(半分)回復と(多分)修復
***
「祭り、あるから」
「ああ、そう言えば。じきに収穫祭ですね」
「収穫祭?」
病室に戻ったアリスを出迎えたのは、クラムチャウダーとバターロールを持って来ていたルーカンだった。どうやらタイミングが合うようにとヴァンが呼んでいたらしい。給仕長直々に配膳してくれたこと(というよりルーカンに再び会えて話せたこと)が、アリスのテンションを少し上げさせた。「この時期は主にどんな仕事をしてるの」と聞いたことがきっかけで、先ほどの応答に至る。
「今年の秋、実った。神の加護、讃える」
「毎年行っているんですが……それにしてもルーカン、ついに催事も仕切ることになったんですか、陛下もいよいよ人使いが荒くなってきましたね」
「悪口」
「ただの冗談ですよ」
「勇者、行く? 五日後」
「そんなすぐなんだ……私、手足治ってるかな……」
「少なくとも両手の包帯は取れてる見込みです」
ヴァンはそう答えてくれたが、足が治っていないのでは祭りを歩き回って楽しめないな、とアリスは内心断念した。
そもそも、自分にはそんな道草を食っている時間など無い。今この瞬間、ヴァンにクラムチャウダーを食べさせてもらっている瞬間にも、学校を連続無断欠席しているかも知れないのだ。元いた世界の時間が止まっていることを切に願うばかりである。
「出店準備、大方整った。外出不可能なら、当日運搬させる」
「い、いいよそんな! ちょっとは見てみたいけど、どうしてもってワケじゃないし……大丈夫だよ。ありがとう、ルーカン君」
やはり普段王家の給仕を任されているとこういう思考になるのだろうか。出店をやる側からすればとんでもない無茶振りになることを察し、慌ててストップをかけた。
ルーカンの方はアリスをジッと見つめてから「……奇妙」と一言こぼして退室した。唐突にマイナスな評価を叩きつけられたアリスはショックのあまり何も返せなかったが、ヴァンがクスクスと笑いながら「ずっと王宮に居るルーカンにとって新鮮だということですよ」とフォローしてくれた。
「ルーカン君、王宮から出たことないんですか?」
「円卓の騎士と言えどまだ十歳ですし。というより、彼が一員となった理由がまず剣技等ではないですから」
「やっぱり頭の良さ、ですか」
「一度記憶したことは決して忘れない……彼の中には情報が無限に蓄積できるのではないかと疑ってしまうほどです。五つの時ですかね、身一つで城の扉を叩いてきまして。『聡明な王、話したい』って、さすがに驚いて笑いました」
ヴァンが懐かしむように微笑んで話すのを見て、アリスは何気なくこう返した。
「じゃあルーカン君が円卓の騎士になった時、ヴァンさんはもう王宮専属医だったんですね。いつからやってるんですか?」
「私? 私は父の代から王家に仕えてますよ。だから、疎まれないのが不思議なくらいです」
「え?」
「ああ、いえ、他意はなくて。ほら、古株ってそういうものじゃないですか」
その「古株理論」はどうも腑に落ちなかったが、笑顔で付け加えられたことで、アリスは「はぁ」と曖昧な相槌を打つほかなかった。
***
二日後。手の包帯が取れ、アリスは久しぶりにグーとパーを繰り返していた。食事を持って来てくれたルーカンに「指、リハビリ?」と怪訝な表情をされたが、まぁ仕方ない。思い通りに手を動かせることがこんなに幸せだとは。
「残念ながら足の方はもう少しかかります。何せ雪に埋もれてた時間が長かったので」
「分かりました。ヴァンさん、あの、何から何まで本当にありがとうございます。あと、」
「『すみません』は、要りませんからね」
「えっ」
「前にも言いましたよ、これが私の仕事なんで。感謝して頂けるのは嬉しいですけどね」
「……はい」
マーチ・ヘアとは、あれから何度か話し合った。アリスが車椅子を使わないと移動できないため、彼はアヴァロンに関する資料を転記し、病室で話し合えるよう取り計らってくれた。
返答を待つと言ってくれたアーサー王に真正面から向き合うために、アリスは必死に考えた。何が必要なのか、何を目的とするべきか。
