半透明な感情(敵意)
「伯爵すごいです! 私、その推察は正解に近いと思います! 何にせよ彼女は、心から強く願っていることがあって、あんな状態になりながらも作業してるってことなんですよね」
これまで何度も話しかけているフランケンに彼女が応答しないのにも、それ相応の理由がある気がしていたアリス。伯爵の言うような呪術絡みの理由があるのなら、納得できる。
と、そこに、二階からフランケンが降りて戻って来た。
「待たせたな。話の続きをしよう」
「彼女は落ち着いたの?」
「ああ。やはり体への負荷が相当蓄積していたらしい」
そう告げるフランケンの瞳は、心なしか寂しげに見える。一方でアリスは、彼女が倒れた原因は栄養失調と睡眠不足がもちろん大部分を占めているだろうが、精神的な疲労も要因の一つとしてあるように感じていた。
「フランケン、貴方の話から私たちが推測できるのは、その編み物が呪術的な何かかもしれないってこと。つまり……彼女が言葉を交わそうとしないのって、したくてもできないだけなのかも」
アリスの意見を聞くと、フランケンはやや視線を落とした。
「だとすれば、俺は待機するほかない。何枚仕上げれば完了であるかは不明だが」
「うん……それでね、私も思ったの。やっぱりオズの言う通りに、貴方を罰することはしたくない。けど、数日以内には軍隊がこっちに来ることが決まってる。だから、ここを離れよう」
「正気か!? 嬢ちゃん、オズに逆らったら……」
「オズに従ってても、私は元の世界に帰れないと思うんです。だったら、それらしい選択肢を選びます」
「お前は、何処から来た?」
「ここよりもっと、現実的な街。魔法がなくて、言葉が通じるのは人間同士だけっていう、そんな世界だよ」
アリスはゆっくり瞬きをし、元いた世界に思いを馳せる。家族がいて、友達がいて、テストがあって、テレビとネットで情報に溢れてて……――
「ならばお前にとってこの世界は、現実的でないのか」
フランケンからすればその返しは、極めて論理的な返しだったのだろう。アリスが元いた世界が「現実的」ならば、こちらの世界は「現実的でない」という、いたって普通の考え方。それでもアリスの胸中には、細かな波紋が広がっていった。
以前、この世界にトリップしてきたことを受け止められなかったアリスに、チェシャ猫が言った。
―「君の五感で知覚できない事象でさえ起きてしまった『現実』なんだから、目の前で起きたと知覚できた事象はなおのこと『現実』として捉えざるを得ないじゃないか」
元の世界にも知らないことがたくさんある。流氷が融けてるとか、砂漠化が進んでるとか、人口爆発とか、紛争とか、ニュースで見るあれこれは事実なんだろうけどイマイチ「現実味」がない。きっと、この世界で体験してきたあれこれも、例えば学校で友達に話せば現実味のない「夢物語」になってしまう。
「…………そうじゃなかった、私にとってはこっちも現実。信じられないことが多いけど、こっちで過ごした日々も、関わってる人たちも、すごく大切」
真直ぐにフランケンを見つめたアリスは、自分を鼓舞するように口角を上げた。
「私はね、なりゆきで勇者って言われてるけど、ホントは何でもない普通の高校生なの。力も知恵も足りないし、魔力もないの。けど目の前に転がってる疑問は解決したいし、そのために考えることは惜しまない。そこに全力を尽くすことは、約束できる」
「勇者、アリス……架空の存在だと歴史書にあったが」
「そう。本来この世界にいるはずない、架空の存在。それが私で、今回は貴方に呼ばれて世界を飛んできた。フランケン、一緒に答えを考えよう」
「考えるには時間が必要だ。アリス嬢の言うように、軍隊が来ると分かっている以上、この小屋に長居するのは賢くない」
「上で寝てる彼女が心配だってんなら、俺が作った車に一緒に乗せてきゃいい」
アリスの提案に続けて加えた伯爵とジャックを見て、フランケンは目を丸くした。自分に協力的な意見が出て来たことが意外だ、という表情で。
「俺に対する敵意はどうした」
「は? ……あのなぁ、お前も創られたとは言え『人間』だろ? 感情ってのはゼロかイチかじゃないんだよ、覚えとけ」
大きく溜め息をついたジャックは立ち上がり、奥のソファに寝転がった。
「嬢ちゃん、出発のタイミング決まったら教えてくれよ。ちょっとでも仮眠取って、魔力回復しときてーからさ」
「えっ、はい、わかりました」
ポカンとしながら答えるアリス。こちらに背を向けて寝に入るジャックの姿に、伯爵は少し笑った。
「フランケン、ジャック君の言う通りだ。君が求めている答え……すなわち彼女が視線に込める何らかの『感情』には、様々な要素が混在している。彼女の回復と、編み物の完成を待とう。少なくとも私は、君が私の大切なアリス嬢に危害を加えない限り、君に協力できるからね」
「立場、というものか」
「その通りだ」
大きく頷いた伯爵は、今度はアリスに向けて言った。
「さて、我々も仮眠を取ろう。明朝には出立しなければなるまいし、今日は長旅で疲れただろうからね」
「隣の部屋を片付ける。数分待ってくれ」
「あ、ありがとう、フランケン」
フランケンが退室したのを確認し、アリスは伯爵に尋ねた。
「伯爵、あの、エメラルドシティと、キノコの森付近の様子はどうでしょうか? オズは、まだ動かないでいてくれてますか?」
「ああ。どちらも変わりない。キノコの森付近には何かが接近する気配もないよ」
「良かった……」
「……アリス嬢は、変わらず心優しいね」
「そ、そうでしょうか」
突然褒められたアリスは戸惑うが、伯爵は微笑んでその頭を撫でる。
「以前と同様に、君の判断は心優しく、勇敢だ。私はね、君の命が狙われなくなるのであれば、オズの指示をすぐに遂行しても良いと思っていた。けれど君は……」
「ダメなんです、それじゃ」
伯爵の言葉を遮り、アリスはぎゅっと拳を握る。
「オズと話して、本当にすごい人だって思いました。あの洞察力っていうか、頭の回転の速さには、どうやったって敵わないって感じて……それで、条件付きで従うことにしたんです。一応、従えばフランケンに会うための近道になるとも思ってそうしました。けど、それだけじゃなくて……」
ゆっくりと伯爵を見上げる。不思議そうに見つめ返してくる伯爵に、アリスは真直ぐ告げた。
「私、嫌でした。伯爵が、オズの実験材料にされるの」
前に来た時に無償で力を貸して助けてくれた伯爵。女性の血が最高の糧になると知りながら、女性を怖がらせる化け物にならないように足掻き続けていた伯爵。人間としての理性を持つ彼を、躊躇いなくモルモットにしようとしていたオズから、何とか引きはがしたかった。
「伯爵がいつも私の味方をしてくれてるように、私もそうしたいと思って……その、ちゃんと力になれるかは微妙なトコですけど」
「……困ったな」
「え?」
首を傾げるアリスの前で、伯爵は自分の顔を手で覆った。表情はほぼ隠れているものの、滲み出ているのは喜びの雰囲気。
「アリス嬢、私はね、カーミラの力と性質を受け継いだ時に覚悟したんだ。もう二度と、私を一人の人間と同じように扱い、接してくれる存在には出会えないだろう、と。それを君は……こんなにも簡単に覆してくれて、本当に、私は幸せ者だよ」
「私だけじゃなかったと思います。ヴァンさんや、キャメロットの皆さんも、きっと」
「ああ、その通りだ」




