドレスを風になびかせ鼻で笑う。その胸元には、正六角形のマリンブルーが輝く。ペンダントとして身につけられているのではなく、彼女の肌に直接埋め込まれ、心臓の鼓動に合わせるかのように規則的な点滅を見せていた。
その美しい結晶を指でスッと撫で、彼女は呟く。
「私が巻き戻してあげる。だから、一人残らずちゃんと働いて」
直後、胸元の結晶からステファリア・キングダムの国民一人ひとりへと光の筋が伸び、空腹で倒れる者、荒れ狂う者、不眠で気絶している者、その全てが救われた。
健康状態を回復し、ロットバルトから新たに与えられた「エーレンベルグ城を攻め落とせ」という指示に従うべく動き出す。
「ふふっ、良かった。これで私もパパの役に立てたわ。あとは……そっか、茨の壁が邪魔だったわね。けどその前に……、」
彼女がくるりと振り向いた先で、その人物はパチンと指を鳴らして翼を消し、地に降り立つ。
「随分と良心的な荒療治じゃねぇか」
「来ると思ってたわ。というより、知ってた」
「なるほどな、シラユキと同じ部類の魔力ってワケか」
「ねぇおかしくない? まずはレディーを敬って名乗りなさいよ」
「知ってんだろ? つーか初対面で俺様に命令たぁ良い度胸してんな」
挨拶代わりと言うように、彼は指を鳴らす。と、次の瞬間地中から無数に現れたロープ。まるで意思を持つような動きで相手を捕えんと迫るが、動じる様子もなく華麗なステップと余裕の表情で彼女はひらひらと全てを避けていく。
「一国の王子様……あ、もう今は国を治める元首様だったわね。そんな人が、ここまで無礼でレディーへの配慮に欠ける人だとは思わなかったわ。とっても残念」
「ハッ、そいつぁ悪かった。だが俺様はなぁ、悪意に塗れた自分勝手な女をレディー扱いできねぇんだよ」
「悪意? 失礼しちゃう。せっかく此処の人達を動けるように戻してあげたのに」
ロープを避けながら薄い笑みを見せた彼女は、今度は少しずつロープに掠るような動きをする。と、彼女に触れたロープは、内側から朽ちるように綻び、パラパラと風に散っていった。
「……お前、ロットバルト側だな」
「ふふ、娘のオディールよ。初めまして、何にも知らないラプンツェル元首様」
「一応聞いといてやる。目的は何だ?」
「パパの役に立つこと。私とパパが、貴方たちと同じように暮らせる世界を作りたいの。だからね、別に私はこの国の人達を操りたいワケじゃないし、まして大虐殺なんて考えてもいないわ。そこを退いてくれない?」
「俺が断るっつったら、息の根止めに来るか?」
「えっ? 貴方が」
オディールの言い分は、ラプンツェルの想定と大きくずれていた。そのため、ラプンツェルは躊躇わざるを得なかった。彼女の話を頭から終わりまで信じられるほど楽観的ではない。が、偽りにしてはあまりに自然な語り口だった。
「お喋りのついでだし、先に教えといてあげる。貴方の魔法じゃ私を止めることは出来ないわ。だって私、光栄なことに、あのフェアリー・ゴッド・マザーと同種の力を得てるんだもの!」
冷静さの維持に自負があるラプンツェルだが、この時ばかりは自分に「落ち着け」と言い聞かせた。
一体どういうことなのか、まるで読めない。オディールはロットバルト側だと明言している。なのにその口から、フェアリー・ゴッド・マザーを讃える言葉が出てきた。
「ほら、素直に退いてくれた方が、お互い無駄な怪我もしないし、労力も使わないわ」
「……だろうな」
フェアリー・ゴッド・マザーと同じ――すなわち未来視の魔力を持ち、カラクリは不明だがラプンツェルの生成した物を強制的に朽ちさせる……。オディールに関する情報の少なさは、ラプンツェルに迷いを与える。
「俺様だって戦う気はねぇよ。面倒だし、疲れんだろ」
「うーん……そう言う割に、貴方が私を捕えようとする未来が変わらないのは、どういうことなのかしら?」
