国王と女王 ―専属医の昔話―
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キャメロットを治めるペンドラゴン王家には、二人の子がいた。好奇心旺盛で自由奔放な長男と、その上に明朗快活な女の子が一人。家督を継ぐのは長男と決まっており、そのことについて姉も異論を唱えることなく、むしろ一番近い支えになろうと勉学に励んでいた。
ただ一つ、仲睦まじい姉弟の間には生まれながらに小さな歪があった。それは二人を見れば誰もが察せてしまう事実――穏やかで陽光にとけるような朽葉色の髪を持つ弟に対して、姉の髪色はさながら地獄の業火を彷彿とさせる臙脂色――……二人は「腹違い」の関係にあったのである。そしてその「血による差異」が顕著になったのが、ペンドラゴン家王女が九歳の誕生日を迎えた日の祝宴の場であった。
「今宵の宴をこんなにも楽しく素晴らしい思い出にしてくれたこと、感謝の言葉が尽きません。そこで……これは、お父さまにも内緒にしていたのだけれど、私個人から皆様にお礼を用意させていただきましたの」
王女は大きく両手を広げ、高らかに詠唱した。
さあ 動き出せ
さあ 奏で合え
私の心を 映し出せ
皆の心へ 響き行け
大広間の扉が突然開け放たれ、客人たちはざわめいた。そこには誰もおらず、また、誰かが隠れている気配もない。が、幽かに聞こえてきたゴトゴト……という物音。そして次の瞬間、会場はどよめきに包まれる。
「が、楽器が……!」
倉庫に眠っていた数十にも及ぶ様々な楽器が、宙を浮いて広間に飛び込んできたのである。それらは王女の合図で一斉に、さながら長い間練習を共に積んできたオーケストラのように、見事な音楽を奏で始めた。十秒もすれば、客人たちはその旋律に心打たれ、どよめきは称賛の雨へと変わっていく。しかしただ一人、先代ペンドラゴン王だけは、違った。
「やはり姉上は本当にすごいお方ですね! ……父上、どうかされましたか?」
「いや、まさかこれ程とは思わなんだ……我が子ながら……」
隣に座る父王の様子に、弟である王子――のちにアーサー王として即位する少年――は小さく首を傾げたものの、やはり姉が操る楽器たちの演奏に目と耳を奪われた。
腹違いの事実など意に介すことなく、将来は二人でキャメロットを守っていこうと誓い合った姉弟。自分にない未知の、大いなる力を持つ姉を、弟は純粋に尊敬していた。「姉上がいれば、キャメロットは民を一人も取りこぼさず守り、救うことのできる理想的な国家になる」……そんな確信をもって。
祝宴の場で王子が察した父王の異変…それが確かな危機感へと変容を遂げたのは、その日の深夜であった。
異様なまでの蒸し暑さに寝苦しさを覚えた王子は、夜風にあたろうとこっそり自室を抜け出す。宴の最後に楽器を操り見事な演奏を披露した後、拍手喝采を浴びる姉に対し、父王は言ったのだ。
「私からもそなたに贈り物を授けよう」
期待に心躍らせる姉に父王が用意したのは、新しい部屋だった。しかし……
「父上は何故このような場所に……」
新しい部屋は、窓から陽光も差さない地下にあった。確かに姉は朝も弱く、陽射しが苦手な面もある。一緒に遊びにいく時も、屋外にはいつも日傘を持参するくらいだ。それにしても地下に個室を用意するなど、まるで囚人のようだ……幼心にそう感じた。
「誰かいるの? んーと……わかった、アーサーね」
「姉上、起こしてしまいましたか」
「いいえ、実は私、新しいお部屋に少し緊張してしまって眠れていなかったの」
扉越しに聞こえてくる姉の笑い声からは、地下の個室に対する不満の様子は微塵も感じられない。
「それより、私の演奏どうだった? お父さまやアーサーにも気に入って頂けたら良かったのだけれど。私、演奏のときはすごく集中していないといけなくて……ねぇ、お父さまはどんなご様子だった?」
「それはもう素晴らしく重厚で耽美な演奏で、聞き入ってしまいました。父上も、たいそう驚いていらっしゃって……感激されていました」
咄嗟にそう返す。意図的に事実を捻じ曲げたつもりは無かったが、正確な事実ではないことを語ってしまった、そんな気がした。アーサーの後ろめたさを他所に、姉は「嬉しいわ」と喜ぶ。その瞬間、王子の心の内に使命感が芽生えた。それは、父王の反応を「正しく」伝えられなかったことへの償いに近かったのかも知れない。
姉と就寝の挨拶を交わした後、王子はそっと父王の部屋へと向かった。恐らくまだ起きているであろう父王に、あの時の言葉の本当の意味を尋ねるつもりで。だがその行動をきっかけに、幼い王子は残酷な決断を強いられることになる。
***
「マーリン! マーリン起きてくれ! 今すぐ開けろ!!」
王宮の離れ、聳え立つ高い尖塔の最上階で、少年は何度も扉を叩いた。部屋の主は寝ぼけ眼をそのままに、指を一振りし、開錠する。と、勢い余った少年がつんのめるようにして入ってきた。
「起きていたか! 良かった!」
「……起こされたのですがな」
「大変なことになった……いや、これから大変なことが起こる。知恵を貸してほしい」
「いかがなされたのですか、アーサー様」
「俺は……父上を止めなければならない」
宴の席で零された父王の言葉……その真意を確かめようと王室に赴いた王子が耳にしたのは、予想をはるかに上回る非情な算段だった。怒鳴り込もうにも、父王と国の重役が一堂に会する場に足を踏み入れ、まして異議を申し立てる勇気など、そう簡単に湧き起ってくるものではない。誰にも勘付かれずにこの尖塔までやって来られたのは、奇跡だったかも知れない。
