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勇者アリスの異世界奮闘記  作者: 壱宮 なごみ
第3章:the Bravest Prince
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サルキ帝国4 ―押し寄せる涙―

  ***



 柔らかなアベノの雰囲気が、一瞬だけ切り取られたように見えた。しかし次に瞬きをした後には、その感覚が思い違いだったかのようで。


「アリス様は、おかしなことをおっしゃるのですね」


 袖を口元に添えてくすくすと笑うアベノは、これまでと同じ「普通」な感じがする。サルキ帝国の中で高位の役職者である彼女が、カグヤの支配魔法を否定するということは……


「仮にカグヤ様が魔力保持者であるとしましょう。自分らがこのサルキにおいてあの方をお慕いするのは、全て支配されているからであると、貴女はお考えなのですか?」

「えっと、そういうワケじゃ……ただ私、ビックリしたんです。その、門の前で大勢がぴったりお辞儀してたのとか、訓練しないとできないことだと思って」

「しきたりを重んじる当国の民であれば、容易(たやす)いことですよ。幼い頃より、如何なる場でも、如何なる相手に対しても、礼儀礼節を欠かぬようにと伝えられてきたのですから」

「そうですか……なんか、すみません。変に勘ぐっちゃって」

「いいえ、アリス様の選定者としての役割は、そのように一つ一つを拾い上げ、考えることを必要としているのでしょう」


 じき着きますよ、とアベノは前方を指し示す。渡り廊下の突き当たりを曲がった先に、他より一回り大きな障子。その奥にはうっすらと絢爛な襖が見えた。

 通された間にはこれまた立派な掛け軸があり、空席の上座には金の刺繍が施された紫の肘掛けが用意されている。前もってお香を焚いていたのか、気品ある香りがほんのりと漂っていた。緊張しながら下座と思しき箇所にアリスが正座すると、アベノは少し目を丸くした。


「あ、私、間違えましたか!? ごめんなさい、案内される前に……」

「とんでもない、驚きました……本当に、似ているのですね。アリス様の祖国と、当国は」


 どうやら座る場所として間違ってはいなかったらしく、アリスはホッと胸を撫で下ろす。そしてふと、アベノに問いかけた。


「そう言えば、チェシャはまだ来てないですね。ここで合流の予定だって言ってましたけど」

「確かに……オオトモがきちんと出来ていれば良いのですが。アリス様と違い、あちらの殿方は当国の衣服に馴染みがあるようには見えませんでしたし」

「やっぱり着付けで苦労してるのかな……」


 男物の和装に身を包むチェシャ猫を想像してみたが、違和感しかない。こういうのは女の方が時間かかる印象だったが、今回のパターンはそうとも言えない。


「自分が少し様子を見て参りましょう。カグヤ様がいらっしゃるまで、どうぞお寛ぎください」

「ありがとうございます!」


 一礼するアベノを見送ってから、アリスは二回だけ深呼吸した。

 これから対面するカグヤ帝は、超強力な支配魔法の使い手であり、その事実を側近にすら打ち明けないほどの慎重さを持つ人物。今更気付いたのかとチェシャ猫に笑われてしまうだろうが、着替えのしきたりにも、「しきたりとしての意味」の他に「分断する意図」があったのだ。

 スウッと襖の開けられる音。向き直って挨拶しなければ、と、そちらに目をやった瞬間、アリスの思考はすべて停止した。


「遠路はるばる、ようこそ参られた」

「あ……え、と……」


 渡り廊下で聞いたアベノの話が、ただの知識として得ていた前情報が、みるみるうちに信憑性を帯びていく。

 この感覚は、一体何なのか。自分は何を言おうとしていたんだっけ。思い出そうとするのに、そこから思考が動かない。


「面倒なしきたりにも倣ってもらえたこと、感謝する。とても良く似合っているな、選定者殿」


 彼がこの客間に入ってから、上座に腰かけるまでの所作を目で追うことしかできない。挨拶……そうだ、挨拶を返さなくては。でもその前に、褒めてもらったからお礼を言わなくちゃいけない。


「あ、ありがとうございます! あと、初めまして!」

「ふっ、はははは! そうだったな、初めまして。余が当国の(みかど)・カグヤだ」


 国のトップの威厳とか、支配者の風格とか、そういう(たぐい)の圧力ではない。選び抜かれた真珠のような、あるいは、大切に育てられたこの世に二つとない胡蝶蘭(こちょうらん)のような、人々の上に立つことを使命として持ち合わせているような神々しさが、そこには在った。


「アリスと、言います」


 頭がぼーっとするのは、もう、魔法にかかっているせいなんだろうか。わからない、わからないけれど、一つ言えることは……こんなに美しい人を、それこそ容姿だけでなく、立ち居振る舞いや声色、眼差しにすら美しさを感じさせる人を、アリスは今まで見たことがない、ということ。