「ってこたぁ、お前が俺様の質問に答えようとしねぇんだろーな。もしくは、お前ん中にあるその答えが俺様の理念に反しているか、だ」
「だったら試しに質問、どうぞ」
オディールは余裕な笑みでラプンツェルの質問を促す。とにかく今は、彼女の言動に表れるちぐはぐな部分を、それらが意味する本質を把握しなければ。大虐殺もステファリア国民の支配も彼女の本来の目的ではない、と言っていた。自分と父親が普通に暮らせる世界を作りたい、と。では何故、その父親と対立したフェアリー・ゴッド・マザーと似た魔力を彼女は大っぴらに使っているのか。
「……ま、色々聞きたいトコだが、とりあえず一番興味をそそられんのは、お前が身につけてるペンダントだな。何処でどーやって手に入れたんだ?」
鎖骨の下で輝くマリンブルーに触れ、オディールは少し懐かしむように微笑んだ。
「コレ? コレはね、パパからのプレゼント。私、生まれつき魔力を外から供給してもらわないといけない体らしくて。でもね、コレを体に入れてもらってからはとっても楽になったわ」
「魔力を、外から供給……? つーかお前の親父は、ロットバルトは、何処でソレを……」
「勿論、これまではずっと他の魔力保持者から貰っていたのよ?」
貰う、という表現からラプンツェルが辿り着いた結論は、出来ればそうであって欲しくない、非人道的な手段。だがその結論が正しいとするならば、オディールの胸元に埋め込まれたペンダントの色と効果の意味も、説明がついてしまう。
浮かんでくる最悪の推測を否定しようと他の論理展開を探すラプンツェルだったが、その葛藤を嘲笑うかのようにオディールは続けた。
「ペンダントはね、パパの領地に攻め込んできたおじさんの魔力を搾ったの」
争いを嫌う平和主義のゴーテルから教育を受けたラプンツェルの基本姿勢は、相手の立場と主張を分析し、合理性を見出す、というものだった。ゆえに、「違い」から生まれる「衝突」を目の当たりにしても、大抵は双方の主張を客観視できたし、妥協点を見つけるのも上手かった。
しかし今回は、目の前にいるオディールに対しては、その冷静な姿勢を貫ける自信がなかった。というより、瞬く間に失っていった。彼女の話を聞きたくないと思うほどの怒りが、嫌悪が、ラプンツェルの中に渦巻いている。
「……なるほどな、よーく分かったぜ。要するにロットバルトはお前に魔力を供給するために、お前の生命維持のために、シラユキの親父さんをペンダントに変えちまったワケだ」
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エーレンベルグ最北端から、更に北へと進むアリス、チェシャ猫、グランピー。スニージーが予め馬を国境付近に待機させていたおかげで、その進みは順調だった。
初めてこの世界に来た時に、自らの意思ではなかったが馬に乗れるようになっていたことはプラスだったのだと思う。そして、一枚目の石碑に刻まれた内容を教えてもらっていたことも。
「アリスちゃん、多分だけど、本格的な侵攻が始まったよ」
「魔力反応があったの!?」
「どれが誰だか全くと言っていいほど分かんないけどさ、地点バラバラだし。けど、こんな離れてたって分かるぐらい強いのが、三つ」
「一番近い魔力保持者に会いに行く! チェシャ、案内して」
「向かうはいいけどよ、アリス、もし話が通じない野郎だったらどーすんだ?」
「通じるかどうかが分からないから、会いに行くの。実際に会わなきゃ、どんな人かも分からないし、対応を考えることも出来ないでしょ?」
グランピーにそう答えるアリスは、一種の確信を持っていた。大陸にやって来た強力な魔力保持者三名のうち、最も北にある反応は、ロットバルトの魔力だと。何故ならエーレンベルグから真直ぐに北上していけば、一度目の冒険で訪れた創世の地――モンス・ダイダロスに辿り着くからである。




