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勘とレーダーを頼りにビークルを走らせ、数分。
クレーターのような窪地に、雪上車のキャタピラ音が反響していた。サーモグラフィ越しの視界に見える影は、二つ。追いかける雪上車と、追われる小さい影は――子供だ。
「密猟者の類だとは思っていたが、まさか、ニンゲンを追いかけているとはね」
正義の味方を気取るつもりはないが、どちらに付くかは、言わなくたって分かるだろう?
ライフル銃の起動スイッチを押し込み、追われる子供へと向かってビークルを滑らせる。窪地の傾斜は思っていたよりも急で、機体は谷に落ちるようにぐんぐん加速していった。
ビークルのライトが子供を照らし出し、オレは面食らう。口から泡を滲ませた凍土馬に跨っていたのは、まさかの少女だった。
布地を重ね合わせた特徴的な衣装は、話に聞いている騎馬民族シュヴァルのものだろう。銀色の巻き毛から突きだした、琥珀色の鉱角。強化人と分類される人種が持つ、感覚器官だ。
『援護する、止まれ!』
多面的回路は、遺伝的に受け継がれる。少女にも、通じているはずだ。
人工の光に照らし出される顔は幼く、突然の新手に対して今にも泣き崩れてしまいそうだった――が。崩れかけたのは、一瞬。ぐっと引き結ばれる唇と視線に、震えが走ったのはオレの方だった。狭い視野が、少女の放つ気配に埋め尽くされる。
(良い目をしているじゃないか)
少女は凍土馬の腹を蹴り、オレと距離を取って併走しながら、弓矢を手に取った。語り継がれてきたスタイルを崩さない、誇り高い部族の弓。
古典的だからといって、侮ると痛い目を見る。鋭い矢尻は氷床毛長鳥の爪を削りだしたもので、鉄の板さえ軽々と貫くことができる代物だ。
『お嬢ちゃん、オレは味方だ』
『わたしは、お嬢ちゃんではない! 貴様は、いったい何者だ!』
FEL式銃が擦ったのか、白い頬が赤く腫れていた。寒さで痛みが麻痺しているのだろうが、怯むことなく立ち向かう姿は雄々しい。
『ウルブスキィ・メラル・カルニィダだ。で、お嬢ちゃんは?』
『――え? あ、エカイユだ』
つられて名乗るエカイユの惚けた顔に手を振って、ブレーキ代りのアイゼンを凍土に突き立てる。
熱を感知したセンサーが、警告音を鳴らす。が、無視だ。急旋回。
呆然と立ちすくむエカイユを基点に、雪上車の射線上に割り込んだ。肉眼では見えないが、熱源を白く浮き上がらせるサーモグラフィは、きちんと四角い影を捉えていた。そして、こっちに向けられているFEL式銃の影すらもくっきりと、ゴーグルに表示してくれている。
直後。
赤い光線が、タイムラグもなく視界を埋め尽くす。ビークルの後ろでエカイユの悲鳴が聞こえるが、慌てることはない。
すぐさま反応したシステムが、夜空へと光線をはじき飛ばした。
『型落ちだが、こちらとら帝国の軍用ビークルだせ。それくらいの出力じゃ、びくともしないさ』
面食らっているだろう密猟者達を笑い、キャノピーを上げる。
ライフル銃にスコープは付いているが、使う必要ない。ゴーグルに映し出される、雪上車の形をした熱の塊へと照準をあわせ、銃爪を引く。
ルビーで着色された光線が、一直線に走った。
当然、直撃。
狙い通り、設定した出力も狂い無く、雪上車の横っ腹を抉って、光は消失した。
ライフル銃を構えたまま、敵の動向をさぐる。まだ向かってくると言うのなら、こっちも本気で迎え撃たなけりゃならない。
直撃させず、しかし、相殺される力を計算して適切な出力を選択し、放った。オレの力量は、向こうも思い知っただろう。
『そうだ、逃げるのが賢明な判断だ。根っからの無能じゃなくて、助かったよ』
ビークルのレーダーで、離れて行く熱源を確認してから銃口を下ろす。女の子を守りながら戦うのは無茶だし、たとえ単独だったとしても、サポート無しで戦うのは無謀だ。どうやら、腰にぶら下げた魔除けの効能はたしからしい。
ほっと息を吐き、オレはビークルから飛び降りた。
『見ての通り、オレは君の味方だ。頼むから、矢で撃たないでくれよ』
両手を挙げて振り返るが――
『……って、おい! 大丈夫か?』
口から泡を吹いた凍土馬が、白目を剥いて倒れている。落馬したのだろう、側には埋もれるようにしてエカイユが仰向けに転がっていた。
返事は無いが、意識はまだある。雪の絡みついた長い睫が、震えていた。
