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篝火 ―夏―  作者: 日笠彰
3/29

夏 -3-

前回のあらすじ

儚くもじゃんけんに負けた千歳。膨大な量のパンと謎を抱え新都心を彷徨っていると、何やら妙な雰囲気の場所へ迷い込んでしまうのだった


(これ半分今回のあらすじだ)

 コンクリートジャングルの真価は夏に発揮される。

 照りつける太陽。照り返す地面や壁。自然の安らぎも一つとてなく、ただただ辟易とするような暑さが永遠と続く。

 冷やすために設置されたエアコンも、反対側では室外機が熱風を吐き出して街の暑さを助長する。ただでさえ人込みに目が眩むというのに、陽炎まで浮かんでくるものだから手に負えない。へたな砂漠より熱いのではないかと思う。

 外での仕事を終え会社に戻る道中。昼食用に持ってきたパンを食べられそうなところを探しながら歩いているが、どこもかしこも人でいっぱいである。どうやら戻るしか手は無さそうだ。

 夏休みだからか、子供の姿もちらほらと見かける。友達と談笑しあい、笑顔で歩いているのは一、二年生。どことなく浮かない顔をしているのは予備校へ向かう受験生であろう。夏休みだというのにご苦労様である。

 ビルの壁面に設置された街頭テレビでは、今日の気温が三十五度を軽々越えていくことを報道している。あのテレビが発する熱もこの気温上昇に一役を買っているのではないだろうか。かといって文明も捨てきれない。今や人類にとって夏の暑さは切っても切れないジレンマとなっている。

 ふと、妖界も暑いのだろうかと気になった。

 ミコ達は、あちらには季節が無いのだと言っていた。酒盛りくらいしかすることがないのだと。それ故に僕が花見を開いたわけだし、今もこうして彼らがちょくちょくとやってきているわけで。

 一年中過ごしやすく、それでいて酒が飲めるのなら、何もない世界に行くのも悪くはないのかなあと思った。

 雑踏を歩いているとほどなくして、人気の少ない小道を見つけた。どことなく空気もひんやりとしていて、もしかしたらベンチの一つでもあるかもしれないと小道に足を踏み入れる。

 昼食用に持ってきたのはメロンパンとバターロールだから傷む心配はないとして、あとはどこかの自販機で飲み物を。

 そんなことを考えながら歩みを進めていると、不意に周囲の空気が変わった。

 うだるような暑さから一転、じんわりとまとわりつくような湿り気を帯びた風。手のひらを濡らす汗が、気温によるものじゃないと直感する。

 何か嫌な気配を感じながらも、足は導かれるように進んでいった。奇妙にうねった小道を、迷わず右、左。

 風は進行方向から流れてきている。

 香の匂いがした。

 辺りがほの暗くなってくる。

 違う。

 霧だ。

 黒い霧が立ち込めているのだ。

 これ以上進んではいけないと本能が警鐘を鳴らす。けれど、不思議な力が僕の背中を押し続ける。進め、進め。こっちに来いと何者かが(いざな)っているかのように。

 霧が濃くなっていく。香の匂いを孕んだ湿った風も強くなる。燦々と照りつけていた太陽が懐かしい。周囲は夜のように真っ黒だ。

 抗えない何かが僕を強く前へ押し出す。霧は質量を増して、蜘蛛の巣のように僕の体に絡み付く。吐き気を催す禍々しさが僕を襲う。水の中を進むような抵抗感があった。進めば進むほど体力を消耗する。だが、後戻りは許されない。鼓動のような地響きが轟いた。どん、どんという振動に合わせて、風が吹き込んでくることに気付く。

 そして、それは唐突に出現した。

 最初は目の錯覚かと思った。

 しかし、耳を覆いたくなるほどの衝撃音と、思わず屈みこんでしまうほどの嫌悪感がそれを現実のものと証明した。

 真っ赤な鳥居が聳えていた。

 僕の身長を優に超える大きな鳥居。三階建の建物ほどの大きさがある。こんな場所にあるのに、その姿は燃えるような真紅を保っている。柱と柱の間に注連縄がかけられており、注連縄には等間隔にひし形を並べた紙細工がぶら下がっている。辺りは黒い霧で充満しているが、鳥居の方から噴き出してくる風のせいかその周りだけははっきりと目にとれた。

 目を惹く神々しさ。この世の物ではないと感じ取れる佇まい。触れたいような、遠ざけたいような。仏間によくある、伽藍堂だが存在を感じる特殊な空虚がそこにはあった。

 風は、というよりも衝撃が、鳥居から発せられている。

 鳥居の間に、何か目に見えない膜のようなものが張っているかのようだった。内側から何かがそれを叩いているのだ。その度に注連縄が微かにゆれ、耳障りな音と共に黒い霧と風が吹き出してくる。先ほど聞こえた鼓動のような音は、これだったのだ。

