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アナテマ  作者: はるた
第四章
99/124

26 醒めない悪夢(1)

「はあっ、はあっ……畜生、何だって俺がこんな場所に!」


 セルドナの住民にとっての暗黒大陸(エーゼスガルダ)は、蛮族が住む未開の地――その他に流民や犯罪者が最終的に流れ着く場所という一面を持つ。

 特に海岸付近ではそのようなセルドナ人が集まり、一時的にごく小規模の集落を形成することもある。――いずれはそれらを狙う原生動物、あるいは魔人によって喰い尽くされる運命にあるが。


 海岸から少し離れた森の中――息を切らし走る男の姿がある。

 男はセルドナで殺人を犯し、憲兵に追われる身にあった。逃げに逃げて、無我夢中に飛び乗った船が偶然暗黒大陸への探索船だったのだ。

 積み荷の中に身をひそめていた男は、船員の目を盗んで何とか船を降りた。

 当てもなくふらふらと彷徨ううち、陽が落ち、黒い森の中に不気味な獣どもの眼が光る時が来てしまった。


「くそっ、くそっ!! こんな……こんな所で死んでたまるか!! くそぉっ!!」


 単調な悪態をつき続けながら、男は森の中をひた走る。

 人間のものではないいくつもの足音は、すでに男のすぐ後ろにまで迫っていた。


「うわあっ!!」


 土の上に飛び出た木の根につまずき、男は豪快な音を立てて顔から地面に飛び込んだ。

 起き上がろうとした男の上に、すかさず四足の獣――セルドナに生息する狼より大きく、異常に太く長い犬歯を持つ不気味な獣が飛び乗る。

 男はめちゃくちゃな叫び声を上げながら、必死に獣の牙から抵抗しようとした――が、その攻防は三秒にも満たなかった。


 首から上がはじけ飛び、頭があったはずの場所から鮮烈な血潮を吹き上げ、だらりと体が力を失う――今まさに獲物をしとめんとしていた獣の体が。

 男には何が起こったか理解できなかった。薄闇の中、目の前が赤い血色に染まり、獣が自分の体の上から崩れ落ちるその景色を、ただぼんやり見ていただけだった。


 がさり。

 不意に聞こえた足音。


 木々の間から姿を現したのは人間だった。


 男はわけもわからず近付いて来るその姿を見ているしかない。

 かなり辺りが暗いのではっきりとどのような人物なのか認識できなかったが、背の高い男のようだった。


 原住民か? どんな魔術を使ったのか知らないが、俺を助けてくれたのか?


 男には何もかもが理解できなかった。

 未だ起き上がれずにいる自分の傍に“命の恩人”が跪き、自分の首へゆっくりと、静かにその片手をかけても、まだ呆然としていた。

 いや、あるいは陶然と“命の恩人”の姿を見ていた。この世のものとは思えぬ美貌――そしてその血色の瞳を。


 ごきん。


 終わりは、あまりにも唐突にあっさりと訪れた。

 男の眼は呆然としたまま、生命の光を失った。


 セルドナからの流れ人を獣から救い、そして殺した魔人は、おもむろに男の亡骸を貪り始めた。


     * * *


 雨が落ちる一定の音を聞いていると、心が静まる。脱力して眼を閉じていると不思議と穏やかな気持ちになれるのだ。

 “狩り”の後の昂ぶりを静めるには、丁度良かった。


 ルシナは横にある死体に視線を送った。

 もはやそれ(・・)は、数分前まで生きていたのが疑わしくなるほど、原型を留めていないただの物体と化していた。


 この“餌”を見付けたのは偶然だった。

 食欲は無かったが、その瞬間獣に食われようとしていたその男を見た瞬間、本能が湧きたち、とっさに獲物を奪っていたのだ。その後は、ただ体の思うままに――。


 不幸にも犠牲となったこの男も犯罪者か、そんなところだろう。どちらにしろ、もう既に餌になった男に興味はない。


 次の目的地はすぐそこだ。しかし、なぜか動く気になれない。


(もう、限界か……)


