その2、銀髪少女・久留熊カジカについて
宇崎雪乃をヘビで脅かした日、五年二組はそのヘビ事件の話題でもちきりだった。ヘビのインパクトの強さもさることながら、宇崎の驚き方が激しかったことも話題性の一つになっていた。実際俺も大人しい宇崎があんなに大声を上げるのを見るのは初めてだった。
しかし、クラス内でこの事件の話が長引いた一番の原因は竜堂成穂であった。竜堂は事件直後から大騒ぎをしながら犯人捜しをはじめ、授業中にも紙手紙を回して事件のことを嗅ぎまわっていた。
この竜堂成穂という女子、背は小さいくせに声はでかく、頭の高い位置でまとめられたポニーテールを揺らしながらいつも教室の中を走り回っているトラブルメーカーである。頭悪いのに将来は名探偵になるのが夢だそうだ。無理だと思うけど、せいぜい頑張れ。
「なぁ池っち。例のヘビ見たか?」
休み時間、後ろの席の社が話しかけてきた。
「あ?あぁ、ちらっとな。」
適当に答えておく。事件の共犯者である俺はあまり軽はずみな発言はできない。
「でっかかったよなぁ。3メートルはあったぜ~。」
話が大きくなってる…
確かにあのヘビは長かったが、3メートルは言い過ぎだ。実際は1メートルを少し越える位だった。しかしまぁそれを指摘する必要もないだろう。
「あぁ、それくらいあったかもなぁ。」
あくまで適当に答える。
「池岸くん。」
「ん?おぉ夜嵐。どうかしたか?」
今度は夜嵐に話しかけられた。一番後ろの席からわざわざ移動してきたらしい。
「本、読んだ?」
本…そういえば昨日夜嵐に怪しげな本を渡されたな…
「すまん…昨日はちょっと忙しくてまだ読めてないんだ。」
木登りとかしてたからなぁ…
「そう…また違う本を持って来たのだけれど、読んでみて。」
夜嵐は手に持っていた本を俺の机に置いた。
…うわぁ…今日は三冊かぁ…しかもどれも昨日のよりも分厚い…
「なぁ、夜っちはヘビ見たか?」
社が夜嵐に話しかけた。
「………。」
夜嵐は社の問いかけには答えなかった。
「でっかかったよなぁ。3メートルはあったぜ~。」
…相手の返事がなくても話を続けられる社はすごいと思う…。内容が俺との会話と寸分違わないのも社らしい。
「家にある本の中から特にテケテケについて詳しく書かれているのを選んできたわ。きっと参考になると思うの。」
夜嵐は社の言葉を無視して本の解説を始めた。と、その時…
「夜嵐きぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
馬鹿でかい声を張り上げながら俺と夜嵐の前に立ちはだかった人物がいた。
…竜堂成穂だった。後ろに宇崎雪乃もひっついている。
「犯人はお前だぁぁぁぁぁ!」
竜堂は夜嵐に人差し指を突きつけて高らかに叫んだ。
「……。」
夜嵐は何も言わない。
「くっくっく、返す言葉もないようね。」
「成ちゃん、もぉいいよ。やめようよこんなこと。」
「何言っちゃってんの雪乃。こういうことははっきりさせちゃわないとだめでしょ。」
「ちょい、竜っち。夜っちが何の犯人だって?」
黙っている夜嵐に代わって社が言った。
「そんなの決まってるでしょ。雪乃の机にヘビを入れちゃった犯人よ。」
竜堂が言っているのはやはり今朝の件のようだ。まぁ、そりゃそうか。
「マジで?犯人は夜っちなのかよ!」
社が信じちゃってるよ…でもなぜ夜嵐を疑ってるんんだ?
「さぁ白状しちゃいなさい!あなたが犯人なんでしょ。」
「………。」
夜嵐は黙っている。しかし夜嵐が犯人であるはずがない。犯人は俺とテケテケなんだから。
竜堂に疑っている理由を聞いてみようか…でもこれを聞くと夜嵐を庇っているみたいで不自然だし…せめて夜嵐が否定してくれれば聞きようもあるんだが…とりあえず竜堂に話しかけてみるか。
「おい、竜堂。前から聞きたかったんだが、お前どうして競馬場のオッサンみたいに耳に鉛筆乗せてるんだ?しかも両耳。」
「なによ急に。私は筆箱を持たない派なの。」
「へぇ~なるほど…」
そんな派は竜堂だけだと思うけどな。まぁこの話題はどうでもいいから突っ込まないけど。
「ところで竜堂、どうして夜嵐が犯人だってわかったんだ?お前の名推理を聞かせてくれよ。」
「あ、やっぱ聞きたい?」
お、食い付いてきた。
「聞きたい聞きたい。」
「お~俺っちにも聞かせてちょー」
社まで乗ってきた。こいつはどっちでもいいけど。
「仕方ないわね。名探偵・竜堂成穂の名推理、聞かせてあげちゃうわ。」
竜堂はここぞとばかりに調子に乗っている。正直むかつくがここは我慢だ。
「いいかしら、少し考えればわかっちゃうことよ。雪乃の机の中にヘビを入れることは、ヘビを掴むことさえできれば誰にだってできちゃうわ。問題はヘビを入れた後、雪乃が学校に来ちゃうまでの間ヘビが移動しちゃわないように出来るかどうかよ。わかる?」
ふむ…竜堂め、結構まともな推理をするじゃねぇか。確かにあの方法で宇崎を確実に驚かす為に一番問題になるのはそこだろう。俺達はそこをヘビとの交渉によって解決したのだが…
「つまり!犯人はヘビを思い通りに行動させることができる人物ってことよ。このクラスでそんなことが出来ちゃう人物は夜嵐きぬ、あなたしかいないわ。」
そう自信満々に言いながら、竜堂はもう一度夜嵐の鼻先に人差し指を突きつけた。どうやらこれは竜堂の癖のようだ。
「おいおい竜堂、いくら夜嵐が黒魔術師みたいな格好してるからって、本当に魔術でヘビを操ったとか言うんじゃねぇだろうな。そんなのは推理とは言わないぜ。」
「池田、この竜堂成穂をなめてもらっちゃ困るねぇ。」
俺の名前は池岸なんだが…
「夜嵐さん、私は知ってるのよ。あなたがヘビを飼っているってことを!しかもアオダイショウをね!」
…それは初耳だ。なるほど、それで夜嵐を疑ってる訳か。夜嵐って変なもの飼ってるんだな…。
「自分の飼っているヘビなら少しじっとさせておくことくらいできちゃうかもしれないし、それが無理でもある程度行動の予想ができちゃうわ。それを利用すれば雪乃を確実に脅かすことができちゃう。わかる?つまり犯人はあなたってことよ。」
竜堂は勝ち誇ったように三度夜嵐に指を突きつけた。
…正直竜堂がここまで核心に迫った推理をしてくるとは思わなかった。犯人こそ見誤っているが、事件の基本的な部分は事実にかなり近い。
だが、それだけである。
内容は穴だらけで、反論のしようはいくらでもある。さて、どうしようか…
俺にとっての最善の道はここでは竜堂の意見に反論せず適当に流すことである。変に言い返してボロが出てしまえば、俺自身に疑いの目が向けられかねない。
しかし、それだと夜嵐が疑われる結果となる。変な話だが俺が起こした事件で俺以外の人間が疑われているという状況は余り気分の良いものではない。…俺が疑われても困るんだが。できればヘビが勝手に机に入ったってことになるのが望ましいのだ。うまく竜堂を言いくるめることはできないだろうか…
まぁとりあえずは事実確認からだな。
「夜嵐、お前本当にアオダイショウ飼ってるのか?」
「…ええ、飼ってるわよ。」
どうやら飼っているのは事実らしい。竜堂の情報は一応正しかったわけである。まぁあれだけ自信満々に叫んでいたんだから、確かな筋からの情報であろうことは予想できた。
「夜嵐の飼ってるヘビに何か特徴とかはないのか?」
「…色が白いわ。」
「へ?白ヘビなのか?」
「そうよ。アルビノっていうの。全身が真っ白で目が赤いの。とっても珍しいのよ。」
これは好都合だ。ここまではっきりした特徴があるのであれば反論は容易である。
「聞いたか竜堂。夜嵐のヘビは色が白いそうだ。宇崎、お前の机に入っていたヘビは何色だった?」
「き、黄緑色…だったかな…」
小さい竜堂の後ろで縮こまっている宇崎が答えた。
「だ、そうだが、この矛盾はどう説明するつもりかな、名探偵?」
「くっ…し、白ヘビなんて嘘に決まってるでしょ!本当は緑色なのに白って嘘ついちゃってる。そうに違いないわ!」
往生際が悪い奴だなぁ…。素直に認めればそれで事が終わるってのに…
「成ちゃん、もうやめよう。やっぱり違ってたんだよ。夜嵐さんは犯人じゃないんだよ。」
「雪乃まで何言っちゃってんの。池田の口車に惑わされちゃ駄目。私を信じて私に任せちゃってればいいの。」
「そんなことない。池田君の言い分は正しいよ。やっぱりヘビは勝手に私の机に入ったんだよ。」
「あんな大きなヘビが勝手に入っちゃうわけないでしょ。」
「例えそうだとしても夜嵐さんは犯人じゃないよ。」
キーン コーン カーン コーン キーン コーン カーン コーン
チャイムが鳴った。休み時間の終了である。
