それはこちらの台詞です
意識を取り戻してすぐ、状況を把握するために私はキョロキョロと周囲を見渡した。頭がぐわん、ぐわんと揺れて焦点が定まらないが、どうやら私は倒れてベッドに運ばれたようだ。
華美な調度の寝台から身を起こしながら、私は今しがた見た、やたらとリアルな走馬灯のような光景を思い出した。
う~んと伸びをした。それから落ち着くために床頭台の上の水差しに水を注ぎ、ぐいっと一気に飲み干した。その時、私が思ったのは、「これ、だめなやつだ」ということだけだった。
侍女を呼び、父親に宛てた手紙を急ぎ届けるようにと頼む。
侍女が部屋から出ていった後、私は全身から血の気が引いて、体温が奪われるのを感じた。
双子の妹のレーシーは私と家族の世界の中心だった。私はこの家では影の薄い存在だ。
家族での避暑地旅行に出掛けた時なぞ、寝過ごしたために別荘に置いて行かれたことがある。その時も誰一人、家に着くまで私の存在を忘れたことに気づくことはなかった。
夜会では壁の花と言うよりも壁と同化するあまり、今までに殿方やご令嬢方に声をかけられたことはない。
私の名前を呼ぶ時はいつも「レーシーの~」という形容詞が頭につく。顔見知りだと思っていた相手の知人に紹介される時、私の名前が出てこず言葉に詰まられたのは涙なしには語れない思い出だ。今でも知人の名前は忘れないし、末代まで祟ってやろうと思う。
私の不幸自慢になってしまったが、話を戻そう。先程までの私にとって、大袈裟な言い方になるが、レーシーは自慢の妹であり、小さな家族という名の箱庭の中心だった。今もある意味では重要人物には違いないが…。
妹のレーシーは今年16才、ストロベリーブロンドに深い湖を思わせる瞳、薔薇色の頬に陶器のような肌のとんでもない美少女に成長していた。対する私はよく「双子なのに」と揶揄されたものだ。当時は落ち込んだものだが、今の私にはどうしようもないことなのだとわかる。
話が脱線してしまったが、我々は今、窮地に立たされている。全ての諸悪の根元は妹にある。彼女は薮蛇をつついてしまった。絶対に起こしてはならない魔物を呼び起こしてしまったのだ。
私が広間に戻ると、既にそれは始まっていた。あぁ、間に合わなかったか。
「ヴィヴィアンヌ=ライト公爵令嬢、お前がレーシー=パレット男爵令嬢にした数々の嫌がらせ、既に調べはついている。まさか貴方がここまで恥さらしな事をされるとは…残念だよ」
壇上で見目麗しい男性が、妹の華奢な肩を抱きながら、どや顔で群衆の中心に立つ一人の令嬢に向けて宣った。取り巻き達も令嬢に向かって冷たい視線を向けている。彼らを遠巻きに見る周囲の視線はどこまでも冷ややかで、倦怠期の夫婦も真っ青というくらい冷めきっていた。
王子のつらつらと流れる口上に私は思わずため息が漏れた。別に感心したからではない。その鈍感っぷりはある意味では感心に値するかもしれないが。
ダメだろ、こいつ。鼻の下が完全に伸びてるし、口では立派なことを言いながらも目線は妹のうなじから胸にかけての美しい稜線に釘付けだ。そのようなドレスを着ている妹も妹で計算高く、あざといが。
「恥さらしも何も、私には身に覚えがありませんわ」
ヴィヴィアンヌ様はとんだ言いがかりだと言わんばかりに堂々と胸を張り、鼻で笑い飛ばした。そりゃそうだ。彼女は何もしていないんだから。学生という身分にありながら后教育、執務に追われる彼女にそんな時間はなかった。
それは群衆も知るところであり、壇上のバカ共を見る視線は更に冷ややかなものになっている。私もそのバカ共の中に身内がいなければ正直、スルーしたかった。心の中でヴィヴィアンヌ様にジャンピング土下座をかましつつ、レーシーの頭を何度も手で押さえつける。実際にはそんなことはできるはずもないのだが。
「白々しい。とぼけるつもりか?」
「知らないと申しているのです。私がやったという証拠はあるのですか?」
論より証拠を示せ、というヴィヴィアンヌ様の言い分に待ってましたと言わんがばかりに王子は得意気に口の端を歪めた。
「これが証拠だ」