「我がサルキを含む五つの国をまとめる任を受けていると聞いた。それゆえ各国を視察していると。……して、其方の目から見て、どうだ? 我が国への評価を是非聞きたい」


 カグヤの言葉はするするとアリスの左耳から右耳へ通り抜けていくばかり。それでも、彼が投げかけた問いの部分だけはかろうじてキャッチした。何か、何か答えなくては。でもまだ一般市民と話せたワケでもないし……今、伝えられることを。


「落ち着きました、すごく」


 これは、相手が求めた回答として適切なんだろうか。吟味をするより早く出てきてしまった普通の感想は、次々とアリスの唇からこぼれていく。


「私の祖国に似てて……畳の香りも、障子越しの日の光も、お屋敷の形、庭の桃や桜……それにこの和装も、懐かしくて……」


 言うまでもなく、現代日本の暮らしぶりとは全然違う。けれどこの国で見せられた多くの要素は、アリスのDNAに刻まれた日本人的五感を刺激してくるのだ。


「だから、私っ…………」


 瞬きをして、初めて気付いた。いっぱいに溜まっていた涙が頬を伝っていく。自分の涙を意識するのと同時に思考力が戻り、アリスはバッと立ち上がった。


「し、失礼しましたっ……! 私、あの、お手洗いに、」

「良い」

「いえ、あの、目を冷やすだけで、」


 襖を開けようとしたアリスの手は、後ろから伸びてきたカグヤの手に制止させられる。


「必要ない」


 囁かれた一言に強張ったアリスの体を、カグヤはそっと抱きしめた。予想外の急接近に混乱するアリスだが、振り向く前にカグヤの右手がアリスの目元を覆った。


「あ、あの、」

「何故、自らに縛りを与えている」

「え……?」

「其方は、争い事を好まぬ清らかな心根の持ち主だ。ゆえにこれまで、耐え難い決断の時や望まぬ境遇に数多(あまた)遭い、心を痛めているのではないか? 誰に、其方に涙を流させぬ権利があろう」

「カグヤ帝……」

「余の前で偽るな、アリス。自らの心と向き合い生きてこそ、豊かになるのだから」


 耳の一番近くから与えられる言葉は、珠玉の音楽のように心地いい。一方で、アリスを強く抱きしめる腕の力は、確かに男の人のもので、意識すれば一気に心拍数が上がって心臓が破裂してしまいそうだ。そんな体勢でも、そんな状況でも、目元を覆われていたことで、考えるための冷静さを失わずに済んだのかも知れない。

 認識を改めなければと思った。カグヤ帝が支配魔法を使うと知って、いの一番に辿り着いた独裁者的な人物像……それは、アベノから出た「恐ろしい」という単語によって色濃くなってしまっていた。

 けれどきっと違う、この人は、違うんだ。だって、小さい頃に絵本で読んだ『かぐやひめ』はどんな話だったっけ。彼女は月を見上げながら、ずっと願ってた。帰らなければならないという制約の中で、自分の望むまま精一杯自由に、生きようとしていた。

 もしもこの人が、この人の本質が、月のお姫様と一緒なのだとしたら。


「…………ありがとうございます、カグヤ帝はお優しいんですね」


 この国の人は皆、彼の神々しいまでの美しさに癒され、優しさにほだされ、慕っているのだ。そんな国民の心をより強固に束ねるために、彼の支配魔法は作用しているのかも知れない。

 チェシャ猫に「警戒しろ」と忠告を受けた上で足を踏み入れた本屋敷。予想という名の先入観で凝り固まった状態で果たしたカグヤとの対面。それらは完全な間違いとまではいかずとも、正しい選択じゃなかった。アリスがなすべきことはいつも通り、真正面から見て、真正面から意見交換をすること。

 だから、伝えようと思う。散りばめられた懐かしさに込み上げてしまった郷愁に、そっと寄り添い、「泣いてもいいのだ」と(さと)してくれた優しい彼に。


「私、まだまだ弱くて、力も無いから、この世界でたくさんの悲しい出来事とか、つらいすれ違いとか、苦しい選択とか……覚悟しててもいざ直面すると、ダメなんです……涙、出そうになって……」


 誰かが血を流す場面なんて、二度と御免だ。けれどそんな瞬間がすぐそこに待ち受けているような世界であることも事実。

 知らないうちに張りつめていたアリスの心に、サルキ帝国の日本的な光景は、痛いほど沁みた。帰りたい……その思いで、逃げ出したくなってしまうほどに。


「言っただろう、耐える必要はない、と」


 優しく囁き返すカグヤの手を握り、アリスは首を横に振った。


「いいえ、耐えなくちゃダメなんです。だって、弱い私は泣いて逃げちゃいたいって思ってるけど……」


 込み上げた郷愁の涙は止まった。大丈夫、この人は怖くない。乱暴に人の心を支配下に置こうとする人じゃない。

 少しだけ緩んだカグヤの腕の中、アリスは対面できるように向き直り、笑ってみせる。


「強くなろうとしてる私が、泣くもんかって思ってるから!」


 美しく整ったカグヤの顔が、「驚き」の色に染まっていく。不思議なもので、目を丸くして返す言葉を失ったその瞬間の彼からは、人間離れした神々しさを感じなかった。


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