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アナテマ  作者: はるた
第四章
82/124

9 襲撃(2)

 こちらへ背を向けて立っているルシナ。彼を囲んでいるのは、祭壇付近を守っていたリュカを始めとする竜人たちだ。


「リリエル!」


 リュカの言葉に、ルシナはゆっくりと振り向いた。彼の眼が自分に焦点を合わせたその瞬間、闇に抱きすくめられたかのような悪寒が全身を走った。


 リリィは首を振り、剣を構えた。

 恐れてはいけない。ルシナを止めると決めたのだから。


(お願い、レイハ……! あたしに力を貸して!!)


 レイハもこの剣を通して、ルシナの存在を感じているだろう。剣から伝わる温かさだけが、今のリリィの希望の光だった。


「宝玉は渡さないわ。――そこから動かないで」

「……どうやって止めるつもりだ?」


 聞いたことのないほど低く冷たい声。


(これは……本当に、ルシナなの――!?)


 思わずそう疑いたくなるほど、かつての面影は消え失せていた。

 ルシナは再びリュカの方を向く。


「俺の目的は宝玉だ。それさえ渡してくれれば、必要以上の危害は加えない」

「できない相談だ」

「そうか」


 ルシナの体から、黒い煙が蛇のように噴き出る。

 そこから伝わってくる死の気配を全員が本能的に感じたのか、彼を包む円が広くなった。


「――!!」


 ただ一人、リリィだけがルシナへ向かって走り出していた。


「やめろ!」


 叫んだのは、リリィの後を追って聖殿に入って来たセスだった。

 しかしリリィは止まらない。

 黒い煙の中心へ真っ直ぐに向かっていく。


「やあっ!!」


 渾身の力で振り下ろした剣を、ルシナはいとも容易く片手で受け止めた。刀身を素手で握っている。しかし黒い煙をまとった彼の肌から、血が流れることはなかった。


「っ!!」

「やめた方がいい」

「やめないわよ……あなたが止まるまで!」


 リリィは必死に心の中でレイハの名を唱えていた。銀色の光が広がり、黒い煙を切り裂いていく。

 ルシナの眼が細まった。


「その剣……」

「……そうよ。レイハに貰った剣――あなたを、助けるために」

「助ける?」


 ルシナの唇が冷たい微笑を刻む。剣の光に後退した煙が、再び渦を巻く。


「必要ない」


 今度は剣の光が煙に押されて弱くなっていく。やがて――。


「!?」


 銀色の刀身にひびが入った。


「君はここにいるべき存在じゃない。自分の場所に帰れ」


 バキン、と音を立てて剣が真っ二つに割れる。その途端、強烈な風のようなものにリリィの体がふわりと浮いて、そして凄まじい勢いで後方へ飛んで壁に叩きつけられた。


「――っ!!」


 聖殿の内部に、ルシナを中心とした風が吹き荒れた。この世ならぬ力を帯びたそれは、ヒトの体をいとも簡単に持ち上げて、枯葉のように弄ぶ。


 ようやく風が吹き止むと、立っている者はルシナただ一人だった。

 彼の行く手を妨げるものは誰もいない。ルシナは悠然と祭壇へ近付き、黄金に輝く宝玉を両手で持ち上げた。


「ル、シナ……」


 暗黒の中に自分を閉ざした彼に、リリィの声は届かない。


「やめて!!」


 残された力を振り絞り、声の出る限り叫ぶ。


「――!!」


 白い閃光がリリィの視界を覆った。リリィの体から放たれた光は真っ直ぐにルシナへ向かい、黒い煙ごと彼の体を包むと、大きくその後方へ弾き飛ばした。


(い、今のは一体何――!?)


 レイハの剣を失っている今、リリィに聖霊の力は使えない。しかし今の光は――。


 光に焼かれたルシナは床に叩きつけられて、まだ立てないでいた。恐らく今の光が彼の体に作用しているのだろう。苦しげに呻きながら起き上がろうとしている。


「ルシナ!」

「来るな!」


 鋭い声に、リリィは思わず立ち止まる。


「宝玉は、手に入れた……もう用済みだ」


 途切れ途切れに言葉を吐き出し、ルシナはその場から消えてしまった。

 嵐が訪れたかのような聖殿。ルシナの風に煽られた人々は皆地面に倒れ伏して起き上がる気配はない。

 この場で意識を保ってたっているのは、リリィただ一人だった。


   * * *


「!」


 レイハははっとして顔を上げた。

 窓の外の風景は静かな闇で満ちている。時折風の吹く音が聴こえるのみだ。


(リリィ……ルシナ……)


