16 出発(1)
「おい、待てよ」
廊下を歩いていたセスを呼び止めたのはレムだった。
「何か用?」
「今、リリィと話してただろ」
「盗み聞きしてたの? 趣味悪いね」
「ちっげえよ!!」
「うるさいなあ」
レムは牙を剥き出しにしながら低く唸っている。
「……昨日、何話してたんだ?」
レムの疑問は、あれほど憔悴していたリリィが躊躇なくルシナを追う決断をしたことにあるようだった。その原因が、昨夜のセスとの会話にあると踏んだらしい。
セスはにやりと笑った。
「聞きたい?」
「まさか、余計なことを吹き込んだんじゃねえだろうな」
「うーん、どうかな」
昨日のセスの告白は、レムにとっては『余計なこと』に他ならないのだろう。しかしリリィが元気になったことによって、そこまで深くは追及しなかった。
「オレ、リリィの役に立ってんのかなとか思ってさ……」
急にしおらしくなってレムが言う。相談の相手を間違えているのではないかと思うほど。
「リリィを散々な目に合わせたお前の方があいつのためになってるなんて――」
「君の立つ瀬がないってわけ?」
「……まあ、そういうこと」
素直にレムは認めた。
「くだらない」
「何だとっ!?」
「僕は僕のしたいことをしてるだけ。昨日のことも、リリィのためだなんてこれっぽちも思ってないよ」
それは真実だった。
リリィに想いを伝えることは、彼女を戸惑わせること。下手をすればルシナのこととあいまって更に彼女をどん底に突き落とすことになってしまうかもしれなかったのだ。
しかしセスは迷わず自分の気持ちを伝えた。リリィへの想いを自覚してからすぐに。
それは確かに自分のため――自分の意志を何よりも優先させるという彼の信念に従ってのことだった。
「僕が何を聞いたか気になるんなら、リリィに直接聞けば?」
「あいつを傷付けるようなこと、言ったんじゃねえだろうな」
「知らない。傷付いたかもしれないし、傷付かなかったかもしれない」
セスはその場を後にしようとしたが、ふと思い留まって、壁に背を当てて立っているレムに向き直った。
「……何だよ」
睨んでくるレムの灰色の瞳をじっと見つめる。
「やっぱり、違うんだよな……」
ぼそりと呟く。
「あ?」
レムの顔の横に手を付いて、もう片方の手で顎をぐいと上に向かせる。
「なっ、何だよ!」
「君の色気が破滅的に足りないのを抜きにしても……」
「おい、今なんて言った?」
レムの文句は無視して、吐息がかかるほどに近く顔を近付けた。
「したいと思わないんだよな」
「何の話だよ!?」
一方的にレムから離れ、セスはにっこり笑った。相変わらず天使のように愛らしい笑顔だ。
「こっちの話。じゃあね」
「何なんだよ!!」
* * *
獣人の里までは四日程。ルシナの襲撃に間に合うか、微妙な時間だった。
力を使えば、物理的距離は意味を成さない。長距離移動には体力と精神力を消耗するが、休み休みにしても一日あれば十分すぎるほどだった。
しかし、ルシナは普通の聖霊とは違う。ヒトの体を持つ限り、潜在能力がいくら高くても完全に制御し自在に扱うことはできない。毒に侵されるように、命が削り取られていくのだ。
久しぶりに会ったルシナからは、まるで生気というものが感じられなかった。ただ眼だけが異様に鋭い光を放っていた。体を休ませる暇も与えず力を使用したことが、その大きな理由だろう。
故に、獣人族の宝玉を奪うまでまだ時間があると考えられる。自分の体を顧みず本気で力を使っていたなら、リリィがエーゼスガルダへ辿り着くまでの間にアル・カミアに攻め込んでいたに違いない。
移動に使うのは、小竜と呼ばれる竜人族独特の移動手段だ。二足歩行の巨大なトカゲを思わせる体の形をしたそれは、びっしりと緑色の硬い鱗に覆われ、爬虫類の眼と鋭い牙が何とも不気味で恐ろしいが、強靭な脚力と高い体力を持ち、長距離の移動には最適だという。