しかしどうしても、出てくる結論は自分の手に余るように思えてならない。世界を救うとか、戦争を止めるとか、魔女を倒すとか、壮大すぎて分からなくなる。石を捨てに行くだけなのに、何故こうも大問題に発展してしまうのか。捨てに行く場所がアヴァロンだからか、捨てる物がとんでもない物だからか。
「アリス殿は……この世界の人間でないにも関わらず、この世界の平穏を強く願っている」
「そ、そりゃあ……まぁ」
「同じことが出来るかと聞かれた場合を考えてみたが、答え難い。僕には頷くことを躊躇う弱さがあると痛感した。ゆえに、君が勇者であることが、この世界にとって何よりの救いなのだと……あくまでこれは、僕の個人的見解に過ぎないのだが」
非常に分かりづらいが、恐らく褒められている、そう判断した。しかし、まだ結論が出ていないことを思い出し、頭を抱える。
「私、この世界には、この美しい風景とかを、保っていて欲しいんです。だから争いはイヤで、てゆか学校でもそう習ったし……」
「……今夜はもう切り上げよう。無理をすれば体に障る。加えて言えば、思い詰めたところで良案など出まい」
「マーチさん……」
いつもの無表情だった。が、彼の言葉に含まれる優しさが、今のアリスには痛いほど沁みた。退室するその背を見送った後、溜め息。ふと、窓から差し込む月明かりがここ数日に比べて眩しいことに気付いた。
「満月……」
周りの星灯りを凌駕する、丸い光。この異世界にも太陽と月がある。そのあたりの構造は、アリスが元いた世界と同じなのだろうか。だとしたら、月をよく観察すれば餅つきをするウサギの姿が見えるかも知れない。そう考えたアリスは、枕元にある窓を押し開けた。
シャリ、
「え?」
斜め下から聞こえたみずみずしい音に視線を引かれ、そして驚いた。
「……あぁ、まだ起きてたんだ」
「チェシャ!? 何してるの、こんな所で」
窓の傍の外壁に寄りかかって座り込み、真っ赤なリンゴをかじる彼は、数日間顔を合せなかったことを感じさせないほど自然に返す。
「見て分からないのかい? 夜食」
「だって夕飯、用意してもらってるんじゃ……」
「そうなんだけど、今日はちょっと街に用事があってね。時間取られて食べ損ねたってワケさ」
チラリとアリスの方を見て、またリンゴをかじる。どうやら目の前にある木からいくつか自分でとってきたようだ。ルーカンに怒られないだろうか、と思いながら、満月を見上げた。窓を開けたのは、月を観察しようとしたからだと思いだしたのだ。目を凝らしながら、チェシャ猫がリンゴをかじる音を聞く。
「部屋、戻らないの? 何でこんな所に」
「勿論、あの木のリンゴが一番食べ頃だったからさ。部屋に戻らなくても木の上で寝られるし。個室用意してもらったのは有り難いけど、隣の部屋に軍司サマがいると思うと身の毛がよだって仕方ないんだよねぇ」
「そ、それじゃあずっと木の上で!?」
「そんなに驚くことかい? 俺はキノコの森を任されてたんだ、屋外で夜を越すのなんて日常茶飯事、通常仕様さ」
「風邪引くでしょ」
「あっはは、俺はアリスちゃんほど軟じゃないから何てことないよ」
心配をしたというのに鼻で笑われ、アリスはムッとする。同時に、どう言葉を選んでも自分の感情がストレートに伝わらずにモヤモヤするこの感覚が、少し懐かしく感じた。
「……そう言えば、チェシャと話すの久しぶりだよね。どっか行ってたの?」
「別に。今日は外出てたけど、あとは割と王宮にいたよ。ま、姿見なかったのは当然だろうね。誰かさんが叫んで暴れて俺を追い払った日に、入室禁止令が出されたし」
「禁止令? で、でもあの時は……!」
チェシャ猫と最後に絡んだ時の記憶が蘇って来ると共に、反射的に顔の熱が上がる。
そうだ、あの時確かに無我夢中で「出てって」と叫びまくった。それからふて寝して、それ以来姿を見なくなって……
「はいはい、からかい過ぎました。俺の方に非があります。……とでも言っておけばいいかな」
