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アナテマ  作者: はるた
第三章
71/124

5 レイハとルシナ(2)




「私がルシナに会ったのは、単なる偶然に過ぎない。エーゼの思し召しか、ディラスの策略か……戦争中、エーゼスガルダのとある森で、たった一人でいた魔人の少年に会ったのだ。少年は自身の名も、家族も、どこから来たのかさえ知らないということだった。

 私は直感した。彼はただの魔人ではない――我が一族を脅かす力を持っているに違いないと。少年は力を使えないようだったが、ただ使い方を知らぬだけだろう、潜在的には強大な力を秘めている……私はそう考えた。そして、少年を手元に置いて監視することにしたのだ」


 レイハはうつむきながら、独り言のように語っていく。琥珀色の眼はその時の情景を映し出しているのだろう。


「聖霊以外の者をアル・カミアに入れることは、他の仲間には反対されたが、何とか押し通した。このまま放っておけばいずれ我々の脅威に違いないと主張して。全ての責任は私に一任され、その少年を育てることにした。名前はルシナ。『光』という意味だ」

「皮肉だねえ」


 鼻で笑ってセスが言うと、レイハは小さく頷いた。


「だが、私にとって彼は、まさにその名の意味通りの存在になった。私の誤算は……ルシナを愛してしまったことだった。愛情などヒトや動物のみが持ち得る感情だと思っていたが、よもや聖霊である自分自身が監視対象を愛しく思うことになるとは――」


 感情を移してはいけない存在だった。ただ冷徹に成長を監視しなければならないはずだった。


「それからしばらく経って、戦争が激化した。終わる気配などどこにもない。だが聖霊族は未だに不干渉の掟を守っていた。人間たちに、超常的な能力を有す聖霊の存在を知らせてはならなかったからだ。そこで長老たちが目を付けたのがルシナだった」


 ルシナの有する『力』。レイハの見立てでは、それは戦争終結に貢献するであろうほどのものだった。


「長老たちは私に、ルシナの力を目覚めさせることを命じた。私は反対した。それによってルシナの精神、身体に悪影響が出るかもしれない。だがもし力に目覚めたルシナを戦いに投じるなら、それは戦争終結への大きな一手になることは確かだった。結局、私は命令に従った。開けてはならなかった鍵を、開けてしまったのだ」


 後悔――そんな言葉で済むものではない。命令だったとはいえ、結果としてレイハの行動は、その後のルシナの運命に大きく影響を与えてしまったのだ。


「予想通り、ルシナは強大な戦力となった。力そのものを無闇に使うことは私が禁じたが、力が目覚めたことによって元から持っていた魔人としての身体能力、再生能力も飛躍的に上昇し、最強の戦士となったのだ。だがルシナの持つ力は、本来ならヒトが持つものではない。……私の懸念は的中した。ルシナは精神を侵され始めていたのだ。毒に侵食されていくように」


 レイハはセスを見た。


「君なら知っているだろう」

「大事なものほど殺したくなる、自分を愛そうとするものを壊さずにはいられない……ってやつか」

「……そうだ。やがて戦争が終わり、私はルシナをアル・カミアへ連れ戻した。そして再びルシナの力に鍵をかけて、封じようとした。しかし……できなかった。ルシナの力は想像以上に強大で、私の力では堰を切って溢れ出す濁流のようなそれを、収めることができなかったのだ。もはや彼の力を封じることができる者は、存在しないかと思われた。

 いや――ただ一人、族長ヴェルディカのみがそれを成し得た。しかしヴェルディカは君臨するのみ。一族の前にさえ滅多に姿を現さぬ特別な存在だった。そんな中……長老たちがある決定を下した」

「ルシナの『処刑』か……」

「ああ……」


 レイハは再び視線を虚空に泳がせる。


「私以外にも、反対した者はいた。しかし一族の多数の意見は、ルシナの『処刑』に賛成だった。結果……それは執行された」


 しかし、ルシナはそれを逃れた。処刑を執行しようとした聖霊を殺害して。


「許されざる罪……何が何でもルシナを裁くべきだという者も少なからずいたが、誰しもがその事件によってルシナへの制裁に臆病になっていた。次の判決が下される前に、ルシナはアル・カミアを出た。私が彼に会うことは固く禁じられ、監視のみが続けられた。

 私は無理にルシナへ会いにいくことはしなかった。ルシナの消息は知れなかったし、何よりも……聖霊としての自分の立場を捨てきれなかったからだ。何よりも愛していたはずの存在を……見放したのだ」


 レイハはきつく拳を握り締めた。


「それからどれほどの時が経っただろうか……私にとっては永遠に等しいほどの間だった。新たな聖霊が誕生した」

「ネオス……」


 リリィはその名を口にした。


「ネオスはエーゼに最も愛された、ディラスの化身と呼ばれたルシナに対抗し得る唯一の存在だった。我々の感覚でいえば、ネオスは幼子――いや赤子だ。彼はあまりに純粋で正義感に溢れていた」

「ネオスの中でルシナは絶対的な悪だったというわけか」

「そう。悪は誅するべきだとネオスは主張した。年功序列でいえばネオスに発言力は無いに等しかったが、エーゼの愛子たるネオスに同調する者は段々と増えていき、ルシナの『処刑』の許可を長老たちに求め始めたのだ。――私はネオスを止めた。ルシナは悪くない、罰するなら私を罰してくれと嘆願した。  が、ネオスはそんな願いなど聞き入れなかった。我らと同じ力を持って生まれてしまったこと自体罪であると……そして、仲間の一人を殺されたのに何とも思わぬのかと私を責め立てた。確かに……私は殺された仲間のことよりも、ルシナの方が気に掛かっていたのだ。仲間の死を悲しむことも忘れた自身に愕然としながらも、ネオスに頼み続けた」