 リリィに渡した剣にはレイハの力が込められている。いわば分身のようなものだ。リリィがそれを身に着けている限り、彼女に起こっていること、彼女が見ていることは全てレイハ自身も『視る』ことができる。

 そのレイハの『視界』が閉ざされた。

 剣が破壊された。ルシナによって――。


 足が速い、手先が器用など人間には能力の個人差があるように、聖霊にも力の差異はある。

 レイハの場合、聖霊のみが持ち得る独特の『感覚』が非常に長けていた。人間で言えば、視覚や聴覚、嗅覚に相当するものであると考えればわかりやすいかもしれない。

 ルシナを見出したのも、その秀でた感覚があったからだ。


 レイハは同じように感じ取っていた。エーゼスガルダへ着いた頃からリリィを包む柔らかな光を。それは人間の眼に見えるものではない、聖霊の力にほかならなかった。そしてレイハの剣によるものとも違う別のものだ。


 剣が破壊された今、その光の有無もリリィの安否も確認することはできないが――。


 やはりルシナはリリィを攻撃することに躊躇いはしなかった。容赦なく、その力をもって排除しようとした。


(変わらないのか……? 君は闇に自分を閉ざしたままなのか……)


 今のレイハにできるのは、ただ祈ることだ。

 リリィならばルシナを救い出せると信じて。


   * * *


「ルシナ……」


 一体どこへ――。

 相当疲労していたようだし、力の強さには精神力と体力が大きく作用する。まだ遠くには行っていないはずだ。

 しかし……

 レイハの剣はルシナによって折られてしまった。剣の力を使えばルシナの居場所を探すこともできたのに。


 リリィは虚しく床に落ちている剣の柄を拾い上げた。


(レイハ……ごめんなさい。せっかくあなたがくれたお守りだったのに)


 力を込めても剣は輝きを失ったままだ。

 成す術がない。ようやくルシナと会うことができたのに――このまま再び会えなくなるのか。

 駄目だ。今退いたら、ルシナを助けることなどできはしない。


(何か方法を探さなきゃ!)


 唇を噛みしめて顔を上げた時だった。


「!」


 前方にゆらゆらと白い光が揺れている。


(これは……)


 夢の中で――いや、夢だったのかすら定かではないが――謎の巨城へ連れて行かれた時。ルシナ、あるいはルシナの姿をした『何か』が出現した時と同じだった。


 前と同じように光は人の形をとり、それはルシナの姿になっていく。

 奇妙な光景だ。今の今までここにいて宝玉を奪って消えた本人が、何でもない顔でそこにいる。


 しかし、目の前にいる人物がルシナでないのは、これではっきりした。彼の姿は先程見た本物のルシナとあまりにかけ離れていた。

 髪は以前と同じように短く、眼の光もぎらついたものではない。

 これはリリィの記憶の中のルシナだ。共に笑い合った頃の――。


 自然と涙が溢れ出した。リリィは次々と流れ落ちる涙を拭うこともせず、ただ彫像のように雫を流している。


「…………」


 光を帯びたルシナの手がリリィの涙に触れた。


「あなたは誰……? あたしが見てる幻なの……?」


 すると初めてそのルシナの声が聞こえてきた。


「これは君の心の中に一番強くある姿。君が望むもの……」


 その声はルシナのものだった。しかし、深く響く不思議な声だった。しかも目の前のルシナは口を開いてはいない。まるでリリィの頭の中に直接話し掛けているかのように。


「おいで」


 そう言って彼はリリィの手を取る。


「君の大切な人はすぐそこにいる」


 周囲の景色が一変する。

 次の瞬間、リリィが立っていたのは聖殿の内部ではなかった。辺りは真っ暗な夜空が広がる。足元の遥か下には、灯りが煌々とたかれている竜人族の里だ。


「望んで」

「え?」

「彼に会いたいと。そうすれば道を開くことができる」


 いつの間にかリリィのもう片方の手に光るものがあった。


「! これは……」


 真っ二つに折れたはずのレイハの剣。しかし元通りの美しく輝く刀身がそこにある。

 リリィは光をまとうルシナの顔を見上げた。


「もしかして、あなたが直したの?」


 彼は微笑するだけだ。


「一体あなたは……」

「眼を閉じて。心に強く思い浮かべて」


 何か言おうとしたが、リリィは大人しくその言葉に従った。

 頭に浮かぶのは、先程見たルシナの冷たい瞳だ。邪悪な空気をまとう魔戦士。今目の前にいる彼とは全く違う別人のような。


「恐れないで。大切な人を助けたいと――そう望むなら」

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