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篝火 ―夏―  作者: 日笠彰
16/29

篝火 夏 -16-

前回のあらすじ

宮野の一言が千歳の心の霧を吹き飛ばした。思いもよらなかった、あるいはあえて気づこうとしなかった自分の気持ちに千歳は戸惑いながらも向かっていく。

 好き、嫌い、好き、嫌い。

 どれだけ花びらを散らしてみても思いは晴れない。

 めずらしくどんよりとした雲が空を多い、じめじめとした蒸し暑さが新都心を覆い尽くす。道行く人は皆手にハンカチを携え、生気のない顔でふらつく様子はゾンビ映画の様でもある。

 あれから―――。

 好意という長年疎遠だった感情に僕はまだ手を焼いていた。今後慣れることもないだろう。自分の中の発見は驚きの連続だった。

 まず僕に恋愛感情なんてものが残っていたということに驚いた。日々人を嫌悪しておいて、他者とのつながりの代表格にして最強格のような色恋の心を持っていただなんてお笑い草である。けれども、もう知らんぷりするわけにはいかない。

 次にその対象がおそらくミコであるということ。

 これに関しては、断言したくないし考えたくもない。相手は妖怪だ。正気か、僕。

 妖怪との距離に悩んでいたはずが一気にミコ個人との距離について悩む羽目になってしまった。いやはやしかし、それでもどうしたものか。

 好きという言葉はそれだけで魔性だ。人をふわふわとさせて理性のたがをいともたやすく外してしまう。そうと分かっているのに、その術中にかかっている間は長く浸っていたいと思わせるから厄介だ。

 そう。

 まんざらでもない自分がいる。

 これが最後の驚きだった。

 考えに煮詰まり、何気なく空を仰いだ。灰色の空は今にも雨の降りそうな様相である。風も全くなく、上空の雲には一切の動きが見られない。ただただ暑いばかりだ。

 今まで人を遠ざけて、自分の殻にこもって、そして妖怪にその殻を壊された。なんだかんだでその状況を僕は楽しんでいた。その延長線上なのかそれとも原点だったのか、僕はミコを好きになってしまったらしい。

 こんなこと誰に相談できようか。

 駄目だ駄目だと頭を振るう。

 何か別のことを考えて逃げ出したい、そう思っていると傍らで立ち話をしていたOL達の声が耳に届いてきた。

「何かのイベントごと?」二人いるOLのうちの一人、巻き毛の方が携帯を見ながら相方に呟く。

「宣伝にしては謎すぎない?」もう片方、黒毛ショートがそれに応えた。

「新しいお化け屋敷でもできるのかな。私これ見たことあるのよ。確か……件、とか」

 妖怪の名だ。

 件も割と有名な妖怪だろう。字が表す通り体の半分が人、もう半分が牛の妖怪だ。牛の体に人の顔を持つのが一般的で、短い生涯の間に吉兆を予言するといわれている。だが、それがどうしてこんな場所の噂話にでてくるのか。

「駅前に来ているらしいよ」

「占いのイベントかな。行ってみようよ」

 そう言ってOL達は駆けていく。駅前に件。普通に考えれば中に人が入って何かを催しているのだろうが、万が一ということもある。少し様子を見に行ってみようかと歩き出した時、別方向から嬌声が聞こえた。

「なにあれー?」

 見ると女性が一人空を指差している。連れと思しき男性はその指の示す先を見ていたが、すぐに訝しげに言った。

「何も見えないけど」

 僕も指差された方向に顔を向け目を凝らす。

 流れのない曇り空の中で一つだけ、魚のように空を泳ぐ細長い雲があった。それは風もないのにゆらゆらと縦横無尽に空を舞い、こちらを見据えたかと思うと一気に急降下してきた。

 近づくにつれそれの姿が明らかとなっていく。

 風にたなびく白い毛並み。三メートルは優に超えそうな、巨大な体躯。体の半分はある立派な尾を振りまわし、毛皮からのぞく漆黒の爪は空を切り裂いてその身を素早く運んでいく。

