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篝火 ―夏―  作者: 日笠彰
10/29

篝火 夏 -10-

前回のあらすじ

宮野の言葉に強く揺さぶられた千歳。妖怪と人、二つの間には遥かに隔てる距離がある……。

 昼、塗壁を連れて散歩に出かける。物置に仕舞われていた古いリードを引っ張り出して、まさに犬の散歩気分。塗壁も額の瞼さえ閉じればちょっと不細工なブルドックに見えなくもない。

 燦々たる夏の日差しが肌を貫く。

 心を洗うように青い、玲瓏な夏空はどこまでも果てしなく広がっている。地平線に聳える小山が緑を深め、気持ちよさ気に風に靡いていた。

 小さなころ、ビー玉を目に当ててそれごしにいろいろ見て遊んでいたことを思い出す。お気に入りの青みがかったそれから覗く世界はいつも煌めいていて、爽快な青さをしていて美しかった。

 あの時は世界も、ビー玉も、自分さえも綺麗に見えた。今はどうだろう。少なくとも、二つは汚れてしまっていそうだ。

 海は毎日飽きもせず太陽の光を全身で浴びて、そしてこれでもかと光を反射させている。眩しいか太陽! そう言わんばかりである。海上からぬっと顔をだした入道雲が上からも下からも照らされて、透くような青空と瑞々しい海との境界でノスタルジックなコントラストを生んでいる。どうしてこう、夏の田舎の風景は人を帰郷病にさせるのだろう。そこに行ったはずがないのに、今ここが自分の住む町なのに、どこかに帰りたくなる。

 上下から焼かれるのはまた人も同じ。逃げ水を追いかけながら塗壁と共に田舎道をとぼとぼと歩く。

「おらは首輪がお似合いだあ。家畜のように生きるんだっぺさ……」

「そう卑屈になるな。そもそもお前犬の一種じゃないのか」

 四足歩行はデフォルトだろう。

「二足歩行は腰が痛えべ?」

「選んで四足なら納得しろよ」

 自分が選んだのなら、責任を持たなければならない。自由と責任は合わせて一つだ。

 ちりちりと肌が焼けるのを感じながら、日陰を求めさ迷い歩く。いつしか足はいつかの竹林へと向いていた。

 地蔵のいる三叉路。

 せっかくだから拝んでいく。

「世界平和世界平和世界平和」

「寮長は人格者様だす」

「他に願うことが無いだけだ」

 かつて求めた我が家の平穏はもう必要ない。

 慣れれば日常、住めば都。

 右に行けば雑木林と嫌な思い出のある史跡。左に行けば、神社へと続く道。

 今日は左に曲がった。

 木の塀に囲まれた、僕の家ほどではないが古い家屋が続いている。神社を挟んで反対側は比較的新しいお洒落な住宅街になっているというのを考えると、この対比は面白い。まるで神社が時間軸の結界になっているみたいだ、と子供みたいに考えた。

 道を行くごとに一本、二本と竹が増えていき、最後は広大な竹林に突き当たった。神社の裏手に広がる庭園である。見かけることはあったし神社にも訪れることはあったが、裏庭に足を踏み入れるのは初めてだった。

 風が吹くたびにからからと竹が鳴る。光っている竹があるなと思ったら、木漏れ日が当たっているだけだった。かさかさ、からから。竹林の中を清涼な風が吹き抜けていく。見上げれば覆いかぶさってくるかのような立派な竹の数々。もしかして、もっと早く来ていれば筍にありつけたのだろうか。

 ほどなくして神社が見えてきた。といっても背面である。どうせならここでも世界平和を祈っていこう。

 世界平和希望の日。

 今日はどこかがいつもより平和になっているかもしれない。

 争いがなくなればいいと思うのは、普通のことだ。でも、決してなくなりはしないだろう。人と人との間には壁がある。裏には思惑がある。誰も彼もが本心を見せないで相手を利用しようとする。だから押さえつけるしかない。相手か、自分の心を。

 人という同じ種族の間でそれなのだ。

 人と妖怪の間にはきっともっと高い壁がある。近づききれない、遠く隔てた距離がある。

 でもどうしてだろう。人間のそれよりは、越えやすく感じられてしまうのだ。人の壁を絶対的と感じている僕が。

 所詮、僕と彼らとの間にあるのは種族の壁だけなのだ。ミコ達には、裏表がない。人間の姑息さがない。きっと理解し合えれば、人よりももっと人間臭いミコ達との壁は簡単に壊せる。

 壊せるのに。

 その一撃となることを、なかなかさせてくれない。自分達のこととなるといつも閉口する。大事にしてあげて? 大事にしてやりたい、してきたつもりだ。

 頭の隅に追いやっていた感情が、今になってふつふつと復活してくる。

 他人と関わるたびに、自分とミコ達との関係の脆さが露呈してくる。

 分からん。自分がどうしたいのか全く分からん。分からないから分からないなりに近づこうとして相談役のようになり、今もこうして塗壁を散歩している。

 だがそれは僕の本望なのか?

 近寄りたいのか、近づきたいのか。

 違うそうじゃない。対等でいたかったはずだ。

 では、僕が知りたいのは一体なんなのか。

「寮長、神社の中なら安全だす」

 袋小路に落ちて行った僕の思考を、塗壁が呼び戻した。その声は、初めて耳にする真剣さを帯びていた。

「おらが壁さなんりますんで、走って逃げてくんさい」

「何言ってんだ」

「はよう!」

 塗壁の怒号が響く。急に飛び上がったかと思うと、背中からぶつかってきて僕を前に押し飛ばした。急な事態に対応できず、僕は無様に参道に転がる。

 視界が蔭った。

 塗壁がぶくぶくとその体を巨大化させていた。山のように大きくなりながらも、なぜか周囲の竹林は折れたり倒れたりはしていない。

 器用に、竹が、避けていた。

「はぁよぉう!」

 くぐもった塗壁の声がわんわんと響く。段々と体の凹凸が少なくなっていく。そして、そいつは壁になった。

 どこまでも高く、どこまでも横に伸びた絶対の壁。乗り越えられない、壊せない、僕とミコ達の間を象徴するような。

 突如、全身を舐めまわされるような嫌悪感が襲った。壁の向こう側からこの世の物とは思えないおぞましい雄叫びが聞こえてくる。言葉を為していなくてもそれとわかる、明確な怨念、恨み、殺意。体が思い出す、似たような負の感情。鳥居の向こう側に感じたものと酷似していた。

『りょおうちょおう!』

 塗壁が怒号する。だが、恐怖で体が動かない。

 何か、いる。

 向こう側に。

 次の瞬間、壁が激烈に叩かれた。

 爆発のような衝撃音が壁を伝わって届く。それでも塗壁は微動だにしない。おかげで、やっと体が機能を取り戻した。

「大丈夫なのか!」

『いってぇえくだせぇえ』

「っ! 任せたぞ!」

 震える膝を叱咤し、一心不乱に参道を駆け抜ける。背後では鼓動のように、向こう側から壁を叩く音がする。鳥居だ。鳥居にいた奴と同じだ。あそこは、破れたのだ。そして出てきた。何か禍々しいものを吹きだしていた、あの鬼門から、恐ろしい何かが。

 


毎日更新(家に帰るまでが遠足、寝るまでがその日。例え朝九時に寝たとしてもその日のうち)

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