大きな(小さな)一歩
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地下森林、マーリンの隠居庵にて。エメラルドシティ工場地区で出会った怪物について、アリスはマーリンに話していた。
三メートルを超える巨体であること、カーキー色の皮膚で縫合痕だらけの顔だったこと、鋼の牢も壊す腕力や、瞬時に間合いを詰めてくる脚力を持つこと、そして……彼の声に聞き覚えがあること。
「では、アリス嬢は、今回ご自分を呼んだのはその怪物であると?」
「多分……」
「だったら話は早いじゃないか。あの怪物に接触して、要望を聞けばいい」
「チェシャ! あの、ジャックさんは?」
二階から降りてきたチェシャ猫は、マーリンの向かいに座ってから答えた。
「命に別状は無いよ。余程日頃から鍛えてるんだねぇ。驚くべきことに、外傷は軽いからほぼ問題ない。消耗が激しかったのは魔力の方だね。全快には二、三日かかるかな」
「そんなに……」
俯くアリスが責任を感じているのを汲み取ったのだろう。マーリンが「ご自分を責められますな、アリス嬢」と優しく呼びかける。
「でも、私があの時、騒ぎを気にしたせいで」
「無事に帰って来れた、充分ではありませんか。間違うことも、それを悔やむことも、生きていれば当然起こりましょう。そういった経験は、在って良いのです」
「マーリンさん……だったら、私は……」
「ええ。勇者としての貴女の姿勢は正しい。断言しましょう。大切なのは、間違った経験や悔やんだ経験を糧にするために、考えることなのです」
「アリスちゃんがくよくよいじけたところで、お弟子サマの回復が早まるワケでもないしね」
チェシャ猫の言い回しはいつも通り嫌味ったらしかったが、アリスは背中を押されている気がした。
マーリンの言うことも理解できる。「こうすれば良かった」だけではダメだ。「次はこうしよう」と動き出さなければ、汚名返上も何も出来ない。
「既に、アリス嬢には考えがあるのでは?」
「はい。あの怪物にもう一度会って、ちゃんと話をしなくちゃいけないと思います。だからそのために、事前に集められる情報は知っておきたいです」
「なるほどね……でも、俺もお弟子サマもアイツは初めて見たし、マーリンだって知らなかったんだろ?」
「考えがあるの。みんなが知らないことでも、きっと知ってると思う……ワイズ・ワームさんなら」
マーリンは少し目を丸くしてから、大きく頷いた。
「名案ですが、かの場所へ行くには少々遠い。私が転送いたしましょう」
「えっ、けどマーリンさん、無理したら……」
「ではこうしましょう。往路は私がアリス嬢お一人を転送する。復路は森番殿がお迎えに」
視線を送られたチェシャ猫は、「俺は別にいいよ」と頭の後ろで手を組む。
「アリスちゃんが転送されるのとほぼ同時に出立すれば、向こうで話が終わる頃には着くと思うし」
「そうと決まれば早速、我が友ワイズ・ワームの所へお送りしましょう。と、その前に……アリス嬢、宜しいですかな?」
「え?」
目をパチクリとさせたアリスに、マーリンは杖を向けて詠唱した。
「復元せよ」
すると、アリスの周りの物がどんどん大きくなっていき……彼女は気付く。自分が急激に縮んだことに。バターフライの羽をかじった時と同じだった。
「うわぁ、うっかり踏んじゃいそうなサイズだね」
「こ、怖いこと言わないで」
チェシャ猫のトパーズ色の瞳も巨大に感じて、反射的に後退りをする。
「さて、これで我が友と話ができましょう。アリス嬢、この魔法がもつのは今からきっかり2時間。効果が切れるまでに、必要だと思われることは残らず聞いてくるのですぞ」
「はい。あの、本当にありがとうございます」
「どうしてアリス嬢から礼を言われることがありましょうか。私の魔力回復が早まったのも、魔法を信じる貴女の到来あってこそ。ご助力できることは、光栄の極みというもの」
「私も、マーリンさんのお力になれているのなら嬉しいです」
「じゃ、向こうで合流するまで大人しくしてるんだよ、アリスちゃん」
「何よソレ、私は別に自分から戦ったりとか……」
口を尖らせるアリスに、わざとらしく大きなため息を吐くチェシャ猫。
「君にとっての不条理な展開が唐突に訪れたとしても、ってこと。誰彼構わず無闇に反発して危機的状況創り出すの、ナシだよ」
覚えがない、と反論したいのは山々だったが、残念ながらアリスには心当たりがあった。言い方はともかく、チェシャ猫の危惧は的を射ている。少しの悔しさを抱きながら、小さく頷くほかなかった。
「それでは転送いたしますぞ。くれぐれも、お気をつけて」
「はい、お願いします」
小さくなったアリスの上で、マーリンは杖を一振りした。
緊張でぎゅっと目を瞑っていたアリス。その嗅覚を草花の香りに刺激され、また、全身を強めの風が包む。
ハッとして見回せば、右手側数メートル進んだ所に、見覚えのある切り株。転送魔法の凄さを実感しながら、アリスはその切り株に駆け寄った。
「ワイズ・ワームさん! バターフライさん! いませんか?」
切り株の上に向かって呼びかけるが、応答はない。以前アリスがここを訪れたことにより、オズに見つかって捕まってしまったのだろうか……そんな不安を抱いたアリスの上方から、小さな声がした。
「レディ・アリス、またいらしたのですね」
「バターフライさん!」
「初めて貴女に会ってからまだ三日だというのに……いけませんね、とても長く感じていました」
「私も……すごく時間が経ったように感じてます。あの、ワイズ・ワームさんはお元気ですか? 実は、聞きたいことがあって」
「オズの追手を攪乱するため、我が子は短期で拠点を移すのです。さぁ、乗りなさい。案内しましょう」
「ありがとうございます」
バターフライに連れられて、しばらく飛んで移動したアリス。降ろされたのは、パンジーの咲く一帯だった。その中の一輪、咲きかけの蕾から、黄緑色の頭がゆっくりと出てくる。
「大変喜ばしい。小生が蛹となる前に再会できたこともさることながら、君が小生との邂逅に意味を見出したこと」
「ワイズ・ワームさん、お聞きしたいことがあって来ました。私、エメラルドシティで怪物に出会ったんです。人間だったかも分からないんですけど……三メートルくらいあって。けどあの声、私をこの世界に呼んだ声でした。だからもし、知ってたら教えて欲しいんです! アレが、何者なのか」
勢いのままにつらつらと訴えたアリスは、「すみません」と口を噤んだ。ワイズ・ワームは「構わない」と返し、キセルを取り出す。空中に漂う桃色の煙を見ると、不思議と深呼吸をしたように脈と思考が落ち着いて来た。