 犬神(大犬モード)だ。

 こちらに気付いているらしく、犬神は猛スピードで降りてくる。

 とんでもない。そんなことになったら大惨事だ。

 空に戻れと身振り手振りで伝える。意図が伝わったのかは分からないが、犬神はその顔がはっきりと見て取れるくらいの高さで留まった。

 そっと辺りを窺う。どうやら犬神の存在に気づいていたのは先ほどの女性一人らしく、その女性も今や連れの男性に連れられてどこかに行ってしまっていた。曇天の空を仰ぎ見る物好きは他にいない。気付かれて大騒ぎになる心配もないようで、ひとまず安堵の胸を撫で下ろす。

 犬神に視線を戻して、再び身振り手振りで別の場所で落ち合うことを伝える。近くのビルの屋上でいいだろう。件のことも気にかかるがそれよりも犬神の方が優先だ。犬神は頷くと大空へと舞い戻っていった。雲の中に隠れてしまうのを見届けて上がれそうな屋上を探した。


「どういうつもりだ」

「それが緊急事態でして。迷惑だとは分かってたっすけど」

 犬神は申し訳なさそうに頭を下げる。匂いで僕の居場所を嗅ぎあてた犬神は屋上に降り立ち人間に戻っていた。

「人の目もあるし、何より陰陽師に見つかることだってあるんだ。そうなったら……」

 不吉な考えが過る。

「大丈夫っすよ。怪しい匂いは避けて飛んでるっすから。不思議な力を持っている人は、なにかしら違う匂いがするんすよ。でもこの街は変な匂いで充満してるっすから少し大変でした」

「そういう話じゃ、……変な匂いって?」

「瘴気みたいな」

 犬神が難しい顔をする。

「瘴気?」

「簡単に言うと、妖界の悪い部分にたまってる悪いものの匂いっすね。普通はこっちの世界で匂わないんすけど、なぜかここでは」

「それはたぶんだな」

 おおよその目測を付けて、西の方を指差す。

「あっちに鬼門がある。うちにあるみたいなのじゃなくて、相当嫌な感じのやつが。たぶんそれのせいだろう」

「どちらにせよ、近づかない方がいいっすよ」

「言われなくても近づかないさ。それで、緊急事態ってのはなんなんだ?」

 僕がそう問うと、はっと気づいたように犬神の目が丸くなる。そうだ、それで来たんでしたと今更のことのように犬神が慌てだした。

「ついさっき鬼の親父さんに頼まれて新しい相談者を連れてきたんすよ」

「塗壁も帰していないのにか?」

「それはまあ、置いといて」

 あまり置いておいてほしくないことだが、この際諦めよう。

「で、連れてきたのは件ってやつなんすけど」

 犬神は奥歯にものが挟まったような口調で、言いにくそうにしている。

 件。その言葉を耳にするのは今日で二回目だ。しかも一回目はおおよそ霊感を持っていなそうな普通のオフィスレディ。そして二回目が関係者。もしかしなくても関係しているのだろう。

「いつも通り鬼門を抜けて連れてきたんすけど、そうしたら先輩が留守にしていて。自分は家で待っているようにと言ったんすけど、その……」

「はっきり言え」

「ええと」

 犬神の物言いは的を射ない。何かを遠慮しているかのような感じであった。しびれを切らして、犬神を小突いた。

「ひっ……怒らない、っすか?」

「うだうだしている方が頭に来る」

 呉牛月に喘ぐように犬神が怖がる。犬なのに。

「正直に言うっす。件が言った通りに。自分が言ったんじゃないっすよ」

「分かったから」

「『こんな汚らしい所に長居はできないわ! ワタクシ自ら篝千歳を探しに行ってやりますの!』って……」

「滅す」

「ほら怒ってるっすっ~!」

 犬神が頭を抱えた。

 捕獲対象の場所は分かっている。駅前の広場だ。騒ぎが大きくなる前に捕獲して、今夜はバーベキューだ。

「喜べ犬神、今日は肉が食えるぞ」

「まじっすか! って、え? それって件じゃ」

「いいからいくぞ!」

 有無を言わさずに駆け出す僕。背後から待ってくださいよっ、という泣きそうな声が聞こえてきた。

 どうも最近我が愛すべき自宅の評価が軒並み不当に低い気がする。やれ汚いだの、襤褸臭いだの。そんなもの、見る側の瞳が腐っているだけだ。そういうわけで、修正しにいく。


徹夜明けで頭が働かない。誤字ないよね。よね?


そろそろ書きためが追いつかれそう

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