未だ興奮冷めやらぬアーサーに対し、マーリンはお茶を入れてから黙って腰かけた。「ありがとう」と受け取り、深呼吸を一つ。
「マーリン……俺は昔、語り合ったのだ。父上と、姉上と、三人で。このキャメロットが、今よりもっと美しく豊かな国になるにはどうしていくべきかと」
「……お父上は、心変わりなされましたか」
「もしや、お前には分かっていたのか? 父上がこれから何をし始めるのか」
「恐れながら……私が初めてお父上に謁見した時にはもう、避けられぬ未来となっておりました」
「そうか……。ならばお前には、俺がこれから何を言うかも見えているのか?」
尋ねる王子に対し、魔法使いはゆっくりと首を振り微笑んだ。
「いいえ、殿下。貴方様のお考えは、そのお言葉を聞くまで分かりませぬ。どうかその信念のままにお進みくだされ。お父上が何とおっしゃろうとも、対立されることになろうとも、この大魔法使い・マーリンは、常に貴方様のお味方をいたす所存」
「……分かった、感謝する。父上とその側近である重鎮たちは、数日以内に事を起こすだろう。それに先んじて、かつ悟られないよう進めなければならない」
「当人にも、何一つお伝えしないのですか」
マーリンの問いに、アーサーは視線を下に落とすが、迷いを振り切るように顔を上げ、答える。
「覚悟は決まった。恨みも痛みも全てはこの俺が……未来永劫受けてみせよう。父上が誤った道に進むくらいなら…その程度、苦ではない」
「あまりご自分を貶めなさいますな」
「分かっている。今、考えるべきはたった一つ…………『魔女狩り』を止める」
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中学生の歴史では世界史などほんの一部しか扱わないため、アリスは元の世界でもヨーロッパ史に特別詳しいわけではなかった。しかし、ヴァンの口から語られたキャメロット王国の過去、その中に出てきた血生臭い単語に、僅かながら表情が引きつる。
「先代の治めるキャメロットでは、そのような政策が施行されかかっていたんだな」
「ええ。予てより魔力は突然変異の一種として考えられてきました。それをギフトとして世のため役立たせる者もいれば、悪用する輩もまた……ゆえに先代は恐れていたんでしょう。その畏怖が弾圧という愚行にいきついてしまうのが何より耐え難かった。……以前、陛下はそうおっしゃってましてね」
「そ、そしたら、アーサー王様のお姉さんは今まだ無事ってことですか? 実行されなかったんですよね、その、『魔女狩り』……」
「勿論です。先代は『魔女狩り』……即ち『魔力を持つ存在の殲滅政策』の皮切りとして、実の娘を断頭台に上がらせようと計画した。家族であろうと、『魔力保持者』を匿えば厳重処罰に値することを知らしめようとなさったんです。そこで陛下は、世話役のマーリンとほか二名の部下と手を組み、秘密裏に彼女を城外へ連れ出し、そのまま国外追放を」
そこでチェシャ猫が「なるほどね」とのけぞるように背伸びをした。もう全てが繋がったような様子に、アリスは思わず催促する。
「ちょっと、一人で納得しないでよ! アーサー様のお姉さん、追放されたってことは生きてるかどうか……」
「ピンピン元気に生きてるよ。そーゆーことだろ? お医者サマ」
「ええ。陛下が『刃を受けねばならない』とお考えになる理由です」
「そうか、その過去こそが、両国間にある特別な関係性」
マーチ・ヘアまで完全に納得し、もはや置いて行かれたのはアリスだけになった。その戸惑いを嘲笑うように、チェシャ猫は告げる。
「つまりアーサー王の実姉は幻影の魔女。全面戦争勃発寸前である二国の主達には、血縁関係があるってことさ。腹違いだけどね。まぁ残る疑問としては、何で軍人でもないお医者サマがそんな王家の内情を熟知してるかってことだけど……大方、マーリンと一緒に王女追放を手助けしたとか、そんなトコかな?」
「大正解、はなまるです」
にこりと笑うヴァンを前に、アリスは固まった。
「じゃあ、アーサー王様のお姉さんって……モルガン……」
***
切り立った崖の上に聳え立つ、茨で覆われた城。
その一室には、大人4人が並べるような広さのベッドが一つだけ置かれ、華奢な女性が一人横たわり、眠っていた。白いシーツの上、臙脂色の髪が炎のように不規則な曲線を描く。
「モルガン」
扉を開き、呼びかける青年。彼女が眠っていると分かれば、傍らに腰かけその髪を撫でる。
「無防備過ぎだ」
呟きながら微笑む彼の表情は、彼女の寝言により曇る。
「……アーサー……」
「……まだ、泣き止んでねぇか」
その目元に滲む涙を拭い、瞼にキスを落とす。
「モルガン、時間だ」
「……ロビン」
寝ぼけ眼でそこにいる人物の名を呼んだ彼女は、起き上がりながら問う。
「お前……また悪戯を?」
「何もしてねぇよ」
「どうだか」
彼が持ってきた黒いローブを纏い、彼女――茨の城の主・モルガンは、広間へと足を進める。後に続くのは、キツネの耳と尻尾を生やし、弓矢と短剣を携える青年。
「初めてだな、全面戦争ってやつは」
「お前も怖気づくものなのか?」
「まさか。俺は前々からあの腐れ領主殿をぶっ潰しに行きたくて堪んなかったんだ。けどま、ちゃんとお前のためにも働くぜ。期待してりゃいい」
「そんな洗脳をかけた覚えはない」
「言っただろ? 自発的にかかっちまってんのさ」
「……好きにしろ」
彼の言葉には興味がないとでも言うように、モルガンは一言放った。