 血の匂いのする息を吐いた。


「疲れたな……」


 呟きは雨に混じって消えて行く。


「――!」


 しかし、どんなに疲労していても鋭敏な感覚は雨に紛れた気配を捉えてしまう。

 ほとんど反射的に、ルシナは身構えていた。


 何か来る。


 感覚を集中させたその瞬間、目の前が光に包まれ――。


「……ルシナ」


 極限の疲労が、ルシナの眼を惑わせたのかもしれない。雨のもたらすかすんだ空気が、幻影を創り出したのかもしれない。


 自分の名を呼ぶ声、そしてその姿が記憶と重なった。

 茶色の髪、赤い瞳――一瞬だった。それがリーシャに見えたのは。


「――――!」


 とっさに名前を呼ぼうとした瞬間、現実が輪郭を持った。

 確かに来訪者は、彼女と全く同じ髪と瞳の色をしていた。しかし――。


「ひどい顔。今にも死にそうじゃないか」


 楽しげな声の主は、昔から見知っている美しい少年。


 驚いた。

 弟であるセスが、彼女にこれほどよく似ていたとは――どうして今まで、気付かなかったのだろう。


「セス……なぜここに……」

「ネオスのご命令さ。あんたを連れてくるように。悪趣味だよね、わざわざ僕を迎えにやるなんて」

「……ネオスに加担してるのか」


 以前はネオスに従っていたとはいえ、現在セスはリリィたちと行動を共にしていたはずだ。それなのに……

 セスは笑った。以前のように悪戯っぽい笑み――それとは違う。投げやりな、自嘲的な笑みに見えた。


 その右手に握られている、あるものに気付く。――短剣だ。


「……それは」

「やっぱりわかるのか。――()がくれた物だよ」


 不吉な漆黒の刃。そこから立ち上る気配は、あの銀髪の聖霊のそれだった。


 突然、セスが地面を蹴って一気に間合いを詰めて来る。

 休息をとった後とはいえ、長期間蓄積してきた疲労で鈍った神経は、彼の動きに充分に反応することができなかった。


 ひゅ、と風を切る音と共に、黒い刃が突き出される。

 かろうじて上体をそらせてよけたルシナの前髪が、二、三本宙に舞う。


 セスの攻撃はそれで終わらない。

 短剣が襲ってくるかと思えば、反対側から鋭い拳が飛んでくる。魔人の爪は剣に等しい鋭さだ。

 肌や服に傷を作りながらも、ルシナは致命的な一撃はかわし続けていたが、攻撃に転じることはできない。

 ――その攻防も、長くは続かなかった。


 圧倒的に体力で勝るセスの猛攻に耐えきれず、ルシナの体がふらついてくる。

 繰り出された突きをかわすため、後方に飛び退ろうとしたが――ぬかるみに足をとられる。


「――!!」


 体勢を崩したその瞬間をセスが見逃すはずはなく、鋭い蹴りによって地面に倒された。

 すぐに体を起こそうとしたが、鼻先に素早く短剣の切っ先が突き付けられた。


「最強の魔戦士が、聞いて呆れる」

「…………」

「なぜ力を使わなかった? 簡単だろう、僕を殺すことくらい」


 見下ろすセスの顔――雨にぬれた髪がはりつき、その毛先から雫が滴り落ちる。

 (リーシャ)よりも鋭さのあるその顔を、ルシナはぼんやりと見上げていた。


 形の良い唇が、皮肉っぽく歪められた。


「リーシャのことがあるから、遠慮でもしてるの?」

「……セス」

「どうでもいいだろ? そんな昔のことは。あんたにはもう、大事な人がいるんだから」


 ルシナはうつむいた。見下ろすセスの視線に耐えられなかった。


「リリィ。……会いたくない?」


 からかうような響きの声だ。

 その問いは、ルシナの答えを求めていなかった。


「会わせてあげるよ」


 目の前の暗黒の刃が濁った白い光を帯びる。その黒と白の対比は、これ以上なく不気味で、美しかった。


   * * *


「起きろ」


 耳の奥に声が響いた。


「……っ」


 その声に眼を覚まし、鈍い痛みが残る体をゆっくりと動かす。

 両手で体を支えて何とか起き上がると、強く顎を掴まれて強引に上を向かせられた。


「!!」

「よく眠れたか?」


 そう言って笑うのは、目の前にある美しいネオスの顔。彼の白く細い指は信じられないほど強い。


