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篝火 ―夏―  作者: 日笠彰
11/29

篝火 夏 -11-

前回のあらすじ

気分転換の散歩が一転、千歳に危機が迫る。得体のしれない何かに追われ彼が逃げ込んだ先とは……



 神社に入った途端、恐怖が薄れていくのが分かった。

 守られているような安心感が僕を包む。息を切らし、膝をつき、それでも足らずに倒れ込む。

 あれはなんだったんだ。

 塗壁は大丈夫なのか。

 見上げた空はいつの間にか暗雲が立ち込めていて、閉じ込められたような気さえする。大丈夫、ここなら、きっと。

「何をしておるのじゃ」

 頭上から聞きなれた声が届いた。

「はぁ、はぁ……ミコ、か?」

 家で寝ているはずのミコが、心配そうな顔で僕を覗きこんでいた。

「ほれ、立てるかや?」

「今は、無理。まず水。待った、その前に塗壁を」

「む? 塗壁? まずは落ち着け、主。何があったんじゃ?」

 深呼吸して、息を整える。

 ミコが隣にいるだけでさらに安心できた。

「変な奴に、襲われた、お前なら感知できるだろう? 裏の竹林で、襲われたんだ」

 ミコの耳が忙しなく動く。

 やがて、彼女が訝しげに眉をひそめた。

「ふむ……確かに、何かおるの」

「それで、塗壁が壁になって、僕を逃がしてくれた。早く、あいつを助けないと」

「大丈夫じゃ」ミコはぽん、と僕の頭に手を置いた。「主がどこで知り合ったのかは知らぬが、塗壁は伊達ではない。奴が壁になったのなら、足元をすくわれん限り無敵じゃ」

「足元?」

「うむ。奴の壁はどうしようもないのじゃがの、棒切れか何かで足元を払えば消えてしまうのじゃ」

「なら危ないだろ!」

「主を追ってきたのは、理性的な奴ではあるまい? 気付かぬはずじゃ……ほれ」

 ミコの手が、僕の頭から離れる。彼女が指差した方向では、ケロッとした顔で塗壁がぽてぽて歩いてきていた。

 心底ほっとした。

 僕はそっと自分の頭に手を当てる。

 今だけは、どうしても読心されたくなかった。


 ああえがったえがった、と塗壁は笑う。

「今回は助かった。礼を言う」

「寮長が無事なら、何よりだす」

「うむ、塗壁。久しいの」

「ミコさん、お久しぶりだすなあ」

 どうやら二人は顔見知りの様だ。

「お前、言うほど卑屈になることないぞ。立派だったじゃないか」

「壁として役割を果たしただけだべさあ。でも、褒められると悪い気はしねんだなあ」

 塗壁は頬を染める。さすが妖怪。人型ではなくても感情表現は豊か。

「そんなら、ちょっと水さ飲んで来ますだ」

「うむ。そこの手水舎を使ってよいぞ」

 ミコが言うと、塗壁は頭を下げてまたぽてぽてと歩いて行った。

「今回は災難じゃったの」

「まあな。塗壁がいて良かった。それにしても、お前はどうしてここに? 塗壁が家にきたときには、もういなかったんだろ?」

「野暮用じゃ」

 ここは稲荷神社。ミコと遠からぬ縁のある場所だ。世の中には特殊な場がいくつかあって、寺社仏閣はほとんどそうらしい。そういう場所に来ると霊感の無い人でも霊が見えたり、逆に妖怪の力も高まるそうだ。

 なら、彼女がここにいる理由はおそらく一つ。

「……なあ、お前が張っている家に張っている結界って、お前が外に居ても家への侵入者が分かるんじゃないのか?」

「……読心はこういうとき不便じゃの」

「言いたいことが言わなくても伝わるから便利だ」

 僕の心を読んだらしいミコが、諦めたようにミコがため息をついた。

「そうじゃよ。昨日ので疲れたからの、休養に来ておった。ここならうちのホームグラウンドみたいなものじゃし、家で寝ているよりは楽になる。……まあ、あまり効果はなかったがの。結界は察しの通りじゃ。弱まっておる」