王子が出したのはボロボロに裂かれた布切れだった。数日前の夜会の前にある事件があった。王子から贈られたレーシーのドレスが何者かによって裂かれたのだ。それはその時に見たものと布地が酷似している。しかし…。
「私は証拠を、と申し上げたはずですが?」
ヴィヴィアンヌ様は布切れを一瞥し失笑、羽扇子をバチンと閉じ、柳眉をつり上げた。
「だから、これが動かぬ証拠である!」
取り巻きの宰相の息子が苛々しながら、言った。そこまで言わなきゃわからないなんて、馬鹿かとでも言いたげだ。
うん、ちょっと待とうか。残念だが、馬鹿はお前らだ。
確かに、それはレーシーが嫌がらせをされた証拠になるだろう。しかし、ヴィヴィアンヌ様が手を下した証拠にはならない。その事は壇上で騒ぐ奴等以外には周知の事実だ。
問題はそこではない。ヴィヴィアンヌ様でなくとも、男爵家以外の人間にレーシーのドレスを裂くのは不可能なのだ。
事件が起きたのは夜会の前。男爵家にてレーシーが夜会に行く準備をしようと侍女と部屋に入った時、ドレスはずたずたに引き裂かれていた。
お分かりになっただろうか。レーシーのドレスを裂くにはまず、男爵家に侵入しなければならない。見知らぬ人間が屋敷の中をうろついていれば怪しまれるし、当日そのような目撃情報はなかった。外部の人間には到底不可能なのだ。
では、誰がドレスを裂いたのか?
私や家族ではない。そのようなことをしても何の得にはならないし、私はその夜会に招かれなかったので、両親と外出していた。屋敷に残っていた使用人は侍女も含め、先代の頃より長く仕えている信頼に厚いもの達だ。自ら品位を落とすようなことは間違ってもしない。
消去法で行かなくても、このようなことをして一番得をする人物は一人しかいない。
その人物は瞳に大粒の涙を浮かべ、小さな肩を震わせていた。そんな彼女の様子に気づいたのか、王子は彼女の背中を優しく撫でた。周囲の白けた空気に全く気づかないんだから、大物である。こんな大物に将来、国の政を託すことになるかと思うと、感激のあまり、涙がちょちょ切れそうになるね。
「わ、私が王子を好きになってしまったから悪いのです。だから、ヴィヴィアンヌ様はこんなことを」
わっとわざとらしく泣きながら、レーシーは王子の胸に顔を埋めた。王子の鼻の下がまた伸びる。
その意見の前半には概ね同意だ。後半には異議を申し立てさせて頂こうか。空気の読めない妹のせいで、最早、ヴィヴィアンヌ様のお顔を怖くて見ることができない。
私が立ち尽くしていると、侍女が父親からの返信を預かって戻ってきた。私は封蝋を開け、内容を走り読み、ほっと胸を撫で下ろした。どうやら、間に合ったようだ。
「あなた方が何を盛り上がっていらっしゃるか、よくわからないのですが、これ以上お話がないようでしたら、私は失礼いたしますわ」
ヴィヴィアンヌ様はドレスの裾をつまみ、優雅に一礼する。
ヴィヴィアンヌ様の言葉に群衆も概ね同意、やれやれとその場から退散しようとする。当たり前と言えばあたりまえだ。重大な話があると集められて、こんな下らない茶番に付き合わされれば、誰だってそうなる。
「待て!この悪魔が!お前には血が通っていないのか?お前のした嫌がらせのせいで、レーシーは酷くショックを受けたんだぞ?それに、1ヶ月前にお前に階段から突き飛ばされて大怪我だってしたんだ。それもしらばっくれるつもりか」
壇上から近衛騎士団長の息子がヴィヴィアンヌ様の後ろ姿に向かって吠えた。
ヴィヴィアンヌ様はぴたりと立ち止まり、壇上に向き直り、絶対零度の視線を向けた。その視線のあまりの鋭さに壇上の全員がびくりと肩を震わせ、後ろに後ずさる。
「何か誤解があるようですね。まず、ドレスの件ですが、私には不可能です。あなた方は私、または私が雇った人間がわざわざお屋敷に忍び込んでドレスを裂いたとお考えのようですが、そのようなことをしても私には何の得もございませんのよ?すぐに足のつくような頭の悪い方法を私が選ぶとでも?仮にあなた方が言い張るように外部から侵入者がいたとして、随分甘い屋敷の警護をなさっているのね?あぁ、人を雇う余裕もないのですか」
立て板に水のようなヴィヴィアンヌ様の口上に壇上の人々はぽかん、と口を開けた。レーシーだけが唇を噛み締める。
