ガヴェイン卿 ―大男―
「あ、そうだ。アリスさん、一日中ベッドにいるのも退屈でしょう。車椅子持ってきますね。猫さん……は置いといて、ウサギさんがあれから書庫に籠りっきりで」
「マーチさんが、ですか?」
「はい、食事以外はずーっと書庫に居座っちゃって。だからほら、ご一緒に散歩とか気分転換になるんじゃないですかね」
そう言えば、マーチ・ヘアが書庫に行くように資料の話をしたのは自分だった、とアリスは思い出す。彼ならばマッド・ハッターが参加した戦いの記録を見てその戦略や対策を練れるのではと考えたのだ。
それに……あの時は、別行動をしていた二人と再会できたことで泣きそうになっており、咄嗟に部屋から追い出すためのネタとして提示するほかなかった。
結果的にチェシャ猫には見抜かれて弄ばれることになったが、マーチ・ヘアはその前に退室してくれた。仮に見抜かれていたとして、蒸し返してからかうような性格ではない。
「お散歩かぁ……」
何を話そう。マーチ・ヘアに伝えるべきことは資料のことと……。
車椅子を取りに行ったヴァンを待ちつつぼんやり考えていたアリスだったが、突如開けられたドアに意識を引き戻される。
「えっ、あの、どなたですか?」
「ルーカン来てないよな、ここ」
「来てない、と思いますけど……あの、」
「突然ワリぃな、俺ガヴェイン。ちょっと匿ってくんねーか」
大の男が、しかもパッと見た感じこれまでアリスが出会ってきた中で最も体格の良く背も高い「特技はハンマー投げです」「ああやっぱり」というやり取りができそうな人物が、手を合わせて頼みこんできた。
一体どんな大男に追われているのか、こうなったら次に現れるのは壁をぶち破って入って来るような力士レベルの体格の持ち主か……そんな下らない予想をしながら「ここで良ければ……」と頷いておく。
「恩にきるぜ、嬢ちゃん!」
二カッと笑った彼の左耳に、細かい模様が刻まれたピアス。太いベルトにはサーベルが左右2本ずつくらい提げられている。獣の皮で作られた上着は、「自分で狩った獲物を使いました」アピールのように思える。
アリスに許可を得たことで病室の隅に(彼が可能な限り)縮こまって息を潜めるガヴェイン。その太い腕で殴られでもしたらひとたまりもないことは明らかだが、彼が今現在とっている体勢や、先ほど会話したときの雰囲気から、あまり恐怖を抱く対象ではないと判断できた。
「……あの、差し支えなければ、なんですけど」
「どーした?」
ひそっと小声で返すガヴェインに、アリスもつられてヒソヒソ声になる。
「左耳のピアス、きれいだなって思って。その模様、意味とかあるんですか?」
「これか? こいつぁ俺達の誇りだ。色んなのがあってな、俺はピアスを賜ったんだが、タイピンにリング、カフスなんてもんもあったなぁ」
「お揃いの模様で?」
「あったり前だろ、何せこれは……」
得意気に話していたガヴェインが、野生動物のように何かに反応しドアの方を向く。そして、先ほどより一層(見た目的にはさほど変わりないが)縮こまって「しーっ」と合図を送ってきた。
アリスが不思議に思ったのと同時に、病室のドアが開く。
「お待たせアリスさん、車椅子お持ちしました」
「あっ、ヴァンさん! ありがとうございます!」
お礼を言いながらチラリとガヴェインの方を見る。どうやら彼を追いかけている「ルーカン」ではなかったことにより少し安心したらしい。これでもかと縮こめていた体をやや楽な体勢に戻している。
しかしやはり、彼の考えは甘かった。
「……ところで、女性の病室に忍び込み息を潜め、自らの職務をすっぽかそうとしているそこのふてぶてしい輩は、ガヴェインで間違いないですか?」
「ひえっ」
気付かれていなければいいな、と思ったが、やはり無理な話だったようだ。ヴァンは笑顔で振り向いたものの、相対するガヴェインの怯えた表情を見れば分かる。多分、ヴァンの目は笑っていない。
