篝火 夏 -12-
前回のあらすじ
塗壁の活躍により事なきを得た千歳。ミコとの久しぶりな時間を過ごした彼に、また新たな客が訪れる
相談役が相談役をしている回です
もやもやする。
着地点は見つかった。
対等に、仲良く。
高尚な考えなんてなくていい。
それでいい。特別なことはなくていい。今の楽しい時間が続けば、それで。時々花見のようなイベントがあるのもいいだろう。
僕はもしかしたら、手に入れることの出来なかった青春を、彼らと一緒にやりなおしたかったのかもしれない。
でも、まだもやもやする。
ミコに撫でられた頭が今も熱を持っている気がする。ふと気がつくと、交わした小指を凝視していることもある。
新しい場所を模索して、着地して、落ち着いて。そうしたらまた、遠くの方におぼろげなものが見えるようになった。はっきりとしないもやもや。解決は急務かどうか。それすらもはっきりしない。
夜。入浴を済まし就寝すべく廊下を歩いていると、自室の引き戸が障子になっているのを発見。朝起きたときは普通の木戸だったはず。どうせユキらへんの悪戯だろうと気にせず部屋に入る。
たまの休みだというのに、全然休みになっていない。むしろ疲れがどっとでた。ベッドに倒れ込むと、すぐに睡魔が襲ってくる。このまま寝てしまいたい。けれど一旦居間に戻らなくては。
睡魔との格闘に終止符を打つべく、とりあえず瞼を開ける。
障子に人影が写っていた。
「誰だ?」
返事はない。
影からして、女。着物を着ているっぽい。ミコは普段袴だし、ユキは露出の多い薄着だ。芙蓉も体のラインは特徴的だし、白露も枯葉もこっちの世界のカジュアルな服装を好む……じゃあ誰だ。
そして合点。きっと新たな相談者だろう。鬼の親父さんが人知れずこっそりと連れてきたに違いない。
「今日は遅いから明日にしてくれ。それとも、部屋が分からないのか?」
返事はない。
無口な奴なのかもしれない。そうなると、妖怪って無口なやつ多いな。普段が普段だから自然一人になることが多いのだろうか。代わりにうるさい奴はとことんうるさい。存在自体がやかましいこともある。ちょうどよく会話でき、その上枯葉のように気の利く妖怪はいないものか。
部屋の案内くらいなら、それに顔も拝んでおこうと思い半分寝に入っている体をむりくり起して障子を開けた。
誰もいなかった。
「は?」
廊下の暗闇に僕の声が寂しく吸い込まれていく。
……廊下は暗かった。
何も見えないほどではないが、向こう側からくっきりと影ができるほどではない。それ以前に、部屋の電気がついているのだから外から影ができるわけがない。
狐につままれたような気持ちで―――おそらくミコは無関係だろうが―――自室に戻る。改めて障子を見る。
やはり影が映っていた。
「となると、影そのものが本体か?」
「ご明察」
鈴の鳴るような声がした。
「まじか」
障子の影が物を言った。
「どうも、影女と言います。この度はどうぞよろしくお願いしますね?」
恭しく頭を下げる影女。下ろした後ろ髪がさらりと垂れる。依然全身は真っ黒である。
「ああ、構わない……でもなぜ僕の部屋に」
「鬼の親父さんが、こちらでいいと。それに私も一人は寂しいですし、こちらではこの障子から動けないですし」
ふふふ、と影女が多分だが口に手をやる。全身真っ黒なので動きが判別しづらい。
「なら居間かミコの部屋に置けばよかろうに。僕はこっちにいない方が多い」
「いえいえ」
いえいえ、ではなくてだな。
それにしても、と思う。
声といい仕草といい所々に上品さが滲み出ている人だなあと思った。端的に言えば色っぽい。姿が見えないのにも関わらず、だ。
「もしかして、お前相当美人だったりするのか?」
「実体がないから分かりませんよ?」
でも、と影女は頬に手を当てる。
「向こうでは男の方がよくお話に来てくれますね」
「ほお」
男とは、見えないものに惹かれてしまう悲しい人種だ。性とも言っていい。隠されている物を追い求める、見えないからこそ情熱をかける。手に入らないからこそ、触れられないからこそ逆に燃え上がる。秘境に隠された財宝しかり、ビール一杯ウン万円の店で働く女性しかり。
