エーレンベルグ3 ―第一関門―
アリス自身、かなり意地悪な質問攻めをしている自覚はあった。それでもこの扉の向こうの王子様に会うためには、魔法の鏡でアリスの役割を視てもらうためには、動いてもらわなくちゃいけない。少なくとも、まともなコミュニケーションが取れるレベルになってもらわなくては。
「…………保証はあるか」
ギィ、と開いた扉。アリスの真正面に現れたシラユキの表情は、少し、泣きそうにも見えた。名前負けしない色白の肌と、艶のある黒髪、ほんのり赤い唇、しっとり潤む瞳は空色で、正真正銘の美少年だと思う。
しかし、扉を開けただけで廊下には出てこようとしないシラユキを前に、アリスは考えた。彼が求めているのは、何の保証だろうか。力比べする――つまり危害を加えるつもりがない、という言葉に対する保証?
「えっと……証明書発行とかは難しいんですけど……契約書を書くとか? てゆーか、怖いなら私の両手、またロープで結んでおきます?」
「アリスさんの言葉に偽りはありませんよ、王子」
廊下の向こうからやって来てフォローを入れてくれたのは、バッシュを連れたドクだった。どうやらシラユキにとってドクの意見は割と影響力が強いようだ。一歩、部屋から出てきてアリスに問いかける。
「お前、俺を見てどう思う?」
「え?」
「正直に言え」
いよいよ何が試されているのか全く想像がつかなくなり、アリスは悩んだ挙句、苦笑いしながら答えた。
「んー……女装したら似合いそうだなぁって、思いますけど……」
グランピーが「ぷっ」と吹き出すのが聞こえ、正直すぎた自分の返答が不正解ルートを突っ走っているのだと察した。手遅れかも知れないと思いつつ、ペラペラと取り繕っていく。
「ああ! えーっと、それぐらい美少年っていうか! 何だろう、男っぽくない? じゃなくて、優しい感じ? でも喋ると結構威圧的……ってか、威厳がありますよね!」
「……後半、声がおかしい……」
「えっ」
アリスはすっかり忘れていた。この場には、優れた観察眼を持つバッシュがいるということを。(自分でも分かるほど)あからさまにギクッとしてしまったアリスが、そうっとシラユキの表情を窺うと……
「なるほどな、よーーーく分かった」
どこからどう見ても、青筋を立てていた。折角の美人が台無しですよ、なんて言ったら火に油を注ぐことになるので黙っておく。
「お前はこの俺が、王子ではなく王女だって言うんだな!?」
「い、言ってませんよ! 何をどう聞いたらそうなるんですか! 私はただ似合うかもって」
「言ってんじゃねーか!」
「違います! そのくらい綺麗だし、背も高くてスタイル良いし、かっこいいってことですから……それに、狩りで夕飯獲ってくるところはちゃんと男らしいと思うし……あっ、ち、違います! 今のナシで……」
流れで言い争いのようになり、これまた流れで褒めまくる展開になってしまったが、ハッと我に返ったアリス。自分が発した言葉の数々が急激に恥ずかしくなり、口元を隠して目を逸らす。
コレじゃダメだ、もっと落ち着かなければ。魔法の鏡で視てもらえるように、適度に仲良くならないと……。呼吸を整えてから改めてシラユキの方を向くと、何故か彼も固まっていた。
「……あの、シラユキ王子?」
「おーいユキちゃん、大丈夫かー?」
「その呼び方やめろ!」
グランピーに一喝してから、シラユキはアリスにガンを飛ばした。
「バッカじゃねーの」
吐き捨てるように言い放って、廊下を進み、階下へと降りていく。
「王子、どちらへ?」
「厨房だ。テーブルセッティングは頼んだぞ、ドク」
「数は」
「……九でいい」
「畏まりました」
深々とお辞儀をして見送ったドクは、アリスに向けて微笑んだ。
「アリスさん、お見事です。どうやら貴女にとっての第一関門、無事突破できたようですよ」
「へ?」
「お前も鈍いヤツだな、今日の夕食は九人分だって王子が言ってたじゃねーか」
呆れるグランピーを前にパチパチと瞬きをして、アリスはようやく「その数の意味」に辿り着いた。
「それじゃあ……!」
「ああ、夕食の席で頼んでみる価値あるぜ。魔法の鏡での運命判定」
「王子の意向がどうであれ、私も、鏡による判定の必要性を感じます。促せるよう、協力いたしましょう」
「ありがとうございます! グランピー、ドクさん」
***
正直なところ、中世に似た環境で、しかも狩猟で得た食材を使って、美味しい食事など出てくるわけがないと諦めていた。期待値はゼロというよりマイナス。鹿肉なんて生まれてこのかた食べたこともないアリスは、吐かなければ大丈夫、ぐらいの覚悟で食事に臨み、そして……震えのあまり、フォークを握る手を止めた。
「何だよ、俺が腕によりをかけた食事を残すつもりじゃねーだろーな?」