「ほら成ちゃん、チャイム鳴ったよ。席に戻ろう。」
「ふ、ふんっ!夜嵐さん、これで疑いが晴れたとは思っちゃわないことね!」
二人は自席に戻って行った。
「夜っちも先生が来る前に席に戻った方がいいぜ。」
社が夜嵐に言った。
「…ありがとう、池岸くん。」
夜嵐は社の言葉は無視して俺に言った。社のやつ嫌われてるなぁ…
「気にすんなよ。竜堂の推理が波茶滅茶だったから口出さずにはいられなかっただけさ。」
実際夜嵐のためにやった訳じゃないしな。
「社の言う通り早く席に戻った方がいいぜ。」
「ええ、すぐ戻るわ。あ、それと…」
夜嵐は自分が持ってきた三冊の本を示した。
「これ、読んでおいてね。」
そう言い残して夜嵐もまた自席に戻っていった。
「次のターゲットを決めたぞよ。」
テケテケがそう言ったのはその日帰宅した後、段ボールを机代わりに宿題をしている時だった。こうやって火事で何もかも失うと、人間がいかに日々道具に助けられているかがよくわかる。
「悪いがテケテケ、その話は宿題の後にしてくれないか。」
テケテケは昨日と同じようにランドセルの上に座っている。
「漢字ドリルくらい話を聞きながらでもできるじゃろ。」
確かに漢字を見本通り書き取るだけだから話を聞くくらいできるのだが…
それよりも…
「俺にそのターゲットの話をするってことは、また俺に手伝わせるつもりだろ?」
「察しがいいのぉ。その通りじゃ。」
やっぱりか…。これくらい誰だって察するだろうけど。
「で?今回のターゲットも俺のクラスの誰かなのか?」
「そうじゃ。」
まぁ宇崎の時と同じで、俺が手伝うならその方が都合はいいだろう。
「お主のクラスに白髪の娘がおるじゃろう?あやつが次のターゲットじゃ。」
「白髪?…あぁ久留熊のことか。あれは白髪じゃなくて銀髪って言うんだよ。」
久留熊カジカ(ぐるくまカジカ)。日本人と北欧人のハーフで、その見事な銀髪が特徴的な女子である。その目立つ見た目に負けず劣らずの活発な性格で、成績もかなり上位であり、運動神経もかなり高い。友達も多く、クラスの中ではいつも中心的な存在になっている。日本人離れした容姿も相まって、さしずめクラスのアイドルといったところだろうか。
「しかし、テケテケ。久留熊は宇崎なんかと違ってお化けにビビるような奴じゃねぇぞ。そりゃあいつだって女子なんだし全く怖がらないって訳じゃないだろうけど、手っ取り早く霊力を手に入れるんなら、もっと適任な人間がいるだろ?」
久留熊は男勝りとまではいかないが、女子の中では気の強い方である。特に弱い者いじめが大嫌いな奴で、そういう現場を見るとガキ大将だろうが上級生だろうが立ち向かっていく。とてもじゃないが宇崎のように机の中にヘビを入れる程度で恐怖するような性格ではない。
「ほほほ、甘いぞヤマト。怖がりだけを驚かすのがおばけにあらず。ああいう気丈な者を縮み上がらせてこそ真のおばけというものじゃ。」
「よく言うぜ。一人じゃ物を動かすどころか、触ることさえできねぇ弱々お化けが。」
実際テケテケは宇崎から多少霊力を得たとはいえ、未だに本のページすら自分でめくれないのである。
「ほほほ、我には確かにまだまだ霊力が足りぬが、その代わりヤマトという友がおる。お主さえおれば霊力の不足分などどうとでもなる。」
そんなに俺の力をあてにされても困るんだが…
「それにヤマトよ、次のターゲットにあの白髪娘を選んだのは、別に真のおばけ云々が理由なのではない。」
「ほぉ?どんな理由があるってんだ?」
「よいか、我らおばけというものは人間の抱く恐怖心から力を貰う。我らおばけを恐れる気持ちから力を得ておるのじゃ。」
「それは前に聞いたよ。」
宇崎を驚かしたのは、驚いた宇崎が感じる恐怖心からテケテケが霊力を得ることが目的だったのだ。お化けにとって人間を怖がらせることは、人間にとっての食事のようなものであり、決して驚いているのを見て楽しんでいるわけではない。いや、全く楽しんでいないとは言えないが…それでもテケテケ自身は至って真剣に事を起こしているのである。
そうでなかったら、俺は手伝ったりしない…
「でも、だからこそだろ?久留熊からはお前が望む力が他の人より多く得られるとは思えない。なのになぜ久留熊を狙うんだ?」
「ほほほ、我とてあの白髪娘本人からそれほど多くの霊力が得られるとは思うておらぬ。我があの娘に期待しておるのは脅かした後、あの者が他人に与える影響じゃ。」
久留熊が他人に与える影響?どういうことだ?
「恐怖心というものは何も脅かした時だけに生まれる感情ではない。我々のようなおばけや妖怪がいるかもしれないと思うだけで、人の心には我々に対する恐怖心が生まれるのじゃ。」
「…あ、なるほど。」
そういうことか。
「つまりテケテケ、お前は久留熊を驚かした後、久留熊がその体験を他の生徒に話すのを期待している訳だな。それであえて怖がりな奴を狙わずあいつをターゲットにしたわけだ。」
「そういうことじゃ。一人脅かすだけで複数の人間から力を得る。これが賢いおばけのやり方じゃ。」
久留熊を少しでも驚かすことができれば、久留熊がその恐怖体験を友達に話し、それを聞いた人間が抱いた恐怖心をテケテケは得ることができる。また、その友達が他の友達に話したりすれば恐怖心の連鎖反応を起こすことができる。
これが久留熊ではなく他の怖がりの人間を脅かした場合はこうはいかない。怖がりの人間の恐怖体験談は見間違い聞き間違い勘違いで済まされる場合がほとんどだからだ。例えば今日の朝驚かした宇崎雪乃がお化けを見たと証言したとしても、真に受ける人はほとんどいないだろう。宇崎なら何かをお化けと勘違いしてもおかしくないと、そう他の人間に思われているからだ。
そこへきて久留熊カジカの場合はそうはならない。久留熊は多くの人間に信用と信頼を得ている。信用とは何も嘘をつかないとかそういう意味合いだけではない。嘘をつかないだけなら宇崎にだってそれくらいの信用はある。しかし久留熊はそれ以上に冷静な思考と正しい判断ができる者として評価されている。そこが久留熊と他の人間との違いであり、今回テケテケがターゲットに選んだ理由というわけだ。
「久留熊を狙う理由はわかったが、テケテケ、さっきも言った通り今度は宇崎の時みたいに簡単にはいかない。霊力の十分じゃない今のお前に、本当に久留熊を驚かすことができるのか?それにただ驚かせばいい訳じゃない。脅かした後、それが噂となって流れるくらいの驚かし方をしなきゃ駄目なんだぞ?」
俺以外の人間には認識さえされない現在のテケテケでは到底無理だと思うのだが…
「そのことじゃがなヤマト、さっきお主は我はまだ物を動かせぬと申したの。確かに我はまだ物は動かせぬ。しかし、今朝得た霊力のおかげで大気くらいは動かせるようになったのじゃ。」
「大気を動かす?風でも起こせるようになったのか?」
「ほ、弱い風くらいなら起こせるぞよ。」
「そよ風を怖がるやつがどこにいるんだよ…。全然駄目じゃねぇか…」
そんなんでどうやって久留熊を脅かせるってんだよ…
「違う。違うぞよ、ヤマト。風など使わぬ。我が使おうと考えておるのは音じゃ。」
「音?」
「そうじゃ。音は大気の震えじゃからの、霊力の不十分な我でも使えるのじゃ。ラップ現象というやつじゃ。」
ラップ現象?なんか格好いい名称じゃねぇか。
「現象なんて名前だけは大層だけど、つまるところ音のみで驚かすってことだろ?そんなんで大丈夫なのかよ…」
「ほほ、生半可では無理じゃろうな。だが、所詮相手は小学生の小娘じゃ。脅かす場所とタイミングさえ間違わなければ不可能ではないぞよ。」
その自信はどこから出てくるんだよ…。こいつ小学生なめてるだろ。
「じゃあ聞くが、どこの場所で、どのタイミングで脅かすんですかね?」
「場所はとりあえず教室でいいじゃろ。タイミングは周りに人がおらず、ターゲットが一人でおる時じゃ。」
「そんなタイミングがそうそう起こるわけないだろ。久留熊は友達だって多いんだ。学校ではいつも誰かと一緒にいる。」
学校というのは集団行動が基本だ。俺みたいなはみ出し者ならともかく、久留熊のような人気者が単独行動をとることはまずない。
「ほほほ、そのタイミングを作るのが今回のヤマトの役目じゃ。」
「はぁ?」
「あの白髪娘を他の人間から引き離し、一人で教室にいる状態を作り出して欲しいのじゃ。その舞台さえ整えてくれれば、あとは我がとびきりの恐怖をお見舞いしてやるぞよ。」
簡単に言いやがって。こいつは俺のことを手下か何かだと勘違いしてるんじゃねぇのか…
「つまり話を整理するとだな、放課後あたりにターゲットである久留熊が教室に一人で残っている状況を意図的に起こせってことだな?」
