11 セス
眼を覚ました時、そこはまさに嵐が過ぎ去った後のようだった。
聖殿内にいた者たちは残らず倒れ、祭壇の上にあったはずの宝玉も消えている。
今意識があるのはセスただ一人のようだった。恐らくルシナの力の影響だろう。再生能力が圧倒的に高い魔人であるセスは、他の者よりも早く回復したのだ。
立ち上がったセスは聖殿内を見回し、ある異変に気付いた。
(リリィがいない……)
意識を失う前まで、確かにリリィはいた。しかし今はリリィもルシナも消えてしまっている。
ルシナを追ったのか? それとも、一緒に行ったのか――。
(有り得るかもな。やっと会えた相手なんだから、どうしても離れたくはないだろうし)
リリィがレイハの意志も裏切ってルシナの破壊行動に加担するというのも、面白そうだ。
しかし――。
(何だか気に入らないな)
その時、セスはまだ気付いていなかった。その感情の原因は、単なるリリィの勝手な行動に対するものだと思っていたのだが……
(とりあえず追い掛けてみるかな)
聖殿を出てから、セスはふと思い留まった。
魔人には獣人ほどの嗅覚はない。だが、血の臭いなら別だ。かすかな残り香でも容易に追跡できる。
(そういえば血の臭いも何にもしてないや。これじゃどこに行ったのかわからないな)
レムを起こして追いかけてもらうか。いやしかし、力を使って空間転移をしたのなら意味はない。
どうやら地道に捜すしかないようだ。
正門の鍵を内側から開けて外に出ると、奇妙なものがあった。
「灰……?」
確かにそれは黒ずんだ灰だった。かなり量が多く、複数の山のようになっている。そしてその灰の山に埋もれるようにして、衣服や松明が落ちていた。
翼人の使者の言葉が蘇る。見張りは全員灰と化して殺されていた――。
「ルシナか……」
力を使って邪魔者を排除したのだろう。確かにルシナは魔戦士に立ち戻っているようだった。
* * *
ルシナのことを考えると、激しく心が乱される。そう感じるようになったのは、彼が姉と親しくするようになってからだ。
嫉妬と羨望、そして憧憬。ルシナに対する感情を、セスは嫌悪という言葉で一括りにした。
本当は真逆だった。戦士として憧れは持っていたが、何より彼が放つ異彩な雰囲気が好きだった。何事にも関心なくただ戦い続けるその姿が、セスの求める究極の自由を体現しているようだったからだ。
そんなセスをルシナも弟のように好いていた。リーシャと知り合うよりずっと前から、セスとは仲が良かったのだ。
セスは同時に姉のことも好きだった。魔人に似つかわしくない性格をしたリーシャを見ているのは好きだったし、彼女は厳しく優しかった。両親は子供に対してとことん無頓着だったし、リーシャにとってセスは確かに最愛の弟だった。
セスからしてみれば、最も愛する人物を同時に奪われたも同然だったのだ。自分をよそに絆を深める二人を見るのがどうしても嫌だった。今まで感じたことのない疎外感。いや、それ以上にルシナに対する失望があった。
ディラスの化身、魔戦士だなんだと言われても、結局はヒトだったということか。リーシャと共にいるルシナに、今までの超然とした空気はなかった。恋人と笑い合うただの青年だった。
セスの憧れを奪ったリーシャ。セスからリーシャの最愛という立場を奪ったルシナ。
壊れてしまえばいいのに。互いに失望し合って、ぐちゃぐちゃになってしまえばいい。
しかし自分から二人の仲を引き裂くような真似はしなかった。もし、二人が別れなかったら? それどころか、ちょっかいを出したことによって一層深く愛し合ってしまったら――そんなことには耐えられなかった。
二人を避け初めてから間もなくだった。リーシャが死んだのは。
