エーレンベルグ6 ―掃除の時間―
「お詫びに、というか……鏡で視てもらったお礼もしていないので、私が何か手伝えることってありますか? お城の掃除とか、片付けとか」
強く押し付けるように意見してしまったのを(今更と言われればそれまでだが)反省し、アリスはそっと頭を上げてシラユキの表情を窺う。しかし彼からの返答はなく、視線も落としたままボーッとしており、まさに心ここに在らずの状態になっていた。
「シラユキ様?」
ドクが声をかけると、シラユキはパチッと瞬きをして我に返る。
「あ、ああ、手伝いか。掃除をするならば玄関とこの廊下、二階までの階段、あとお前に貸している部屋だな。俺は少し部屋で休む。ドク、誰も入れないように言っておけ」
「畏まりました」
随分と一気に任せられてしまった。一日で終わるのだろうか。いや、もしかしたら一日で終わらせないための量かも知れない。シラユキの意図を想像していたアリスは、ドクに「用具入れはあちらです」と話しかけられ、その思考をいったん保留した。
同時に、先ほどのシラユキのボーッとしていた状態が、自分と同じような「思案状態」だったのではないかとも感じた。
***
「アリス、大事な話でもあるの?」
「え? どうして?」
「歌ってるから」
「あっ」
命じられた四ヶ所を片っ端からキレイにしてやろうと意気込んでいたアリスは、モップとバケツと雑巾を借り、まず最初に玄関の水拭きに取りかかっていた。
話しかけてきたのは、ドクに手伝うように言われて来た(らしい)スリーピーである。彼女は扉の金具や装飾、キャンドル台を磨いていた。
床をモップで磨くうち、アリスは無意識に鼻歌を歌っていたようで、スリーピーに指摘されてハッとした。問われた直後は質問の意味がよく分からなかったが、街で喧嘩の場面に遭遇した時にドクから聞いた話――この国の人々が事あるごとに歌で感情表現をしていること――を思い出した。
「この国では、大事な話が無いと歌わないの?」
「相手がいる時は、そう。一人の時は、知らない」
「へぇ……。ちなみに今のはただの鼻歌だから気にしないで」
「鼻歌は、どういう気持ちで歌うの?」
「えーっと……難しいこと聞くね」
「だって、人間の歌は、気持ちの表れでしょ?」
(こう表現するといささか語弊があるが)眠そうな目をしている割に、スリーピーが投げかけてくる質問はなかなか切り口が面白い。エーレンベルグでは(人間が歌う)歌が言葉と同様に感情表現にのみ使われているようだ。となると、娯楽としての歌唱はないのだろうか。
「うーん……強いて言うならだけど、掃除を黙々とやるのは嫌だから、気分を明るくするために、とか……あとはモップをリズムに合わせて動かした方がやりやすいっていうか……そんな感じかなぁ」
「じゃあ、遮らない方が良かったね。ごめん」
「あ、全然謝られることじゃないよ!」
こんなとりとめもない話題が長く続くと思わなかったので、じわじわとスリーピーに鼻歌を聞かれていたことが恥ずかしくなってきた。慌てて再びモップを動かし始めたアリスに、スリーピーは「歌聞いてると、眠くなっちゃうんだ」とだけ言って、自分も装飾磨きを再開させた。
「ねぇ、スリーピーは、シラユキ王子が歌ってるの聞いたことある?」
「んー……国王陛下が海を渡られてから聞いたのは、一回だけ」
「国王陛下って、王子のお父さん? 何処か訪問しに行ってるの?」
「訪問……ううん、多分、視察。海の向こうに妙な魔法があるとか言ってた。トゥルム公国の元首様も一緒に出向いたって聞いてる」
「それっていつ頃のこと?」
「いつかなぁ……えっと、もうすぐ二年経つかも」
二国のトップが同時に直接出向くなんて、余程強い力が動いたに違いない。そして、海を渡ったきり二年近く戻っていないとなると……スリーピーは何でもないことのように話しているが、自由気儘な旅行や放浪といった雰囲気ではなさそうだ。