 封印。

 その言葉が脳裏を掠める。だがすぐに思い直した。

 僕はこれに近しいものを知っているじゃないか。

 それも、すぐ、身近に。

「鬼門ですね」突然の声に、心臓が止まりかける。「うっかり触らない方がいいですよ。この封印、脆くなっていますから」

 視界の隅で、見慣れた草黄色の撚れたコートがちらつく。懐かしいようなハッカの匂い。

「どうも、お久しぶりです。千葉県生まれの千葉です」

 相も変わらずのぼさぼさの髪。にへらと笑って、千葉は軽く会釈した。

「千葉か。日課のストーキングか?」

「いえ、趣味の小道探索を」

 どこかで聞いたようなことを言う。

「嘘をつけ」

「冗談です。仕事ですよ。篝さんこそ、どうしてこんな危ない所に」

「……気が向いたんだ」

()てられたのですかね。まあ、それは置いておいて」

「これは」僕は一歩下がり、千葉の背後に回って尋ねた。「鬼門なのか?」

「一種ですよ。篝さんの自宅にあるのとは少し違うでしょう?」

「そう……」

 とんだ誘導尋問だった。

「かもしれないな」

「安心してください。私は篝さんを信用していますから」

 この男ほど信頼と信用の言葉が似合わない男もいない。

 千葉。こいつは陰陽師だという。副業で妖怪探偵をやっている。出会いは春ごろ、僕の家に鬼門があると疑って近づいてきた。職業柄人との信頼関係を第一としているらしいが、その風貌、纏う雰囲気からは胡散臭さが滲み出ている。本人は否定しているが、僕は未だに千葉は妖怪の一種なのではないかと疑っている。

「鬼門にも種類があります。鬼門と言うものは次元の揺らぎです。そこに何かが集中すれば、必然的に揺らぎが生じる。そして物事には陰と陽があります。風水ですよ。この世には陽の気がたまる場所と、陰の気がたまる場所がある。これは陰の気がたまって生じた鬼門。そして陰は陰を呼ぶ」

「陰?」

「負の力。悪意、怨念、憎悪、嫉妬、苦痛や悪意、そして―――」

 一旦、言葉が区切られる。

「―――殺意です」

 言葉はそれだけで力を持っている。千葉の発した殺意という単語で、僕は初めてこの場の禍々しさをはっきりと理解した。そうだ、この場には殺意が溢れている。黒い黒いどす黒い、強烈な憎しみが。

「物事には全て流れというものがあります。我々の祖先は事この世に関する流れを風水と呼びました。空間に意図的に入口や出口を作って流れを呼び込んだり、渦中に幸運の象徴を配置して運気を上昇させたり。風水の力は万物への力です。流れを理解し的確に操ることができれば、幸運や退魔以上のことが可能になります。

 我々陰陽師は、風水を操ることに長けていた一族でした。陰陽道も、結局のところ陰と陽の流れを制するものです。五行をもって意図的に流れを変え、光と闇の調和を保つ。それが我々のお仕事です」

 だけどこれは、私だけの手には負えないな、と千葉は呟いた。

「前にも言った通り、我々陰陽師の力は年々弱まっています」

「各地で結界が破かれているんだったか」

「そういうのは極力張り直したりしていますけれどね。今日もその視察にきたのですが、いやはや、ここまで禍々しいものだったとは」

 鳥居は絶えず鼓動している。つまりこの向こうには荒々しい妖怪がいるということだ。今か今かとこちら側へ来る機会を待っている妖怪が。あいつらの、仲間が。

 少し、身震いした。

 そして、そんな自分が嫌になった。

 人間と妖怪。僕はそこに線引きをしていないつもりだ。

 それでも、この禍々しさを前にして気後れをしてしまう。圧倒的に異質な何か。明確な悪意を持ったそれが鳥居を隔てた向こう側にいる。でもそれは、ミコやユキと同じ存在なのだ。

「前に言いましたよね。人間に害を為す妖怪もいると」

 僕の心を読んだかのように、千葉が言う。

「……きっと、陽気な奴らもいる」

「人間と同じですよ。聖職者もいれば、猟奇的殺人者もいる。そういうことです」

 もしかしたら、慰められているのかもしれないなと思った。

「ここはどうするんだ?」

「近いうち仲間を呼んで結界を張り直します。篝さんはもうこちらに近づかないように。後は私たちが処理します」

「こんなところ、頼まれても近づかないさ」

 そう言って初めて、幾分か体が楽になっていることに気付いた。現に、後ずさることができている。

「帰れそうですか?」

「おかげさまで」

 無駄口を叩きながら、僕達はその場を後にした。

 背後では、未だに鳥居が鳴いていた。


語彙が少ない

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