2 竜人の里
暗黒大陸――その真の名は、『大いなるエーゼ神の地』という意を表すエーゼスガルダだ。
暗黒戦争以来、エーゼスガルダとセルドナ大陸との正式な交流は行われていない。セルドナ大陸からたびたび私設の調査団が派遣されるが、それらは主にエーゼスガルダの環境の調査を目的としているので、部族間との交流は皆無に等しい。
また、エーゼスガルダからは、広い世界に憧れる者、何らかの理由で故郷にいられなくなった者たちが、一生をセルドナで過ごす覚悟を持って、密航船を使ったり調査団の船に忍び込むなどの方法でセルドナへ行くことがある。
あるいはセルドナで罪を犯した人間が、エーゼスガルダへ逃れるという場合もある。しかしその場合、すぐにエーゼスガルダの厳しい自然環境や凶暴な肉食動物、もしくは魔人族の犠牲になることが多い。
エーゼスガルダに好き好んで訪れる旅人などいないに等しいし、ただの人間はまず生きることができないと言われているのだ。
* * *
鬱蒼と生い茂る背の高い木々の間、肌にまとわりつくねっとりとした湿気を払いながら、リリィたちは進んでいた。
今は昼のはずだが、この森の中には太陽の光さえろくに射し込まない。時折聞こえる獣や鳥の鳴き声が何とも言えぬ不気味さを醸し出している。
「もうすぐ着くはずだ」
レイハに送られてやって来たエーゼスガルダ。恐らくレイハが気を遣ったのだろう、最初に訪れた場所は竜人族の集落のすぐ傍だったという。
「数年ぶりだな、故郷に帰るのは……」
「リュカたちはどうしてセルドナに来たの?」
純粋に疑問に思っていたことだった。
レムが答える。
「ずーっとエーゼスガルダで暮らして、広い世界を知らずに死ぬのが嫌だったのさ。オレが大きくなったらセルドナに行こうって、リュカと約束してたんだ」
「へえー……」
「……何だよ、そのにやけたツラは」
「ううん、別に」
「ったく、気持ち悪いぜ」
リリィはレムの想いを知っている。誰よりも近い存在である、リュカへの恋心。
リュカがレムのことをどう思っているのかはわからないが、特別に大切な存在であるのは確かだった。
二人が羨ましくて仕方ない。
大切な人がすぐ傍にいる――何て幸せなことなんだろう。今更、それを思い知るなんて……
以前、ロザリア家に戻ってルシナと離れた時。当時はこれほど思いはしなかった。いつか会いに来る――その約束があったから。
もう二度と会わない。直接言われなかったことが、余計に心に突き刺さる。
(でも、迷わないって決めたんだ。いくら拒絶されても……)
今の自分にできること――それは、想い続けることだ。
「着いたぞ」
はっとして顔を上げると、暗かった森がいつの間にか開けていた。
身長の三倍はありそうな木の幹。上部が槍のように尖っているそれらが隙間なく埋められ、塀の役割を果たしている。巨大な木の門の前には、二人の門番がいた。
「何者だ」
こちらへ近付いて来る四人を認めて、門番たちは持っている槍を構える。
一番先頭を歩いているリュカが両手をひらひらと振った。
「俺だ。久しぶりだな」
「――リュカ!?」
驚愕に眼を見開いて門番たちが駆け寄ってくる。
「どうしたんだ!? どうやって戻ってきた!」
二人共、リュカと同じ黄金の眼の色をしていた。魔人族の赤い眼と同じように、この色が竜人族の特徴らしい。
「話は後でたっぷりしてやる。それより、早く入れてくれないか。急いでいるのだ」
「もちろん――と言いたいところだが」
門番は鋭い視線を背後の三人に向ける。
「そいつらは何者だ?」
「おい、オレの顔を忘れたのかよ!」
レムがずい、と門番の目の前に出る。
「お前は……確かいつもリュカにくっ付いていた獣人族のレムか?」
「くっ付いていたって何だよ!」
「それよりも」
もう一人の門番がセスの前に立ちはだかった。リュカと同じくらいの長身で、見下ろされるとかなりの威圧感がある。しかしセスは少しも臆さずに自分よりかなり背が高い相手を見上げた。
「なぜ魔人がいる? 中に入れるわけにはいかない」
「それって差別じゃない? 別に食事に来たわけじゃないんだけどな」
「口先だけならどうとでも言える。魔人の被害は数知れん」
「どうしても駄目だって言うなら力ずくで入るけど、いい?」
「セス!」
リュカが睨み合う二人の間に割って入る。
「こいつも入れてやって欲しい。頼む」
「リュカ!」
「全て俺の責任にしてくれ。何かあったら、俺が罰を受ける」
「しかし……」
門番たちはしばらく二人で相談していたが、リュカの真っ直ぐな瞳に押されたのか、渋々ながら承諾した。
