ステファリア・キングダム1 ―カラスの若者―
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「茨の壁って、なんだか怖いね……。どこまで続くんだろう」
人間の言葉で返答されないと分かっていても、アリスは思わずファナに話しかけていた。手綱から恐怖が伝わると馬も不安になってしまう、と聞いてはいるが、いざ三メートルを超える壁――しかも太い茨で織り込まれたように立ち塞がって外界を遮断しようとする壁――を目の当たりにしては、醸し出される異様な威圧感に恐れを抱かざるを得なかった。
とりあえずこの壁を伝っていけば、正門に辿り着くのではないかと考えたアリスが壁沿いに進み始めて、もう二時間ほど経つ。そこから推測するに、ステファリア・キングダムの正門は南側(サルキ帝国側)にあるのではなく、シェラン王国側に位置しているのだろう。巨大なサルキ帝国はステファリア・キングダムにとって警戒対象のようだ。
「あっ! アレかな?」
カッポカッポとファナの歩みを遅めに調整していたアリスは、ふとその視界に茨の壁のへこみを見つけ、手綱を引き直す。読みは当たっており、綺麗な曲線を描いていた茨の壁が一部途切れ、巨大な一枚の岩で出来た両開きの門が、どんとそびえ立っていた。入口を見つけられたはいいが、次なる問題が一つ。
「えーっと……どうやって開けるんだろ……」
ノックをしようにも、絶対に音は響かないだろうし、響かせようとしたらこちらの手がただじゃ済まない。どうしようかと馬上で悩んでから、とりあえずファナから降りてみた。
「ごめんくださーい」
触れてみると、岩の扉は想像以上に冷えていて、アリスの掌からぐんぐん熱を奪い取っていくようだった。この扉の向こうにある国家では、果たしてどんな暮らしがスタンダードになっているんだろう……想像すると、少し怖くなった。
と、次の瞬間、ファナがブルルッと鼻を鳴らしてその場で足踏みをする。気付けば、上空にいる「何か」が黒い影を落としながらこちらへ降下してきていた。バササッと大きな羽音を立てるその姿は、羽を黒に染めた堕天使のようで……。
「ようこそ、お越しくださいました。選定者様、歓迎いたします」
深々と礼をした彼の背にある黒い羽は、教会などで見る天使の羽とは違う、もっとずっと身近なカラスの羽だった。もちろんアリスがこれまで見た中で最も大きなカラスの羽なのだが、漂う力強さと彼の知的な雰囲気も連想に味方する。
「あの、もしかして、お出迎えに……?」
「無論です。フェアリー・ゴッド・マザーからの通達もあり、王族および臣下は選定者様をご招待する準備を調えていた次第です」
「でしたら……この扉は、一体どうやって」
「これは失礼。こちらは当国が侵略から領土を守るための扉……すなわち、ここは決して開門されないという意図を示すための扉でございます」
「な、なるほど……」
賊や周辺諸国の心を折るために、最初から開かない扉を設けているらしい。やけに喧嘩腰な外交姿勢だなとアリスは苦笑した。
「確認しました、お願いします」
カラスの羽を持つ若者が銀の腕輪に向かってそう言うと、何処からともなく返答が響いてきた。
―「お連れしなさい」
聞き覚えのある女性の声だった。が、すぐに思い出せない。絶対に聞いたことがあるという確信はあるのに、一体どこで……。
眉間に皺を寄せて考え込もうとするアリスだったが、その思考は若者によってすぐに中断させられる。彼が装備していた銀の腕輪を地面に置くと、その場所に直径二メートルほどの光る池のようなものが現れた。
「お通りください。そちらの馬も一緒に」
「……はい」
「我が主の魔力により、このゲートは当国の中心地に繋げられております。不安であれば、どうぞ私の手を」
「あ、ありがとうございます」
差し出された手を拒むのも心象が悪くなるかと思い、躊躇いつつ彼の手を握った。もう片方の手でファナの手綱を軽く引く。
「おいで、大丈夫だって」
ファナは大人しくアリスに歩み寄り、ゲートと呼ばれた光る池の上に乗る。
―「セントラルへ」
やはり、いつかどこかで聞いた声。目を閉じても思い出せず、やきもきした。もしかして現実世界の先生とかに似てるだけ? 通りすがりの、すれ違いざまの誰かの声だと思っただけ? ……違う。間違いなく聞いたことがあるし、その人に話しかけられたことがある。けれどそんな確信がある理由も、今の自分には分からない。
「目を開けてください、選定者様」
「……わぁ」
一番初めに飛び込んできたのは、糸車を模した石像だった。像になるくらいだからこの国のモチーフか、大切にされている物であることに違いないのだが、アリスの個人的な感想としては「奇妙」である。
「ここが、ステファリア・キングダムの中心地なんですね……。今は、どなたが最高責任者なんですか? あっ、てゆーかその、私、貴方に案内をお願いしても大丈夫なんでしょうか。宜しければ貴方のお名前を……」