「その通りじゃ。できるかの?」
まったくもって面倒くせぇ。なぜ俺がそんなことしなくちゃいけないんだ。本当にやってられない。でも…
「へっ、やってやろうじゃねぇか。その代わり絶対に失敗するんじゃねぇぞ。俺が手伝ってやってるのにしくじったりしたら承知しねぇからな。」
「さすがヤマトじゃ。そうこなくてはの。」
…まぁ暇だし、少しくらい付き合ってやってもいいか。
本当に俺って甘いなぁ。
テケテケというお化けの話は大きく分けて二種類ある。
一つは学校の中に出るもの。もう一つは学校の外に出るものだ。
夜嵐の話にあった電車に轢かれた亡霊は後者である。夜な夜な人を追いかけては、その人の下半身や命を奪っていく。外見は女が多いが男の場合もあり、年齢もバラバラで、上半身しかないという特徴以外は統一性がない。
一方、学校に出るテケテケには学校の外に出るものにはない統一性がある。学校でテケテケが驚かす標的はもっぱら男子生徒である。これは学校に出るテケテケが女子生徒の姿をしているからである。
概要はこうだ。男子生徒が校庭から校舎を見上げると、自分と同い年位の美少女が窓からこちらを見ているのに気付く。知らない生徒だが可愛いので悪い気はせず、男子生徒はその女子生徒に笑いかける。すると女子生徒も笑い、そして窓から飛び出して来るのである。飛び出した女子生徒には下半身がなく、手だけで地面を這いながら笑いかけた男子生徒を追いかけるそうだ。こちらのテケテケは学校から離れると追いかけるのをやめるという。
以上が夜嵐に借りた本に載っていたテケテケについての記述のまとめである。
木曜日の一時間目。科目は国語。
俺は先生に指名された生徒が教科書の朗読をしているのを尻目に、先生に見つからないように気を配りながら、夜嵐に借りた本を読んでいた。幸い夜嵐の本は分厚い割にサイズは小さめだったので、国語の教科書でも十分に隠すことができた。
こんなリスクを負ってまで読むほど面白い内容ではなかったが、借りた以上一応読んでおこうと思ったのだ。家で読まなかったのは、本が重くて学校に置いて帰ったからである。
それにしても…はぁ…
俺はテケテケに関する項目に目を通すと本を閉じ机の中にそっとしまった。
これ以上読む必要はないだろう。テケテケについて何か重要なことでも載っているかもしれないと読んではみたが、これといって有益な情報はなかった。
…そんなことより次の作戦のことを考えないとな。
昨日、テケテケから請け負ってしまった仕事、久留熊カジカを教室に孤立させること、この方法について今のところ何のアイディアも浮かんでいないのだ。
はぁ…こんなこと引き受けるんじゃなかったぜ…
当の依頼者であるテケテケは俺のランドセルの中で睡眠中。のんきなものだ。
「はい、よろしい。では久留熊さん、次の段落から読んで。」
ターゲットである久留熊が先生に指名された。くそっ、作戦の事を考えていたせいで、ちょっとびっくりしちまったじゃねぇか。
「はい。」
久留熊は先生の呼びかけに応じて立ち上がる。決して美容院では真似できそうにない超天然の豪奢な銀髪。それをきれいに切り揃えられたショートヘアーにしている。肌も北欧人譲りで、夜嵐のような病的なそれでなく、健康的な白さを持っている。また、大抵の場合白い服を着ているため、明るい場所では光を反射してかなりまぶしい。今日もいつもと違わず白のワンピースを着用していた。
まるで天使だな…テケテケのやつ反撃されて浄化されちまうんじゃねぇか…
教科書の朗読を始めた久留熊を横目で見ながらそんなことを考える。
さて、俺は作戦でも練りますかね。
まず基本から組み立てよう。
最終的に久留熊が教室に一人でいる状態を作る、これが今回の俺の任務である。ならば諸々の事情は後からから考えるとして、単純にこの状態を起こす方法を考えてみよう。
例えば俺が久留熊に放課後一人で教室に残っていてくれとお願いしたとする。俺はそんなに信用されていないだろうからかなり怪しまれるだろうが、誠心誠意お願いすれば恐らく久留熊は一人で残ってくれるだろう。久留熊は必死な人間には割と慈悲深いのである。
しかし、この方法は当然ボツである。理由は明確、犯人が俺だとばればれだからだ。たとえ脅かすのがテケテケであろうと、呼び出した俺が関わっているのは誰にだってわかる。事を起こしているのが俺であるとばれてはならない。
では、手紙を使うというのはどうだろうか。放課後一人で教室に残っていて欲しいという内容の手紙を匿名で久留熊に出す。こっそり机の中にでも忍ばせておけばいいだろう。それを読んだ久留熊は…残念ながら絶対に残ってくれるとは限らないだろう。先程の直談判とは違い、これは直接約束をとりつける訳ではない。したがって、久留熊が手紙の内容通りに行動するとは限らない。しないと考えた方が自然だろう。誰かと一緒に残るかもしれないし、もしくは無視して帰るかもしれない。
さらに、この作戦の場合もし希望通り一人で残ってくれていたとしても、事が終わった後久留熊の手元に手紙が残る。お化けの恐怖を味わわせるのに人為的な証拠が残るのはまずい。久留熊には脅かした後に噂を流して貰わなければならないのだ。その久留熊本人に誰か人間の仕業かもしれないと思われたら、噂の信憑性が薄くなってしまう。
やはり直接であろうと間接であろうと、久留熊の行動をこちらから指定すれば人間の関与を疑われてしまう結果になるだろう。
ふむ、なかなか難しい。
望ましいのは久留熊自身が自分から一人で教室に残ることである。しかし、そんなことが勝手に起こるのであれば俺がこうして悩む必要もない。そういう状況が偶然起こるまでひたすら待つというのも手ではあるが、相手があの久留熊じゃあ確率が低すぎていつまで待たされるか分かったものじゃない。
ではどうする。
ここまでの結論から導き出される方法は一つ。久留熊を気付かれないように誘導することだ。つまり、久留熊が教室に一人で残ろうとするような目的をこっそり作ってやればいい。目的さえ作れば久留熊は自らの意志で教室に残るだろう。
さて、作戦の方向性は決まったが…はたしてそんな都合の良い目的があるだろうか…。
こればっかりは現段階では思い当たることがない。この目的を見つけだす為にはもっと久留熊の行動パターンを知る必要がある。
俺は今日一日久留熊の行動を観察してみることにした。
…ストーカー呼ばわりされないように気を付けないとな…
一時間目の終了後、俺は早速久留熊の観察を始めようと思っていた。しかし、その思惑は脆くも崩れ去った。休み時間に入るやいなや竜堂成穂がまたしても俺の前に立ちはだかったのである。竜堂の後ろには当然宇崎雪乃がひっついている。
「池田!」
俺に指を突きつけながら竜堂は俺の間違った名前を呼んだ。
「何か御用ですかね、名探偵…」
俺は友達と共に教室を出ていく久留熊を横目で追いながら、竜堂の呼びかけに答えた。
「池田、私の考えは間違えちゃってたわ。昨日の私の推理は忘れちゃって。」
ふぅん、昨日のあの時点では竜堂はまだ諦めていない様子だったが、あの後何かあったのだろうか。まぁ興味ないけど…
「昨日の放課後雪乃と二人で夜嵐さんの家にヘビを見に行っちゃったのよ。で、この目で確認してきたわ、白いアオダイショウをね。」
ほぉ…それはそれは…夜嵐はさぞ迷惑しただろうに…
「まぁあれよ。『何とかも何とかの誤り』って言うでしょ?そんな感じよ!」
うろ覚えならことわざなんか使うなよ…
「わかったわかった。昨日お前が言った推理のことはきれいサッパリ忘れる。これでいいんだろ?」
何でもいいから早く俺の前から消えてくれ。俺は忙しいのだ。
「池田くん。」
今度は竜堂の後ろにいた宇崎が話しかけてきた。名前は間違っているが。
「池田くんは私の机にヘビが入っていた理由をどう思う?」
何だ何だ?自分たちだと答えが分からないから、俺の意見を聞こうってのかよ。
「知らねぇよ、そんなの。ヘビが勝手に入ったんじゃねぇの?」
俺にはこう答えることしかできない。だって犯人だし。
「やっぱりそう思う?そうだよね。ヘビが勝手に入ったんだよね。」
「馬鹿じゃないの?あんなに大きなヘビが勝手に入っちゃう訳ないでしょ。誰かが入れちゃったに決まっちゃってるのよ。」
「うぅ…やっぱりそうなのかなぁ…」
何なんだよお前らは…。もうヘビなんかどうでもいいじゃねぇか…。俺は次の作戦に移りたいんだよ。昨日言い負かしたことがそんなに悔しかったのか、竜堂…
「あぁ、確かに山の中の学校じゃあるまいし、あんな大きいヘビが勝手に机に入る確率は低いかもな。」
これで満足か?
