夏 ー2ー
前回のあらすじ
ひょんなことから妖怪達の相談役的ポジションに落ち着いた千歳。その慣れた手腕で網切りと手長足長を屋敷から追い出すことに成功したのでした。
のんびりと蒸し暑い田舎町をとぼとぼと歩く。
旧幕張町は都会と都会に挟まれた穴のような町だ。ここだけ時間の流れが遅くなっているかのように、昔の面影を残したままの町並みが続いている。至る所に首塚や史跡が残っており、小中学生の社会科の授業によく使われているらしい。春に僕も足を伸ばしたが、何の変哲もないただの石の塔だった。変な人間には出くわしたが。
シーズンなのか、ここ最近肝試しに新都心からわざわざ出向いてくる人達が急増している。夜中に自分の町を歩き回られるのは正直いい気分ではない。人が寝静まっているのにも関わらずがやがやと騒ぎ立てるし、ゴミのポイ捨ても増えている。休み明けの朝などは、出勤途中に菓子類やジュースの残骸を多く見かける。それらは町内会のお爺さん達が熱心に拾ってくれているらしいが、見かけていい気持ちがする物ではない。
それになにより。
どうも我が家もその肝試しスポットの筆頭であるようなのだ。
まず夜な夜な家の外でこそこそと話し声が聞こえる。
深夜なのにぱたぱたと足音がする。
朝に家の前を見るとどうも散らかっている。
むしろこちらが心霊現象を疑うレベルなのだが、居候のミコは霊力のようなものを感じていないらしい。彼女の結界に反応が無いから侵入はされていないのだろうけれど、なんとも落ち着かない。
確かに、そこらの史跡よりは魑魅魍魎の類が集まっているが、一度しっかりと対策を取らなければならなそうだ。
大通りを直進し、中学校の横を通る。夏休みなのか、朝練の風景は見なくなった。そのことに少し寂しさを感じる。
子供たちの青春風景を見るのは、そのまま自分の失われた青春を取り戻すような行為だった。最も、僕にはそんな輝かしい思い出はない。その代わりに、自分ができなかったことを埋め合わせるような形で彼らを見ていたのかもしれない。追体験をするかのように、観察することで自分もその一部になるような。
朝の些細な習慣だけれど、僕にとってはちょっぴり重要なことだった。
社会人には夏休みなんてないのだ。
自分を鼓舞しながら足を進める。
少し歩くと朝露に混じり、懐かしさを覚える小麦の香ばしい香りが町に漂いはじめた。
七月末日。一週間店を閉めていたパン屋が開店を再開していた。ここ数日シャッターに貼ってあった張り紙曰く『武者修行の旅に出ます』だそうだ。
風変りなパン屋もあったものである。
ここの店は近所の朝の食卓を地味に支えていたようで、朝早くにも関わらず店内は賑わっていた。手鼻をくじかれた気分である。昼食用にと考えていた人気の調理パンはもう手遅れかもしれない。
商店街などの地域密着型の店に顕著な特徴として、地域の奥様方の社交場もとい井戸端会議場になるということが挙げられる。何気ない朝の会話は馬よりも風よりも早く広がる。隣の鈴木さんの息子が引きこもりだしたとか、山下さんちの旦那さんがリストラされただとか。生きていくうえで至極必要のない情報が証券の様に迅速に取引される。
このパン屋も多分に漏れずそんな店の一つのようで、噂話を解禁された奥様方が一週間分のゴシップを抱え店に集結した。トングを片手に語らうのを止めやしないが、せめて唾が飛ばぬようパンから顔を背けて話していただきたい。あと買わないならカレーパンのコーナーから早々に立ち去っていただきたい。取れない。
武者修行していた割には、店内のラインナップはさほど変わっていないようだった。
とりあえず目当てのカレーパンを掴む。ふと、カレーパンのポップに書かれた一文が目に入った。