「ガヴェイン、私は別にあなたが職務をすっぽかそうとそれによって誰かに怒られようとご飯が減らされようとどうでもいいんでとやかく言うつもりはありません。でもね、私の患者の容体回復に支障を来し私の仕事を増やすというのなら話は変わります、というより…変えざるを得ませんね……」
「ま、待ってくれヘルシング卿……」
「さぁて、ルーカンでも呼んでみましょうか」
笑みは崩さないまま、ヴァンは見事にガヴェインの痛いところをついている。彼はしょっちゅう仕事をサボってルーカンという人に追い回されているのだろうか。だとしたらルーカンは相当手練れの権力者、ということになりそうだ。
「あの、どんな人なんですか? ルーカンさんって。ガヴェインさんより大きいんですか?」
「大きさで言えばガヴェインが円卓の騎士でトップですよ。けれどそんな彼でもルーカンには敵わない、ですよね?」
「頼むヘルシング卿、勝手に病室入ったことは謝る! ココしかなかったとは言え本当に悪かった! 俺にできることがあったら手伝うからよ、アイツ呼ぶのだけは……」
「それはちょうどいい。ガヴェイン、アリスさんを車椅子に移してあげてください」
「も、勿論だぜ! お安い御用だ!」
ヴァンがさらっと口にした依頼に、目を輝かせてベッドに駆け寄るガヴェイン。戸惑うアリスは次の瞬間ひょいっと持ち上げられた。
「わわっ」
「嬢ちゃんすげー軽いなぁ、仔犬みてーだ」
踏ん張っている様子などなく、本当に仔犬のように持ち上げられているのだと感じた。そんなに軽くないはずだと思いながらも、やはり少し嬉しくなる。「はいよ」と丁寧に車椅子に降ろしてくれたガヴェインに、アリスは頭を下げた。
「ま、その怪力ぐらいですからね、ガヴェインの持ち味は。午前だからなおのこと調子がいいんでしょう」
「午後は調子が悪くなるんですか?」
「んなことねーけど、朝のが力入りやすいんだよなぁ。体質ってヤツだ」
そんな摩訶不思議な体質があるのかと疑問に思うアリスだったが、この世界は基本的にあっちの世界ではおよそあり得ない事象がいくつも「現実の事象」として起きている。今更理屈を求めたところで無意味だろうと追及を諦めた。
「ところでヘルシング卿、嬢ちゃん車椅子に乗せてどこ行くんだ? 良ければ俺、押してってくぜ」
「それは有り難い。では地下への階段の傍までお願いできますか? ついでに地下書庫にいるウサギさんに声をかけてもらえれば。大切なデートですからね」
「なっ、ヴァンさん何言って……!」
「あ、違いました。大切なお散歩でしたね」
「よく分かんねーけど承知した!」
「アリスさん、何かあったら大声で叫んでみてください。私は勿論、城にいる者が飛んで駆けつけますから。もっともその場合、私が一番遅れた到着になるかと思いますけど」
「わ、分かりました、叫びます」
「痛みが出たら周りに訴えてください。無闇に包帯を取らないように」
「はいっ」
「んじゃ行くぜ」
「お願いします」
ガヴェインに車椅子を押してもらい、改めて王宮の廊下の広さを実感した。
それに、壁には甲冑やら盾やら動物の頭部の剥製やら、結構それらしい物たちが飾られている。キョロキョロしながら時折「うわぁ」などと声を漏らすアリスに、ガヴェインは笑いながら問いかけた。
「見たことねーモンばっかだろ? 特に剥製なんかはよ、嬢ちゃんみてーな女の子はほっとんどがぎょっとすんだ。怖ぇか?」
「あ、いえ、怖いとはあんまり……それよりあの、鹿とか猪とか、本当にあの細い弓で仕留められるんだなって思うと、ちょっと意外で」
剥製を飾るのは何故だろう、と考える。動物が好きなのか、権威の象徴か、憐れみか、もしくは魔除けか。
ぼんやりしていたせいで、ガヴェインの話を聞き流していた。