「ほら見なさい。で、池田は誰か犯人に心当たりはないの?」
「そんなもん、あるわけないだろ。何故それを俺に聞くんだ?」
当然心当たりはありまくりだが、答えるわけにはいかない。
「あんたは私を推理で負かしちゃったのよ。だからあんたにはこの事件を正しい推理で解決しちゃう義務があるの。」
そんな義務ねぇよ!何だその勝手な理論は!
「池田くん。成ちゃんはこういう言い方してるけど、推理に行き詰まってるの。何か考えがあったら教えてあげてくれないかな…」
「何言っちゃってんの、雪乃。適当なこと言っちゃわないでよ。」
「だって…」
ふむ…面倒なことになったなぁ…。
竜堂は犯人を見つけたいが手がかりが少なすぎて見つけられない。かといって今更ヘビが勝手に入ったとも言い出せず、昨日負かされた俺の意見を聞きに来たのだろう。
一方宇崎は犯人なんかがいてほしくないと思っているようだが、もしいるのであれば誰であるのか突き止めたいのだろう。
しかし、俺としてはいつまでも前の作戦の後片付けばかりをしている訳にはいかない。はやく次の作戦に進みたいのである。
待てよ…今のこの状態を次の作戦に繋げることはできないだろうか。そうさ、それができれば一挙両得、一石二鳥。
「おい、お前ら。」
方針が決まったところで俺は二人に向き直る。
「まず他人に意見を聞くときは、相手の名前くらい正確に覚えてからにしろ。俺の名前は池岸だ。」
「え?そうだったの…ごめんなさい…」
「そんなのどっちでもいいでしょ?」
「それから、俺は意見を言うくらいは別に構わないが、お前らの捜査に手を貸したりはしねぇぞ。あくまで話すだけだ。」
「はいはい、わかったからさっさと話しちゃえっての。」
竜堂が苛立ち始めた。前置きはこれくらいにしとこう。
「俺はヘビが勝手に机に入った可能性が一番高いと考えてる。」
「それはないってさっきから言っちゃってるでしょーが!」
「まぁ待て竜堂。話を最後まで聞け。確かに俺は誰かが宇崎の机にイタズラした可能性は低いと考えているが、確率がゼロだとは考えていない。」
「何よそれ。中途半端ねぇ。」
「で、俺なりに犯人像を考えてみたんだ。俺が思うに犯人はこのクラスの人間だと思う。席替えしたばかりなのに宇崎の席を知ってたわけだしな。」
そう、好都合なことに最近五年二組は席替えをしたのだ。これで犯人像をクラス内に限定できる。
「それから犯人はかなり意外な人物だと思う。これは俺の勘だが、これだけ竜堂が探して見つからないんだ、竜堂が予想だにしない人物ってことだろ。名探偵・竜堂成穂が予想もできないほど意外な人物ってことだ。」
ここで少し相手を褒めておく。これも重要だ。
「それで?結局犯人は誰なの?」
「それは分からない。」
「はぁ?」
そう、ここで人物を断定してはならない。
「何よ、結局何も分かってないんじゃない。期待して損しちゃった。」
竜堂は拍子抜けしている。
「待て待て。そりゃあ俺には犯人はわからねぇが、これから竜堂が捜査を進めりゃ犯人がわかるかもしれないじゃないか。要は今までのように怪しいやつから調べるのではなく、一番意外なやつから調べてみろってことだな。」
「一番意外な人ねぇ…」
「もちろん一番意外な人物が犯人であるとは限らないぜ。二番目かもしれないし、三番目かもしれねぇ。俺が言いたいのは怪しい側から調べるより、あえて怪しくない側から調べていった方が犯人にいきつき易いと思うってことだ。」
クラス内、そして意外な人物、これがキーポイントである。
「俺は宇崎の人間関係を良く知らないから分からないが、竜堂や宇崎自身ならわかるだろ。宇崎にああいうイタズラを全然しなさそうな人物、そういう人から調べていけばすぐに犯人を見つけられると俺は思うけどな。もちろん犯人がいればの話だけど。」
「うーん…」
二人は悩んでいる。
「まぁ俺から言えるのは以上だ。あとは名探偵にお任せするぜ。」
考えろ竜堂、俺の予想ではお前はある人物に思い当たるはずだ。
「…雪乃、行くわよ。」
「へ?どこへ?」
「捜査に決まっちゃってるでしょ!絶対に犯人を見つけちゃうんだから。」
どうやら竜堂は誰かに思い当たったようだ。
やる気満々になった竜堂は宇崎を引き連れて教室の外へ出ていってしまった。
これで種は撒いた。まぁ上々の結果だろう。これを実らせるにはあと少し肥料がいるが…
「はぁ…また木登りかな…」
俺は残り少なくなった休み時間を使って鳥の巣を探すことにした。
よく考えたら木登りなんてする必要ないのである。
「ヤマトよ、ここはどこなのじゃ。人間の餌を保管する倉庫か何かかの?」
「テケテケ、頼むから人が多くいる所では話しかけないでくれ。」
学校が終わった後、俺とテケテケは家の近所のスーパーマーケットに来ていた。テケテケはこういう所に来るのが初めてなようで、随分興奮している。それにしても人間の餌って…
本当はランドセルなんか背負って来たくなかったのだが、テケテケがどうしてもついてきたいと言うのだから仕方なかった。
…さっさと目的の物を買って店を出よう。
目的とはもちろん卵である。木登りなんかせずとも卵くらいスーパーで安く売っているのだ。なぜこんなことに気が付かなかったのだろう…
「卵、卵と…」
「おぉ~、卵が積まれておる。卵が積まれておるぞ、ヤマト!」
卵のコーナーなんだから当たり前だろうが…
さて、ヘビにあげるんだから小さめの方がいいよな。
俺は棚の端の方に置いてあったウズラの卵のパックを手に取った。
卵十個入って90円か…これは安いのか?
俺は主婦じゃないのでこの辺のことはわからない。しかし、いくら家庭が貧乏でお小遣いが少ないとはいえこれくらいは買える。
俺は卵を購入するためレジへと向かった。
それにしても、ランドセルを背負ったいかにも下校途中の小学生がウズラの卵だけをレジに持って行くなんていかにも変だ。まぁ親の買い忘れの品物を買いに来たお使いに見えなくもないかな。
「なるほどのぉ。ここは店じゃったか。」
レジでお金を払うのを見て、テケテケが勝手に納得している。
無事卵を手に入れた俺達は店を出て学校へと足を向けた。
「よし、これで交渉の準備は整った。後はヘビを説得するだけだな。」
「ヤマトよ、今更あの蛇に何を頼むというのじゃ?」
「おう、お前には説明しないとな。何たって俺はヘビと話せねぇんだから。」
学校への道中、俺は俺が考えた作戦について説明することにした。
「学校に着いたら例のヘビに久留熊の鞄に隠れるように頼んでくれ。」
「ほ?あの白髪娘の鞄にか?あやつを脅かす役は我ぞ。蛇に手伝わせる必要はないぞよ。」
「まぁ聞け。鞄に隠れた後、竜堂と宇崎以外の人間に見つからないように鞄から出るよう指示するんだ。」
「宇崎という者は一人目のターゲットじゃな。竜堂とはあのやかましい探偵か?」
「そうだ。その二人にだけヘビを目撃してもらう。久留熊の鞄から逃げ出すヘビの姿をな。」
今朝撒いた種はここで芽吹くことになる。意外な人物から当たれというアドバイスはこのためのものだ。
「ほ?いまいち目的が見えぬのぉ。ちゃんと説明してたもれ。」
「簡単に言えば久留熊を昨日のヘビ騒動の犯人に仕立て上げるってことだ。久留熊の鞄からヘビが出ていくのを見れば、竜堂は確実に久留熊を疑う。」
俺のアドバイス通りに意外な人物から捜査しているなら、久留熊を捜査しないことはないだろう。竜堂の中でも久留熊は意外な犯人像ランキング上位であろうことは間違いない。
「確かにお主の言う通り白髪娘は疑われるじゃろう。しかし、それに何の意味があるのじゃ?お主自身が疑われないようにするのが目的かの?」
「違う。目的はもちろん次の作戦のためだ。久留熊を教室で一人にするって作戦のな。」
「ほ?どうしてそこに繋がるのじゃ?我にはヤマトの考える作戦が全く読めぬ。理由を教えよ。」
テケテケが説明を求めるのも無理はない。今回の作戦、そう一足飛びに事が運ぶわけではないのだ。もう数点味付けが必要である。
「まぁそこは俺に任せておけ。それよりも、ヘビには明日の午前中に依頼を実行してくれと言ってくれ。」
「ほ…つまりは…朝の間に白髪娘の鞄に侵入し、昼までにはそこから出ておくように言えば良いのじゃな?」
「竜堂と宇崎に目撃される事を忘れるなよ。そこが重要なんだから。」
「わかっておる。じゃが、なぜそんなに急ぐのじゃ?我はそこまで急いてはおらぬぞ。それよりも確実に脅かす事の方が大切じゃ。」
それじゃ駄目なのだ。明日中に事を終わらせなければならない。
「今日は木曜日だろ?ってことは明日は金曜日だ。明日一日終われば土日は二日間休みになる。これが何を意味するかわかるか?」
「ほ?…休みの間は学校で何をやってもばれない…とかかの?」
「違う。」
大体休みっていっても先生は何人か来てるし、警備員とかもいるんだから何をやってもばれないわけがない。
「二日間も休みがあれば、竜堂がヘビの事件に興味を無くすかもしれないだろ?」
「そうなのか?」
「そうなんだよ!小学生ってのは熱しやすく冷めやすいものなんだ。竜堂なんてその典型だ。竜堂がヘビに興味を失えば久留熊を疑うもくそもなくなるだろ?」
実際、今日の地点でクラスのほとんどの人間はヘビ騒動のことなんてきれいサッパリ忘れていた。未だに犯人がどうのと騒いでいたのは竜堂と当事者の宇崎くらいなものであり、昨日犯人として疑われていた夜嵐でさえそのことを話題にしたりはしなかった。小学校とはそういう場所なのである。
だからこそ、竜堂が事件に関心のある明日中に全ての事を終わらせてしまわなければならないのだ。
「ほほ、ヤマトがそう言うのであれば、我は逆らう理由はないぞよ。蛇には急ぐように伝えるとしよう。」
「そうしてくれ。ヘビが午前中の間に事を運んでくれれば、恐らく明日の放課後には久留熊を脅かす作戦を決行できるはずだ。」
もしできなかった場合はまた作戦の練り直しになってしまう。それは非常に面倒くさい。
「了解じゃ。しかしヤマトよ、本当に良いのか?」
「ん?何がだよ?」
「白髪娘を犯人に仕立て上げることじゃよ。お主、昨日は自分の犯行で他人が疑われるのは良い気がしないからと、あのインチキ占い師を庇っておったではないか。」
何?なんでこいつそのことを知ってるんだ?
