水色の髪の(奇妙な)少女たち
つられるように立ち止まった鈴に、マイアは「ここから先、私は許可なく進めないんだ」と告げる。
「この辺が国境なんですか?」
「その通りだ。君がそこから三歩進めば、エーレンベルグ領に入る。公人である私が書状無しに同伴できるのはここまでだ、すまない」
「えっと……私は、誰に会いに行けばいいんでしょうか」
「誰、というのは適切でないかも知れない。『鏡』の前に立つことを目的としてくれ」
「鏡?」
首を傾げる鈴に対し、マイアは柔らかく微笑んだ。
「魔力のない世界からやって来たという君の話を、私は信じる。だから、君がエーレンベルグの所有する鏡の前に立てば、何故こちらに来たのかも明らかになると考えた」
「……分かりました。私が目指すべきは、魔法の鏡なんですね」
「ああ」
鈴はふぅっと深呼吸をして、マイアを見つめた。まだ分からないことが多いが、とりあえず親切にしてくれたマイアには感謝しなければ。
「ありがとうございます、マイア王子。いつかまた、お礼ができる機会があったら協力させてください」
「アリス、君の行く道に幸多からんことを」
一礼してから、鈴は踏み出した。目的地は、魔法の鏡がある場所。そこできっと、今回こちらの世界に来てしまった理由や、帰る方法が分かるはずだ。時代が遡っていることの意味も、見つけられるかもしれない。マイアと進んできたルートの延長線上を進むように意識しながら、足を進めた。
***
鈴が一人で森を歩き出してから、体感でいうところの一時間ほど経過した。これまでは木々の隙間から注ぐ木漏れ日が多く、森の中といえど明るい印象だったのだが、いつの間にか上空を占める葉の密度が増していたようで、辺りが暗くなってきていた。
日没前にここまで暗いとなると、夜になったら何も見えなくなってしまうに違いない。そればかりか、空気も相当冷え込んでくるはずだ。ワンダーランドとは言え森の中、身一つで夜を凌ぐのはさすがに危機感と恐怖心に襲われる。
一体あとどれくらいで森を抜けられるのだろう……鈴がそんな不安を抱き始めた、その時。
ガササッ、
「えっ?」
誰かいるのかと振り向いた先には、シカの親子がいた。なんだ、大丈夫だ。だってシカは凶暴な肉食動物じゃないから……その考えが、間違いだった。
ガササササッ、
パキッ、
「えっ……な、何?」
四方八方から同じような葉の擦れる音と、枝が折れる音がして、きょろきょろと辺りを見回す。そして、気付いた。シカだけじゃない、タヌキにミミズクにチンパンジー、キツネにバクに大きめのクマまで、ありとあらゆる森の動物が、鈴の半径4~5メートルのところでぐるりと取り囲んでいた。
警戒しているのか、ジッとこちらを見ているだけで襲い掛かってくる気配はない。が、とんでもない圧迫感があるのは事実で、鈴の呼吸は乱れ始める。
話しかけるべきなのか、そもそも言葉が通じるのか。獣人でもない普通の動物に見えるのに……どうして、連携を取るように鈴を囲んでいるのか。まるで、足止めだけを目的にしているみたいで……
「……誰かいるの? 私は、これ以上こっちに進んじゃダメってことなの!?」
見られているとしたら、恐らく木の上からだ。見回しながら叫んだ鈴は、何らかの反応が無いか、目と耳に神経を集中させた。
「ほっほー、なかなか鋭いねーっ」
女の子の声が聞こえてきたかと思えば、次の瞬間、鈴を取り囲んでいたありとあらゆる動物たちは自分の寝床に帰るように退散し始めた。戸惑う鈴の前には、小学生くらいの少女が一人、仁王立ちで現れる。
「ほっほっほー! どうだった? ビックリした? 森のみんなで侵入者に恐怖を与えちゃおーぜ大作戦っ!!」
えっへん、とふんぞり返るような素振りで、水色の細長いツインテールがふわっと揺れる。第一印象は可愛い小学生……というより、ちょっとアホな小学生、だった。返答に困る鈴は、とりあえず名前を聞こうと口を開きかける。が、その直前に喉元に小さな痛みを感じた。
「へ?」
「余計なこと喋ったら、めんどくさくて喉切っちゃうかも」
声がしたのは鈴の右側下方。チラリと目をやると、そこには同じく水色の髪の、こちらは三つ編みをおだんごにまとめた少女が立っていた。しかも、その手に持つ長槍が鈴の喉元に当てられている。
「わああああっくしょん!! ダメだよぉ! ちゃんとどーゆー悪者か調べてから処分しなくちゃ! 二人あわせてドクに怒られちゃーーーっくしょん!!」
「だって眠いんだもん」
「ダメだよーーーっくしょん!!」
「うるさいんだけど」
「しょーがないじゃん! なんか、急にムズムズしてきて……ううっ、止まんないかな、止めたいなぁ」
口をへの字に曲げながらブツブツ言うツインテールの少女は、どうやらくしゃみを堪えているようだった。一方の三つ編みだんごヘアの少女は、本当に面倒くさくなったのか、欠伸をしてから鈴に向けていた長槍をおろした。
「あ~、腕疲れた……めんどくさい……眠い……」