「お前がそれほど言うのなら、特例だ」
「恩に着る」
「ただし忘れるな。この魔人によって里の者が一人でも傷付けられたら、お前には厳しい罰を受けてもらう」
「無論だ」
重々しい扉が開き、リリィたちは竜人族の集落の中へ招き入れられた。
セルドナ大陸のアステニアで生まれ育ったリリィにとっては、新鮮な光景だった。アステニアではまず見られない形をした木造の家が立ち並び、住人たちが物珍しそうに来訪客を眺めている。
リュカの姿を見た住民たちは彼の帰還を喜んでいたが、同行者であるセスの紅い眼を見ると一様に警戒心を剥き出しにした。
「嫌われてるねえ」
おどけたようにセスが言う。しかしリリィは彼のように笑う気にはなれなかった。
「そんなにあからさまにしなくたっていいのに。魔人だからって……」
「まあ多くの人たちが僕らの餌になってるのは事実だしね」
「それでも、あたしは納得できないわ」
「記憶喪失のルシナと一緒にいたからだよ。あれは特殊。魔人族は僕みたいな連中ばっかりさ」
「あなただって、一応分別あるじゃない。誰彼構わず襲い掛かったりしないでしょ?」
するとセスはからかうような笑みを浮かべながら、リリィを振り返り見た。
「僕に咬み付かれたこと忘れたの?」
「それにしたって、一応理由があったもの。ルシナへの嫌がらせっていう理由が。……一応言っておくけど、許したわけじゃないわ。すごく痛かったんだからね」
セスは不思議そうにリリィを見つめていた。
* * *
「叔父上、お久しぶりです」
リリィたちが迎えられたのは、族長であるリュカの叔父の家だった。族長のライザはリュカと同じ青緑の髪で、鋭い切れ長の眼もよく似ている。
四人は床に並んで座って、椅子に腰掛けるライザと対峙した。
「久々に会えて嬉しいぞ。レムも、よく来たな」
リュカを通してなのだろう、レムはライザと親しいらしい。
「見ない顔が二つ……紹介を願おうか」
リュカがまずリリィを紹介したが、リリィはそれを制してしゃんと背筋を伸ばした。
「リリエルと申します。セルドナのアステニア王国から来ました。リュカには、本当にお世話になって……」
そこまで聞くと、ライザは朗らかに笑った。
「そう固くならんでよろしい。人間のお客はまずいないし、暗黒戦争のこともあって人間を嫌う者も多いが……リュカの友人だ、信用できる。それに、眼を見れば相手の本質というものは大体わかるものだ。――澄み切った、一点の曇りもない眼をしておられる」
「ありがとうございます」
そしてリリィの隣のセスに視線を流す。
「そちらは?」
「名前はセス。見ればわかると思うけど、種は魔人。こちらにいるリリエルの――協力者、かな」
「協力者?」
「そのことなのですが」
リュカが言った。
「魔戦士の噂をお聞きになりましたか」
ライザは怪訝な顔をした。
「魔戦士? 暗黒戦争の魔戦士ルシナか?」
「ここへはまだ来ていないようですが……実は現在、各部族の里で宝玉を狙った略奪をしていると思われるのです」
ライザの顔色がさっと変わる。
「何だと? それは真実か?」
「はい。彼の目的は聖地アル・カミア。聖霊族を滅ぼすつもりです」
「何!? そんなことができるはずが……」
「ルシナなら、可能です」
相当混乱したようだったが、ライザも暗黒戦争を経験した戦士だ。ルシナと会ったこともあるのだろう。
「……ディラスの化身、か」
小さく呟いた。
「しかしリュカ、なぜお前がそれを?」
「俺がそのことを知り得たのは、全くの偶然です」
詳細は説明しないことにしたらしい。確かに、リュカたちがルシナと出会ったこと自体数奇な偶然と言えるだろう。
「ルシナを阻止するため、ある方の協力を乞うてエーゼスガルダへ戻って参りました」
ライザもリュカが説明を省いていることを悟っていたはずだが、追及はしなかった。
「ルシナがエーゼスガルダへ来たのは一週間ほど前。既に宝玉は奪われているかもしれません」
「しかし、そのような情報は聞いておらんぞ。それほどの大事件が起こったならば、私の元へ使者が遣わされるはずだ」
その時だった。
突然扉が開く音がした。
「無礼者! 来客中だぞ!」
ライザの脇に控えていた竜人がすかさず立ち上がり、入って来た者に怒声を飛ばした。
突然来た竜人族の青年は、この上なく切羽詰まった顔をしている。
「無礼は承知です! 族長、たった今翼人族の使者が!」
「まさか!」
リリィたちは思わず顔を見合わせた。
「翼人族と水人族が保有する宝玉が、何者かによって奪われたということです!」