「お前…聞いてたのか?」
「ほほほ、学校内で起こっていることで我に分からぬことはない。我の感覚は学校全体を網羅しておるのじゃ。」
…それはかなり便利な能力ではないか。お化けってのは自分のテリトリーの中ではかなり反則な能力を発揮するんだな。
「優しいお主のことじゃ、白髪娘に罪を着せたことを後々後悔するのではないか?」
「はっ、変な心配しやがって。作戦のためだ、それくらいのことは気にしないさ。」
「ほ、なら良いのじゃが…」
「それに疑われるっていっても竜堂と宇崎だけだ。他の人はまた竜堂の早とちりだと思うさ。心配ない。」
竜堂がいくら騒ぎ立てたところで久留熊を疑う人間なんていないだろう。だからこそテケテケがターゲットに選んだわけだし、そのための『意外な人物』である。それほどクラス内での久留熊の信用は絶大なのだ。
「そうか。すまぬ、野暮なことを訊いたの。」
「まぁ、そういうことだから俺のことなんか気にせず、ヘビをちゃんと説得してくれよ。ここまでして失敗しましたじゃ悲しすぎる。」
「任せておけ。あの娘の記憶に忘れられぬ恐怖を刻み込んでやる。」
物に触れることもできず、音を出すくらいしか能のないテケテケに、あの久留熊がどこまで恐怖を感じるかは分からないが、そこはテケテケのお手並み拝見といったところか。とにかくヘビさえ説得できれば今回の作戦はほぼ成功するだろう。他にも多少仕上げの作業があるが、俺の計算が正しければ特に問題なくいくはずだ。
知らず知らずのうちに俺は楽しんでいることに気が付いた。
…はっ、化けの他人を脅かしたいって気持ち、今なら分からなくもないな。
そうしている間に、俺達は生徒が下校した後の学校に到着したのだった。
※※※
五年二組出席番号女子6番、久留熊カジカ(ぐるくまカジカ)。
彼女は誰もが認めるクラス一の人格者である。
父親が日本人、母親がノルウェー人のハーフであり、カジカの一番の特徴である銀髪は母親譲りである。銀髪と言えば聞こえは良いが、一見すると若白髪に見える為、カジカは自分の髪を余り好ましくは思っていない。小さい頃から白髪白髪と何度も馬鹿にされてきているので、どちらかと言えば黒髪に生まれれば良かったと思う程である。それでも黒く染めたりしないのは、父親がカジカの銀髪を好み、母親も銀髪に高い誇りを持っているからである。親の気持ちを知っているので、髪を黒く染めたいという気持ちを口に出したことはない。心の奥にそっとしまってあるのだ。
カジカが周囲から人格者として認識される理由もそこにある。カジカは自分が銀髪という日本では異質な特徴を有していることが原因で、他の生徒達から除け者にされるのを恐れて、普段から行動に気を遣っているのだ。幼い頃から馬鹿にされてきている経験から自分が除け者にされ易いことを理解しているのである。
この理解と行動が功を奏し、ここ数年馬鹿にされる機会はめっきり減った。皆から信頼され、友達も沢山できた。少なくとも今のクラスメイトは皆、自分を信用してくれているという手応えがあった。
そのため、今、目の前で竜堂成穂が言った言葉には耳を疑わざるを得なかった。
「カジカ、雪乃の机の中にヘビを入れちゃった犯人はあなただったのね。」
成穂は確かにそう言った。はっきりと、カジカに指を突きつけながら。
「っ…?」
余りに急で、余りに想定外な事だったのでカジカは返す言葉が出てこなかった。
「まさか犯人がカジカだったなんてね。私、あなたのことは信用しちゃってたのに、裏切られちゃった気分だわ。」
「ちょ…ちょっと何言ってるの成穂?言ってる意味が全然分からないのだけれど…?」
雪乃の机にヘビを入れたというのは、恐らく二日ほど前の事件のことだろう。どういう風に考えを巡らせればカジカが犯人に成り得るのだろうか。冗談にしては随分笑えない。
「とぼけちゃってんじゃないわよ!私たちはばっちり見ちゃったんだから!」
目がマジだ…。冗談ではないらしい。
成穂が大きな声を上げたので教室中の生徒がこちらを向いた。
「さっき私と雪乃はそこにあるあなたの体操服袋の中からこの前のヘビが逃げ出すところを見ちゃったのよ。ね?雪乃。」
「う、うん…」
成穂の後ろに隠れるように立っていた雪乃が頷いた。
体操服袋とは体育に使う体操服を入れておく鞄のことである。今日は五時間目に体育の授業があるので、持ってきた体操服袋を机の横のフックに掛けてはいるが…
「さあ、観念しちゃいなさい真犯人!言い逃れは見苦しいだけよ。」
「待ってよ。そんな急に何を言い出すの。本気で私が雪乃ちゃんの机にヘビを入れたと思ってるの?」
「当たり前でしょ。カジカが犯人じゃないなら、どうしてあなたの鞄にヘビが入っちゃってたのよ?納得のいく説明をしてもらっちゃおうかしら。」
どういう事だ。カジカは自分の体操服袋の中にヘビを入れた覚えなどない。何が悲しくてそんなことをしなくちゃいけないのだ。
「本当に私の鞄からヘビが出てきたの?本当に?」
「そうだって言ってるでしょ。私だけじゃなくて雪乃だって見ちゃってるんだから間違いないわ。カジカの鞄から出て、そこのドアの隙間から廊下に出て行っちゃったわ。この前雪乃の机に入っちゃってた大きくて長い奴だった。間違いないんだから。」
成穂の後ろで雪乃もコクコクと頷いている。
思い込みの激しい成穂だけならともかく、雪乃も見ていると言うのであれば嘘を言っている訳ではないようだ。自分の鞄にヘビが入っていたなんて考えただけでも寒気がするが、今はそれよりも成穂からの疑いを解かなければ。
「私の鞄にヘビが入っていたっていうのはわかったよ。けど、それでどうして私を疑うの?ヘビが勝手に入ってきたのかもしれないし、誰かに入れられたのかもしれないじゃない。」
鞄の中にヘビが入っていたのが事実だとしても、断じてカジカ自身が意図してしたことではないのだ。
「誰かに入れられたですって?カジカ、あなたその体操服袋、今日持ってきちゃったんでしょ?カジカが自分で入れちゃったのではないとすれば、犯人は今日カジカが学校に来ちゃった時間から今までの間にヘビを侵入させちゃったことになっちゃう。人目の多いこの教室でそんなことが可能だと思う?私は思わないわ。」
正論である。確かに、小さな物ならともかく、大きなヘビをこっそり忍ばせるのはかなり難しいだろう。他の人間が見て見ぬふりをしているのならば話は別だが、カジカに対してそれは無いと信じたい。
「だとしても!私が自分の鞄にヘビを入れて何の得があるって言うの?。」
「おおかた、また他の人の机にでも突っ込んで脅かしちゃおうと企んじゃってたんでしょ。」
な…なんてことを言うのだ…。カジカがそんな低レベルでつまらない行為をする訳がない。
「私は知らない。自分の鞄にヘビが入っているなんて思いもしなかったし、ましてや雪乃ちゃんの机にイタズラなんて絶対にしない。本当よ。」
カジカはキッパリと否定した。成穂は本気で疑っているようだが、言い掛かりもいいところである。
「ふぅん…あくまで白を切り通しちゃうつもりなのね。それならそれでこっちにも考えがあるわ。」
成穂は再びカジカに向かって指を突きつけた。
「久留熊カジカ、覚悟しちゃっておくことね。」
そう言い残して成穂は雪乃を引き連れて自分の席に戻って行った。
金曜日、三時間目終了後の休み時間での出来事であった。
四時間目が終わり、昼休みに入ると成穂はカジカに対して異常なまでのストーカー行為を始めた。本人に言わせると尾行なのだそうだが、つけられているカジカに存在が気付かれているのだからストーカーの方が正しいだろう。成穂は校庭からトイレまで、カジカがどこへ行くにも後をつけてきた。どうしてもカジカから決定的な証拠を掴みたいようである。しかし、そもそもカジカは犯人ではないのだからそんなもの出てこようはずもない。
事情を知った友達にもカジカを疑う人はいなかった。みんなまた成穂が暴走しているだけだと理解してくれたようだ。中には尾行している成穂を止めに行ってくれる友達もいた。これらはカジカの日頃の行いの賜だろう。
そんなこんなで成穂のストーカー行為は鬱陶しくはあったが、周りの人間の反応も優しく、成穂もそのうち諦めるだろうとカジカは軽く考えていた。
ある計画が着々と進行しているとも知らないで…
五時間目の体育の後、成穂達がまたしても騒いでいた。
またヘビでも出たのかと思ったが、どうやら違うようだ。雪乃の携帯電話が体育の時間の間に無くなったらしい。
…カジカは嫌な予感がした。
その予感を裏付けるかのように成穂がカジカの所にやってきた。
「カジカ、雪乃の携帯がなくなっちゃったんだけど?」
…何が言いたいんだ。
「そう、私の携帯で雪乃ちゃんに掛けてみようか?どこにあるかわかるかも。」
