手放せない(尽きない)執着
全て自分で選んだことだ。納得して、行動している。オズの計画にも、ハンプティの異常嗜好にも、興味はない。自分はただ、自分が生きやすく生きるために、彼らに従い、戦うのだ。
四肢を拘束されながらも足掻くカーレン。その足元に豆粒を一つ投げたジャックは、まるで彼女の身に起きた一部始終を見てきたかのように語りかける。
「アンタの痛みは大きかった。だから怒りや憎しみに変えるしかなかった。そして、抱いた負の感情のままに報復しちまったことで、今度は後悔と苦悩に呑みこまれそうになった」
「違う……」
「一般的な正誤を問われたら、自分の行動が断罪の対象になるって分かってんだ。だからオズ達の意のままに動く駒になることで、アンタ自身の意志を手放してる」
「うるさい……」
「けど反省や判断ってのは生きるのに必要な義務だ。永久に放棄して逃げ続けることなんて、出来っこねぇんだぜ」
「うるさいうるさいうるさい!!!」
拘束されているため耳を塞ぐこともできず、カーレンは狂ったように暴れる。そんな彼女を前にジャックは目を閉じ、投げた豆粒に手をかざした。
「俺はアンタを戻す。赤い革靴なんて機械に頼るんじゃなく、自分の足で歩いてみせろ。どう歩くかは、自分で考えろ」
「何、それ……やめて、やめてよ……私は、オズ様のために働くの。頭に言われたことをするの。この靴は、必要なの……!」
ジャックの意図を察知したカーレンだが、その訴えはジャックに受け入れられない。
「ここに還らん、在るべき両足」
「やめて!!」
カーレンの両足、ふくらはぎから下がライトグリーンの光に包まれる。数秒後、ゴトリという音と共に、赤い革靴を履いた義足が一組、地に落ちた。
「う、そ……嘘だよ……あり得ない、こんなの」
「俺は魔力保持者だ。科学じゃ起こせないことを起こすのが、魔法なんだ」
有限と保全の系統に属するジャックの記録魔法は、本来カーレンの肉体の一部として存在し、成長しているはずだった両足を、綺麗に復元した。あたかも、初めから切断などされなかったかのように。傷一つない自身の両足に、カーレンの震える指が触れる。熱を持っている、確かな肉体がそこに在った。
「……い、いやだ……うそ、うそだ……」
「その足じゃオズの駒なんて出来ない。アンタのこれからは、アンタが決めろ。捨てようとした心を生き返らせるには、それしかねぇんだ」
「いやあああああ!!!!」
カーレンの慟哭が響き渡る中、ジャックは背を向け走り出す。オズとの鎖は断ち切った。それでもまだカーレンがオズやハンプティの駒として動くことを選ぶのなら、今度は容赦してはいけないと、密かに決めて。
「ん?」
ふと、森の向こうから物凄いスピードで何かが接近してくる気配を感じ取る。それこそ、伯爵によって軍隊に取り囲まれた小屋から離脱させられ、単身で古王国シグナスに向かうフランケン・シュタインだった。
***
「一緒に森から転移してきたんだ! 無事で良かったぜ、嬢ちゃん達」
「それなんですが、実はそこそこピンチで……」
「ああ、分かってる。もう一人の側近がいんだろ?」
頷いてすぐ、アリスは繋いでいた彼女の手を、フランケンに託した。
「フランケン、ここで再会できてよかった。彼女はシグナスの王族みたい。で、この王国の呪いを解くには多分、彼女と彼女のセーターが不可欠。だから……彼女の示す目的地まで、彼女を守りながら向かって欲しいの」
「俺は構わないが、彼女の同意はあるか?」
そっと彼女の手を握るフランケン。アリスは彼女の目を真直ぐ見て、言った。
「ごめんね、今は貴女の同意があるとかないとか言ってる場合じゃないの。とりあえずさっきの暗殺者は私のいる方に来るはず。だから貴女のことは、貴女を誰より気にかけてるフランケンにお願いする。文句があったら溜めといて。後でいくらでも聞く!」
彼女は目を見開くばかりで、当然のことながら何も返さなかった。加えてアリスはフランケンに、彼女が(恐らく)セーターを指定枚数編み終わったこと、彼女の意志でこの城に来たこと、となれば目的地は上の階にあるはずだということを伝えた。
