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ジャッドの案内でリムセラと呼ばれている集落に着いた早々、招かれたエカイユの実家で、一ヶ月の極寒生活のなかで何度夢に見たか分からない、暖かい食事を提供されている。
生きてて良かったと思うのは、暖かい部屋で誰かと食を共にしている時だろう。どんな不平不満も、原を満たされているあいだはどうでもよくなるもんだ。
リムセラには、数多くの部族が一緒に暮らしている。エカイユは、デューケ鄕と呼ばれる部族の、長の孫という立場らしい。つまりは、お嬢様だった。
「雷鳴鳥、か。話には聞いていたが、見たのは初めてだよ」
「氷床毛長鳥よりも、ずっと足がはやいですからね。知能も高いので、手練れの騎士でも野生種の捕獲はなかなか成功しません。知っていますか? 雷鳴鳥の飼育種は、個体によってヒトの言葉を理解することができるんですよ。さあ、ウルブスキィさん。スープのお代りは、いかがです?」
「ああ、もらうよ」
嬉しい申し出に、断る理由はない。残ったスープを恋人の唇を貪るようにかきこんで、ジャッドに椀を突き出す。
なんたって、一週間分の食料を切り詰めながらの生活だった。まだまだ足りないし、正直スープは美味かった。
「ウルブスキィ殿、エカイユから全ての経緯を聞きました。恩人に刃を向けた非礼、心よりお詫びいたします。機械は直せませんが、暖かい寝床の用意と街までの案内はお任せください。責任を持って、コタンへと送り届けましょう」
湯気の立つ椀が、目の前に置かれる。許すも許さないもない。むしろ、食事と寝床の世話をしてくれるのだ、感謝しかない。
「しかし、意外ですよ。凍土に、一人で狩りなんて危険を冒すようなヒトには思えませんが」
「意外もなにも、本来なら単独で狩なんて無謀はしないよ。ちょっと事情があってね」
月報草のハーブティを啜る。
一ヶ月周期で開花と結実を行う特殊な植生をもっていて、時計代りにと重宝されている植物だ。洞窟の入口に止めてあるオレの雪上車の中にも、枯れかけの月報草の鉢がある。
月報草の、つんと抜けるさわやかな香りと味は、低温に晒されてぐずついた鼻をすっと、通り抜けた。
「相棒……ビャクダンってのがいるんだが、へらへらした顔で、女だてらにかなりの酒豪でさ」
思い出すと、こめかみが痛くなってくる。
「ちょっと目を離した隙に、世話になっている宿の主人が、後生大事に抱えていた酒を全部飲んじまってな。まあ、本人が言うにはちゃんと舐めるほどには残しておいたって言い張ってるが、どうでも良すぎる言い訳だ」
わざとらしく肩をすくめると、ジャッドは「雪上車の中にあった、絵のお方ですね」と苦笑を返してきた。そうだと頷く。
「のろけているわけじゃないが、絵を描いた本人は三倍ぐらいは綺麗だ」
あまりにも酷い絵だったので、記憶に残ったんだろう。
「それがまた、馬鹿みたいに高い酒で、弁償するにも手持ちの金なんてありゃしない。一度や二度はなんとか許してもらってたんだが、さすがに三度目となると向こうも怒りを治めてくれなくてな。ことの原因である相棒は、酒代の抵当にはいってるってわけだ」
「それで、ウルブスキィさんはたったひとり。愛しの姫君を助けるために、銃を握ったと」
言い方によっては感動的だが、事の発端が情けなさ過ぎる。笑えない。赤く染めた髪を、オレはがしがしとひっかいた。
「借金の抵当にはいるようなやんちゃな女だぜ、お姫様なんてがらじゃないよ」
「違うのですか? 剛胆な貴方の心を射止めた御仁であるのなら、さぞかし素敵な方だろうと思ったのですけどね」
よしてくれと、平静を装ってハーブティを啜る。