カジカはあくまでも普段通りに対応する。
「それも駄目ね。私もさっきやってみたけれど、電源が切れちゃってたわ。雪乃には電源切っちゃった覚えはないのにおかしいでしょ?」
「電池が切れたのかもね。」
「そんなにタイミング良く電池が切れちゃうわけないでしょ。誰かが盗んで電源を切っちゃったのよ。そうとしか考えられない。」
やはりそうなるのか…
「で?また私を疑ってるわけ?」
カジカはこちらから切り込むことにした。カジカは盗んでなどいないのだ。疑うというのなら正面からぶつかってやる。
「まぁ、容疑者であることは間違いないわ。しかも最有力のね。」
成穂は遠慮なんて欠片もなく言った。
「ふぅん。疑うのは勝手だけれど、私はやってないよ。さっきの時間に言ってたヘビのことも、今回の携帯のことも私は無関係です。」
「くっくっく、言い切ちゃったわね、カジカ。じゃあ調査させてもらっちゃってもいいわよね?」
「調査?」
「そうよ。とりあえずあなたの机の中を見せちゃって。それからランドセルと、もちろんさっきヘビを入れてちゃってたその体操服袋も調べさせてもらっちゃうわ。」
な…どれだけあつかましいんだ。
「別に問題ないはずよね?カジカは犯人じゃないんだから。」
…安い挑発だ。乗ってはいけない。
と、その時止めに入る者が現れた。
「ちょっとちょっと~、成穂ぉ~、もうその辺にしときなよ~。カジカがそんなことするわけないでしょ~?カジカも困ってるじゃな~い。」
クラス委員長をしている富沢七子だった。のんびりとした性格の女の子で、カジカの親友の一人である。
「ほら~、もうカジカを疑うのはやめにして雪乃の携帯探そ。ね~?」
声はのほほんとしているが、七子は懸命に成穂を説得してくれている。しかし、成穂はまだ諦めていない様子である。
「探したって無駄よ。この女が盗んじゃったんだから。さぁ!机の中を見せちゃいなさい!」
そう言うが早いか成穂はカジカの机に飛び付いて、おどうぐ箱を机から引き出すと、中を物色し始めた。
カジカは呆気にとられてただただ呆然と見ているだけだったが、七子をはじめとするクラスの女子の多くが成穂のその行為を止めに入ってくれた。
「放しちゃってよ!絶対カジカが犯人なんだから!」
成穂は小柄なので、カジカの友達数人にすぐに羽交い絞めにされてしまった。それでも成穂は諦め切れないのか、必死にもがいていた。
…なんだかそれが…弱いものいじめに見えた…
カジカは幼い頃から銀髪のことで馬鹿にされてきた経緯もあり、弱いものいじめが何より嫌いだった。されるのはもちろん、するのも、見るのも。
今、友人たちに取り押さえられている成穂はカジカが原因でこうなっていると言っても過言ではない。止めに入ってくれた友達はもちろん善意でやってくれているのだが、カジカにとってこの状況は気分の良いものではなかった。
「みんなありがとう。でももういいよ、放してあげて。」
カジカがそう言っても友人たちは心配そうだったが、それでもとりあえずは成穂を開放してくれた。
「成穂、私の机でも何でも、好きなだけ調べていいよ。どうせ何も出てこないと思うけど。」
「ほぉ、とうとう観念しちゃったようね。それじゃあ遠慮なく~」
成穂はカジカの机の物色を再開した。
「カジカ…い~の~?」
七子が乱雑に机を探る成穂を見ながら言った。
「いいよ。私は七子みたいに机に給食のパンとか入れてたりはしないから。」
「む~、それは言わないでよ~。」
七子がむくれる。
「ごめんごめん。でも、成穂が見たいって言ってるんだから見せてあげればいいよ。」
そうだ。机や鞄の中を見られるのは好きではないが、別に見られて困る物が入っているわけではない。見せて潔白が証明できるのなら見せたほうが良い。
「ま~…カジカがそう言うならいいけど~…」
「それより雪乃ちゃんの携帯を探してあげましょ。」
「そ~だね~。」
雪乃の携帯さえ見つかればひとまず携帯の方の無実は証明できる。それにしても今日は厄日だ。どうして私ばかりがこんなに疑われなければいけないのだろうか。
その日、教室を隅々まで捜し回ったにも関わらず宇崎雪乃の携帯電話が見つかることはなかった。もちろんカジカの机や鞄からも発見されなかったのは言うまでもない。
つまり、カジカに掛けられた二つの容疑は結局どちらも決着がつくことなく放課後を迎えたのでる。
放課後になりカジカの下校した後にも、成穂のストーカー行為は続いた。校内だけならそれも気にならなかったが、帰宅路にまで付いてこられると、さすがのカジカも嫌になってきた。
はぁ…いつまで付いて来るつもりなんだろ…
「ねぇ成ちゃん、いつまで続けるの?」
「カジカが尻尾を出しちゃうまでよ。」
「それっていつ?」
「そんなのわかるわけないでしょ。」
雪乃も一緒にいるようだ。どうせなら聞こえないようにしゃべって欲しいものである。
一緒に下校していた友達とも別れ、カジカの家のすぐ近くまで来ても成穂は後を付けてきていた。
このまま家まで付いてくるつもりなのだろうか…。まさか上がり込んでくるなんてことはないだろうが、家の前でずっと張り込まれていても気分が悪い。幸い成穂も雪乃もカジカの家の場所は知らないはずである。
カジカは手近な交差点を自分の家とは違う方向に曲がった。そして、曲がるやいなや猛然とダッシュした。
後ろに成穂の「あ!」という声を聞きながら、カジカは住宅街の中をがむしゃらに走り回った。曲がり角を適当に曲がり、後ろからの気配がなくなるまで全速力で走った。
しばらく走ると成穂たちはカジカを見失ったらしく、追ってくる気配が消えた。成穂の足は速いが対照的に雪乃は遅いので、なんとかまくことができたようである。
「はぁっはぁっはぁっ」
とりあえず息を整えよう。それから遠回りでもして家に帰るとしよう。
成穂もこれで諦めてくれるといいのだが…
カジカは深呼吸して気持ちを落ち着けた。
ピピピピピピピピピピピ…
突然謎の電子音が鳴り響いた。カジカは驚いて十センチほど跳び上がってしまった。
何の音だろうか…ともかくこの音を聞いて成穂達が来てしまってはまずい。
カジカはそう考えてその場を離れたが、音はずっと付いてくる。どうやら音源はカジカ自身にあるようだ。
よくよく聞いてみると音はカジカが持っている体操服袋から聞こえているようである。
…カジカは嫌な予感がした。本日二度目だ…
カジカは体操服袋に手を入れ、音源を探した。それはすぐに見つかった。
薄い水色の携帯電話だった。音はアラーム音のようである。カジカはこの携帯に見覚えがあった。
とりあえずアラームを止め、プロフィールの画面を開く。ロックはかかっていないようだ。
『宇崎雪乃』、プロフィールにはそう記されていた。
…予感は当たった。
間違いない。さっきクラスで捜し回った雪乃の携帯電話である。
どうしてこれがここにあるのだ。体操服袋は成穂がさっき調べていたではないか。調べても何も出てこなかったではないか。それが今になってなぜ…
まさか…成穂が入れたのか…。カジカをはめるために…証拠が欲しいが為に…。
カジカは携帯を操作してアラーム設定を開いた。
アラーム設定時刻…午後四時十五分…今鳴っていたのはこれだろう。
普通に考えてこんな時間にアラームなど必要ない。このアラームはまるで…カジカにこの携帯の存在を知らせる為に設定されたもののようだ。実際、このアラームが無ければ気付かなかったことだろう。
待て待て、いくら成穂といえどここまでやるだろうか…。あまり予想だけで他人を疑ってはいけない。それこそ成穂と同じである。
ここで犯人について考えても答えは出ない。今重要なのはこの携帯をどうするかだ。
一番正しいのは雪乃に返しに行くことである。しかし、現状でそれをするのは私が盗みましたと宣言しにいくようなものである。知らない間に鞄に入っていたと説明したとしても、どうせあの二人には信じて貰えないだろう。もし入れたのが成穂であるのならば尚更である。
この辺に捨て置くという方法もあるが、それは少し良心の呵責を感じる。
例え誰の物であろうと他人の物を勝手に捨てるなどカジカには出来なかった。まして携帯電話は高級品である。捨てられようはずもない。
こうなれば残された手段は一つだけ。誰にも気付かれることなくこの携帯を元の場所に戻しておくことである。元々雪乃がどこにしまっていたのか正確には知らないが、教室の机に入れておけば問題はないだろう。
ここまで考えてカジカは歩き始めた。向かう先はもちろん学校である。目的は言うまでもない。
明日明後日は土日で休みなのだから、本当は今すぐに持って行かなければいけないということはない。しかし、休日の学校は平日とは勝手が違う。いつもは開いている扉や門も大抵は閉まっているし、教室の鍵も借りにくいはずだ。休みに登校したことなどないから詳しくは知らないが、だからこそ休日はできることなら避けた方が良い気がした。