 だが、ネオスは聞く耳も持たなかった。ネオスはまさしく赤子のように無垢なのだ。己の信じる正義と誇りの元、悪を排除するために動こうとしている。確かにそれは『正義』以外の何物でもなかった。


「そんな中……長老たちがある決定を下した。私をアル・カミアから追放したのだ。長老の決定は絶対。私は従うしかなかった。いや、自ら進んでその決定を受けたのだ。私は……逃げた。敵となってしまったルシナと向き合うのが恐ろしかった。それ以上に、ネオスにルシナが壊されるのを見たくなかったのだ」


 そしてレイハはセルドナに移り住み、ひっそりと暮らすようになったのだ。


「で、僕とネオスがここに来るまで、ルシナがセルドナに逃げて来たことも知らなかったんだろ? 記憶と力を失っていたことも」


 記憶ごと力を失ったことによって、ネオスも簡単にルシナの存在を感じることができなかった。レイハの元にいはしまいかと、ネオスはセスを連れて彼の元を訪れたのだった。


「……一週間ほど前だ。ルシナがここへ来た」

「本当!?」


 リリィは思わず立ち上がっていた。一週間前――丁度ルシナが暗黒大陸へ向かった時だ。


「聖霊族を滅ぼすつもりなのだろう」

「……ええ」


 平穏に生きるために。これ以上、聖霊に自分の人生を干渉させないために。ルシナは聖霊族を滅ぼそうとしている。

 ついにルシナは、聖霊が恐れていた存在になってしまった。アル・カミアを滅亡させるディラスの現身。そうさせたのは他でもない、聖霊たち自身なのだ。


 レイハは目の前にいる金髪の少女をじっと見つめた。

 記憶を失っていたルシナがどのように過ごしていたのかは知らない。だが確実に、この少女とは深く関わっていたのだろう。


 愛するものはできなかったのか――一週間前、ルシナにそう問うた。

 それにルシナはこう答えた。一つだけわかったことがある。そんなものは邪魔でしかない、と――。


 大事なものを、愛するものを壊さずにはいられないルシナ。彼女を失ってからだった。ルシナが心を失ってしまったのは――。


「……一つ教えてくれ。ルシナはなぜ力を取り戻した?」


 レイハはリリィに聞いたつもりだったのだが、それにはセスが答えた。


「愛の力さ」


 芝居がかった口調でそう言う。


「ふざけていないで、ちゃんと説明しろ」

「ふざけてなんかないよ。ルシナはね、その子を助けるために自ら犠牲になったのさ」

「……自ら犠牲になった?」

「記憶喪失のルシナをあなたが見たら、きっと感動して泣いちゃっただろうね。ネオスの力で永遠の眠りについたリリィを助けるため、聖霊を敵に回すのなんて意にも介さず、迷わず力を取り戻したんだよ。記憶もね」


 確かに、ルシナの力に対抗できるのがネオスしかいないように、ネオスの呪いを解ける存在もルシナしかいないだろう。


 レイハは確信した。ルシナはこの少女を愛していた。そうなれば、リリィはルシナに愛されながら生きている唯一の例外となる。もし記憶を失ったまま、ネオスもいなければ、ルシナはリリィと共に幸せに過ごしていたかもしれない。

 ルシナが言った、『一つだけわかったこと』――それは、リリィに出会って再び愛するという感情を知り、そして自身の性を改めて思い知ったのだ。

 記憶を取り戻した今、ルシナは恐れているに違いない。リリィが再び自分の前に現れることを。

 かつてリーシャをその手にかけてしまったことが、ルシナの最大のトラウマとなってしまっている。リリィを彼女のように殺してしまうことが怖くて仕方ないのだ。


 そしてもう一つ。

 リリィのちょっとした仕草、話し方、表情、そして身にまとう空気――。

 似ている。

 リーシャ――ルシナの最愛の存在。彼女にリリィはとてもよく似ていた。


「リリエル、と言ったか」

「リリィって呼んでください」

「君は、ルシナを愛している?」


 レイハはリリィの青い瞳の奥を見据えた。あまりに唐突な質問だったが、リリィは動揺も躊躇いもせずに答えた。


「はい。心から、愛しています」

「彼は君とは違う生き物だよ。力を持ってしまったが故にヒトからは恐れられ、聖霊からは忌み嫌われた哀れな子だ。それでも、ルシナを愛することができる?」

「……やっと、自分の気持ちをしっかりと知ることができたんです。目の前からいなくなって……二度と会わないと言われて、彼がどれだけ大きい存在だったか、改めて気付きました。あたしの気持ちは絶対に変わりません。たとえルシナが世界中から憎まれても、ルシナ自身に憎まれても」

「君は若い。将来もある。大きな危険を冒し、たった一人の男を追って何になる? ルシナを忘れて生きることが、君にとっては幸せだろう。ルシナもそれを望んでいたはずだ」

「誰から望まれても、あたしの気持ちは変わりません。忘れようと思って忘れられる存在じゃないわ。このままだったら、一生ルシナのことを考えて後悔すると思う。目の前にいないたった一人の男のことを考えて人生を送るなんて、それこそ不幸でしょう?」


 リリィは悪戯っぽく笑う。レイハも微笑した。


「……決意は固いようだね。良いだろう。協力するよ」

「本当ですか!?」


 この少女ならば、ルシナの心を融かすことができるかもしれない。ルシナの心に寄り添える、ただ一人になり得るかもしれない。

 リーシャを失ってから止まった時を動かすことができるかもしれない――。

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