古王国シグナス ―秘密のかぎ針―
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ジャックにより転移させられた車は、アリスと編み物少女を乗せて森を抜けた先、西の方へと走っていた。自動運転で進む先に見えてきたのは、20メートルは軽く超えているような壁――アリスの感覚でいうと、10階建てのビルぐらいはあるような高さの壁。道路を挟んで並ぶ高層ビル群ですら圧迫感があるのに、ここまでビッチリと高い壁が並べられていると、倒れてきた時の逃げ場のなさを感じ、恐ろしくもなる。
「ここが、古王国シグナス……?」
着いたはいいが、どうやって中に入ればいいのか。確かにこの壁の内側で待機できたら、軍の攻撃は(一時的にでも)凌げるかも知れないが。
壁にぶつからないギリギリのところで車が停止し、アリスは外に出た。壁はだいぶ古くから立っているようで、至る所に植物の蔓が伸びている。ただ、並の植物では冷気と乾燥に耐えきれないのだろう、その先端は悉くひからび、枯れてしまっていた。
「入口があればいいんだけど……」
見上げると首が痛くなるほどの高さをもつ壁は、パッと見た限り研磨された石でできており、どこもかしこもつるんとしている。ほとんど凹凸がないため、仮に凄腕のロッククライマーがいても突破できるかどうか微妙なところだ。クラウ・ソラスに念じれば階段など作れるだろうか……と、考えてみたものの、数分で効力が切れてしまうので、ダッシュで階段をあがっても間に合わない気がする。
とりあえず壁に沿って車でぐるっと周ってみようと思い、アリスは運転席に戻った。すると、ちょんちょんと後ろから肩をつつかれる。
「何かあった!?」
勢いよく振り向いたアリスに、編み物の手を止めていた少女はビクッと体を震わせ、ぶんぶんと首を振った。そして、恐る恐る斜め左前を指差す。相変わらず一言も話さなかったが、彼女の瞳には常に真剣さ……というより、必死さが宿っていた。答えてもらえないことを知りながら、アリスは「分かった」と頷く。
「貴女は、シグナスの人なんだね」
ハンドルに手をかざし、車を発進させる。彼女はあと半分ほどで編み終わる袖をそのままに、食い入るように窓の外を見ていた。そして、壁に沿って数分進んだところで、勢いよく窓を叩く。
「ここで止まるの?」
アリスが車を停めると、彼女は持ち物を全て抱えて後部座席から飛び出す。
「待って!」
車が停まった場所から少し駆け戻ったところで、彼女は壁にへばりついている植物の蔓をつまんで払った。慌てて後を追ったアリスは、彼女が植物を退けたところに縦長のくぼみを見つける。よく見れば細かい溝が文様のように施されており、まるでそこには特別な細いペンでも入れなくてはいけないようだった。
「もしかして、鍵穴?」
アリスは彼女の手元を見る。と、彼女は握りしめていたかぎ針を縦長のくぼみに入れて、軽く押した。
カチャッ、
体温を奪う北風の中、小さく響いた錠の開く音。まるで石が生きているように形や向きを変え、くぼみの真横にこじんまりとしたアーチ型の入口が現れた。彼女はアリスの袖を引き、先に入るように促す。アリスが頷いて恐る恐る足を進めていくのを確認してから、かぎ針をくぼみから取り出し、後に続いた。
壁の厚みは5メートルほどで、すぐに古王国シグナスの街並みが広がった。エメラルドシティとは違う、どちらかというとキャメロットを思い出させる石畳の道。
ふと振り向くと、二人が通り終わるのを待っていたかのように壁にあった入口は閉じ、元通りつるんとした見た目の石になっている。そういう魔力が働くようになっているのかと思ったが、彼女がかぎ針を使って開けたことも合わせると、どうやらカラクリ仕掛けだと考えた方が適切らしい。
