容赦ない意地悪再来(未遂)
「それで? さっきのはどういう意味なんだい?」
「へ?」
渡り廊下を迷いなく駆け抜けて屋敷の外へ出たチェシャ猫は、町民たちが寝静まる暗い城下町の細かい道を縫うように進み、他よりも大きめの穀物庫に入った。追手の気配が完全に消えるまでアリスも一緒に息を潜め、数分後、やっと肩の力を抜くことができた。
だが、直後に投げられた質問が一体何を指し示しているのか、全く読めないアリスは首を傾げた格好のまま止まってしまった。
「えーっと……?」
どことなく、きちんと答えないと再びあの意地悪モードが戻って来そうなチェシャ猫の気配を感じる。何だ、どれだ、掘り返されるような突拍子もないことは言ってないはずなのに…………。
「あっ」
これまでのやり取りを順に思い出していたアリスの検索に引っかかったのは、自分の発言ではなくハッピーの爆弾発言だった。
―「アリスは、ユキちゃんにとって初めての女の子だから!!」
どうしてあんな微妙というかギリギリアウトな表現してくれちゃったのか……溜息と共に頭を抱え込む。
「てゆーか今ソレ引っ張り出すワケ? 出来れば流して欲しかったんだけど……」
「むしろ今を置いて他に良いタイミング無いと思うんだけど? ほら、アリスちゃんすぐ忘れるだろうからさぁ。で?」
「ハッピーが言ったことなんだから、私に意味聞かれても……。だって私、シラユキ王子とは割と口論ばっかりだったし」
「ふーん、ユキちゃんってエーレンベルグの王子サマのことだったんだ。随分仲良くなったんだねぇ。君が言う『口論』も、傍から見れば小鳥のじゃれ合い程度だったんじゃないかい?」
わざとらしいチェシャ猫の反応に、もう、どんな回答を求められているのか推測することを諦める。
ただ一つ、チェシャ猫の方から切り出した話題なのに、何だかさっきより格段に話しづらい雰囲気になってきているのがわかり、正直勘弁して欲しいと感じた。
「あのねぇ……チェシャがどう捉えたかは知らないけど、シラユキ王子にはお父さんの定めた掟があって、ずーっと女の人と関わってなかったの! 私が初めて喋った同世代ってだけ! 以上!」
実際に声を荒げはしなかったが、早口で簡潔に言いたいことだけ言って、アリスはそっぽを向いた。早くハッピーが戻って来てくれればいいのに。ここまで息苦しい空気感で二人きりなんて、あと何分耐えられるか……居づらさのあまり飛び出してしまいそうで、耐えきれる自信がない。
こうなったら、チェシャ猫に話しかけずに自分の頭だけで考えよう。現状最優先にすべきことは、カグヤの人格豹変への対応だ。確かに、雲が流れて月光が降り注いだ瞬間に、ハッピーが警戒レベルを上げた。日没直後にも東の空に月が見えていたし、条件としては間違いないのだろう。
問題は、どうやって今後防いでいくか。カグヤは支配魔法を濫用する自分を嫌がっている。けれど、聞いた身の上話を思い返すに、その人格は後から生まれている。支配魔法の使用に対する代償だと言われればどうしようもないが、もし仮に……――
アリスの思考は、そこで強制終了した。
「な、何よ、急に……」
「…………ごめん」
いつもそうだ。それなりの覚悟をもって真正面から向き合うアリスとは対照的に、彼はまるで表情を見せたくないとでも言うように、抱きしめてくる。
どうせ謝るなら面と向かって謝んなさいよね、とか突き飛ばすこともできなくはないが、それよりも今は、続きの言葉を聞こうと思った。
「余裕なくて、ムカついた」
アリスから見れば絶好調とも取れるほどに嫌味全開だったチェシャ猫を思い出すと、とても余裕が無かったなんて信じられないが、本人がそう言うならそうなんだろう。
分断されてからは互いの安否も分からない状況だったし、それに……サルキ帝国に来る前も、ステファリア・キングダムで黒い薔薇とマレフィセントの魔力に当てられたせいでアリスはぶっ倒れていたのだ。もしかしたらアリスの想像以上に、チェシャ猫の精神は張りつめていたのかも知れない。
「はぁ……チェシャも意外と、自分勝手だよね」
「……うるさい」
反論するように腕の力が強まる。けれど何故かこの時は、ドキドキよりも安心感の方が上回っていた。
「勝手に変な解釈して、勝手に怒って、意地悪ばっかり言って……」
「だから、謝ってるだろ」
「本当に?」
「本当だって」
困惑まじりの声を、珍しく思った。同時に、どこまでも素直じゃない彼に、愛着を抱いてしまった。
表情なんて、見えなくてもいい。だっていつもチェシャ猫はそうだから。
「私、違う世界から来たんだよ? 基本アウェーなの。だから……チェシャにまで意地悪ばっかされたら、誰のこと頼ればいいか、わかんないじゃん」
「それは、」
腕を解かれ、チェシャ猫の顔が正面に来る。声色と同じように、困惑が滲んでいた。本当に珍しいなぁ、と、アリスはどこか俯瞰しながら、次の言葉を待つ。
