(止まらない)おばあさんの話
「おや、随分立派な馬に乗ってるじゃないか。エーレンベルグのヒヨッ子も、ちぃっとは大人になったかね」
「あ、あの、あなたは一体……てゆーかコレ、何ですか? どんな仕掛けでココに……」
「質問は説明の後。説明は移動の後だよ。仕方ない、まとめて通れるようにしてやるから、お待ち」
開いた口が塞がらない状態のアリスに対し、彼女は一方的につらつらと話を進めていった。
アリスからしてみれば、突如現れた円形のディスプレイに映った(多分相当能力の高い)魔法使いに「お待ち」と言われ、(絶対に後が怖いことになるので)無視することもできず、気付けば馬のファナごと見覚えのない小屋の前に連れて来られたのだ。最早おかれた状況を整理しようとかそういうレベルではない。考えるために前提となる説明が欲しい。
「降りて、入りな。アンタへの賄いはローズヒップが妥当かね」
畳みかけるような困惑の渦中にあっても、これだけは理解した。突然現れてアリスをワープさせたこの魔法使いのおばあさんは、アリスのことだけでなく、今まで歩んできた軌跡を知っている、と。
「えっと……ありがとうございます。いただきます」
瞬時に出されたティーカップには、いつだったかマーチ・ヘアに淹れてもらった時と同じ、鮮やかなピンク色の紅茶が注がれていた。
「このままアンタに任せておいても良かったんだけどね」
一言目から疑問点だらけではあったが、アリスはグッと堪えて続きの言葉を待つ。魔法使いのおばあさんは自分のティーカップにミルクをたっぷりといれてかき混ぜ、アリスに視線を向けた。
「厄介なことに、そうも言ってられなくなった。海の向こうで妙な動きが……まぁそれは今に始まったことじゃないがね、とりあえず、予定とはだいぶ変わって来てる」
おばあさんが喋れば喋るほど、アリスの脳内に質問事項が蓄積されていく。聞いてしまいたい。この人なら多分、いくつかいっぺんに聞いたとしてもまとめて答えられるくらいの能力がある。けど……さっき「質問は説明の後」だと言われた手前、我慢しなくてはいけない気がしていた。
「アンタ自身の役割は鏡を通して伝えた通りだ。この大陸にある五つの国を統一するリーダーを選定してもらう。言うまでもなく、この世界で私の言葉は群を抜いて絶対的正解だがね、だからこそ私がそれを決めちゃいけないんだよ」
話を聞きながら、アリスはもう半分の頭をフル回転させた。考えろ、考えなくては。この人の話を聞き洩らさないように、かつ、可能な限り理解して余計な質問をしないために、貰った情報から事実を引っ張り出す。
まず、この人は誰なんだろう。アリスとファナを丸ごと移動させるようなワープホールを作れるなら、とてつもない魔力量を持っているのは間違いない。そして今、「鏡を通して」と言っていた。文脈からシラユキの使う魔法の鏡のことを示している、ということは……
「委任したからには私からアンタに文句を投げることはしないよ。アンタが誰をトップに任命しようが、私はその結果を、歴史を受け入れる。あんまり酷くなれば調律はやむを得ないがね。まぁそれは先の話だ、アンタは選びさえすりゃ自分の世界に帰れる。私がそのゲートを作ると、今ここで約束するよ」
優しい雰囲気に隠れた威厳と矜持を見せられ、確信する。ほぼノンストップでアリスに情報を与え続けるこのおばあさんは、無限と調停の系統における始祖、フェアリー・ゴッド・マザーだ。その仮説が立てられた瞬間に、浮かんでいた疑問のいくつかが解消されてゆく。
「さて、あちらの動きが予定から大幅に逸れ始めた以上、アンタにも早めの決断を迫らざるを得なくなった。……正確には、早いとこ統一国家として動き出さなくちゃならなくなった。このタイミングで全てが亡ぶのも味気ない。大陸に住む生命には、対抗してもらわなきゃね」
それにしても、まだ説明は終わらないのだろうか。これでは質問タイムに入る前に質問したいことを忘れていってしまう。
アリスの焦燥を知ってか知らずか、おばあさんは更に付け加えた。
「私の目的は必要な分だけ話した。あとはアンタへのプレゼントについてだ。まずこの小屋、備品も含めて全て自由に使って良い。国を渡る拠点が要るだろう? 次、各国への通達はシラユキを通して私から正式にしておこう。選定者アリスを丁重に迎え入れ、国の実状を嘘偽りなく開示せよ、とね。何も無いよりはいくらか動きやすくなるはずだ。最後は質問だ、率直にお答え。アンタには、お供が必要かい?」