「何それ、謝る気ゼロじゃん」
「よく分かったね」
そう言えば、初めて会って話した時も、こうだった。言葉を交わす度に苛立って、だんだん言い返せなくなるのが悔しくなって、聞きたいことや伝えたいことを忘れてしまう。
「……違くて、だから……あーもーやり直し!」
ヴァンが言っていた、「あれでも心配してたんですよ」と。それが本当なら、取るべき対応はこうじゃない。こんなやりとりでは、こんな流れではいけない。首をぶんぶんっと振るアリスに、目を丸くするチェシャ猫。その視線に真っ直ぐ向き合い、口を開く。
「ごめん、私が負傷したせいでいつまでもここを出発できなくて、考えなしだったから交渉も微妙な結果で……けど、今度はちゃんと考えてるから……マーチさんにも相談乗ってもらってて……だから……本当に、ごめん……禁止令とか、知らなかった……」
窓の桟を握り、俯く。
今やっと気付いたことだが、チェシャ猫もマーチ・ヘアもハートキングダムに帰りたいに決まってるのだ。アリスが元の世界に帰りたいと思っているのと同じように、彼らにも、彼らの帰る場所がある。「勇者」と「魔法石」の存在に引きずられるように「御一行」に組み込まれてしまっているのだ。無条件でついて来てくれることに、感謝しなければいけない。
そんなことにすら気が回っていなかったんだと自己嫌悪に陥るアリスに対し、チェシャ猫は少しの沈黙を経て、脈絡のない返答をした。
「…………治ったみたいだね、手」
「え? うん、今日包帯取れて……足はもうちょっとだって、ヴァンさんが」
「そっか。ふぅん…………良かった」
チェシャ猫は再びリンゴをかじる。シャリ、シャリ、とその音だけが響く中、今度はチェシャ猫から目を逸らせなくなった。今の言葉が、聞き間違いじゃないのかと疑いながら、聞き間違いじゃなければいいと意味の分からない期待をしてしまう。
「何? まさか俺が俺自身のために自分で調達した貴重な貴重な限られた夜食を狙ってる? アリスちゃんってそんなに食いしんぼだったっけ。……あぁ、ちょっと見ない間に王宮のおいしい料理がクセになった挙句、グルメになっちゃったのかな。それはそれで心配だよねぇ、マーリンが折角作ってくれた対魔法効力つきのワンピース、サイズ変更が必要になったら勿体ないだろ? そうだ、たまには袖を通しておくといいよ、病人用のフリーサイズばかり着てるのは危険だしね」
「なっ、」
ニヤリとした笑みには、もはや見慣れた胡散臭さ。久しぶりに浴びせられた、慣れない嫌味のオンパレード。やはりさっきのは、聞き間違いだったんだろうか。大きく溜め息をついてから、月を見上げた。
「チェシャのバカっ」
「アリスちゃんの方が、確実に頭は弱いと思うけどね」
「それでも、」
チェシャ猫がリンゴをかじる音、咀嚼する音、夜風に木の葉が擦れ合う音……その全てを包む月光が、背中を押してくれる。
「私は、精一杯知恵を振り絞るから。この国の人たちや、ハートキングダムの人たちのために……それに、私的にはまだちょっとスケール大き過ぎだけど、この世界のために」
「手に余るんじゃないかな、それって」
「うん、だから……チェシャの力も、貸して欲しいの」
無条件で付いて来てくれることに、感謝しなければならないと思った。そして、この旅が終わらない限り、その好意に甘えざるを得ないことも分かった。改めて頼み込むと、チェシャ猫は一瞬だけ視線をぶつけ、再びリンゴをかじった。
「ま、軍司サマはともかく、俺の場合は天命だからさ。従うしかないよね」
「チェシャ……」
「早く寝なよ。アリスちゃんが寝不足のせいで目の下にクマ作ったり、夜風に当たり過ぎて体調悪化させた場合、お医者サマに怒られるの俺なんだから」
「あ、うん……チェシャも、ちゃんと部屋戻るんだよ」
「食べ終わったら考えるよ」
きっと戻らないのだろうと思いながら、戻らせる理由も思いつかず、アリスは「おやすみ」と窓を閉めた。足の包帯が取れ次第この王宮を発とう……そう、心に決めて。