「やっぱりそうなのか。妖力、足りてないんだな」

 ミコの顔に影が差したような気がした。だが、それも一瞬で呆れ顔に戻る。

「何か、うちの居ぬ間にいろいろと聞いた様じゃのう? 犯人は大体予想つくが」

「白露は責めないでやってくれ。よかれと思ったことだろうし、あいつも結構迷ってた」

「ふむ……それはいいとしての」

 静かな時間が流れる。気がつけば、空はさっきまでのような青さを取り戻していた。あの暗雲は、僕に迫ってきた何かが呼び寄せたものだったのだろう。今になってまた、恐怖がせり上がってくる。直接見たわけでは無い。だが、感じられるだけでも十分に恐ろしかった。

 けれど今は、暖かい。

 廻り縁に並んで座り、足をぶらぶらさせながら空を眺めていた。

「初めてだった」

「何がじゃ?」

「妖怪を怖いと思ったのが。今までは、何かがやがやしたうるさい奴らくらいにしか思ってなかったけれど」

 千葉みたいな陰陽師、あるいは見えない人達の先入観を僕は否定してきた。妖怪は普通の存在だ、と。それが今日、必死で逃げた。肌で感じた。ぴりぴりと刺さるような殺気に、一も二もなく逃走した。背を向けて、目を逸らした。そんな自分が悔しかった。

「僕はミコ達のことを知っている。だから……」

「主らの世界にも、悪い人間がおるじゃろう?」

 ミコが体を寄せる。邪険にせずにいると、彼女は頭を僕の肩に乗せてきた。

「そういうこともある。うちらもたくさん、いろんな者がおる。じゃから、そう自分を責めなくてよい」

「そう言ってくれると助かる」

 恐怖と自責の念で強張っていた心に、彼女の言葉がすっと染みこんでいく。いつの間にか、僕も彼女の頭に自分の頭を乗せていた。互いに寄り掛かりあう状況。こんなの恥ずかしくって他の奴らには見せられない。

 安堵が全身に広がる。体の芯までぽかぽかしている。

「久しぶりだな、こういうの」

「うむ」

 最近は、二人きりで話すことが少なくなっていた。

「最初に主に会ったのは、うちなのにの」

「懐かしいな、あれ」

 思い出して、苦笑する。あの時は心臓が飛び出すんじゃないかと言うくらいに驚いた。

「茶を飲んでいたら突然ミコが出てきた」

「主は平然とうちに茶をだしてきたしの」

 こっちが驚いたわ、とミコも笑う。

 霊感などは持ち合わせていなかったから、妖怪なんて見たこともなかった。それでも普通に接することができたのは、当時自分が相当に人間関係に病んでいたからだと思う。今では必要最低限には人と会えるし仕事だってできるが、ミコ達と出会う前は何も信じることができなかった。

 だからこそ、人じゃない、妖怪達に繋がりを求めた。

「嬉しかったがの。出迎えてくれて」

「お互いぽかんとしながら茶を啜ったな。……あの時、どうしてお前はあそこから?」

「いろいろあっての」

 ミコの声色は、少し憂いを含んでいた。いつもと同じ、身の上話をする際の陰りのある口調だった。

「なあ、ミコ。どうしてお前らは、自分のことを話したがらないんだ?」

「知りたいのかや?」

「分からん。近づきたいのか、離しておきたいのか。でも、仲良くはしたい」

「主らしいの」

 ミコがくすりと笑う。

「……うちらも怖いんじゃよ」

「何が?」

「今の場所から、離れるのが。皆、怖がっておる。皆、主が好きじゃ。主のこともよく知っておる。だからこそ、自分達の所に踏みこんた主が、離れて行ってしまうのを怖がっておる」

「何を知っても離れない……なんて口約束はできない、かもな」

「正直じゃからの、主は。それでよい。いつか、いつか決心がついたら、じゃ。それまで待っててくれるかの」

「今まで通り、気長にな」

 悩んでいたのが馬鹿らしい。結局は、いつも通りに逆戻りだ。

 だが、自分の心の着地点は分かった。何をしたいのか、どうしたいのか。僕はただ、こいつらといつまでも楽しく一緒にいたいのだ。理解とか、寛容とか、そういう高みからの関係ではなくて、対等に、仲良く、僕らしく。

「黙って勝手に消えるとか、無しだぞ」

「約束じゃ。危なくなったら主に言う」

 僕の子指と、彼女のか細い子指が絡み合う。歌いながら、上下に振るう。

 社に、のどかな歌声が流れる。

ゆーびきーりげーんまん―――。

 

 


書きために追いつかれそう

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