開錠 ―古城制圧―
それでいい……アリスの目的は達成された。彼女たちに活力が戻ったのは、オズの助けが絶対に来るという確信の表れだろうから。
アリスが自分を納得させた、その時。
「ちょっとお人好し過ぎないかい?」
「えっ?」
しばらく聞けないと思っていた声が上から降ってきて、咄嗟に顔を上げる。天井付近の割れた窓に、人影が一つ。逆光が作り出すそのシルエットには、間違えようもない猫耳が。
「コレだけで開くかな?」
ガシャンと錠の外れる音がして、彼は鉄格子伝いにスタントマンのように降りてきた。シュタッと着地してから、牢の扉を引く。
「あれほどやめろって言ったのに勝手に俺のこと庇って、こんな辺境の地まで拉致されるなんて、君は本当に手のかかる勇者だよ、アリスちゃん」
「チェシャ……」
希望が見いだせれば、身体は動く。ひどい疎外感に襲われていたアリスの心は、一瞬にして貧血さえも忘れるほど前向きな状態に戻っていた。パッと見る限り、伯爵に噛まれた無数の傷は消えている。血だらけだった服も元通りになっているということは、マーリンが魔法でチェシャ猫を戦闘前の状態に復元させたのだろう。
だが安心したのも束の間、アリスと共に収監されていた四人の女性は、獣人のチェシャ猫の登場によって攻撃性をいっそう高めた。
「獣人まで連れて、この女、紛れもなく反逆者だよ!」
「吸血鬼にやられちまえばいいんだ!」
「いい加減にしてくれないかなぁ?」
わざと大きめの声を出し、チェシャ猫は彼女たちをギロリと睨む。
「誰のおかげで鍵が開いたと思ってるんだい? 俺が迎えに来たのはアリスちゃんだけであって、君達の安否には興味ないんだ。慎んだ言動を心がけなよ、この牢に取り残されたくないならさぁ」
「ちょっとチェシャ……」
「俺は勇者じゃないからね、アリスちゃんほどお人好しじゃないし、そう振る舞う必要もないよ」
「この人たちがどうするかは、この人たちに任せよう。牢から出れたって、まだ吸血鬼に襲われる可能性があるんだから……」
自分で口にして、ハッと気付くアリス。
「あ、あの、出来ればこの城から全速力で逃げてもらえませんか? 伯爵は私とチェシャが引きつけます。カーレンも、早く助けに行かなくちゃ」
「カーレン?」
「もう一人いて、今さっき伯爵に連れて行かれちゃったの。かわるがわる吸われてるって話で……」
「なるほどね、どうりでこんな簡単に侵入できたワケだ。じゃ、行こうか」
「うん」
アリスとチェシャ猫は牢を出て、伯爵のいる別室へと向かった。
古城の廊下には、繁栄していた頃の名残であるかのように細かな装飾が施された燭台が並び、壁紙や絨毯も高価な物だったことが窺えた。
だがそれらは今、余計に恐怖心や緊張感を煽ってくる。覚悟を決めなくては、と走りながら自分を奮い立たせるアリスに、チェシャ猫が言った。
「近いよ」
「この辺の部屋?」
「恐らくね。ま、俺が察知する数秒前にはもう、こっちの動向は伯爵に感知されてんだろうけど。警戒はしておきなよ」
「うん。……あっ」
注意深く周囲を見回していたアリスの目に、キラリと光る物がとまった。近付いてみるとそれは、先ほどカーレンに見せてもらった、彼女の祖母の形見だというブローチ。
「ここに落ちてるってことは……」
「間違いなさそうだね、伯爵はこの部屋にいる」
両開きのドアのぶを、片方ずつ握るアリスとチェシャ猫。いくよ、と確かめるような視線を向けるチェシャ猫に対し、アリスも覚悟して頷いた。
バンッ、
勢いよく開けたドアの向こうは、割れた窓から差し込む日光以外、明かりのない部屋だった。すぐに室内をぐるっと一通り確認したアリスは、窓際にうつ伏せで倒れている少女を見つける。
「カーレンっ!」
