相容れぬ価値観(願望)
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ルゥ・ドラキュラが人ならざるものとなり、より痛感するようになったことがある。与えられた目的に対する心の脆さ、立ちはだかる壁に集団として挑む時の覚悟の強さ、そして、自ら見つけた目的のために成長が必要だと判断した場合の吸収力の高さ。人という種族には、理屈だけでは語れない「何か」があるらしい。
一体誰が想像しただろうか。後天的とは言え純度で言えば最高値、正真正銘の化け物である吸血鬼ドラキュラが、つい数年前に独学で自身の肉体にメスを入れ始めただけの科学者に、互角の戦いを強いられることになるとは。
「ヴァン・ヘルシング……この世界史上、あそこまで愚かな研究者は稀と言える」
どこかのネジが外れたかのようにケタケタと笑うオズを前に、伯爵はただ静かに、しかし強い怒りのこもった視線を向ける。
「おっと、勘違いしないでもらいたい。彼の研究内容とその成果は、高評価に値する。この私の頭脳をもってしても、当時の環境下であれほどの研究成果は出しがたいだろうからな」
「……分かったように、ヴァンを語らないでもらいたい」
「分かるとも。ヘルシング卿の妻の手記を読んだからな。医者になった切欠はお前だったそうじゃないか、ドラキュラ伯爵。吸血鬼を人間に戻そうなどという大それた目標を立てた。家庭は設けたが子供が幼いうちに別居、研究に没頭し続けた結果……一般人でも使用できる記録魔法の陣を考案した。どうやら彼は、記録魔法によって吸血鬼の身体を人間と同じに『書き換えようと』したようだが?」
「……その通りさ」
「お前が吸血鬼として生きながらえているということは、彼の生涯をかけた研究は徒労に終わったわけだ」
「その徒労の副産物を用いながら、よくそんなことが言えるな」
「私は合理主義者なんだよ。利用できるものは利用する。しかしヴァン・ヘルシングとは、愚かな上に、たいそう憐れな男だ。そうは思わないか?」
オズがヴァンの話題を振り続けるのは、こちらの逆上を狙ってのことだ……伯爵は、ひたすら自分にそう言い聞かせた。古い資料に目を通しただけのオズに語られずとも、医学の道を究めたヴァンの生き様は、伯爵が一番よく覚えている。
そうだ、教えてやればいい。オズが愚かだと評するヴァンは、どんな人物だったかを。
「……こちらが真剣に問うているのに、のらりくらりとかわす……そんな男だったよ。結婚して子供が生まれ、王宮専属医を辞めるかと思えば別居し始めてね。子供に研究内容を知られないように、と言ってたな」
あの子はきっと興味を持っちゃいますから、と笑いながら話す親友の姿が今でも脳裏に焼き付いている。研究なんてやめればいい、吸血鬼の体質は受け継がれてしまった呪いのようなものだから、何度告げても、彼は諦めようとしなかった。
―「投げ出したらカッコ悪いじゃないか」
―「誰もそんなことは思うまい。お前の功績はキャメロット王国の皆が知っている」
―「ルゥ、私は王宮専属医だよ? 基本的に民の問診はしてない」
―「だが兵士の手当てばかりでもあるまい。国内の医者に個別で研修や指導を入れているんだろう? 陛下に聞いた」
―「陛下か……まったく、何で知ってるんだろうね、あの人。怖い怖い」
―「立派じゃないか」
―「まさか。面倒事を減らしたいんだよ。民の問診まで携わってたら時間がどれだけあっても足りない。私の本業はこっちだ」
―「ヴァン……もし、その……お前の感じている負い目が、」
―「私はね、こう見えて負けず嫌いなんです」
唐突な敬語。伯爵にこれ以上何も言わせまいとするような。小鳥のさえずりと風の囁きだけが耳の穴を抜けていく。
―「それにほら、どうせなら『一生を費やしてここまで成し遂げたんだ』っていう名の残し方したいんで」
「……研究者気質というのは、理解し難いね。何がその者をそうさせているのだろうか」
