18 朱の世界(1)
小竜の脚力は強靭で、人二人分の重りを乗せていても難なく風のように大地を駆けた。岩場や泥濘を飛び越え、草木をかき分けて。
頬に感じる風が心地良い。滅多にこんなことは経験できない。それは一時だけでも心の重荷を取り去ってくれた。
これほど速いのならば、目的地まですぐに着けそうだ――そんな感覚を覚えるほどリリィの心は高鳴っていた。
前を走るイーズが速度を落とした。後ろを振り向きながら叫ぶ。
「そろそろ休憩にしましょう! 近くに泉があります」
イーズに倣い、リリィとセスの小竜も速度を落とす。続いて他の小竜も走るのを止めた。
興奮していたせいもあってリリィは特に疲労は感じなかったが、西の空には夕陽が浮かんでいる。ろくな休憩も挟まずずっと走り続けていたのだ。小竜の方はかなり疲れているだろう。
小竜から降り、横に並んで歩く。
イーズとキナを先頭に少し歩くと、森の中の泉が見えた。泉の畔に立つと、小竜たちはごくごくと泉の水を飲み始める。
今日はこの場で野宿をするということだった。リュカは手際よく火を起こす準備をしている。
「私も手伝おう」
すかさずリュカの隣に滑り込んだのはキナだった。
無意識にレムの方を見ると、彼女は何事にも興味なさげに水を飲む小竜の隣で座っていた。
「リュカ!」
「何だ?」
「あたし、食糧を探してくるわ」
リュカは少し考えたが、頷いた。
「わかった、頼む。――イーズ」
「はい」
「リリィに付いて行ってやってくれ。十分に気を付けろ。あまり遠くには行くなよ」
「わかりました」
リリィはレムの隣に駆け寄った。
「レム、一緒に行かない?」
「……オレはいいや」
何とも気の抜けた様子だ。全く彼女らしくない。しかし視線だけは時折リュカとキナの方へ向けている。
(気になるのね……)
ちらりとリュカとキナの方を見る。傍から見ると非常に似合いの組み合わせだが、リリィからしてみれば二人の間にあるのは単なる友情のように見えるが……
リュカは今のレムの心情など知る由もない。
* * *
リリィとイーズは荷物運びのための小竜を一頭連れて、近くの茂みの中で食べられそうなものを探していた。
イーズから毒の有無の見分け方を教わりながら、野草や木の実を拾っていく。厳しい自然環境ではあるが、非常に食糧は豊富だった。
「リリィさんはまだ十七歳なんですよね」
「うん、そうよ」
「すごいなあ。竜人族は長命だから僕はあなたより遥かに長い間生きてますけど、リリィさんは僕よりずっと強いですね」
リリィは苦笑しながら首を振った。
「そんなことないわ」
「セルドナの人は弱い人ばっかりだと思ってました。身体的にも精神的にも。エーゼスガルダへは時々、セルドナの犯罪者が流れてくるんですけど、その人たちは数日と保たずに死んでしまいます。野生動物や気候、疫病にやられて。体は何ともなくても、精神が崩壊する人もたくさんいるんです。それなのにリリィさんは……」
「あたしには目的があるから。何としても果たさなくちゃいけない目標が……」
イーズは屈託なく笑った。
「そこまで身を犠牲にできることがあるなんて、幸せですね」
「……!」
幸せ――。
改めて思いもしなかった言葉だった。自らを犠牲にすることが、幸せ――。
「どうして? 幸せだって思うの?」
「あっ……ごめんなさい。不謹慎でしたね」
動揺するイーズにリリィは首を振った。
「ううん、違うの。単純に、どうしてそう思ったのかなって……」
「……死んだ祖母がよく言っていたんです。自分の犠牲を厭わないくらい、夢中になれることや大切に想えるものがあるのなら、それ以上に幸せなことはないって」
「…………」
「辛いことや悲しいことがたくさんあったとしても、それは過程の一つに過ぎなくて、全部『幸福』に内包される事柄らしいんです」
「……そうね。そうかもしれない」
「応援しています。僕にもできる限りのことはさせてください!」
イーズに笑みを返し、リリィは少し離れた場所へ食材を捜しに行った。
(幸せ、か……)
辛くても悲しくても、それが自分の思うことを果たすための過程ならば、幸せ――。
ルシナに出会った時。彼がリリィの元を去り、そして再会を果たして……殺されかけた。
どれほど絶望したことだろう。それが幸せの一つであるとは思えない。しかし不思議とイーズの言葉は心の中へ染み込んでいった。
(確かにこうなった今だって、ルシナに会わなければよかったなんて少しも思わない。どれだけ苦しい思いをしたって、彼を好きになったことを後悔する時は……きっと来ない)
自分の心に問いかけても、今ならばはっきりとした答えが返ってくる。
野草と木の実を採って、イーズのところへ戻ろうとした時だった。
「リリィさん!逃げて!!」
イーズの絶叫が聞こえた。