『じゃんけんカレーパン』
注意して見ると、そこかしこのパンのポップアップにじゃんけんの文字が追加されている。春先にミコが大敗に喫したじゃんけんメロンパンはもちろん、その他売れ筋と思われるパンのほとんどがじゃんけん○○化していた。
一体これはどういうことか。
一週間休んでいた分のお詫びとして、大セールに踏み切ったのか。
「はい、じゃんけーん」
奥様方の井戸端会議を凌ぐ声量で音頭が取られる。レジからだ。視線をやると、レジ前でおばさんが悔しそうに拳を握りしめていた。たいして、店員さんはにこにこ顔である。歌でも歌いだしそうな雰囲気さえ漂わせている。
はっとした。
楽しそうな店員は、春先ミコの読心術を看破した例の店員その人であった。
武者修業とはそういうことか。
一人、妙に納得する。
一見セールと見せかけて、この店は客に勝たせる気なんて毛頭ないらしい。天下無敵の奥様方も、無料と言う言葉には滅法弱い。じゃんけんという甘い香りに釣られた彼女たちは、それが罠とも知らずにホイホイと店に足を運び、ホイホイとパンをトレイに乗せる。そしてレジの前でじゃんけん女王の毒牙にかかり無残にも散っていくのだ。
敵は強大だ。
しかし、男にはやらねばらなぬ時がある。
じゃんけんカレーパンにはじまり、じゃんけんあんぱん、じゃんけんクリームパン、じゃんけんあんぱん(こしあん)、夏限定じゃんけんソーダメロンパン、そして王道のじゃんけんメロンパンをトレイに乗せ、脳内で威風堂々を奏でながらレジへ赴いた。
「いらっしゃいませ……あら? この前の」
「あれ、覚えているんですか?」
意外だった。一介の客に過ぎない僕の顔を覚えているとは。まさかこれも作戦のうちではなかろうな。僕の動揺を誘っているのかもしれない。
「だって、じゃんけんに負けてあんなに悔しそうだった人、初めてなんですもん」
大人で。
彼女は笑いながら、最後にそう付け加えた。
以前ミコと一緒に来た時のことを思い出す。確かあの時、じゃんけんに負けたミコは最初なぜじゃなぜじゃと呟き、ふと僕の顔を見上げたかと思うとなぜじゃーと叫んだのではなかったか。
頭の痛いことだ。他人事ながら情けない。
「その節はとんだご無礼を」
素直に頭を下げた。
「彼女さんの敵討ちですか?」
「彼女ではない」
「えっ」
店員さんが大げさに驚く。
「え、本当に?」
「本当だ」
「本当に本当に?」
なんだこの店員。僕に気でもあるのだろうか。
「えっ、でも耳……」
「耳?」
僕が聞き返すと、はっとしたように店員さんは慌てる。
「あ、いえ。その耳が……、耳がおかしくて! 私の。聞き間違いだったのかな」
「誰かが僕とあいつの噂でもしているのか」
いつの間に僕は近所の奥様方の議題にあがるようになったのだろう。
「そ、そうなんですよ」
店員さんは例の、人差し指を立て秘密を明かすような素振りでそう言った。
「噂になっていますよ。お化け屋敷に住む変人、って」
「あそこは古いだけなんだがな……。今度改修でもするかな」
「その方がいいですよ。妹たちなんて、今度肝試しに行くとか言っていましたよ。一応止めましたけど」
「是非確実に止めてくれ」
「んふふっ、分かりました」
結構噂は広がっているらしい。それでも、まだ家の外見だけが興味を引いているだけのようだから、一安心ではある。彼らのことさえばれなければ、当面の問題はないはずだ。
「さて、そろそろお仕事しなくちゃ。ただいま当店では夏休みじゃんけんフェアをやっておりまして、ああ、そうですね。私にじゃんけんで買った場合こちらの商品がすべて無料になります」
「一個ずつじゃなくていいのか?」