「ジャックさん、私たちはとりあえず庭園に」
「わーった!」
屋外へと走っていくアリスとジャックの背を見送ってから、フランケンは彼女をひょいと担いだ。
「上へ向かう。目的の階で俺の背を叩け」
壁の僅かな凹凸に指の先をかけ、登っていくフランケン。その服を握る彼女の手は、小刻みに震えていた。
「嬢ちゃん、奴は嬢ちゃんだけを追ってきたワケじゃねぇはずだぜ? 彼女をフランケンに預けてホントに大丈夫なのか?」
「私も彼女も戦闘力ゼロなんで、戦闘力ある人とツーペアの状態にしたかっただけです。仮にハンプティがフランケン処分を優先したとしても、秒殺ってことはないと思うので」
息を切らして立ち止まるアリスの首元に、クラウ・ソラスの光の粒が戻ってくる。つまり、ハンプティが『布』の拘束から解放されたということ。
「広い庭だし、どっかで息潜めてればやり過ごせるんじゃねぇか?」
「……いえ、あの城の中でもすぐ見つかりました。前に言ってた捕縛率100%っていうのもデマカセじゃないと思うんです」
アリスとジャックはもちろんそのままの状態で走っているのではない。ジャックの魔力で姿を周りの景色に同化させているため、透明人間状態になっている。普通に考えれば、目に見えない二人が広い庭園で息を潜めていれば見つけられるはずもないのだが……アリスは確信していた。ハンプティが本気を出せば、たちまち見つかってしまうに違いない、と。
「マジかよ……近付いてる?」
小声でジャックに告げられた情報にも、驚かなかった。そう、ハンプティは「二度目のハンデだ」と言っていた。この追いかけっこを愉しむつもりなのだ。戦闘の可能性がある以上、移動の段階でジャックの魔力を消費させるのは控えたかった。かと言って無闇に足音を立てるわけにもいかず、植え込みの後ろで呼吸を小さくする。無駄だと分かっていても。
「アーリースー、何処かなぁ? キミの走力だとこの辺で力尽きてるよねぇ?」
居場所が分かっているかのように、呼びかけてくる。捕まりたくない。話したくない。あの狂ったような笑みを、見たくない。体が震えているのは、恐怖か、怒りか。
「キミの身体能力から考えると、木の上ってことはないよねぇ?」
帰りたい。元の世界に帰りたい。自分がこの瞬間に帰っても、状況的にはマイナスにはならないはず。むしろ戦闘力ゼロの存在が減って、ハンプティの相手をジャックとフランケンで務められれば、勝率はぐんと上がるのではないか。伯爵のことは心配だけれど、きっと彼なら軍と真っ向から戦わなくても遠くに逃げることだって出来る。それに……地下森林に残してきたチェシャ猫だって、また案内役という役目から解放されて自由に生きられるはずだ。
帰りたい。どうして、どうしてフランケンの声は、アリスを呼んだのか。実際に会って話した今でも、全くわからないし見当もつかない。
「この辺かなぁ? ボクの大好きな、涙のニオイがするし」
頭の上から、ハンプティの声が降って来た。やっぱり彼のサーチ能力……常人離れした嗅覚や聴覚、状況分析力からは逃れられないのだ。ジャックの魔法で姿を見えなくしているから視線こそぶつからないが、ナイフを振り下ろそうとしているのが見える。
「痛かったら、悲鳴あげるよね?」
クラウ・ソラスを使うべきか、声だけ出さずに避けてみるか、いくつか浮かんだアリスの対策が実行に移される前に、ハンプティの足元からライトグリーンの光が発せられた。
「その者を沈めん! 底なし沼!」
「おっと」
彼が立っていた箇所に突如現れた底なし沼は、間違いなくジャックの魔法で生成されたものだった。
「嬢ちゃんの読み通りだな。しつけぇヤローは嫌われるぜ」
「知ってるよ?」
咄嗟の跳躍で底なし沼を回避したハンプティは、薄ら笑いを浮かべてジャックと向き合う。自分の透明化だけを解いたジャックは、視線をハンプティから逸らさないまま、アリスへの言葉を発した。
「聞こえてるよな、嬢ちゃん。俺がコイツ叩きのめすまで、声出さねぇで待っててくれよ」