馬鹿な男ね、と人は言う。確かに、馬鹿だ。生産性もなく、現実的でもない。だがそこには夢があるのだ。お金には代えられない、少年の、全国の男子の夢が。
さらにこの場合は別の要素が絡む。
それはマスク美人現象とも言う。
要するに、顔の一部が隠れていると美人に見えるというもの。前を歩いているスタイルのいい女性のことを勝手に美人だと想定し、いざその人が振り返ってみると落胆するというのも同じことが起きている。
想像の中では美人なのだ。そりゃそうだろう。だって想像だもの。理想でいっぱい夢いっぱいの脳内。現実は都合よく改変される。脳と言う奴はうまくできている。
ここでもやはり理想を追い求める。
結果、影女は美人というわけだ。
「千歳さんと話すと、元気になれるらしいですね」
「ただ話しているだけだけどな。特別なことは何もしていない。むしろ早々に追い返しているくらいだ」
「でも人間界に行って、戻ってくると皆さん顔が活き活きとしています。千歳さんは不思議な人間ですね?」
「僕からしたら、お前たちの方が不思議な存在ではある。もう慣れたけど」
変とは思わないし、それが理由で畏怖することもない。ただ予想外の動きには少し驚く。
「影女は、僕のこと見えているのか?」
「もちろんですよ。影になって見えていないかもしれないですけど、目も口もありますよ。千歳さんや他の方々とは住んでいる次元が違うだけで、私も普通の女の子ですよ?」
住んでいる次元って、超大金持ちの人からしか言われないと思ってた。新鮮な気分になるのと同時に、何かへこむ。どうせ低ソサエティの人間だよ。この家だって安いから選んだわけだし。
「人間界に来たのは、どうして?」
「いろいろ見てみたかったからです。でも、障子から出られないのでちょっとしか見ることができないですけど」
「僕が連れ出してやろうか?」
「えっ?」
「背負って町を散歩してやってもいい。
紐とかで括れば背中に背負えるだろう。しかしそれだと不審者に見られるかもな。車があれば楽だけど生憎持っていないしなあ。あ、リアカーがあったか。はてさてどこにしまってあったっけ」
ふふふ、と影女が笑う。やっぱり一々どこか色っぽい。さすが、声と影だけで数々の妖界の男共を魅了するだけある。もしかして鬼の親父さんも? 今度聞いてみよう。
「千歳さんってやっぱり面白い人なのですね」
「自分ではそうは思わんのだが」
「何もしなくて大丈夫です。ここから見える景色も十分に綺麗ですよ?」
そう言うと、影女はくるりと振り返る。影だから前も後ろもあまり変わらない。体が回るように動いたので後ろを向いたのだなと思った。
「空が見えるだけで十分。雲がゆっくりと変わっていくだけで十分。真っ黒な私の世界が、急に色づいた気分です」
「雲、見たことなかったのか?」
「妖界にはありませんでした。こちらに来たことのある方から聞いた話で、存在だけは知っていましたけれど。向こうは空も変わりませんから」
「というと」
「朝晩が無いのです。ただ、そこにのっぺりとした空が広がっているだけ。太陽も、月も、雲もない。美しい風景はありません。貼り付けたような、薄橙色の空。それが延々と広がっているだけです」
そうだったのか。
この前疑問に思ったことが、意外なところで解決した。
夜、来ないのか。
こちらまでしみじみとしてしまう。
桜がないのは知っていた。やることが無いのも知っていた。酒の泉と畑しかない、単調で淡白な世界。少し羨ましいとさえ思っていたが、それほどまでに変化が無いとは考えが至らなかった。妖怪と付き合ってなお、僕はまだ常識に縛られている。
「それはこっちが何でも珍しく見えるだろうな」
「はい。ずっと見ていても飽きません」
「退屈、なのか?」
恐る恐る、聞いてみる。
「はい?」
影女がまた回る。こちらに向き直ってくれたようだ。
「妖界での生活」
「あら」
影女は少し考え込むようにしていた。
「どう、なんでしょう。確かに、人間界に比べたら何もないところだと思います。することと言ったらお話だけですし、私は影なので宴会に参加しても見ているだけですし……ああ、そこはいつも羨ましく思いますね。私も飲み食いできたらなあ、って」