普段なら湯水のように嫌味を生み出す彼の口が、迷っているのが分かった。まるで、面接練習をしていた受験生時代の自分を見ているようで、アリスはチェシャ猫の手に自分の手を重ねる。
「ちゃんと聞くよ、チェシャ」
微笑むアリスに対してチェシャ猫が口を開きかけた、その時だった。
「うっ、」
「チェシャ?」
彼は突如自分の首元を押さえて、苦しみだす。うまく息ができないのか、顔を歪めながらその場に倒れてしまった。
「どうして……!? いきなり、何が……!」
「だ、だい、じょうぶ……」
「そんなワケ……!」
立ち上がろうとするアリスの手を、チェシャ猫は咄嗟に強く握って引き留める。彼は、自分を突如襲った痛みと苦しみの理由が、把握できているようだった。
「制約、だ……もう、大丈夫……」
「意味わかんないよ、どこでそんな制約」
「アリスちゃん、」
確かに痛みと苦しみはおさまったらしく、チェシャ猫は起き上がるなり再びアリスを抱き寄せた。心配のあまり背中をさするアリスに、「ホントに大丈夫だってば」と苦笑する。
その姿に、この状態に、アリスはふと前回の旅の終わりを思い出した。あの時と全く同じではないか、真面目に話そうとしていたところに水を差すようにひどく苦しみがチェシャ猫を襲って、なのに1分も経たないうちに「平気だ」とか言って……。そうだ、そこで初めて、チェシャ猫から聞かされたのだ……「呪い」という単語を。
「……チェシャ、そんなに悪いことしたの?」
「さぁ?」
きっと彼に聞いても無駄なのだ。呪いであろうが制約であろうが、いずれにせよ原因はチェシャ猫が失ってしまった記憶の中に在る。元々この時代で生きていたチェシャ猫が持っていたであろう記憶……――それももう、フェアリー・ゴッド・マザーによって、アリスとの旅の記憶と差し替えられてしまっている。
急激な不甲斐なさに襲われて、目頭がどんどん熱をもってきた。
「何でアリスちゃんが泣くんだい?」
「だって私っ……チェシャの力に、なれてないっ……」
「いーんだよ。ソレ多分、君が元の世界に帰る条件と何の関係もないからさ」
「そ、そーゆー問題じゃ……!」
顔を上げようにも阻まれる。戸惑うアリスの耳に届いたのは、少し寂しさを含む囁きだった。
「ねぇアリスちゃん、俺は……君の力になれてる?」
いつもあんなに強気な、というか、こちらを負かそうとしてくる口調なのに……弱々しくなったチェシャ猫の声が、余計にアリスの涙腺を刺激する。
「うん……すごく、なってる」
捻くれ者だけど、何考えてるか分からない時もあるけど、身一つでこの世界に飛ばされたアリスの味方をしてくれる唯一の存在。それがたとえ「誰かに言い渡された運命」なのだとしても、チェシャ猫がいるだけで心強いのは紛れもない事実で。
彼がもし不安になっているのなら、取り除いてあげたいと思う。いつも助けてもらっているのは本当に本当なのだから。
「いつもありがと、チェシャ」
「……良かった」
小さく零された安堵の声に、アリスはまたチェシャ猫の背中をさすった。
と、ギギギィ……という扉の音が穀物庫内に響いてくる。バッと警戒しながらそちらを向く二人の目に映ったのは、僅かな星明かりをきらりと反射する水色のポニーテール。
「ハッピー!」
「お待たせアリス、持ってきたよ」
カグヤや五将たちに見つかることなくアリスのワンピースを回収できたらしく、ハッピーは嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ありがとうハッピー。危険なことさせちゃってホントにごめんね、無事に合流できて良かった」
「これでも長生きしてるしね! あの程度の人達の目をかいくぐるのなんてカンタンだよ! ……あれっ?」
得意気に言ったハッピーだが、アリスの顔をじぃっと見て眉を寄せる。そして、少し口を尖らせながらチェシャ猫の方を向いた。
「猫さん、アリスのこと泣かせたでしょ。どうして?」
「……元を辿れば君の発言なんだけどね」
「ハッピーは変なこと言ってないもん! ドクに聞いたの、ユキちゃんがアリスのことすっごく気に入ってるから大事にしなくちゃって」
「ちょ、ちょっとストップストップ! 私、そんなことこれっぽっちも聞いてない! てゆーか気に入られた覚えもないし、マジで口論したし、怒鳴られたし……!」
「それが大切なんだって、ドクは言ってたよ。ユキちゃんが今まで出来なかったことだから、って」
ドクの意図した内容は何となく察せる。だが今後生きていく上で、シラユキは多くの他者とぶつかり合い、話し合い、妥協し合い、交友関係を広げていく立場にある。たまたまアリスが第一号になってしまっただけの話だ。特別視する必要なんて何処にも無い。
「今は、カグヤ帝のことを解決しよう」
一呼吸置いたアリスの提案に、ハッピーは「うん、そうだね」と、チェシャ猫も「賛成」と応じた。




