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篝火 ―夏―  作者: 日笠彰
27/29

篝火 夏 -27-

前回のあらすじ

鬼門を通る最中、白露が件の死は自分のせいだと独白する。白露が作った一対の指輪。友達思いの白露がした選択に、千歳は感謝の気持ちで答える。それでも彼の中にはある思いが再燃していた……。

「私が囮。千歳が子供」

「そんな危ない目は任せられん」

 おそらく、あの鬼門の裏。そう推測できるほどに禍々しさがあたりに漂う場所まで来た。痛みは一層激しくなり、数珠を巻いた右手は焼け落ちるのではないかと思うほどに熱い。闇は表の比ではなかった。

 千葉はここには負の感情が集まっていると言った。

 まさにその通りだ。

 怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、辛みや妬み、そして殺意。体を無慈悲に射抜くような、凍てついた刺々しい感情。そういった暗い気持ちが肌を通して直に伝わってくる。うめき声まで聞こえてくるような気がした頭が割れるように痛かった。一刻でも早くここから離れたい。勇んでいた足が後ろを向きそうになるほどに、ここは暗く、重々しかった。

「千歳じゃ無理」

 白露は譲らない。

「だからと言ってだな。相手の怖さなら僕だって感じたことがある。大丈夫、なんとかなるさ」

 僕も後に引くつもりはなかった。

「……ミコ」

「死なないから」

「……もぅ」

 白露がぷーと頬を膨らませる。

 そしてごそごそとポケットを探ると、肝試しで使った手榴弾各種を渡してきた。

「約束……相手に近づかない」

「了解」

 手榴弾を受け取る。

「すぐ逃げる」

「了解」

「すぐ走る」

「分かったから、早くいくぞ」

 内側の禍々しさが撹拌しているのかもしれない、向こう側からは例の奴の恐ろしさを感じられなかった。僕自身の気持ちが高ぶっているというのもあるが、なによりここで倒れるわけにはいかないのだ。

「よし、行こう」

 目の前には鳥居が聳えている。

 闇に囲まれ、外で見たときよりも黒くくすんでいる。向こう側は真っ暗で見えなかった。きっと外に繋がっているのだろう。そしてその先には、奴がいるはずだ。

 鬼門を封印していたらしい注連縄はいまやずたずたに引き裂かれ、無残に地面に落ちていた。それを踏み越え、鬼門をくぐり抜ける。

 空気が変わった気がした。

 それまで体に絡み付くように重く圧し掛かっていた靄が晴れていく。

 途端、頭や肩を冷たいものが打ち付ける。

 はっとして顔を上げた。

 雨が降っていた。

 どうやら無事に外へ出られたらしい。

「いない」

 隣に立つ白露が呟いた。

 付近を見回しても、それらしい者はいない。例の禍々しい気配も感じなかった。以前訪れた時のまま、かび臭く辛気臭い、不穏な裏路地そのままだった。

 肩透かしを食らった気分だった。

 当然、鬼門を出れば例の妖怪が目の前に待ち構えているくらいの心持で飛び出してきたわけで。降りしきる雨の中白露と二人で棒立ちをするほかなかった。

 刹那、閃光が走る。周囲が一瞬真っ白になった。

 ついで鼓膜を破らんばかりの雷鳴が轟く。落雷だ。それもかなり近い。

「今、あそこに何か見えなかったか?」

 僕は鬼門から離れた曲がり角を指差した。雨のせいで視界が悪いが、光った瞬間建物の影に人の手のようなものがちらっと見えた気がした。

「……罠」

「の可能性もあるな。でも、それでも助けないと。そのために来たんだろ?」

 そう言って前に進みかけた僕を白露の手が制した。

「私が行く」

「でも」

「囮は千歳。子供は私」

「あーもう」

 白露も言い出したら聞かない方だ。仕方なく、両手を上げて降参のポーズをとった。

「気を付けろよな」

 こくりと頷いて、白露は抜き足差し足で手に近づいていく。その間僕は、しっかりと周囲の見張りを務めることにした。

 雨脚はどんどんと強くなっていく。本当に水かと疑うくらい、体に降り注ぐ雨粒は固かった。雨は鬼門から漏れ出していた靄もろとも地面に落下し、辺りは真っ白な雨煙に包まれている。音も視界も不自由な雨の中。塗壁の向こう側から感じたピリピリと来る殺意は感じられない。

 そっと鬼門を振り返る。

 色あせていたはずの赤色が、雨の中で返って目立って見えた。凛と佇む古びた鳥居。そこからは、前に訪れたときのような嫌な気配が漂っている。殺意はむしろ、外より中から感じられる。

 脳内で何かの弾ける感覚がした。

 僕達は待ち伏せを覚悟していた。

 でもそれは、鬼門の外とは限らないのでは。

 そう思ったのと同時に、白露が声を上げた。

「子供は無事! 千歳―――!」

 倒れていた人の手を掴み、こちらに呼びかけながら白露が曲がり角に消える。待て、と声を掛ける間もなく、雷光が視界を真っ白に埋め尽くした。

 思わず目を庇う。

「白露!」

 返事がない。

 それどころか、光に続くはずの雷鳴も届いてこなかった。

 焦るな。

 落ち着いて、一度深呼吸する。

 ゆっくりと目を開けて、声を失った。

 雨が止んでいる。

 それも、僕の頭上だけ。

 鼻先ではさっきよりも激しさを増した雨が降っている。まるで僕と白露を遮断する壁のようだった。引き込まれるように手を伸ばし、指先が触れた瞬間慌ててその手を引っ込めた。

 少し雨に触った指先が鋭利な刃物を掠めたように切れていた。

 雨の結界だ。

 やられた、と奥歯を噛みしめる。

 最初から奴の狙いは僕だったのだ。子供―――石川翔を離れたところに放置したのは罠だ。どっちが行ってもよかったのだろう。雨の壁で分断して、一人ずつ襲っていく。おそらく、白露の方も閉じ込められているに違いない。そうでなきゃ、僕が石川翔を助けに寄った場合に逃げられてしまう。

 きっと、助けは呼べない。

 そして、鬼門はこちら側にある。

 恐る恐る振り返った。

 僕と鳥居までの間の空間も雨は止んでいて、その周りをやはり雨の壁が囲っている。暗く、光の届かない水の中。不思議とすぐ間近で降り注いでいる雨の音もしない。全ての動きが止まったような静寂。まるで深海みたいだ。

 鳥居から、女が出てきた。

 こいつが……?