それに何より、カジカは雪乃の携帯をはやく手放したかった。こんな持っていても災いの火種にしかならない物はとっとと片付けたかったのだ。
この心理こそ、一連の事柄を仕組んだ者の最大の狙いであるとは知らずに…
こうして久留熊カジカは放課後の教室に一人で足を踏み入れることになったのである。
カジカはまず自分の教室の鍵を借りるために職員室へ向かった。まだ戻されていない鍵もあるようだったが、五年二組の鍵はキーロッカーに返却されていた。ここに鍵があるということは、今教室は無人であることを意味する。先生もこの時間になると教室を出ているようだ。
「忘れ物かい?」
キーロッカーの近くに座っていた年輩の先生がカジカに声を掛けた。
「はい…」
カジカは軽く会釈しながら答えた。
「使い終わったら戻しておきなさい。」
「はい。」
カジカは目的の鍵を掴むと、逃げるように職員室を出た。別に悪いことをしているわけではないが、忘れ物を取りに来たと嘘を言ったことが後ろめたかったのだ。
しかし、今はそんな些細な嘘を気にしてはいられない。カジカは自分の教室がある三階へと階段を登った。周囲が静かであるせいか、自分の足音が大きく響いて聞こえた。
三階の廊下はシンと静まりかえっていた。時刻は四時半。まだ日の入り前とはいえ、照明無しでは薄暗かった。階段横のスイッチを入れれば蛍光灯を点けることもできるのだが、携帯を戻してすぐ帰るつもりだったので止めておいた。
教室と廊下の間の窓は全て磨りガラスになっているため中の様子は分からないが、どの教室からも人の気配はなかった。どうやらどのクラスにも居残りしている生徒はいないようだ。
五年二組の教室は階段から数えて三つ目、カジカは足早に駆け寄った。
鍵を開けようと扉に手を掛けた時、何か違和感があった。
「あれ?」
鍵が開いてる…
教室の扉はカラカラと横にスライドして開いた。中には当然誰もいない。ほの暗い空間の中には机と椅子が規則正しく並んでいるばかりである。
先生が閉め忘れたのだろうか…
不用心きわまりない。先日も校内で空き巣の騒ぎがあったばかりだというのに、うちの担任に緊張感はないのだろうか。週明けにでも注意しておかないと。
ともかく雪乃の机に携帯を戻さなければ…
カジカは机の間を抜けて雪乃の席にへ向かい、教科書などをしまう方のおどうぐ箱を開けた。中身はもちろん空っぽだ。真面目な雪乃は置き勉などするはずもない。
カジカはそのおどうぐ箱の奥に持っていた雪乃の携帯電話を入れた。電話が掛かってくると面倒なので電源は切ってある。
さて、さっさとこの場を離れよう。万が一こんな現場を成穂にでも見られればただ事では済まない。まったくこんなコソ泥みたいなことをする羽目になるとは…
そういえばこの前ヘビが入っていたのもこの机である。あの犯人もこんな気分だったのだろうか。犯人なんてものが存在すればの話だが…
その時、カジカの後ろでカタッと小さな物音がした。
カジカは驚いて後ろを振り返った。
後ろには…何もなかった。さっきと変わらず机と椅子が並んでいるだけである。
カジカの心臓の鼓動がにわかに激しくなる。
気のせいだろうか。
カジカは雪乃の机をきっちり閉めてから廊下の様子を見に行った。
やはり誰もいない。誰かに見られていた訳ではなさそうだ。
ほっと胸をなで下ろす。慣れない状況に神経が過敏になっているだけだ。落ち着こう。
カジカは素早く部屋を出ると、教室の扉を閉めた。
後はここを施錠して職員室に鍵を返せば全て終了である。ポケットに入れておいた鍵を取り出す。
と、教室の中からかすかに何かが聞こえた…
「ふふふっ…」
また気のせいだろうか。緊張から来る空耳だろうか…
カジカは背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、手を止めて耳を澄ました。
「ふふふっ、バカね…」
「あははっ、そうだね…」
確かに誰かの笑い声が聞こえる。空耳などではない。教室の中に誰かいるのである。
カジカは扉を少しだけそっと開けて中を覗いてみた。
誰もいない…。しかし笑い声だけはかすかだが間違いなく聞こえている。
どこかに隠れているのだろうか。だとすればカジカのさっきの行動は見られていたということになる。それはまずい。
カジカは扉の取っ手に手を掛け、一気に横へ引いた。
バンッ!と大きな音を立てて扉は開いた。
「そこにいるのは誰!」
大声で話しかける。返事はない。笑い声も消えた。
「いるのは分かってるのよ!隠れてないで出てきなさい!」
机の間を通って教室の中心まで移動する。机の影に誰かいないか目を凝らしてみるが、隠れている様子はない。教卓の裏やカーテンの後ろにもいないようである。
どうして誰もいないのだ。声は確かに聞こえたのに…
カジカはだんだん気味が悪くなってきた。
「ふふふっ…」
カジカははっとして後ろを振り向いた。誰もいない。
しかし、絶対に声はした。
「あははっ…」
今度は別の方向から聞こえた。しかし、やはりそこには誰もいない。
「ね、ねぇ…誰…?どこにいるの……?」
カジカの声は震えていた。どうなっているのだ。
「あははっ、バカだね…」
「うふふっ、そうね…」
「あはははははっ…」
「うふふふふふふふっ…」
声はカジカの質問には答えず笑うばかりである。しかも数が増えているようだ。
バンッ!バンッ!バンッ!
急に大きな音がした。
「ひっ!」
カジカは驚いて跳び上がる。どうやら机を叩く音のようだ。もちろん叩いている人間など見当たらないが。
「あはははははっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
「うふふふふふふっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
姿の見えない何者かが笑いながら机を叩いている。カジカにはそうとしか思えなかった。それ以外に今の状況を説明することはできなかった。
「あはははははっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
「うふふふふふふっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
数はどんどん増えていく。カジカは恐怖のあまり力が抜けて逃げることもできず、教室の真ん中でうずくまって耳を塞いでいた。
「うふふふふふふふふっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
「あはははははっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
そうか、これは誰かが笑って机を叩いているんじゃない。机自体が笑ってるんだ。教室中の机がカジカを馬鹿にして笑っているのだ。
もう嫌だ。どうして机にまで馬鹿にされなきゃいけないんだ。もう嫌だ。
カジカは抜けた力を絞り出して立ち上がり、出口まで突進した。
途中何度も机にぶつかったが、突き飛ばして進んだ。
そして、開け放された扉から廊下に飛び出すと、その勢いのまま駆けだした。
もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ…
「あはははっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
もう止めて。もう止めて。もう止めて…
「うふふふふっ」
バンッ!バンッ!バンッ!
お願い、もう止めて…
音と声はまだ聞こえていたが、教室を離れるにつれてそれも小さくなり、やがて聞こえなくなった。それでもカジカは走り続けた。
やめて…、やめて…、もうやめて…
階段を半ば転がり落ちるように走り降り、正面玄関を飛び出し、校庭を斜めに突っ切って、校門の外まで一気に駆け抜けた。
「はぁっはぁっはぁっ」
学校を出てしばらく走ってから、カジカはやっと足を止めた。そして力無く近くの民家の塀にもたれかかり、そのまま座り込んでしまった。
もう…大丈夫だろうか…
ここまで来れば…
落ち着け。大体あの机達は追っては来なかった。大丈夫だ。
「はぁ…」
それにしてもあれは何だったのだろう。机が笑うなんて…そんなことがあるのだろうか…
そう考えると今さっき体験したことが現実だったのか疑わしく思えてくる。
悪い夢でも見ていたのだろうか…
その時、ポケットの中で何かが震えた。カジカ自身の携帯のバイブのようだ。
メール?電話かな?