「オベレグを旅立つ良人に渡すなんて、甲斐甲斐しいではありませんか」
「この、魔除けが?」
ジャッドは頷いて、胸元から同じ土人形を引っ張り出した。悔しいが、可愛らしい顔が描かれている。
「オベレグはもともとシュヴァルの風習で、妻が己の容姿を土人形に書き込み、心を捧げるという意味合いで夫に渡す代物ですよ」
「――ぶっ!」
飲み込みかけたハーブティが、気管に潜り込み、咽せる。なるほど、よくよく見れば、頭部の緑色は、ビャクダンの髪の色に見えなくもない。
かなり良心的に解釈すれば、だが。
「なにはともあれ、出会ったのが貴方のような誠実な方でよかったと思っておりますよ。助けに入ってくださらなければ、エカイユは頬を灼かれるだけでは済まなかったでしょうから。シュヴァルは、ヒトの出会いに意味を見いだす部族です。華燭の儀を前にして、良き出会いができたことを、たいへん嬉しく思っていますよ」
「華燭の儀って、なんだ?」
「結婚式でございます、お客人」
ふわ、と広がる花の香りに顔を向ければ、奥へ続く扉の前に女が立っていた。目があうと、スカートの裾を持ち上げて可愛らしくお辞儀をした。エカイユの姉、リュビだ。
琥珀色の鉱角を銀の髪から生やしているが、あまり似ていない。
エカイユのような派手な印象は、彼女になく。言っちゃ悪いが姉妹のようには、とても見えない。聞けば、母親違いの姉妹だそうだ。
「改めて、お礼をいわせてくださいませ。エカイユを助けていただき、感謝しております」
スープを作ったのは、リュビだろう。素直に美味いと褒めると、白い肌がほんのりと赤く染まった。
食材の質もあるが、やっぱり料理人の腕がなけれはここまで美味く仕上がりはしない。彼女の爪の垢を少しばかり拝借して、ビャクダンに煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
愛情がたっぷり入っているのだというが、味か伴ってなければ意味がないだろ?
「結婚式か、そりゃ良い時に来たもんだ。手先が器用な嫁をもらえるなんて、運の良い男だな、ジャッド」
少し間を置いてから、実に幸せそうな微笑が返ってきた。つられて、オレの口元も緩む。
他者の介入を許さないほどの甘い雰囲気は、一ヶ月、一人で堪え忍んでいたオレには、ちょうどいい濃さだ。
「親族が集まり次第、式を開く予定しております。もしよろしければ、わたしどもの晴れの日をご覧になられてみてはいかがでしょう?」
「もちろん、無理にとは言いませんよ。お急ぎであれば、私の部下を道案内にお出ししましょう。無論、信頼に足る人物を派遣いたしますので、安心なさってください」
二杯目のスープを平らげ、匙を置く。
オレの脳裏には、にこやかに別れたビャクダンの顔が再生されていた。事態をまったく分かっていない、清々しい笑顔が実に印象的だった。
「滅多にない機会だし、参加させてもらうよ」
オレの帰りを待ちわびているだろうビャクダンには悪いが、ここで、羽を伸ばしたって構わないだろう。
なんせ、地味に死にかけていたのだ。自分の失態じゃないところが、なおさら憎らしい。それにだ、とにかく今は、人恋しくてたまらなかった。もう少しだけ、手厚いもてなしに浸っていたい。
「では、私はこれにて。事の次第を、族長に報告せねばなりません」
「ああ、ジャッド。外に行くんなら、軽く町を案内してくれよ。途中までで、構わないからさ」
返事を待たず立ち上がるオレに、ジャッドは怪訝そうに首を傾げる。が、すぐに頷いた。
「――ええ、勿論」
微笑めば、うっかり男でもオトされてしまいそうな微笑を浮かべたジャッドは、リュビの白い頬に軽く口づけを落して出て行った。
いやだね、見せつけてくれるじゃないか。