8 襲撃(1)
月は出ていない。星も今は濃い闇の奥に隠れてしまっている。
煌々と灯りのたかれている竜人族の里は、夜の闇の中に浮かび上がるかのようだった。
少し離れた木の上から、多くの竜人たちが守る正門を見つめる視線があった。
闇そのものをまとっているかのような長い黒髪。それと見事な対比を描く白い肌。その深紅の瞳は限りなく冷たい光を宿し、闇の中に佇む今のルシナはまさにディラスの化身のようだ。
遠くから様子を伺っているルシナの眼がすっと細まった。
「……?」
妙だった。
現在のルシナには、通常では視えないものを視ることができる。竜人族の里全体を包み込む柔らかい光も、はっきりと見えていた。
自然のものではない、『力』によって造られた加護の光だ。アル・カミアの宮殿を包む光の膜とよく似ている。招かれざる者の侵入を防ぐための防護壁だ。
まさか聖霊の手が既に回っているのでは――。
一瞬そう考えたが、すぐにその考えを打ち消した。聖霊があの場にいるならもっと強く存在を感じ取ることが出来るはずだ。しかしそうは言っても、あれは聖霊の力でなければ造り出すことなどできはしない。
あの光がある限り、空間転移でその内部に侵入することはできない。
罠の可能性がある場合無闇に侵入するのは躊躇われるが、じっとしている暇はなかった。
ルシナはふわりと木の下へ舞い降りた。
* * *
「――ん?」
見張りの一人が異変に気付いた。
族長の命令で里の中では警備が強化されている。しかし侵入者らしきものは一向に現れず、いつもと同じく暇な時間が過ぎていた――そんな時だった。
「どうした」
「何か来るぞ」
前方の闇の中、松明の光が届かない場所――。
「何者だ」
暗闇の方向へ槍を構える。
近付いて来る足音――やがて侵入者は姿を現した。
「止まれ!」
それは、黒い衣服をまとった若い男だった。
自分に向けられている槍に臆した様子は全くなく、そのまま歩みを進めていく。
やがて月明かりに映し出された彼の顔は、はっとせずにはいられないほどに美しいが、瞳の色は禍々しい血色をしていた。
「魔人――!?」
彼の紅い瞳が光る。そして、長い黒髪がふわりと浮き上がる。
その眼の色をはっきりと認識した時には、既に門番たちはルシナの体からうねるように噴き出る黒い煙に飲み込まれていた。
煙に触れた場所から、生気が吸い取られていくかのように体が朽ちて行く。命あるヒトの体が一瞬でからからの枯木のように、そして砂と化す。
わずか数秒の内に、声も上げず門番たちは黒い煙によってただの灰になってしまった。
ルシナは何も起こらなかったかのように表情一つ変えず、門に片手で触れた。
ずぶり、とルシナの体がその奥へ飲み込まれていく。――通り抜けているのだ。彼が通った後には、傷一つ付いていない鍵のかかった門が、そのままの形である。
異変を察知した者は皆無だった。
空間転移は不可能でも容易に侵入できたことから、この里を覆う加護の光はそう強くはないようだった。誰がそうしているのかは不明だが――。
ルシナは目的へ向かって、静かに闇の中を歩いて行った。
* * *
襲い来る睡魔を振り払うようにリリィは首を振った。
「大丈夫か?」
隣にいるリュカが声を掛けてくる。
「うん。平気」
レイハの剣を抜く。銀色の光を見ていると、体の疲労が段々と薄くなった。
この剣は疲労を感じなくさせることができるが、疲労そのものが回復しているわけではない。体をごまかしているだけに過ぎないのだ。
だが、いつルシナが来るかわからない。その為には少しでも寝てしまうわけにはいかなかった。
「――!」
手に持っている剣がどくんと脈打った。まるで生きているかのような剣の鼓動が、直に手へ伝わってくる。
(何――? どうしたの?)
その鼓動は段々と早くなっているようだ。
間違いなくレイハの剣がリリィに何かを伝えようとしている。何等かの異変を察知しているのだ。
「まさか!」
「どうした?」
リリィは立ち上がり、一目散に聖殿の外へ出た。リュカの呼び止める声も聞こえなかった。
「リリィ!?」
聖殿の外にいたレムが驚いて声を上げる。そのすぐ隣にいるセスも、切羽詰まったリリィの表情を不思議に思ったようだ。
「何かあったの?」
風が吹き抜け、ざわりと木々がざわめき立つ。レイハの剣は更に速く脈打ち、人の肌に触れているかのように温かみさえ帯びている。
「――来る」
「え?」
リリィの感覚は剣と一体化しており、刃のように研ぎ澄まされたそれはいち早く前方に広がる闇が動くのを捉えた。
次いで異変を感じたのか、レムの耳がぴんと立った。
「この臭い……!」
他の竜人たちも近付いて来る足音を聴いて、ざわめき立つ。
やがて、闇の使者は姿を現した。
* * *
ずっと会いたかった人が、今目の前にいる。
しかしリリィは立ち止まってこちらを見ているルシナを認めても、何も声を発することができなかった。彼の姿はあまりにも、リリィの知るものと違っていたからだ。
美しい深紅だった眼は、残忍な冷たい光を帯びて血のごとく明るく輝き、肌は更に白く、おまけに後ろ髪が腰にかかるほど長い。
どこか虚ろだった雰囲気はどこにもない。闇が具現化したかのような邪悪な空気をまとっているだけだ。
ルシナはしばらくリリィを見つめていたが、視線をその奥の扉に移すと足を踏み出した。
「止まれ!」
怒声が飛んだが、従う気配はない。全員、各々の武器を構えた。
しかし、ルシナの姿は一瞬にして消えた。
「――!」
全員の視線が行き場を失って漂ったが、剣によって聖霊の加護を得たリリィは、背後に出現した黒い気配を肌で感じ取っていた。
ルシナは見張りたちの背後、聖殿の扉の正面に移動していたのだ。
「ルシナ!」
ようやく声を振り絞って彼の名を呼んだが、ルシナは振り向きもしない。
そこに扉など存在していないかのように、道の続きを歩くかのごとく足を踏み出していく。彼の体は扉の壁の奥へ消えて行ったのだ。
まるで時が止まったかのようだった。
リリィもレムも、セスでさえまともに動くことができなかったのだ。
「早く中に!」
リリィは扉を開けようとしたが、触れようとした手に鋭い痛みが走った。
「っ!」
「大丈夫か!?」
レムが扉に触れたが同様に弾かれてしまう。
結界だ。レイハの剣にリリィ以外が触れられないのと同じように、聖殿の内部からルシナが結界を張ったのだ。
「皆、後ろに退いて!」
リリィは一歩下がり、レイハの剣を構えた。感覚を研ぎ澄ませると、かすかに扉を覆っている黒い光のようなものが視えてくる。
「はあっ!!」
力を込めて、思い切り振り下ろす。剣と結界がぶつかり合う音が聴こえた後、結界に亀裂が走ったのがわかった。
体当たりで扉を開けて、転がり込むように中へ入る。