バイブが止まらないので電話のようである。カジカはポケットから震えている携帯を取り出し、折り畳まれた画面を開いた。
その画面に表示された着信相手を見て、カジカは全身から血の気が引くのを感じた…
『宇崎雪乃』
画面にはそう表示されていた。
そんな…ありえない…。だって雪乃の携帯は…
そうだ、あの水色の携帯はさっきカジカ自身が電源を落とし、雪乃の机の奥にしまって来たばかりなのだ。その携帯から着信があるなんてありえるはずがない。
カジカはしばらく迷っていたが、電話が切れる気配がないので意を決して震える指で通話ボタンを押した。
「も…もしもし…」
『逃ゲテモ無駄ダヨ』プッ…ツーツーツー
押し潰されたような一言のあと、電話は切れてしまった。
「ひっ…」
カジカは突発的に持っていた携帯を投げ捨て、そのまま後ろを振り向くこともなく一目散に自宅に飛んで帰ったのだった。
※※※
久留熊カジカが去った後の五年二組の教室に俺達はいた。
「ふぅ、これで作戦終了だな。」
俺は持っていた宇崎雪乃の携帯電話の電源を落とし、宇崎の机の中にしまいなおした。
「音だけでも色々な脅かし方ができるんだな。」
傍らにいるテケテケに話しかける。
「どうじゃ?我を見直したであろう?」
「ああ、音だけでここまでできるとはぶっちゃけ思ってなかったよ。素直に感心した。」
「ほほほ、そうじゃろうそうじゃろう。」
テケテケは満足気に頷く。
使えるのは音に限定されていたが、出す音の種類と音を出す場所を工夫することで今回テケテケは見事に久留熊を脅かすことに成功した。
人の笑い声、机を叩く音、そして電話の話し声、これら全てテケテケが発した音である。
「それにしてもあの白髪娘を前回の作戦の犯人に仕立てることで、本当に放課後の教室におびき出せるとは…ヤマトは計算高いの。」
「一人で居残る状況は作れそうになかったからな、後で一人で戻って来てもらうことにしたんだ。それでまぁ、都合良く竜堂が話しかけてきたから利用させてもらった。」
そう、あの時竜堂が話しかけてこなければ、今回の作戦は思いつかなかっただろう。
まず、ヘビを使って久留熊に疑いをかける。
方法は久留熊の体操服袋の中にヘビを侵入させ、ヘビが脱出するところを宇崎と竜堂に目撃させるというもの。これが結構難しかった。
ヘビが侵入するタイミングは登校時、久留熊が校門をくぐってから教室に到着するまでの間と決めた。教室に入ってからだとサイズの大きなヘビは見つかりやすいからである。校舎に入るまでの道に手頃な高さの木があったので、とりあえずそこにヘビを待機させ、久留熊がその木の前を通過する瞬間に体操服袋に飛び込んでもらった。ヘビは久留熊の顔を知らなかったので、横にテケテケを付けてタイミングを計らせた。今日の時間割に体育があったことと、うちの学校の体操服袋がファスナーやボタンといった口を閉める物が付いていないタイプだったことは幸運だった。
ここまでやっても見つかってしまった場合は諦めるつもりだったが、なんとか久留熊に気付かれることなくヘビを侵入させることができた。
侵入の次は脱出。これは昨日の放課後、この教室で何度もシミュレーションして一番良い脱出経路を選出しておいた。俺は鍵の掛かった教室には入れないので廊下で待っていただけだったが、テケテケは学校内ならば視覚を多角的に広げることができるらしく、それを利用することで宇崎と竜堂の席からははっきり見え、他の席からは見えにくい経路を探し出すことができたようだ。
脱出が成功し、竜堂が久留熊を疑うようになれば後は簡単だった。
計算通り竜堂は昼休みに久留熊に詰め寄り、その後もしつこくつきまとっていた。竜堂は思い込みの激しい奴である。こうなると久留熊しか目に入らなくなるのだ。そこをうまく利用する。
俺は体育の時間を使って宇崎の携帯電話を盗み出した。体育の時間の前は教室に人が少なくなり、また携帯を持って行かれる心配もないので盗むのは容易である。しまってある場所はある程度予想できたが、念のため学校の中の事なら何でも分かるというテケテケの千里眼を使って前もって特定しておいた。まぁ予想通り机の中だったが。
盗んだ携帯は電源を切ってからしばらく自分のランドセルに入れておいた。もちろんこの段階で携帯が発見されたら元も子もないからである。
案の定竜堂は携帯を盗んだのも久留熊だと考えた。そして、久留熊の方も竜堂に対して苛立ちが見え隠れし始めていた。
俺は授業が全て終了し、久留熊が下校の準備をしている間に、あらかじめアラームをセットしておいた宇崎の携帯を久留熊の体操服袋に放り込んだ。携帯はヘビと違って小さいので、袖口に入れて運べば誰にも見つからずに放り込むことができた。
アラームの時間は久留熊が自宅に着くか着かないか位の時間帯を選んだ。また、アラームが鳴る時間に自動的に電源が点くという便利な機能があったので、それに設定した上で電源は切っておいた。
あとはアラームによって携帯の存在に気付いた久留熊が教室に戻ってくるのをじっと待つのみだった。待つ場所は廊下の突き当たりの扉を出たところにある非常階段である。この非常階段の柵を乗り越え、壁づたいに進むことで、かなり危ないが教室の窓の前まで移動することができる。つまり、前もって窓の鍵を開けておけば、例え教室の扉の鍵を掛けられても教室に侵入することが可能なのだ。
教室の扉は中からだと手動で鍵を開けることが出来る。俺は久留熊が戻ってくる前に、担任が職員室に行く際に閉めて行った鍵をこの方法で開けておいた。
もちろんこの方法だと担任が戸締まりをチェックする時に窓の鍵が開いていることに気付かれる恐れがあったが、これは恐怖体験をより超常現象っぽくするための言わば『おまけ』であり、もし気付かれれば久留熊自身に鍵を開けさせればいいだけのことであった。また、担任が気付いたかどうかはテケテケに聞けば分かるので、俺がわざわざ窓の前に行って確かめる必要もなかった。
まぁ、今回はカーテンに隠れて見えにくい窓を選んだこともあり、気付かれなかったけど。
俺がやったお膳立てはここまで。
この先はテケテケが戻ってきた久留熊を音で大いに驚かせ、見事に震え上がらせたのであった。
久留熊が走り去った後、非常階段に待機していた俺は久留熊が開け放して行った扉から教室に入った。そしてすぐに扉を閉め、中から鍵を閉めた。
俺は宇崎の携帯にセットしていたアラームだけ消去して、そのまま窓から非常階段に戻るつもりだったが、テケテケが最後の仕上げをしたいと言ったので宇崎の携帯で久留熊に電話を掛けたのだった。
「これで後は久留熊がこのことを噂に流してくれれば作戦成功だな。」
「ほほ、そうじゃの。しかし、あの娘が自分から噂を流すことは恐らくないと思うぞよ。」
「え?なんでだよ。」
それじゃあ作戦失敗じゃねぇか。
「あの娘は他の者に見つかりたくないから一人で戻ってきたのじゃろう?ならばここに戻ってきたことを他人には言うまい。」
あ…確かに…
今日ここであった事を誰かに話すということは、今日ここに携帯を返しに来たことを自分で暴露するのと同じである。そんな馬鹿なことを久留熊がするとは思えない。
「へっ、俺のおびき出し方が悪かったみたいだな。すまねぇ…。くそっ、失敗かよ。」
なんだか自分のことのように悔しかった。
「ほほほ、失敗ではないぞよ。あの娘自体から結構霊力を得られたしの。それに今後噂を流す上での一つの布石にはなる。」
「布石?」
「そうじゃ。あの娘が噂の発信源になることはないじゃろうが、他の噂の信憑性を高めることはできるぞよ。時間が経てばあの娘も体験を話すかもしれんしの。」
はぁ…つまりは俺達が別の方法で噂を流すことに成功した時に久留熊はその噂を信じるだろうから、久留熊の持ち前の影響力で噂が広がりやすくなる…ということか。
何にしろ噂を流す作戦は練り直しということらしい。
「まぁいいや。噂を流すのは次にするか。」
「そうじゃヤマト。ゆっくり一歩一歩やっていこうぞ。」
一歩一歩ねぇ…。進んだ先に何があるのやら…
「さてヤマト、そろそろ帰るぞよ。」
そう言ってテケテケは俺のランドセルの中に入った。
「俺、休みの日は学校には来ないぞ。それでもまた俺の家に来るのか?」
「誰もおらぬ学校などに残っておってもつまらぬわ。」
「そうか、なら帰るか。」
俺はテケテケが入ったランドセルを背負って学校を後にしたのだった。
…もちろん窓から。