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アナテマ  作者: はるた
第三章
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3 追憶(3)




 ルシナに言葉や知識を教えていくと、彼はみるみるうちにそれを吸収して自分のものにしていった。元々の知能は高いらしい。

 ヒトからすれば永遠に近い時を生きる聖霊にとっては――いや、ヒトの親が子の成長をそう思うのと同じように、少年ルシナの成長は恐ろしく早かった。魔人族は普通の人間や獣人族・翼人族といった人間に近い寿命を持つ種族よりも成長は遅く、特に成熟してからの外見的老化はほとんどないが、それでもレイハの眼にはルシナが自在に言葉を操り様々な表情を見せるようになるまで、まさに一瞬だった。


 言葉を話せるようになったルシナに聞いても、彼は自身の素性を知らないようだった。覚えている限りの最初の記憶が、森の中でレイハと会ったことだという。

 そして同時に、ルシナが潜在的に有しているとみられる、聖霊同様の力――ルシナ自身なぜそんな能力を持っているのか当然のように知らず、また使い方も知らないらしい。かつてレイハを拒否した際に見せた力の片鱗は、自己防衛本能が彼の意志とは関係なしに発動させたものであるようだ。


 ルシナの記憶を探ろうにも、聖霊族――ヒトの中にもごく稀にそのような体質の者がいるが――と同じように力を使って精神世界に外部から働きかけることはできない。

 全くもって、ルシナの素性は謎のままだった。


「レイハ!」


 ルシナの部屋にレイハが来ると、いつもと同じように満面の笑顔で駆け寄ってくる。その姿は、とても初めて会った時の感情を失ったような少年と同一人物には思えなかった。


「ただいま。大人しくしていたか?」

「うん!」


 アル・カミアにある聖霊族が住む宮殿。その中の一室でルシナは大抵時を過ごしていた。

 『監視者』であるレイハも多くの時間を彼と共に過ごしている。レイハと一緒の時は、宮殿の外へ出ることもあった。

 監視対象であるルシナに自由は無いに等しい。一人で宮殿の外へ出ることはおろか、与えられた部屋から出ることさえ許されていなかった。なるべく退屈させないように玩具や本を与えてはいるものの、それだけで果てしない時間が満たされるとは到底思えない。

 それでもルシナは不満一つ言わない。いや、初めからそのような環境に置かれていたからか――。


「ねえ、外の話を聞かせてよ。下界に行って来たんでしょ?」


 爛々と眼を輝かせるルシナ。彼がそのような態度をとるのはレイハだけだ。交流のある他者がレイハ以外にほとんどいないということもあるが、彼は極端に『人見知り』であった。

 レイハ以外の聖霊と会ったこともあるものの、そんな時は大抵以前のように怯えた眼をしてレイハの後ろから顔だけを覗かせている。興味はあるようだったが、他者と触れ合うのがまだ怖いようだった。


 レイハ以外のあらゆるものに恐怖を見せるルシナだが興味は大いにあるようで、特に下界に関する情報を知りたがった。


「……下界に行きたいか?」


 そう尋ねるとルシナは不思議そうに首を傾げる。


「行きたいと思っても、ぼくは行けないでしょ?」

「確かにそうだが……とても興味があるようじゃないか。君はここを出たいとは思わないのか?」

「たまにレイハと一緒に外へ出てるよ」

「そうではなくて――」


 彼と話していると調子が乱されることが度々ある。


「要するに、アル・カミアを出て自由になりたくはないのかと訊いているんだ」

「自由ってどんなの?」

「…………」

「ここから出て、ぼく一人だけ下界で生きていくってことなら、なりたくないよ。レイハといたいもん」

「嬉しいことを言ってくれるね」


 ルシナは嬉しそうににっこりと笑った。しかしその顔がふと曇る。


「それに……」

「?」

「怖いよ。ぼくが自由になるってことは、今までのセカイの外に放り出されるってことでしょ? ヒトミシリのぼくがいきなりそんなところに行ったら、きっとたえられないよ」


 ルシナはふうとため息をつく。その仕草がわざと大人っぽくみせているようで、思わず笑ってしまう。


「それほど怖いか? 他者と触れ合うのが?」

「うん。とっても」

「なぜ?」


 そう尋ねるとルシナはしばらく考え込んだ。


「……わかんないや。でも、怖い。ぼくはヒトに会ったことがないから、ヒトに対してもそう感じるのかはわからないけど……レイハじゃない聖霊はほとんどみんな、ぼくが嫌いみたいだし」

「…………」

「特に長老たちは、見るだけでも怖いんだ。あのひとたちは……こころがないみたいだ。あのひとたちの近くにいると、とっても寒い。レイハと一緒にいる時みたいに温かくない」

