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ロトュスプルの花が閉じる頃には、無数のいびきがそこら中に響きわたっていた。
祝宴に乗じて羽目を外すのは、種族や場所を選ばないらしい。
盛大ないびきの輪唱を後に、雪上車が停めてある集落の入口へとオレは走っていた。後ろには、雷鳴鳥に乗るジャッドが続く。
冷気に喉が灼かれる前にマスクをたくし上げ、牽引しているコンテナのハッチを開き、ビークルに乗り込んだ。
『案内は、私に任せてください。エカイユが乗る、凍土馬の臭いを追います』
ビークルを追い抜かし、先導するジャッド。揺れるランタンの明かりを目印に、オレは真っ暗闇の凍土を走る。
『ジャッド、見ろ。フェアリィが騒いでるぞ』
『どうにも、胸騒ぎがします。密猟者となると、少々厄介ですね』
戦闘は、避けられないか。FEL式スナイパーライフル銃タロを手元に引き寄せ、すぐ使えるように、起動スイッチを押し込む。
『密猟者っていっても、せいぜい四、五人の猟師集団だ。こっちは二人だが、戦闘経験のあるなしの差は、結構でかいだろ』
『なるほど、良い目をしているとは思っていましたが、ウルブスキィさん戦士でしたか』
暗闇の中に、人工灯の瞬きが見える。胸騒ぎは的中、密猟者だ。
『元、がつくけどな。それなりに当てにしてくれていい。さて、露払いといこうか!』
◇◆◇◆
昨日の、今日だ。
雷鳴鳥目当ての密猟者とは、どこかで鉢合わせするとは思っていたが、まさか、ようやく見つけ出した雷鳴鳥の巣の前でとは思ってもみなかった。
「狩人とも呼べぬ蛮族めが!」
エカイユは腹の底から煮えたぎるような怒りを噛みしめ、フェアリィの深紅の輝きに興奮する凍土馬の腹を蹴る。
密猟者といえど、その全てが腕の長けた熟練者というわけではない。まして、気性の荒い雷鳴鳥を捉えるのは、シュヴァルでも難しい。
辿り付いた雷鳴鳥の巣穴でエカイユが見たものは、真っ黒焦げの二つの死体だった。
綺麗な毛並みは溶けてごわつき、これでは商品にならないと捨て置かれたのだろう。
必死の抵抗が見て取れる二頭の周りには、柔らかい産毛が散らばっていた。おそらくは、子供のものだ。
(まだ、幼いのなら生かされている可能性が十分にある。いや、生きていようと死んでいようと関係無い。命を冒涜した罪は重いぞ)
凍土に厚く積もる雪にくっきりと残る、雪上車の轍。フェアリィの輝きも、だんだんと強くなってきた。もうすぐ、奴らに追いつく。
シュヴァルは、基本的にFEL式銃を使わない。狩猟や蛮族との戦いには、手製の弓矢を用いる。エカイユは背負った矢筒から矢を一つ取り出し、鞍に引っかけていた弓を手に取った。
フードを脱ぎ、銀色の髪から突き出した鉱角を矢尻で軽く弾くと、音のない音が視界の効かない闇の中に響きわたった。
闇の中、強化人としての感覚はたしかに、疾駆する雪上車の姿を捉える。
「風はない、やれる!」
エカイユは己の感覚を頼りに、矢を放つ。
細腕から放たれた矢は、空気中に散る細氷を弾きとばし、雪上車の装甲へと突き刺さった。音を介して伝わってくる手応えに、再び手綱を握り速度を上げる。
相手の得物は、FEL式銃だ。
直線に進む特性は読みやすいが、一瞬で着弾するとあって、ほぼ避けることはできない。狙いをつけられてしまったら、即、終りだ。
すぐ側を、光線が走る。
相手はまだ、見えない。焦りに滲む汗が、こめかみに凍り付く。
技術も思想すらなくとも、簡単に相手を御せる野蛮な代物。それが、FEL式銃だ。
「そんなものに、負けてたまるか!」
怯える凍土馬を撫で、再び鉱角を弾いた。たぐり寄せたイメージを頼りに、敵の動きを読む。銃爪に指がかけられるより先に動かなければ、殺される。
問題は、凍土馬だ。
賢い生き物だが、あまり気は強くない。間髪入れずに放たれる光線への恐怖に、どれほど耐えられるだろうか。
(……雷鳴鳥であれば!)