そんな面々には構わずにヴィヴィアンヌ様は馬鹿にしたように続けた。
「次に何でしたっけ?私がそこのご令嬢を階段から突き落としたのだったかしら?残念ですが、私、その日は王様、王妃様のご招待を受けて、会食をしていましたの。私ではない、どなたかに突き飛ばされたのではありませんか?でも、大怪我をされたと仰ってましたが、私にはそのように見受けられませんの。余程頑丈なお身体をされているのね。あなた方の神経とお揃いの鋼鉄製かしら?」
ヴィヴィアンヌ様がレーシーを射抜くように見た。そんな視線に耐えきれずレーシーは咄嗟に王子の後ろに身を隠した。
少なくともドレスから覗く玉のような肌には傷ひとつ見当たらない。それに私は知っている。レーシーは階段から落ちたと言っている当日ですら怪我一つしてはいないのだ。本当に階段から落ちたというなら、まさに鋼の肉体と言うべきだろう。勿論、壇上にいる奴等を除いて、誰もがレーシーの嘘に気づいているし、だからこそ、ヴィヴィアンヌ様は揶揄するように言ったのだ。
「ヴィヴィアンヌ!レーシーを貶めるのもそこまでだ。お前がそこまで腐った女だとは思わなかったよ。今日限りでお前との婚約は解消する。身分剥奪の上、学園から追放だ」
王子が高らかに宣言をした。周りのどよめきが大きくなる。主に馬鹿な王子達を非難する声とヴィヴィアンヌ様に同情する声である。王子達には歓声に変換されているようだが。真剣に耳鼻科受診をお勧めする。
王子の暴言を気にも止めずに、ヴィヴィアンヌ様はつかつかと壇上に上がり、王子の前に立った。
「お言葉ですが、それはこちらの台詞ですわ。ご存じないようですが、既に私達の婚約は現時点をもって解消されておりますの。あぁ、陛下から書状をお預かりしておりますわ」
ヴィヴィアンヌ様の手から書状が差し出される。王子は口をぱくぱくさせながら、それを奪い取り、封を開けて中身に目を走らせた。王子の顔が真っ青になり、手が震えている。
「なんだ、これは」
「お読みになった通りですわ。現時点をもって陛下は愚かな貴方を廃太子とし、弟君のマティアス殿下を王太子とするとのことです」
「私が第一王子だぞ!?」
「貴方が王位につくことには国の重臣の誰もが器ではない、と反対でした。しかし、王様、王妃様は貴方が後継となることをお望みでした。貴方が王位継承権第一位であったのは、私と婚約していたからです。愚かな者を玉座に就ければ国が乱れます。貴方が王になるための必須条件は私との結婚でした」
ヴィヴィアンヌ様にはそのために早期から帝王学を始めとする教育を受けていた。全ては王となる馬鹿な王子を支えるために。
「何で、黙っていた?」
「何度も申し上げたはずですし、ご両親からもお話があったと思いますが、聞く耳をもたなかったのは貴方ではなくて?」
その言葉に王子は膝から崩れ落ち、座り込んだ。先程まで勢いづいていた取り巻き達もその様子に狼狽える。
「あなた方にも、それぞれの家から通達があるでしょう」
ヴィヴィアンヌ様の逆襲は留まることを知らない。
取り巻き達の家にしても、仮に彼らが家督を継いだとしてもだ。ヴィヴィアンヌ様を敵に回し、完全に中枢に食い込む望みは絶たれたのだ。なら、放逐とまでは行かなくても、跡継ぎをすげ替えるのは当然だろう。
「あぁ。それから、そこの貴女?名前は存じ上げないけど、貴女にもおって沙汰があると思いますわ」
レーシーの顔面が蒼白になった。口が何やらぶつぶつと呟いている。「そんなはずはない」と言っているようだけど、遠すぎて何を言っているのか読み取れなかった。
私はことの成り行きを最後まで見送って、その場を後にした。
レーシーと愉快な仲間たちがその後、どうなったかわからない。なぜなら、彼女はあの断罪イベントが起こる前に男爵家を勘当されたから。それにより、我々の被害は最小限に留められたのだ。
少々冷たいかもしれないが、筋書き上、両親は自殺、私は娼婦に身を落とすことになるのだ。レーシーには可哀想だが、私も我が身が可愛いし、それだけは避けなければならなかった。
だから私の自慢の妹だったレーシーよ、どうか許してほしい。
ありがとうございました(*´∀`)♪