「できないのか?」
「影なので」
ふふふ、とまた笑う。
「慣れていますけどね」
「うーん」思いついたことがあった。「ちょっと待っててくれるか?」
そう言って部屋を出た僕は、キッチンから梨と懐中電灯を持って戻った。
「これでどうだろう」
部屋の電気を消して、梨を後ろから懐中電灯で照らした。
ぱっ、と障子に梨の影が映る。
「わぁ!」
影女は驚いていた。
「えっ、わぁ、ええ!」
電気を消しているので影女の姿は見えない。ただ驚きの声がひっきりなしに聞こえてくる。ふと思いつき、懐中電灯をさらに後方に下げた。光の当たる部分が拡大し、影女の姿も少し写るようになる。
影女は梨をちょんちょんつついたり、終いには持ち上げたりした。現実世界の梨に変化はない。影だけが動いている。
「触れる! 私触れています! わぁ! こんなの初めて!」
おそらく、こうして何かを投影する機会が無かったのだろう。朝も夜もないというが、終始真っ暗というわけでもあるまい。きっとぼんやりとした曇りのような日々が続いているのだ。物に影ができない程度の、取るに足らない退屈な日々が。
「千歳さん!」
影女は嬉しそうだった。見ると、梨の影が半分欠けている。食べたなこいつ。
「ありがとうございます! 嬉しいです! 初めて物を食べることができたんです! 口にじゅわっと広がって、なんと言えばいいか分からないのですけれど、舌先がふんわりとするような、口の中なのに包まれるような、ええと、その」
「それは梨だ。じゅわっとするのは水分で、多分それは甘い味なんじゃないか」
「これが甘いですか!」
へえ、と影女はしきりに頷いた。
「これだけで、人間界に来た甲斐がありました。私、知らないものを知りに来たんです。妖界は好きですけれど、やはり退屈で。そうしたら鬼の親父さんが声を掛けてくれて」
やっぱり親父さんもほだされていたか。
「こちらは色々なものが見れて、たくさんの変化が訪れていて、それに初めて、初めてご飯を食べることができて……こんなに幸せだったこと、生まれて初めてです」
「初めてづくしだな」
「はい!」
こんなことで喜んでくれるとは。
多分、それだけ妖界が何もないのだろう。
彼らのことを思う。痛みに耐えて、鬼門を越えてくる彼らのことを。その痛みの程度を、僕は分かってやれていない。いつも彼らは軽く語る。そして、自分の世界のこととなると口を閉ざす。
話したがらないのではない。
話すことがないのかもしれない。
それほどまでに悲痛な、何もない世界。
思い描いていたのは、働かなくていいという短絡な理想郷。
しかし現実はいつだって泣きたいほどに厳しい。
僕は食事のない世界というのを想像してみた。それは、食事と言う概念を知りつつも手にすることの出来ない世界。
人は、生きる者は理想を追う存在だ。手に入らないものほど情熱をかきたてられ、欲しがる。だから影女の境遇は想像もつかないほど辛いものだったのだろう。事実、僕には考えることすらできなかった。
「その懐中電灯は持って帰るといい。妖界にも暗い所はあるだろ? なきゃ鬼の親父さんにでも作ってもらえ。板かなんかで周りを覆ってもらって小屋にして。そうしたら、いつでも一緒に宴会ができるだろう?」
「……千歳さんは不思議な人です。それ以上に、いい人です」
影女は泣いているようだった。
「元気になる理由が分かりますね。あの、また来てもいいですか?」
「電池がなくなったら取りに来い。その時には、そうだな、梨を用意しておこう」
「はい!」
何もない世界の、さらに何もない世界で過ごす妖怪。
彼らが唯一の楽しみと言っていた事さえ手に入らなかった影女。
そんな影女に生きる楽しみを教えることができたなら、相談役もなかなか悪くないと思った。
影女は美人さん
妖怪と人間の関わる話は切なさがというものが憑き物だと思います。マクロな見方をすれば、遠距離恋愛的な。私の拙い文でそれが表現できたかは分かりませんが、そういうのが伝わればいいなと思うのです
ではまた明日。
最後に、みなさんいつも応援ありがとうございます!