「何度も負けを味わうのは辛いですよ?」
店員さんが不敵に笑う。
「大した自信だな」
「武者修行してきましたので」
一筋縄ではいかなそうだ。ここはひとつ、陽動作戦と行こう。
作戦内容は口ではパーと叫び、手はグーを出す。
名案。孔明も脱帽ものだ。
「行きますよ? 最初はグー」
目を閉じ口に力をためる。こういうのはインパクトが大事だ。タイミングを見計らい、お口の力を解放する。
「じゃーんけーん」
「っパー!」
店が静寂に包まれる。
突然男が叫んだのだ。必然だろう。奥様方の視線が痛い。これはきっと、井戸端会議お昼の部でメインの議題となるだろう。恥ずかしさで死にそうだが、勝利に犠牲は付き物である。
果たして、羞恥心を捨て挑んだ試合の結果は如何に。
瞼を開く。強く閉じすぎていたためか、視界が眩む。明滅する視界の中で、お互いの出した手を確認した。
相手、チョキ。
当方、自分でも驚きのパー。
「……わ、私の勝ちです」
店員さんが笑顔を引き攣らせながら、必死のフォローをしてくれた。その優しさが心に痛い。
きっちり代金を払い、店を後にする。
支払いの際中、本当に強いんですね、と僕が言うと
「今のは少し焦りましたけどね。……いろんな意味で。完全に運でしたよ」
と店員さんは苦笑した。
好奇の的にならないよう、足早に立ち去る。負けた分、袋がやけに重く感じる。じゃんけんに釣られ、一人では食べきれない量を買い込んでしまった。しかも甘い物ばかりである。勝負のために払った犠牲は大きい。会社近くにある公園で、ハトにでも撒こうか。そもそもあの作戦自体何だったんだ。結局は出す瞬間に手を決めているのだから、大声で別の手を言っても意味がなかろうに。
ただ恥を晒しただけだった。
朝の靄も晴れてきている。バスには間に合いそうだが、一応小走りをしておく。
それにしてもあの店員さん、なかなかやる。ミコの読心を封じたり、じゃんけんで連勝したり只者でない気がする。一体じゃんけんの武者修行で何を習得したのか。そもそもじゃんけんに修行なんてあるのか。動体視力と反射神経を極限まで高め相手の出した手に合わせ勝ち手を出すとか、それこそ読心でも身に着けたのか……。
ふと、店員さんの言葉が頭を過った。
―――完全に運でしたよ―――。
じゃんけんというのは、運勝負ではないのか。
彼女の口ぶりからすると、僕以外の勝負は必勝法を使っていたように思われる。
僕以外に通じて、僕には使えなかった必勝法。
手を出すスピードは、そこらの奥様方と一緒だと自負している。
だとすれば……。
ミコは店員さんに読心を拒否されたと言っていた。それはつまり、読心の存在を知らなければできないことではないのか? 拒否するものを知っていなければ、それを拒絶することもできまい。
一つのピースが埋まれば、連鎖的に他のピースも埋まっていく。頭の中で次々にパズルが組まれていく。
読心。普通でない能力。ミコのことであたふたとした店員さん。陰陽師、は突飛すぎるか。
あとは、耳。
これは僕の深読みかもしれない。考え過ぎだと、誰かが笑うかもしれない。けれど当事者には、重大な問題だ。
耳がおかしくて、なんて言い方、普通はするだろうか。
ミコの話から耳の話題にとぶことがあるだろうか。
かちゃり、と最後のピースが埋まる。
あの店員さんは……。
妖怪を、妖怪の姿として見えている?
立ち止まり、振り返る。もうパン屋は見えない。
「まさかな……」
出来上がったパズルが何を意味しているのかは分からない。この答えも、ピースの一つに過ぎないのかもしれない。
今回は毎話が短いのでサブタイトル的なのはつけないです
第三話は黄色いあの人が登場
まずい、追いつかれるぞ