バターフライの「生体反応がない」という情報の通り、街には様々な店や民家が並んでいるが、人の気配は感じられなかった。声が聞こえないのはもちろん、足音や息遣いなどの潜んでいる気配すらもない。しかし、全く生き物がいないというわけでもなく、道端には所々美しい花々が咲いていた。チューリップやパンジー、タンポポなど、本来であれば温かい場所に咲くイメージだが、高い壁の外側にへばりついていた枯れかけの蔓とは違い、鮮やかな色とみずみずしさを保っている。壁に囲まれた王国とは言え、この冷気の中でも花はここまで立派に咲くことができるのか、とアリスは意外に感じていた。
「あっ、待って」
きょろきょろしながらゆっくりと歩くアリスを、彼女は追い抜かして真直ぐ進んでいく。今まで編んだセーターと、編みかけの一枚をギュッと抱えながら。アリスには、その瞳がこれまでよりも潤んでいるように見えた。帰郷の喜びをかみしめているのか、それとも……。
足早に進んでいた彼女は、(外観から考えて)喫茶店と思われる建物に入った。適当な椅子に腰かけ、机に荷物を置き、編み物を再開する。アリスも同じく適当に腰かけるが、どうにも落ち着いて座っていられなかったので、とりあえず気休めに通り沿いのカーテンを閉めた。
「一応、追手が来ても見つからないようにね」
返事はされないが、自分の行動の意図はきちんと伝えておく。ふと、アリスは気付いた。この店の中にもいくつか花が咲いている。外から種が飛んできたのだろうか。いや、タンポポならともかくチューリップは球根だったはずだ。何故、割れてもいない床に咲いているのか。何故、あんなに美しいダリアが……木で出来た丸椅子の上に咲いているのだろうか。
―「考えられる可能性は二種類。いずれも魔力が否定されるこの時代では笑い飛ばされてしまいそうな話だが……一つは、強い祈りを込めたまじないとしての行為。もう一つは、予期せずかけられてしまった呪いを解くための行為だ」
伯爵の推論を思い出し、アリスはもう一度、椅子の上に咲いたダリアを見つめる。
「この花って…………もしかして、」
編み物を続ける彼女の頬を、一粒の涙が転がった。
***
銃口と砲口は依然、小屋の前に立つ伯爵とフランケンに向けられていた。が、パイパーは追撃の指示をすぐには出さなかった。先程、手榴弾で吹き飛ばしたはずの伯爵の右手指が再生しているのを見逃さなかったからである。
「正真正銘の化け物だな」
「言われ慣れているよ。だが、その化け物の力を欲する君の主もまた、化け物なのでは?」
「オズ様の理想は我ら人類が全ての種族の頂点に立ち、叡智・資源・財産を保有する世界だ。貴様ら化け物を研究するのは、その力を人類に還元し、発展していくため」
「なるほど。たいへん聞こえの良い独占だな」
「いい加減に……その無礼な口を慎め!!」
パイパーの左手の平が藍色に光る。伯爵とフランケンの周りにいくつもの手榴弾が出現するが、フランケンは常人離れした反射神経で距離を取り、伯爵は黒い翼で爆発寸前のそれらを吹っ飛ばした。
地に落ちてから爆発した手榴弾に連動し、周辺の地雷も炎を上げる。小屋の正面には爆炎と砂煙が広がり、待機する一般兵の視界はほぼ利かなくなっていた。唯一捉えられたのは、飛びあがって屋根に着地したフランケンの姿。誰からともなく銃口を向け、発砲が始まった。
「あの怪物を仕留めろ!!」
「オズ様のために!!」
全ての銃弾が届くわけでもないが、当たった銃弾もフランケンに大きな損傷を与えるには至らなかった。それもそのはず、フランケンはオズが「不朽の肉体」を目指して創り上げた身体であり、耐圧・耐熱を誇る不飽和ポリエステル樹脂の表皮を始め、皮下には強度の高いポリカーボネート樹脂、柔軟なエラストマー樹脂など、軽量で丈夫な素材に覆われている。
「俺を壊すには知識不足だ」
憐れむようなフランケンの呟きは、伯爵の耳にだけ入る。その伯爵も、目の前で軍の指揮をとるペーター・パイパーに憐みを抱かずにはいられなかった。