この微妙な状況はどうしたものか。二人の態度がこちらを油断させるための演技だという線も捨てきれない以上、無闇に動きたくない。かと言って演技でなく本当に(失礼を承知で表現するなら)アホで幼稚なだけの少女であれば、ここに留まるのは時間の無駄になってしまう。
無視して歩き出そうか迷う鈴に、ツインテール少女がついに話しかけてきた。
「ちょっとそこの悪者! チャンスをあげちゃうよ! くしゃみを止める方法を教えたら、許してあげちゃうんだからーーーっくしょん!!」
「ふぁ~、知らないからね、勝手に交渉なんて」
「だってぇー」
確信した。演技じゃない。この少女たちは、感情(というか本能)の向くままに行動してしまう幼稚な子供たちだ。ついさっき「余計なこと喋ったら喉切る」とか言ったのも、すっぽり忘れているんだろう。
「あのね、くしゃみっていうのは、体の中に入った細菌とかを追い出すための反応なんだって。だから無理に止めなくてもいいと思うよ」
「そっ、そーなの!!?」
目をキラキラ輝かせるツインテールの少女に、鈴はダメ元で「魔法の鏡」について聞いてみようと思った。三つ編みだんごの少女は既に半目でウトウトしかけていたのだ。
「あの、私ね、アリスっていうんだけど、悪いことをしに来たんじゃなくて、ある物を見たくて、この国にあるって聞いて探しに来たの」
「え? 悪者じゃないの? おっかしーなー?? 女はみんなクセモノだって、ユキちゃん言ってたのに」
どんだけ極端な教育してるんだユキちゃん! とツッコミを入れたくなったのは置いといて、いや、他にもツッコミどころはあった。見るからに性別が女である彼女たちに、「女は曲者だ」なんて、矛盾した教育にも程がある。
「貴女は、そう言われて変に思わなかったの?」
疑問に思ったら聞かずにはいられない……この時、鈴も自分の性質を抑えられなかった。魔法の鏡のことを聞きたいのに、ユキちゃんの教育について気になってしまったのだ。
「どーゆーコト?」
「だって、貴女たちも女の子だし……」
「ほよ? 違うけど?」
当然のように返された不可解な答えに、鈴の思考は一瞬止まった。この子は今、何て言った? 女の子じゃない? だったら何者なんだろうか。というか……何の生き物なのだろうか。
しかし、その思考は突如中断させられる。
「おい! クセモノ一匹捕まえんのにいつまでかかってんだ!」
「ひえっ! グラちゃ……っくしょん!!」
「うぜぇからその呼び方やめろ。つーかクセモノの前で寝てんじゃねーよ、スリーピー」
鈴の右横で半目のままいびきをかいていた三つ編みだんごヘアの少女は、新しく現れた少女に小突かれて起こされた。
「……むにゃ、ごめん。やっぱめんどくさくて無理だった」
同じく水色の髪だが、スポーツ男子のようなベリーショートにしており、口調も男勝り。そして、かなり攻撃的な視線の持ち主だった。
「最初っからお前らに期待してねーよ。クセモノを油断させるエサだ」
「ひ、ひどいよぉ! グラちゃんのバカぁ!」
「その呼び方やめろっつってんだろ!!」
「わあああん! 怒らないでよぉー! 何でいつも怒って……っくしょん!!」
喧嘩を始める少女たちを前に、鈴が一歩後退りした、その瞬間。
「お前はクセモノだって言ってんだろ」
「うっ、」
さっと後ろに回り込んでいたベリーショートの少女。その強烈な手刀が、鈴の意識を奪っていった。
***
森の中とは違う、花の香りがした。鈴の自室には花なんて飾っていない。ということは、まだ、自分の世界に戻っていないんだ……。
早く、早く戻りたいな。憂鬱な登校日だけど、宿題はちゃんと一通りできてるし、サッカー部の見学だって、莉紅が満足すればササッと終わるはずだし……――
「お目覚めですか?」
花の香りに誘われるように目を開けた先、森で出会った少女たちと同じ、水色の髪が映った。顔立ちもよく似ているが、雰囲気はどこか大人びている。何より、彼女の髪は真直ぐ長く伸ばされていた。
「…………う?」
ここで鈴は、自分の口元に違和感を覚える。呼吸がしづらく、喋れない。もしかして今、猿ぐつわをされている……? 同時に、肘掛け椅子に座らされていること、両手首が肘掛け部分に縛られているのも分かった。混乱する鈴の心境を察したのか、ロングヘアの少女は状況説明に入る。
「貴女の危険度を量れない以上、こちらとしては拘束するほかないのです。不快に思うでしょうが、エーレンベルグの掟ですので、どうかご容赦を。さて、個人的には是非、貴女と質疑応答をしたいと考えているのですが、嘘偽りなくお答えいただけるでしょうか」
大きく頷く鈴を見て、ロングヘアの少女は「そうですか」と微笑む。ところがすぐに猿ぐつわを外すのではなく、後ろに隠れているもう一人の少女に尋ねた。
「どうでしょう、バッシュ」
すると、ロングヘアの少女の後ろからひょっこりとボブショートの少女が顔を出し、品定めするように鈴をジッと見てからコクコクと頷いた。




