(不平等な)立場と(無作為な)事象
この世は、不平等に出来ている。十五、六の頃のことだ。その手の格言は昔からあると知っていたくせに、一種の御伽噺または都市伝説のように捉えている自分がいた。
また愚かなことに、十八になった頃に留学先で落馬し、大手術を経験してからしばらくの間も、その認識は変わっていなかった。
落馬によって自身が負った損傷は酷かったものの、下宿先のご婦人が連絡をとってくれた病院で、評判の良い医者に診てもらった。その街一番の腕を持つ執刀医についてもらい、完治を約束された。
しかし、運命は思わぬ方向へ転がっていく。留学先から帰ってすぐ、両足と左腕――手術をされた部位――に違和感と、妙な痛みが湧いてきた。些細なものだったため無視できないこともなかったが、念のため、エメラルドシティの大病院で診てもらうことにした。名医でありながら天才発明家とも謳われるオズ・シュタイン博士を一目見たかったというのもある。
そしてそこで、たった二言の受け入れがたい診断をくだされた。
―「壊死だ。切断しなければ広がる」
この世の生きとし生ける全てに等しく起こりうる「不平等」を、さもフィクションであるかのように、自分にはおよそ縁もゆかりもない代物だと驕っていた。だから、当然ともいえる報いを与えられた。その瞬間に初めて、あの都市伝説じみた格言が、この世の真実であると知り、己の愚かさを嘆き、悔やんだ。
―「どういう、ことですか……? 俺は、ちゃんと手術を受けて、こうして、」
―「取り寄せたカルテには落馬とある。相当おかしな向きにひんまがったようだな。端的に言えば、術後、本来あるべき血流が失われた。よって現在、君の両足と左腕は末端から壊死し始めている」
―「そ、それじゃあ、もう一度手術をするんですか!? そうすれば……」
―「まあ、命は助かるだろう。ライフスタイルは大きく変わるが」
もう一度手術をすれば、全てが元に戻る……そう、思いたかった。縋るような願望を、名医オズ・シュタインは一刀両断した。
―「壊死は既に複数見られる。どの医者も君に車椅子生活の覚悟を迫るさ」
―「そんな……どう、して……」
恵まれていたはずだった。留学までさせてもらって、フェンシングだけでなく乗馬も覚え、人間として一回り大きくなって帰って来たはずだった。一体何故、どこで、道を間違えたのか。たかが落馬で両足と片腕をいっぺんに失うなど、聞いたことがない。
嘘だ。不平等だ。自分だけがこんな目に合うのは、間違っている。
―「どうして、という問いへの答えならあるが、必要か?」
―「……へ?」
オズ・シュタインには、まるでこちらの心の内が見えているようだった。だがあくまで同情せず、共感もせず、憐みを向けることもなく淡々と、診断結果を告げるように語る。
―「落馬で打ち所が悪く死に至ることはざらにあるが、手術後に壊死という事例には私もさほど多く出会っていない。よって、思うに君は、もう少し入念な下調べをすべきだったのだろうな」
―「下調べ?」
―「例えば君が、亡き祖父の大切な形見である懐中時計を持っていたとして、ある日突然それが時を刻まなくなった場合、どのような人物に直してもらいたいのか。……少なくとも、隣町の調律師ぐらいまでは調べるはずだが」
取り上げられたたとえは大変明確で、オズが何を言わんとしているのか、すぐに把握できた。
―「まして、一点物の『人体』だ。どうして自ら吟味することを怠ろう?」
怠ったつもりはなかった。が、紹介された病院と医師に委ねることが最適だと思い込んでいたことは確かだった。最善を尽くす、という行為とは程遠い判断だった。一刻も早く元の状態になっている視覚的な安心が欲しかったのだ。
こんな状況になった原因が自分にもあると気付かされた瞬間、とめどない後悔に呑みこまれると共に、両足と左腕を切断しなければならない運命に恐怖を抱いた。
―「…………俺は、もっと大きな人間になりたいんです」
零れ落ちる本音に、オズは耳を傾ける。
―「貴方ほどじゃなくていい。足元にも及ばないことは俺が一番分かってます……。けど、この国や社会に、世界に、貢献したんだって、爪痕を残したいんです……」
―「両足と左腕がなくとも、名は残せる。むしろ残しやすいのではないか?」
―「我儘なことは重々承知しています! ですが……オズ博士、どうにか、五体満足なままでいられる方法は……無いのでしょうか……。どんな方法でも構いません! お金が足りなければ俺の渡せる限りの物を対価として払います! だから、だからどうか……こんな不平等、耐えられません……!」
この世は、不平等に出来ている。同年代の若者がそれぞれの人生を謳歌する中で、自分だけが五体満足で生き続ける権利を失うなどと、誰が想定するだろうか。
歯を食いしばっての懇願に対し、オズは「やれやれ」と肩をすくめた。
―「無作為と不平等とは異なる。不平等というのは、同じプロセスを踏んだ上での結果に相違が出ることだ。よって、現在の君の境遇に当てられるべき言葉ではない」
オズの言葉の正しさは、傷口に塗られた塩のようにしみる。
―「試験で同じ点数を取っても評価に優劣がつくこと、同じ条件下で同じ量の職務に励んでも給与に差があること……そんな、感情で左右される社会の在り方こそ、『不平等』という表現に相応しいと思うが」
受け入れるほかないのか、オズの言うところの「無作為」な運命を。
―「ところで、君に二つ質問がある」
―「はい、何でしょう……」
―「一つ。仮に私が特別な処置にて君の望みを叶えた場合、金銭の不足を何で補うつもりだ?」
―「え……?」
―「二つ。仮に君が金銭の不足を私への忠誠で補わんとする場合、背信行為が未来永劫ないと、君はいかにして証明する?」
***
「まったく……こちらの暗殺者を手玉に取るとは、なかなか手強い魔性の女だ」
初めて対面した時と同様に、アリスは両手を後ろで縛られ、大理石の床に座らされていた。正面の高そうな椅子に座って見下ろしてくるオズに対して、深呼吸をしてから一言返す。
「私は、貴方に話があっただけ」
手玉に取るだなんて冗談じゃない。あんなヘンタイ、こっちから願い下げだ。あの状況でチェシャ猫からハンプティを遠ざけるためには、自分が「オズへの土産」になるしかないと思っただけだった。
「その話に聞く価値はあるのか? ……いや、質問を変えよう。お前には今、見せしめに処刑される魔法具保持者としての価値しかないが、その話には、お前を生かしてまで聞く価値があるのか?」
「聞かずに処刑か、聞いてから処刑か、どっちかなんでしょ? だったら今、ココで言う。貴方はマーリンさんが邪魔だと言っていた。けどマーリンさんにはもう、貴方の地位を脅かすほどの魔力なんてない」
人を小馬鹿にしたようなオズの表情が、真剣味を帯びる。その様子を前にして初めて、アリスは自分の話題選択が間違ってなかったのだと思えた。