見たところ、怪我はFEL式銃による頬の熱傷だけだ。むしろ、凍傷の方が心配だった。随分と長い時間、追いかけ回されていたらしい。
一刻でも早く、体を温めてやらないと命に関わる。
抱き上げようとした、その時だ。小さな体に触れるのを咎めるように、があがあと煩いだみ声が響いた。間違いようもない、雷を連想させる無駄に大きい鳴き声は、凍土に広く分布する氷床毛長鳥のものだ。
だが、なにかがおかしい。
荒ぶる自然に鍛えられた直感が、不穏なにおいを嗅ぎ取っていた。エカイユをそのままに、ゆっくりと立ち上がって、振り返る。
大きな体に反して非常に臆病な氷床毛長鳥は、まず、単独で行動することはない。だが、聞こえてくる鳴き声は一つきり。間違いない、何かが来る。
そして。直感は、オレを裏切らなかった。
びゅん、と。風を切る轟音が、足元に突刺さる。
あまりの鋭い狙いに、込み上げてくる笑いをぐっと飲み込んで、意識だけを鋭く尖らせる。放たれた矢の意味は、警告だ。ならば、下手に動くのは逆効果だろう。
鳴き声だけが、響く闇。ビークルのライトに浮かび上がったシルエットは、卵を何倍にもでかくしたような綺麗な楕円形をしていた。
たっぷりと蓄えた脂肪質の体の中に折りたたんだ足で、跳ねるように走る巨体。
骨張った鋭いかぎ爪が土を蹴り上げ、三角形の細長いヒレを左右に付きだし。黄色い嘴をとからせて疾駆する姿は、雄牛のような殺気に満ちている。だが、頭の上に生えた金色のトサカは、よく見る個体と違っていた。食用として狩られている氷床毛長鳥には、とさかがないはずだ。
『雷鳴鳥か』
オレのすぐ側を駆け抜けて行く雷鳴鳥の背には、鞍がくくりつけられていた。どうしてか、無人ではあったが。
雷鳴鳥が、ヒレのような翼で矢を射ってきたなんて考えられない。
『何者ですか?』
あえて動かず、突っ立ったままのオレの喉に突き立てられたのは、小振りだが、やけに鋭いナイフ。目の前に立つのは、銀色の髪と新緑色の鉱角を持つ背の高い男だった。雷鳴鳥の乗り手だ。
オレよりも頭一つ分高い位置から、鋭い視線で睨め付けられる。
威嚇なのは、最初から分かっている。殺す気があるのなら、先ほどの矢で貫かれているはずだ。ここで慌てふためけば、それこそ肝の小さい奴だと舐められるだけだろう。おもしろくない。
『見たとおり、旅人だよ。流れ弾を食らったんで、ちょっとした仕置きと教育をしてやったんだ。使い方の知らない連中のせいで、FEL式銃は野蛮だの、卑怯だのと誤解されっぱなしで困るよ』
エカイユと似た、個性的な服を纏った男の視線が、肩に提げたライフル銃へ動く。
『FEL式銃を向けられて、正直、ヒヤリとしましたよ。永久氷雪を溶かすような熱気に晒されて、生きた心地がしませんでした』
『そりゃ、悪かった。だけど、ちゃんと当たらなかったろ?』
丁寧な言葉使いにもかかわらず、オレを睨む相貌は鋭い。挑むように持ち上げられる薄い唇は、ちょっとでも動けば、首をはねるぞ、との無言の威嚇だ。オレも、負けちゃいられない。
『寒空で、男同士見つめ合っている場合じゃないと思うけどね。その子、エカイユと言ったか。凍傷をおこしかけている、早く暖かいところに運んでやった方が良い』
オレの忠告に、ナイフが僅かに引くのを感じた。
そうだ。睨みあうよりも先に、やらなくちゃならないことがある。
『ちょうど良い事に、オレは雪上車をもってる。応急手当ぐらいなら、提供してやれるよ』
男はナイフを鞘に収め、深い息を吐いた。目を閉じて荒ぶる気を落ち着けると、穏やかな表情になって向き直り、右手を差し出してくる。
もちろん、拒む理由はない。
一ヶ月ぶりのヒトの感触を味わうように握り返す。
『分かりました、貴方を信じましょう。たしかに、今は、この子を屋内に運ぶ方が先決です。見たところ、悪い人でもなさそうだ』
『オレが悪人に見えるなら、あんたの目は節穴ってことになってたぜ。オレは、ウルブスキィ。あんたは?』
『私はジャッド。……エカイユと同じく、シュヴァルの騎士です』
騎士か。道理で、勇ましいわけだ。
ジャッドはエカイユではなく、白目を剥いている凍土馬へと膝を着いた。
しなやかな筋肉をもつ太い足には、すでに痙攣が始まっていた。もう助からないだろうと、素人目から見ても分かる。
『……団長、まって、ください』
ナイフを抜くジャッドは『殺さないで』と呟くエカイユに背を向け、無言のまま手を動かした。