独り言のように問いかける伯爵の頬には、オズの手刀でつけられた切り傷。だがそれは、彼の驚異的な再生能力によってすうっと消えていく。
「名声さ。実績が後世に語り継がれることそのものが、研究者を駆り立てる」
「そうか……同じ研究者と言えど、君とヴァンとではどうやら何かが違うらしい」
「自惚れるな! お前という他者のためだけに一生を投げうったなどと、本気でそう思っているのか!? 憐れなのはヴァン・ヘルシングではなく、お前のようだな! ルゥ・ドラキュラ!」
罵声と共に振るわれるオズの重たい拳を、涼しい顔で受け止めた伯爵。
常人離れした彼の聴覚は、オズの声だけでなくより遠くの会話も感知していた。公園の木を渡ってこちらにやって来るチェシャ猫とアリスの声。そしてその作戦は……
「クラウ・ソラス!」
「なっ……あの小娘!!」
アリスの声をオズの耳が捉えた時には、もう勝敗は決していた。クラウ・ソラスの形状は「布」となって、オズは巻き寿司状態にされていたのだ。体を一直線にされ、地面に転がるオズ。
「伯爵! 怪我は……!?」
「不思議な質問だね、アリス嬢。この体は死ねない体だよ」
「あっ……でも、痛い時は痛いんじゃ……」
「大丈夫。君の元気な姿を見たら、あらゆる苦痛が吹き飛んだ」
駆け寄ったアリスの頭をふわりと撫で、伯爵は微笑む。天然の人たらし気質は健在らしい。二人の間に流れる穏やかな空気を裂くように、オズがアリスを罵った。
「無知で生意気な小娘が!! 喋る人形に与するどころかこの私を見下ろすなど……偽善で固めた勇者気取りも大概にしろ!!」
似たような「悪役の台詞」を、何処かで聞いた覚えがある。二時間枠の推理ドラマだったか、海外のヒーロー映画だったか、勧善懲悪ものの職場系連ドラだったか。
そういった創作ストーリーを見ていると、アリスは思うのだ。悪役の立場の人間が悪役系思考を持ってしまったことも、その思考のせいで一般的な行動原理から外れてしまったことも、何となく納得はできるなぁ、と。同時に、主人公は悪役のストレートな欲望をぶつけられて大変だなぁ、と。ドラマの中では善悪が割と明確に分断されているから、きっと「そう考えた結果としてその行動に走っちゃったのも分かるけど」なんて、中途半端にいなすことは出来ないんだろう。
さて、では自分はどうだろうか。結論から言えば、アリスの心は驚くほどあっさりと、オズの罵声を右から左に流していた。悪口を言われたのは分かっている。しかし、オズが突き立てた言葉のナイフは、アリスに傷を負わせるどころか恐怖を与えることもなかった。
だからとりあえず、否定しておこうと思い、口を開く。
「偽善で外面を固めていたのは、貴方の方でしょ、オズ」
「何だと?」
「ずっとずっと考えてた……貴方がどうしてフランケンを処分することにこだわるのか。発明の中の最高傑作として改良するんじゃなくて、壊したがってる理由……。一般人の私じゃ、永遠の命が実現するなら縋りたい人もいるだろうな、ぐらいにしか思えなくて……」
個人的な本音を言えば、よぼよぼになっても生き続ける未来は遠慮しておきたいところだが、その価値観は関係ないので置いておく。
「……ただ、貴方と話してて違和感があったのは間違いなかった。永遠の命を望む理由が、街の人たちの力になりたいとか、みんなの不安を取り除きたいってだけだったら、きっと貴方はフランケンを壊そうとしない」
「黙れ小娘! 貴様のような、何の特性も優位性も無い人間が、私を理解しようなどと……!」
「うん。貴方の理想や野望には、別に興味ない」
アリスの傍に立つチェシャ猫と伯爵は、揃って僅かな驚きを見せた。アリスの正面に倒れるオズも例外ではなく、まるで何か大切なものを打ち砕かれたような、半ば絶望的な表情になる。オズへの無関心を告げたその瞬間、アリスはそれが当然だとでも言うように、淡白な瞳をしていた。