「会いたかったぞ。随分と疲れ切った顔をしているじゃないか」


 楽しげに言うその声は、今までよりもずっと余裕に満ちている。その表情までも大人びたように見えた。 


「こ、こは……」

「お前が目指していた所――とは少し違うが、私がそこに似せて作った空間さ」


 視線を泳がせて周囲の様子を窺うと、どうやら聖殿の内部のようだった。ここが獣人の里であるならば、ルシナの目的である宝玉があるはずだ。

 ネオスの背後にはセスが立っていた。苦しげなルシナを、特に感情の浮かばない顔で見ている。


「セス、ご苦労だった。これで滞りなく次の段階に移れる」


 セスはその言葉に微笑で答えた。


 ネオスはルシナから手を離し、立ち上がる。


「楽しいことを始めようか」

「楽しいこと、だと?」


 力を振り絞って、ルシナはようやく立ち上がった。しかし体の底には痺れるような痛みがあり、怠さが全身を覆っている。


 ネオスは振り向き、指を鳴らした。


「!?」


 その瞬間だった。背後に気配を感じ、咄嗟にルシナは身を屈めたのだ。

 ルシナの頭があった場所を、疾風のような速さで繰り出された脚が通過した。


 体勢を整え後ろを向くと――。


「……リュカ!?」


 よく知った顔の、竜人の青年がそこにいた。

 たった今ルシナに攻撃したのは彼だったのだ。


 息を継ぐ暇もなく、リュカは次の攻撃を仕掛けてくる。


「っ!!」


 次々と突き出される拳がルシナの頬をかすめる。今のルシナには、ぎりぎりでそれらをかわすのがやっとだった。


「やめろ……!」

「やめろ、だって?」


 祭壇に座りそれを見物しているネオスの声が響く。


「お前こそ、そいつらを攻撃しただろう? 自分の目的のために」

「っ、ネオス、やめろ!」


 鋭い攻撃を繰り出しているにも関わらず、リュカの金色の瞳は虚ろだった。それはネオスに操られている証拠に他ならない。

 竜人族の腕力は凄まじい。リュカのような戦士であれば尚更だ。いくら魔人族とはいえ、首の骨をへし折られれば再生は不可能である。


「どうしたルシナ、早く攻撃しろ。そいつを殺せば何も問題はないだろう」


 愉快でたまらない、という風にネオスの声が響いてくる。


「今のお前には何も関係はないはずだ。それとも、まだ甘い過去を捨てられていないのか?」

「黙れ!!」


 ネオスの声に呼応するかのように、ルシナの瞳に力が籠る。

 一瞬の隙を付いて、ルシナの拳がリュカの顔面に命中した。次いで脚を払い、床の上に倒す。


「――!!」


 馬乗りになりリュカの胸に狙いを定め、腕を振り下ろす――。


「やめろっ!!」


 突如として響いた高い声に、ルシナが怯んだ。

 その隙にリュカはルシナの腕を払い、一気に体勢を逆転させる。


「っ、くっ……」


 いつの間にか、ネオスの横にはレムがいた。両手と両足を光の縄で拘束されている。

 そのレムの首筋に突き付けられている黒い刃。その持ち主は、彼らと行動を共にしていたはずのセスだ。

 

「やめてくれ……ルシナ……」


 レムの眼は涙で濡れていた。

 零れ落ちた雫を、ネオスの指が拭う。


「仲間の目の前で仲間を殺すのか? ルシナ……」

「っ、趣味の悪い……」


 うつ伏せに寝かされ、背中に両腕を回され拘束される。凄まじい力に、体を動かすことができない。


「さて、と。お前が未だこの連中を仲間と認識しているということは、よくわかった」


 長い銀髪を払い、ネオスは前方に片手を差し伸べた。


「なら、これはどうかな?」


 ネオスの指先に淡い光が宙を漂う。それは段々と人の輪郭を取り……


「……!!」


 レムと同じように両の手足を拘束されたリリィを、ネオスは抱き寄せた。

 リリィは立ってはいるものの、眼はほとんど閉じられていて意識はないようだった。


 ネオスの指が、リリィの金髪を撫でる。


「まさか忘れたわけではあるまい?」


 紫の瞳が妖しい光を帯びてルシナを見た。

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