アリスは咄嗟に駆け寄って、気絶しているカーレンに呼びかけた。意識は取り戻さないものの、かろうじて息はしている。ホッとするアリスだったが、不意にその横の影が揺らいだのを、チェシャ猫は見逃さなかった。吸血鬼は、部屋の暗い部分にその身を隠していたのだ。日の当たる場所にカーレンを置き、囮にして。
危ない……そう叫びかけた自らの口を、チェシャ猫はグッと噤む。あの草原での時と同じような道を辿ってはいけない。今、自分がやるべきことはアリスを庇って伯爵に噛みつかれることではない。飛び出そうとする足を止め、腰のベルトに装備していた特殊な銃を手に取った。
「休憩時間だよ、伯爵サマ」
バーンという音がした直後、装填されていた注射器は見事、アリスを捕まえようと伸ばされた伯爵の腕に刺さった。
「――――――――ッ!!」
声にならない(悲鳴のような)叫びをあげる伯爵。しかし一方で、痛みを伴いながらも体中の膿を全て吐き出していくようにも見えた。その証拠に、叫び終わった後の彼は、脱力したかのごとく静かに、あるいは眠りにつくかのごとく安らかに、仰向けに倒れたのだった。
「伯爵……?」
「強制的に力を抑えさせる薬を打ったんだ。しばらくは起きないよ、多分」
「チェシャ、それ、いつの間に?」
「マーリンが持ってたから借りてきた、お医者サマの遺品」
「ヴァンさんの……。でも、ちゃんと効いてるの? 古くなってたりは……」
「大丈夫じゃないかい? マーリンのことだから、記録魔法とか使いながら、劣化しないように保管してただろうし」
「そっか……。あっ、カーレン!」
未だ気絶した状態で床に横たわっているカーレンの肩を、アリスはそっと揺らす。
「……うぅ、アリス……?」
「良かった! 気が付いた!」
「私……血を吸われて……」
「もう大丈夫だよ。あとは私たちに任せて、しばらくココで休んでて。他の人たちも逃げたと思う。だからカーレンも、動けるようになったらちゃんと家に帰るんだよ」
「おうち……?」
「家族はいないって言ってたけど、カーレンの周りには、カーレンが居てくれて良かったって思ってくれてる人がいるはず。だって、他の人を庇って自分から血を吸われに行くなんて、なかなか出来ないから」
アリスの言葉を聞いて、横になったままで首を動かすカーレン。その視界に、気絶した吸血鬼とそれを背負おうとするチェシャ猫の姿をとらえ、信じられないという表情で、小さく笑った。
「うそだ……オズ様より先に……こんな、こと」
「ほら、俺達もとっとと帰るよ。オズの討伐軍だって向かってるみたいなんだからさ」
「あ、うんっ!」
急かすチェシャ猫に頷いたアリスは、カーレンの手に先程拾ったブローチを握らせた。
「じゃあ、元気でね。これ、さっきあっちで拾ったの。大事な形見でしょ?」
「ありがと。…………だけど、帰れないと思う」
「え……?」
お礼を言った直後の、少し冷えた声。アリスは反射的に肩を震わせ、カーレンの顔色を窺う。彼女の発した「帰れないと思う」というのは、まるでアリス達のことを言っているようで。そんな違和感を芽生えさせたのは、金色の前髪の向こうに光る、カーレンの鋭い眼光だった。
「だって、もうすぐ迎えが来ちゃうから」
「アリスちゃん、早く」
「あ、うん。分かってる……」
不安を拭いされないまま、アリスはチェシャ猫の後に続いて部屋を出た。カーレンのあの様子は一体……迎えが来ちゃうなんて表現をするのも、何だかおかしい。だが今は、オズの討伐軍と鉢合わせしないように早くこの城から離れれなければ。
そう考えたアリスに、チェシャ猫がふっと質問を投げる。
「ねぇ、あのカーレンって子、何者なんだい?」
「何者って……どういうこと?」
「牢にいた四人は農村から連れて来られたんだって、身なりを見てすぐ分かった。けど、アレは違う。多分、ただの村娘じゃない」
それでチェシャ猫は、いつも以上にアリスを急かしていたらしい。薬の作用で眠りに落ちている伯爵を背負いながら、更なるトラブルに巻き込まれるのは避けたかったのだろう。
 