「……シラユキ様の歌、私、好きだったのに」
「え?」
「最後に聞いた歌は、あんまり好きじゃなかった。ぎゅって、喉を掴まれるような音で」
だからもう聞けなくていいんだ、とスリーピーは少し大きめの欠伸をしてから、へにゃりと笑った。
「てゆーか、眠いなら無理して手伝ってくれなくても大丈夫だよ。元々私がお礼とお詫びを兼ねてもらった仕事だし」
「んー、でもドクがー……」
「ドクさんには私から伝えておくから、ね?」
スリーピーの名に相応しく彼女はいつも眠そうにしているが、今この瞬間は特に頑張って起きている様子だった。さすがに良心が痛むので、自室に戻るように促す。
「じゃあ……もっかいアリスの歌、聞かせて」
「へっ?」
「何でもいいから……ふぁーあ」
どうもこの世界の人達は無茶振りが好きな傾向にあるようだ、とアリスはこれまで出会った人とのやり取りをいくつか思い出し、溜め息をつく。
正直人前で歌うのはあまり好きじゃないのだが、仕方ない。スリーピーに眠るよう言ったのは自分だし、適当に母がよく歌っていた(恐らくオリジナルの)子守歌でも歌ってみることにした。
「ねんねんころりー ころころりー ころころむすびー たべてまんぷくー まんぷくしあわせ、さぁねましょ しあわせなゆめを、さぁみましょ」
「……ありがとう。おやすみぃ」
「うん、おやすみ」
多少のふらつきを見せながらスリーピーが立ち去って、ほんの数分のことだった。
再び鼻歌を歌いながらせっせと床を磨いていると、「おい」と声をかけられた。誰に呼ばれたかはそちらを向かなくても分かる。この城で最も偉そうな口調の人物・シラユキだ。
さっき生意気な発言を連発してしまったばかりなので、今はあまり顔を合わせたくなかった。が、向こうからわざわざ(身分的には下に位置する)アリスの元へ足を運んできたのなら対応するしかない。
「何か、他にお手伝いのご依頼がありましたか?」
掃除ぐらいだったら(草むしりとかはあまり気が進まないが)割とコツコツできる自信があったので、アリスは身構えながらも聞いてみた。ところが、シラユキは目線を少し落として「違ぇよ」とぼそり。
「…………さっきの話、」
ひどく切り出しにくそうな表情のシラユキに、首を傾げる。さっき、というと、彼が激昂したドワーフの外出についてだろうか。
「ドクはああ言ったが、俺はその……お前の考える解決法に興味がある」
一言聞いただけで、アリスには大方察しがついてしまった。恐らく、普段から「考えること」がクセになっているアリスだからこその気付きなのだろうが――シラユキはこれまで、与えられたルールの中でのみ生きてきたのだ。
つまり、自分で何かを考えて実行する経験が圧倒的に少ない状態で、アリスとほぼ同じ年月を過ごしてきてしまっている。アリスは今、頼られているのだ。シラユキにも一応、ドワーフにだって自由に城と街を行き来する権利があるべきだという思いはあるらしい。が、そのためにどんな対応が必要か、考えていないように見えた。
「私は、エーレンベルグの政治に口を出すつもりはないです」
アリスは知っている。こういう「意見だけ求めてそのまま採用する人」は、綻びが見つかった時に全責任を押し付ける人だ、と。元の世界でもそんな人たちを何人も見てきた。
「なっ……お前が、違う解決法がないかって投げかけたんだろ!?」
「ないのかなーって思っただけで、違う方法が見つかるかどうかは知りません。それはこの国の最高責任者である王子が考えて決めることですよね?」
本能的に、アリスはシラユキに批判的な目を向けていたかもしれない。シラユキが苛立つのも分からなくはないが、アリスの頭に思い浮かんだ代替案のアレコレを伝える気は起きなかった。