無い物ねだりをしても、しかたがない。そうは思っていてもやはり、歯がゆかった。
弓に矢をつがえ、射る。
甲高い音。
氷床毛長鳥の爪を削った矢尻は、鉄をもろともしない。闇の中から聞こえてくる悲鳴は、焦っている。
『車を、止めよ!』
『うるせぇ! ガキが偉そうに!』
闇を押し広げ、視界に迫る雪上車の影が迫る。近づいたのではない、向こうが接近してきたのだ。まずい。
エカイユが反応するより先に、凍土馬が嘶く。巨大な、化物のような影にすっかり怯えきってしまっていた。
ぶれる視界に、エカイユは反射的に受け身をとった。
結果からいえば、落馬して正解だった。凍土馬にしがみついままだったら、FEL式銃の餌食になっていただろう。
逃げて行く凍土馬の気配に安堵しつつ、埋もれた雪から這い出る。
『見覚えがあると思えば、昨日のガキか』
雪上車から降りてきた男の大きな手には、銃が握られている。
加熱し、湯気を上げている銃口から感じる殺気に、エカイユは頬の銃創がひきつれるのを感じた。
しかし、悲鳴は上げない。果敢に男を睨み付ける。
『雷鳴鳥は、どうした? 子供がいたろう!』
『檻の中だよ、お嬢ちゃん。殺すよりも生け捕りにした方が、高く売れるんでな』
弓は、凍土馬の鞍。
手元にある武器は背負っている矢と、腰帯に挟んでいる短剣だけ。
『お嬢ちゃんを人質にして、もう二、三頭雷鳴鳥を仕入れるか。下手な抵抗は、やめておけ。いくら強化人でも、獣化人の反射神経には勝てないぜ』
『言われなくとも、分かっている』
両手を挙げ、無抵抗の意を伝える。銃口が合図してくるのを待ってから、エカイユはゆっくりと立ち上がり――砂のような雪を男へと向けて蹴り上げた。
『女だと思って、油断するな!』
男の手元へと、飛びかかる。――だが。
『大人しくしてなって、言っただろう!』
目の前に立っていた男とは別の方向から襲いかかって来る気配に、息を飲んだ。
瞼の裏で星が散り、焼けるような痛みに体が強ばる。
痛烈な、打撃が腹部を圧迫する。
『これだから威勢が良いだけのガキは困る!』
雪の上に転がり、エカイユはもう一人の密猟者を見上げた。
髭面の、熊みたいな大男。銃は持っていないが、丸太のような腕はそれだけで凶器だ。
『遠慮するな。細っこいあんよを、ちょいとばかり灼いてやれば、大人しくなるさ』
顔にへばりつく粉雪を振り払い、男が銃の銃爪に野太い指をかける。ぎらついた目は、容赦も情けもない。
『――鏡を見てみろよ、おっさん。その子を口説くにゃ、あんまりにも不細工すぎるぜ』
ぱっ、と瞬くFEL式銃の光線は、ピンポイントに男の手にある銃を射貫いた。
『走れ、エカイユ!』
突然の襲撃に怯んだ男の隙を突き、エカイユは痛む体を無視して駆けた。
遙か先。
闇の向こうから放たれる光線が、追いかけてくる男の足を撃ち抜く。
『ウルブスキィ殿!』
無音に近い凍土を、雄々しい風の音がうなり声を上げている。