挑戦的な瞳を向けられ、言葉が詰まる。けれどそれはほんの数秒のことで、アリスは大きく頷いた。
「はい。一緒に考えてくれる人がいたら、心強いです」
「そうかい。じゃ、付けておくよ。ただ……アレが役割を全う出来るかは保証しかねるがね」
もしかして物凄く厄介な人材を押し付けられるんじゃないかと思いながら、そうは言っても今までチェシャ猫という(アリスが出会った中でベスト3に入る)超のつく捻くれ者とつるんできたからよっぽど大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
と、不意に小屋の扉がゆっくりと開いた。
「どういう風の吹き回しだい? 終わるの待ってるなんて珍しいじゃないか。ゴッド・マザー……ん?」
緊張感を持ちながら動いていたアリスの脳が、思考をやめた。どんなに考えたって正解に辿り着けないと、一瞬にして悟ったのかも知れない。何故彼が、ココにいるのか。
茫然とするアリスの前で、おばあさんと少年のやり取りは続く。
「ただいま、ぐらい言えないのかい? アンタはいつまで経っても無礼なヤツだね」
「そっちこそ、薬草のノルマを最速で達成した仕事人に労いの一言ぐらいあってもいいと思うけど」
「立場を弁えな。何度も言われてまだ分かってないなんて、残念なおつむだねぇ」
「弁えてるからこその最速だろ? 世間一般の真っ当な上官は適切な評価を与えるものさ」
「いいや、アンタは分かってないよ。私は上官でも何でもない。丁度いい、ここにいる勇者にも把握しておいてもらおうか。私はこの世界の絶対で、アンタは私の裁きを受けるべき咎人だ」
「勇者?」
何処かから小屋に戻って来ておばあさんと言い合いをしていた少年が、初めてアリスのことをきちんと見た。それはアリスも同様で、しかし、彼をきちんと見ても混乱に拍車がかかるだけだった。
「ゴッド・マザーが連れてきたってことは、君、相当変わってるのかい? 勇者って肩書があるってことは、これから起こる事件または厄災に対抗する存在ってことかな?」
アリスは彼を、知っていた。否、正確には、未来の彼を知っていた。頭の中で状況を整理しようとしても、依然として何一つ断定できる要素がない。それでもアリスは、じわりと滲んできた涙を止めることができなかった。
フェアリー・ゴッド・マザーが「付けておく」と言った「お供」の少年は、ただの少年ではなく……トパーズ色の瞳と、本物みたいな猫耳と尻尾を持つ捻くれ者――アリスの脳裏にその姿を鮮明に残す案内役・チェシャ猫に間違いなかったのだ。ただし、アリスが知っているチェシャ猫よりも幼さが残っており、身長も少し低く見える。
「あれ? ゴッド・マザー、この子って俺達の話聞こえてんだよねぇ? それともかなりのアガリ症?」
「さぁ、知らないね。私はこれでおいとまするよ」
「えー」
彼が不満げな声をあげたのは完全に無視し、フェアリー・ゴッド・マザーはすうっと空間に溶け込むように姿をくらませてしまった。彼女が突然姿を消すことに慣れているようで、彼は溜め息の後アリスに再度問いかける。
「聞こえないか喋れないか知らないけど、俺の質問に答える気があるなら意思表示ぐらいしたらどうだい?」
ああ、チェシャ猫だ。嫌味ったらしい挑発的な口調も、彼がアリスの知るチェシャ猫だと物語っている。でも、同時に迷いも生じた。初対面のように接するべきか、未来で会ったことがあるんだと説明するべきなのか。その答えを出す前に、チェシャ猫に投げかけられた質問を潰していくことにした。
「私は……勇者って言われたけど、魔力とかは特になくて……変わってる所とか、自分では、その、無いと思ってる。事件とか厄災とか、これから起こることとか予知できるワケでもないんだけど……さっき、あのおばあさんに選定者として国を渡るように言われたの。それで……貴方をお供にしていいって……」
「ふーん、そういうことか」
たどたどしく解答するアリスに対し、興味なさそうにグーッと背伸びをするチェシャ猫。首や両肩をそれぞれぐるぐると回して簡単なストレッチをしてから、欠伸まじりに一言だけ返した。
「お断りだよ、面倒くさい」