「名前? そうですね……では、レイヴンとお呼びください。責任を持ってご案内いたします」
「レイヴンさん、宜しくお願いします」
「ご質問への回答ですが、現時点でステファリア・キングダムの最高責任者は不在です。というのも、前ステファン王がお隠れになられたのが昨年の秋、正統後継者の第一王子・オーロラ様は御年十二であらせられます。当国では、戴冠の儀にて王権を継承できる齢が十五であるため、オーロラ様が正式に国王として政を行えるまで数年ございます」
レイヴンが王妃について一切触れなかったことから、恐らくオーロラは幼くして父親だけでなく母親をも亡くしてしまったんだ、とアリスは察した。加えて、年齢制限が王政の邪魔をしているなら掟を変える検討をすればいのに、とも思った。
だが、エーレンベルグでのシラユキがそうだったように、正式に王座を受け継いでいない立場の人間には簡単に変えられるモノではないらしい。つくづく面倒なシステムだな、と感じる。
「そこで、オーロラ様が王位継承をなさるまでの三年間、我が主が政務官としてお勤め差し上げることとなったのです」
「政務官……それって!」
ようやく思い出した。この世界に来て一番初めに聞いたこと、マイア王子が教えてくれた中で最も衝撃的だった事実を。
―「君は不思議なことを聞くんだな。もちろん生きているとも。隣国にて、今は政務官として若い王子の補佐をしている」
「はい。現在、このステファリア・キングダムにおける国政の最高責任者は……我が主・マレフィセント様です」
本当に、生きている彼女に会える。アリスが魔法石を捨てるという最初の冒険をすることになったキッカケ(というよりむしろ気持ち的には元凶と言ってやりたいぐらい)の魔法使いに。何でアリスに魔法石を託したのか問いただしたいが、果たしてそれはこの時代に生きている彼女にぶつけていい質問なのだろうか。
「選定者様、いかがなされましたか?」
「え、あ、大丈夫です! すみません、マレフィセント様って有名な魔法使いなんですよね? ちょっとビックリしちゃって……」
「……そうですか。他にご質問があれば」
「あとは……えっと、物の売り買いはどうやって?」
「ああ、あらゆる物品は換金され、価値を決定しています」
「換金ってことは、貨幣があるんですか!?」
物々交換をしていたエーレンベルグよりも随分進んでいると思ったアリスだが、レイヴンは「カヘイ?」と首を傾げた。
「選定者様のおっしゃるカヘイというのがどのような物かは存じませんが……例えば、あちらをご覧ください。上質なシルクで織られたドレスを購入するのに必要なのは、金3.4オンスですね」
オンスと言われても(単位っぽいなということ以外は)イマイチよく分からないが、とりあえず彼らが使っているのは通貨に加工された「金」ではなくて鉱物として獲れた「金」らしい。物々交換よりはアリスのいる現代社会の仕組みに近いが、それでも金が取れなくなったり独占する人が出て来たら破綻してしまう気がする。その辺は他の国の実状と比較してみるしかないだろう。
「皆さんの生活はどう支えられてますか? 流行ってる職業、といいますか……」
率直に主な産業を聞きたかったのだが、どんな質問をすれば伝わるのか悩んだため、変な聞き方になってしまった。日本はサービス業です、なんて言っても伝わらないことは目に見えてる。
「流行はあまり関係していませんが、職業というと……女性は内職、男性は軍役、でしょうか」
「軍役?」
「私も軍人として国に従事する身です。軍役と言っても幅広く、国防だけでなく農耕・狩猟・採掘・町の巡回・馬車などの交通整理・工事・研究開発など、部隊ごとに割り当てられる職務が異なります。かくいう私の配属は中央警護、最も誉れある部隊です」
「なるほど……女性の内職っていうのは?」
「関わることも稀であり書類上の知識でしかないのですが、給仕・紡績・清掃・食品加工・救護などを含む、と。また、王宮からの通告・発布された法令を写し残す文官という職があると聞いております」
「後世に残すのって大事ですもんね」
ステファリア・キングダムの産業の様子がだいぶ見えてきた。男女の完全なる分業がされている。男性には力仕事をメインで、女性にはこまごました作業をメインで、「国から」任せられているようだ。ここまで単純化された就職のシステムが作り上げられたのは恐らく……
「選定者様、何かお探しですか?」
「いえ、この国には色々な方がいるんだなって思って。大魔法使いのマレフィセント様がいらっしゃるなら、魔力保持者も移り住んできたりするんでしょうね」
「なかなか鋭いですね。確かに、ここ数年で他国からの移住者は増加傾向にあります。当国の約七割は魔力保持者であり、また、私のような獣人・特異体質の者も周辺諸国より多いのです」