 剣山の上に立つような身の毛の立つ感覚。

 確信する。

 そうだ。こいつがあの時鬼門で、そして神社の近くで襲ってきた。

 ギリシャ神話の女神のような布一枚を体に巻き付けて、奴は悠然とこちらに歩いてくる。ぴったりと体に巻き付いた布。痩せた肩と胸が外に向けて突出し、腹部が不自然に膨らんでいる。腰まで伸びた長い髪は洗いざらしのようにしっとりと濡れていて、グロテスクに艶めいていた。前髪に隠れて目元は窺えないが、血の気の引いた青白い肌に、紅蓮の唇が異彩を放っている。その口角が怪しく上がった。

 一歩、また一歩と小股で歩いてくる。じれったく、それでいて有無を言わせぬ足取り。

 動けなかった。足は楔を打たれたように地面から離れようとしない。体は震えることもせずただ目の前の女の接近を甘受している。

 体のラインがはっきりと浮かび上がる服装で、腰をくねらしながら歩くその姿が何かにだぶって見える。蛇だ。獲物を睨み付け、舐るように近づく様はまさに蛇だ。

 近づくにつれ、腹部の膨らみの正体が抱かれた赤子であることに気がついた。

 顔はまだ見えない。だが、ぞっとするほどに血色を失った小枝のような腕が布の隙間からのぞいていて、からくり人形のように規則正しく振られていた。

「抱いてみますか?」

 手を伸ばせば届く距離にまで近づいた女が、そう言った。

 血濡れたような唇がにっと上がる。黄色い歯が垣間見えた。

「抱いてみますか?」

 また一歩女は近づいてくる。笑みを崩さないまま、腕に抱えた赤子をこちらに押し出してくる。布でくるまれた赤子の姿はよく見えない。相変わらず腕だけがこちら側に晒されていて、何かを求めるように宙を彷徨っては力なく手のひらを握りしめていた。

 目を上げると、女の顔がすぐ近くにあった。

 濡れた前髪の隙間から、そこに眼球があったはずの虚空が僕を見つめている。深淵に続いているような深い闇からは、真っ赤な涙が流れていた。

 どうしてか、怖くはなかった。

 心を埋め尽くさんとする恐怖を、他の感情が押しとどめている。膝は震えているが、決して下は見なかった。

「怖いんだろ」

 この問いかけは、自分に向けたものではない。

「もう大丈夫だ、消えたりしない。だからもう、やめにしないか?」

 目前に迫った妖怪に同情する気持ちの方が勝っていた。

 こいつもまた、生きるために人間界を訪れた憐れな妖怪なのだ。生きる場所を奪われ、人々から忘れ去られそうになり、負の感情に誘われてここまで来てしまった。危険な奴かもしれない。確かに危害だって加えた。でもどうしても、危ない奴だから排除してはいおしまい、なんて僕にはできなかった。

 可能なら、こいつも救ってやりたい。

 妖怪と付き合ってきた僕だからこそ、千葉のように一括りにしてはいけないと思った。そうしないとあいつらに顔向けできないではないか。冷たい殺意に押しつぶされそうになる心を何とか鼓舞して、妖怪と向き合う。

「僕がお前を覚えているからさ。そのために来たんだろう? だから、安心して帰るんだ」

 必死の説得だった。僕か相手か、どちらかが辛酸を嘗めるのではなく、針の穴を突くようなものだとしても穏便な未来を。この妖怪にもあいつらのような日常を。

 もう誰も悲しまないように。

 もう誰も命を落とさないように。

 その誰もの中には、妖怪だって人と同じように含まれるのだから。

 切にそう思った。

 女の虚空が僕を捉える。

 それまで音のなかった世界に、赤子の泣き声が生まれた。

 小さな、何かを訴えるような泣き声。

 体の芯から凍てつくようなその声に、それが怨念だと遅れて気付く。

 初めて、恐怖が僕の全てを覆い隠した。

 血管に氷を流されたように、全身の体温が一気に下がっていく。体中の皮膚が粟立つのが分かる。ぐわんと視界が暗くなっていく。

 死。

 忽然と闇に取り残されたような恐怖。

 突然宇宙に生身で放り出されたような、約束された確かな死。

 駄目だったのか。分かってもらえなかったのだろうか。

 ―――どうして。

 心臓の鼓動までもが遠くなっていく。耳に赤子の泣き声がこびりついて離れない。もはや、どうにもならない。そう実感する。こいつは僕を殺すだろう。そんなことをしたって、何も変わらないことを知らないままに。

 薄れゆく意識の中、最後に思ったのはミコのことだった。

 駄目だった。ごめん、ミコ。一緒にいるって言ったのにな。

 死ぬ前に、会いたい。

 そう、強く思った。


あと二つ。考えてみると丸一月付き合っていただいたわけです。まあ、細かい後書きは最後に取っておくとして、今は感謝と催促を。


皆さんいつもご愛読ありがとうございます! 残すところあと二つ。ぜひお楽しみに!

それではまた明日!

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