鋭い眼光を向けるシラユキに、アリスは首をぶんぶんっと横に振る。
「あの、私、鹿肉とか初めて食べたんですけど……美味しいです、すごい……。臭みがあるって聞いたことがあったので、その、覚悟してたんですけど」
「世界一無駄な覚悟引っ提げてんじゃねーよ。黙って食え」
このあからさまにキツい当たり方は、間違いなくアリスの「女装したら似合いそう」発言が尾を引いてるためだろう。相当癇に障ったようだが、今この場で謝罪を入れるのも話を蒸し返してしまうため黙るしかない。
と、(空気を察したのかぶっ壊しにかかったのか)森で一番最初に出会ったツインテールのドワーフがニパッと笑顔を見せながら言う。
「ユキちゃんはめちゃめちゃ料理上手なんだよね!」
「スニージー、その呼び方やめろ」
「うぎゃ、ごめんなさい!」
可愛らしい呼び方は愛着ゆえなのだろうが、すかさず拾って注意するシラユキ。大人しく口を噤むスニージーの横で、ぽわんとした雰囲気のドーピーが問いかけた。
「ねぇ王子、今日は、デザートのタルトあるのー?」
「それ超気になってた! 狩りの調子良かったってことは、直帰もできたはずじゃん? でも遅かったってことはさ、タルト用のフルーツ採ってたってことじゃない!?」
「……はぁ、お前たちそういう嗅覚は鋭いな。スリーピー、場所分かるか?」
「うん、持ってくる」
大人しく食べながらシラユキと七人のドワーフの会話を聞いていると、他所の家族の食卓にお邪魔している気分になる。同時に、早くこの世界から帰りたい、帰らなければという気持ちも湧いてくるのだが。
そうだ、鏡の話を切り出さなくては。折角夕食の席を用意してもらう程度にお近づきになれたのだ。マイアが提案してくれた通り、今回のアリスの役割を知るために動かなければ。アリスが口を開こうとしたコンマ数秒前、ドクが静かに申し出た。
「王子がお作りになったタルトを頂けるのは至極光栄ですが、その前に、私は明確にしておきたいことがございます」
ナプキンで口元を軽く拭ってから、ドクは一瞬だけアリスを見て、シラユキに視線を戻した。
「彼女が、予言された『選定者』なのかどうか、です」
ドクの有言実行っぷりは凄まじい。促すどころか「鏡を使った方が良い」という強い意思表示をしてくれている。話題の中心がアリスになったことで、それまで和んでいた食卓に緊張感を含む沈黙が流れる。だがそれも数秒のことで、次に口を開いたのはグランピーだった。
「鏡で視る価値はあんじゃねーのか? シェランのマイア王子が鏡の判定こそ確実だって判断して、アリスはその言葉だけを信じてココに来た。正直俺は『選定者』ってのがよく分かってねーけど、右も左も分かんねぇアリスが家に帰るためのヒントがこの国にあるってんなら……」
「偽れば消滅するが、いいか?」
グランピーの援護射撃のような弁論は、シラユキのたった一つの質問によって停止させられた。消滅という単語に多少なりとも動揺してしまったアリスに、シラユキの視線が刺さる。
「魔法の鏡という名は比喩ではない。俺は実際、乳母が鏡によって断罪される瞬間を見た。鏡は真実しか受け入れず、前に立つ者が述べた偽りは跳ね返す」
「なるほど、アリスさんが僅かでもご自身の中に答えを見出していれば、ある程度の『跳ね返り』があるということですね」
「どうだ、覚悟はあるか」
問われて考え直してみる。自分の脳内で既に何らかの活路や予想がついていると、「迷っていること」そのものが鏡に「偽り」と判定されてしまうらしい。何故再びこのワンダーランドに来てしまったのか。眠る直前に聞こえた声は、確か……――
―「貴女がいい……」
ひどく懐かしい、女の人の声だった。けれど込み上げる懐かしさの理由も、向けられた言葉の意味も、よく分からない。
帰るための条件についても、「選定者」であろうがなかろうが、何をすべきかが掴めない。そう、今のアリスにはヒントが無いのだ。初めて来た時より遥か昔のワンダーランドには、これまで案内役を担ってくれてたチェシャ猫すらいないのだから。
「覚悟は、要らないと思います。だって私、何のヒントも持ってないですし。だから……お願いします、シラユキ王子。私を魔法の鏡で視てください」
アリスが食器を置いて頭を下げると、シラユキは深い溜め息をついた。
「消滅をも覚悟の上なら、断る理由は無い。鏡で視れば、お前は『謎のクセモノ』から『正体の分かるクセモノ』になるわけだしな」
「どのみちクセモノなんじゃーーーっくしょん!」
「タルトお待たせ。切り分けたから順番に取って」
スリーピーにタルトをもらう際に、こっそり「これも王子が作ったの?」と聞いてみる。「うん」と頷いた彼女の微笑みには幸せが滲んでいて、タルトの美味しさに太鼓判を押すようだった。