セルドナではまず見られない、エーゼスガルダ特有の生き物だった。
しかし、問題が起こった。
リリィたち四人に案内役の二人を加え、必要な小竜は合計六頭。しかし、ルシナの襲撃時の騒ぎで多くの小竜が逃げ出し、すぐに乗ることが可能な小竜は四頭しかいないのだという。
「まさか、二人だけ走ってついていくことなんてできないし……」
リリィは思わず唸った。徒歩で歩いて向かうには遠すぎる。着く前にルシナはアル・カミアへ行ってしまうだろう。
「ならばこうしてはどうでしょうか」
提案をもちかけたのは案内役の一人、イーズだった。リュカと同い年くらいの優しそうな青年だ。
「幸い残っている小竜は大型です。リリィ殿とレム殿が、他の小竜に相乗りしてはいかかでしょう。女性の方が体重も軽く小竜に負担がかかりません」
その意見にリュカも頷く。
「そうだな。特にリリエルはこのような生き物に慣れていないし、力が足りず振り落とされてしまうかもしれない。かえってその方が良いだろう」
という訳で、レムがリュカと、リリィがセスと一緒に乗ることになったのだ。
リリィは少し複雑だった。セスと同じ小竜で移動すること自体が嫌なわけではないのだが……
(ちょっと気まずいのよね……)
そんなリリィの考えを見透かしてか、セスはおもむろにリリィの肩に手を置いた。
「心配しなくていいよ。別に何もしないからさ」
「心配してるわけじゃないけど……」
「ふーん? その割には変な顔してるけど」
「変な顔って何よ」
セスは声を上げて笑った。
* * *
そんな二人の様子を少し離れたところから見ている人影が二つ。
「おい、リュカ」
「何だ、レム」
「あれ――どう思う?」
レムがリリィたちの方を指差す。
「ふむ。奇妙といえば奇妙だが」
「奇妙どころじゃねえよっ! 異常だぜ。あれじゃまるで恋人同士じゃん! あんなに嫌ってたのに……」
「リリエルは元からセスを嫌っていたわけではないと思うがな。セスも同様だ」
「嘘だろ!? あんなことされたのに!?」
「詳しくはわからん。だがルシナのことがあってからリリエルはそれだけを見ていたから、セスを嫌うどころではなかったような気もするぞ」
「でもさ、セスだってリリィはルシナへの嫌がらせのためにちょっかい出してたんじゃ……」
「しかしそれも、幼い子供が好きな相手の気を引くためによく使う手法だぞ」
レムは悲鳴を上げた。
「有り得ねえよ! あいつがリリィのことを好きだなんて! 大体、リリィにはルシナがいるんだぜ?」
「詳しくはわからんと言っただろうが」
二人の様子が以前と変わったのは、リリィがルシナと会った後、セスと二人きりで話をした時以からだ。
セスに問い質してもごまかされたが、何かあったのは間違いない。
しかしその変化は悪いものではなく、むしろ以前より良好と言える。要するに『いい感じ』の雰囲気なのだ。
それだけにレムは心配だった。リリィのルシナへの気持ちを疑うわけではないが……
(まさか、セスとくっつきゃしねえだろうな……)
万が一そんな事態になったら……そう考えるだけで恐ろしい。
ルシナの気持ちはどうなるというのだ。ルシナはリリィを助けるためだけに、力を取り戻し聖霊と戦う道を選んだのに。ずっと意識を失っていたリリィはあの時のルシナを知らない。冷たく動かないリリィの体を抱きしめて泣いたルシナ。ネオスを迎えにやって来たシャナンという聖霊に、感情を剥き出しにして叫んでいた。
滅多に感情を表に出さないルシナが、あれほど激しい想いを他人に露わにするなんて――。
(好きな奴のため、か……)
ちらりと横にいるリュカを見る。
もしリリィやルシナと同じ立場だったら、彼らと同じ選択を自分はできるだろうか。愛する者のために――。
じっと前方を見据えているリュカの横顔を見てから、ため息をついた。