ルシナに殺されたと聞いた時、半身をもぎとられたような思いがした。そして快感を感じた。リーシャの死という衝撃と同じ、いやそれ以上に大きな快感を。
リーシャを殺したことはルシナの心の中に、永遠に深い傷を刻み付けた。その傷は膿となって彼の心を腐らせる。お前に他人を愛することなどできはしない――セスは心の中で、涙を流しながら笑っていた。
不思議とルシナへ憎しみは感じなかった。ルシナが一生リーシャのことを忘れず苦しむなら、それ以上のことはないと思ったのだ。
それなのに。
ルシナはネオスから逃げる途中で昔の記憶を全て失っていた。もちろんリーシャのことも。
記憶を失ったルシナを見た時、表面には出さなかったがどれほど驚いたことか。
リーシャと知り合う前の、超然とした冷たい美貌。戦場を血で染めた魔戦士の顔。ずっと見たかった、リーシャに奪われたもの――しかし心の中には黒い気持ちが湧き起こって来た。
殺したリーシャのことを忘れて、新たな愛する者を見出して生きている。
だからリリィを奪おうとした。しかし腹の立つことにリリィもかつてのリーシャと同じく心の底からルシナを愛していた。
リリィに支配の刻印を刻み付けた後の絶望に染まった表情――そしてそれを知ったルシナの激しい怒りに満ちた表情を見た時の気持ちは、まさに痛快だった。
再び絶望を知ればいい。そしてネオスに心を壊されて、アル・カミアに永久に囚われてしまえばいい。
ルシナが聖霊を滅ぼせる可能性など、皆無に等しい。ほとんどない可能性にかけて奔走するリリィの姿を見ているのはこの上なく面白おかしかった。他人のために自らを犠牲にするなど馬鹿馬鹿しい。どうせ途中で投げ出して逃げ帰る。もし逃げなかったとしても、ルシナを失ったリリィの表情を見るのも楽しそうだ。
しかしリリィに迷いなどなかった。
レイハの家へ向かう途中の数日間、リリィはずっとルシナのことだけを考えていたらしい。セスが横から悪魔のように囁いても、まるで耳を傾けなかった。
つまらない。そう思って半ばむきになっていた。
気付けばルシナ以上に、リリィに心を乱されている自分がいた。
* * *
どれほど歩いただろうか。
里から距離的にはそう離れてはいない森の中で、倒れているリリィを見付けた。どうやら気を失っているらしい。
「リリィ」
駆け寄って軽く呼んだが起きる気配はない。そのすぐ傍に腰を下ろして、軽く頬を叩く。
「起きなよ。風邪引くよ」
しかしリリィは眼を覚まさない。
ふと、彼女の首についた痣が目に付いた。強く絞められたような、指の痕。これは――。
(ルシナにやられたのか……?)
よく見ると、リリィの目元は濡れていた。
「…………」
すぐにセスは全てを悟った。
ルシナはリリィを殺そうとしたのだ。――リーシャと同じように。
しかし、できなかった。
「……特別ってことか……」
その時の光景がまざまざと脳裏に浮かぶようだ。泣き叫ぶリリィと、冷たく拒絶するルシナ。しかしルシナの心の中は激しく乱れていたに違いない。リーシャとリリィを重ねもしただろう。
「リリィ、起きて。起きないとキスするよ」
一向に眼を覚まさないリリィに、セスは身を屈めた。柔らかい唇を軽くついばむ。
顔を離すと、リリィの唇がかすかに動いた。
「……ルシ……ナ」
消え入りそうな掠れた声で、リリィはその名を呼んだ。
「……!」
不意に心臓がどくんと鳴る。
(……何だ?)
初めてだった。こんな感覚を感じたのは。自分の心臓がこれほど大きな鼓動を刻むことがあるとは。
自分の心の領域が乱されたかのようだ。
「……僕はルシナじゃないよ」
力を失っているリリィの体を抱きかかえ、セスは歩き出した。




