第二の追手 ―離脱開始―
「これで止血を」
「ありがとうございます」
黒いマントの端を破り、アリスの左手首に巻きつけた伯爵。同時に、クラウ・ソラスが光の粒となってアリスの胸元に戻り始める。
「魔法壁が解ける。ジャック君と車へ」
「はい。フランケンをお願いします! 絶対、また後で!」
「勿論だ」
笑顔で頷いた伯爵に背を向け、小屋の中へ戻ったアリスはジャックに伝えた。
「小屋の周り360度全部に、地雷が仕掛けられてます。フランケンと伯爵が軍隊の相手を。私たちは車で離脱します」
「んじゃ、地雷避けながら車まで走れりゃいんだな!」
ジャックは裏口のドアを開けて、豆を一粒放り投げる。
「ここに示さん、隠された罠!」
すると、放り投げられた豆から緑色の光の粒がいくつも飛び出し、埋め込まれた地雷に吸いつけられるように固定されていった。
「行くぜ嬢ちゃん! そっちの娘も!」
「はいっ!」
大きく返事をしたアリスは、「光のトコは踏まないようにね」とセーターを抱える少女に念を押し、ジャックの後に続いた。
ジャックは、少女がこれまでに編み終えていた十数枚のセーターを(恐らく魔法で)圧縮させて一つの手荷物にまとめた状態にしていた。それを握り直して、彼女もアリスを追いかけるように走り出す。
小屋の裏側を固めていた軍隊は、警戒しながらも銃口と砲口を向ける。
「止まれ! 止まらなければ撃つ!」
警告がされるが、三人とも止まるどころか走る速度を緩める気配も見せない。構わず手が振り下ろされ、銃撃が始まる。が、それより早くジャックは空中に豆を一粒弾き、詠唱した。
「彼らを囲まん! 灼熱の壁!」
アリス達に銃を向けていた軍人および、彼らの乗る戦車が炎の壁に囲まれる。視界を遮られた彼らは、駆けてゆくアリス達を目で追うことも叶わず、それよりもまず、突然現れた炎の壁に対してほとんどの者がパニックを起こした。
「燃える! 燃えるー!!」
「焼け死ぬぞ!!」
「どうやって逃げれば……!!」
あちこちからあがってくる混乱の声に気を取られ、アリスの走る速度がやや落ちる。それを察したジャックが振り返って告げた。
「大丈夫だ。ありゃあただ炎が上に向かって伸びてるだけ。アイツらが自分から飛び込まねぇ限り、焼け死んだりしねぇよ」
「そうですか……良かった」
荒野から林の中まで駆け抜けたアリス達は、ジャックが隠しておいた車に乗った。運転席にジャックが座り、助手席にアリス、後部座席に編み物少女。
「ちいっと運転荒れるからな、捕まっとけよ!」
「はいっ!」
ジャックがハンドルに手をかざし、車が勢いよく動き出す。
「とりあえず予定通り西に向かうぜ。後ろの嬢ちゃんも異論はねぇか!?」
ミラー越しにジャックと彼女の目が合う。彼女の視線には驚きが混ざっていたものの、異を唱える様子はなかった。というより、彼女にとってはこうして逃げている時間すら惜しいようで、抱えていた編みかけのセーターの袖を完成させようと作業を再開する。必死な彼女の姿を見て、ジャックは助手席のアリスに言った。
「嬢ちゃん、こいつは俺が昨日、夢ん中で師匠に教わった話なんだけどな」
「マーリンさんに……?」
「この森林を抜けて、更にずーっと西へ行った先にあんのは、シグナスっつー古王国らしい。えーっと確か、キャメロットよりも歴史は長くて、雪の女王を信仰してるそうだ。師匠がまだキャメロットの宰相を務めてた頃、国王アーサーの息子さんが初めて貿易条約を結んだとか」
「キャメロットとも交流があったなら、話を聞いてもらえるかもってことですか!?」
「いや、それが……現状、壁の内側から生体反応が感じられないって……これは、バターフライ伝いに聞いたんだけどよ」
「そんな……」
壁の向こうの、極寒の古王国――キャメロットよりも古い歴史を持ち、最近までその王政が続いていたというのなら、人々は寒さをしのぐ術をいくつも生み出しているはずだ。にも関わらず現在国内に生体反応がない……それはすなわち、寒さ以外の何かが国を追い詰めたのではないか。
「まずはこのまま向かいましょう。高い壁の内側に入れれば、軍を迎撃できるかも知れないですし」
「ああ」
「というかジャックさん、夢に出てきてくれたのって、マーリンさんの魂ってことですか?」
「実を言うと、細かいことは俺にもわかんねぇんだ。こう、時々魔力使う瞬間にさ、これ師匠の魔力だって感じる時があってな……。夢も、そんなハッキリとしたモンじゃなくて、師匠の姿を見て会話してるってよりは、記憶を見せられてるってのが正しいような……」
マーリンの魔力を受け継いだことにより、ジャックの身には不思議な変化が起きているらしい。アリスに分かることは、自分が今もなおマーリンに支援してもらっているということ。報いるためには、この窮地を切り抜けなければならないということ。
古王国シグナスに何があるのかは分からない。が、マーリンがジャックに情報を授けたことには、意味があるのだと思う。
「よし、このペースなら森を抜けるまでもうちょい……」
ガタンッ!
ジャックの言葉を遮るように、荷台から大きな物音がした。バックミラーを確認したジャックが、直後に叫ぶ。
「全員伏せろっ!!」
次の瞬間、三人が乗っていた車の屋根が、ごっそりと削り取られた。
「な、何……!?」
急激に身体を包み込む冷たい外気の中、アリスは伏せた状態のまま声をあげる。と、その耳に聞こえてきたのは、いつかの無感情な女の声だった。
「追いついた」
「こいつはまた……随分乱暴なお嬢ちゃんだな」
「カーレン!?」
両手に持った長い柄の斧で車の屋根を削ぎ落したのは、パイパーの軍隊とは別で動いていたカーレンだった。荷台に立った彼女は、右手の斧をジャックに向け宣言する。
「魔力保持者、捕獲する」
「なるほど、あくまで目的は俺ってことか」
「うん。他は興味ないから……死んでいいよ」
言いながら左手の斧を振り上げ、後部座席でセーターを抱える少女に振り下ろすカーレン。
「ダメ!」
「させねぇ!」
ジャックがパチンと指を鳴らすと、荷台から豆の蔓が伸び、カーレンの四肢を固定した。
「ふぅん、これ、魔法の車なんだ」
「生憎お嬢ちゃんに構ってるヒマはねーんだ、切り離させてもらうぜ」
再び指を鳴らすジャック。と、荷台だけが緑色の光を放ち、上に立っていたカーレンごと車から分断された。