「気の遠くなるような時間を生きているからね。ヒトと同じように心を持っていたら存在していられないのさ」

「……レイハも、いつかはそうなるの?」


 不安げにルシナはレイハを見る。レイハは柔らかな微笑を返した。


「ならないよ。君がいる限り」

「レイハは、ぼくがスキ?」

「もちろん」

「すごく?」

「ああ」


 するとルシナの顔がぱっと輝いた。


「じゃあレイハは、ぼくをアイシテルんだね」


 思いも寄らぬ言葉に、レイハは眼をぱちくりしてしまう。


「……どこでそんな言葉を覚えた」

「レイハがくれた本に書いてあったよ。『すごくスキ』を、アイシテルっていうんだって」

「まあ、確かにそうだが……」

「ちょっとちがう?」

「違うわけではないけれど……その台詞は私に言うよりも、いつか……愛する女性ができた時に言いなさい」

「それって、どんなひと?」


 輝く双眸をくるくる巡らせてルシナは尋ねる。


「人によって違う。一概には言えないな」

「それってぼくがレイハに思ってるスキとはちがうの? レイハがぼくに思うスキとも?」

「そうだね。愛情という点では同じだが、少し違う。君は私を慕ってくれているが、その愛は『親』に対するものだ。私が君へ感じる愛も、『子』に対するものなんだ。君が一生を共にしたいと心の底から思える唯一の女性――生涯の伴侶への愛とは、やはり違う」

「レイハにはいるの? ハンリョってヒト」

「いない。聖霊は伴侶を持つことがないからね。一生添い遂げる異性を見出すことができるのは、ヒトだけだ」

「ぼくは、ヒトなの?」


 レイハは力強く頷いた。


「そうだとも。君はヒトだ」

「じゃあ、ぼくにもいつか、レイハと同じくらいスキなひとができるのかな? そんなの信じられないよ」

「それほど私のことがスキか?」


 その問いに、迷うことなくルシナは真顔で強く頷く。


「うん。レイハに対するスキがアイシテルと違うなら、ぼくはその気持ちがどんなものか理解できそうにないよ」

「それは私以外の者とちゃんと交流したことがないからだよ。外の世界には、たくさんのヒトがいるんだ。もちろん、君を愛してくれるヒトも」

「いるかなあ? 自分でいうのもナンだけど、こんなネクラは絶対スキにならないよ」

「そんなことはない。君はとても明るくて優しいじゃないか」

「それはレイハだからさ。でもそうなると、レイハってヘンだよね? ぼくのことがスキなんだから……」


 ほとんどの聖霊はルシナを疎ましく思っている。性格がどうのと言う前に、彼の存在そのものが――。


「……変ではないよ。君はとても魅力的だ」

「……ホントに?」

「ああ。それに、とても美しいよ」

「ぼく? そんなにウツクシイ? こんな子供なのに?」

「純粋な感想だよ。いつか君が大人になったら、蜜に吸い寄せられる蝶のように美女たちが寄って来るさ」


 大げさに悪戯っぽくそう言うと、ルシナは顔をしかめた。


「なんか、ヤだなあ……そんなの怖いよ。それに、いつかっていつ? ぼくが大人になったとしても、ここを出られるわけじゃないでしょ?」


 レイハは何も言わずにルシナの頭を撫でた。


「ぼくは別にいらない。愛するヒトも……レイハ以外にぼくを愛してくれるヒトも、自由も」

「…………」

「レイハさえいてくれれば、世界中の嫌われ者でいい」

「……私は嫌だな」


 レイハを見つめるルシナの両眼にみるみるうちに涙が盛り上がっていく。やがてそれは真珠の輝きを持った雫となって、少年の頬に流れ落ちた。


「……ぼくのこと、キライなの?」


 捨て犬のような視線と声に、レイハは慌てて首を振る。


「違う、そういうわけじゃない。君がそういう考え方をするのが嫌だと言っているだけだ」

「なんで……?」

「君の愛情を私一人が独占するなんて、あまりにももったいないだろう?」

「…………」

「いつか君が自由になれる日が来る。外の世界に触れた時……君は色々なヒトと出会うだろう。味わったことのない気持ちも知ることになる」


 ルシナが自由になれる日など来ない。そんなことはわかっていた。

 ルシナの自由を奪ったのは、部屋の中に閉じ込めて管理することにしたのは他でもないレイハ自身だ。しかしそれでも、この純粋な少年の自由と幸福を願わずにはいられなかった。

 己の矛盾を理解していながらも――。


「もしぼくが自由になっても……レイハはぼくをキライにならないよね? ずっと……傍にいてくれるよね?」


 涙を流しながら不安そうに言う幼いルシナに、レイハはその涙を拭ってやりながら頷いたのだった。


   * * *


 ぼんやりと椅子に座っている間に、陽はすっかり昇っていた。


 昇りきった太陽にも気付かないほど、レイハの意識は遠い昔の中へ沈んでいたのだ。

 今思うとあの時のことが幻のように思えてくる。


 もう二度と見ることはないあの少年の笑顔。太陽のようにレイハの心を照らしていてくれた……

 一週間ほど前レイハの元を訪れた時のルシナの姿は、アル・カミアで共に過ごしていた頃の彼とはあまりにかけ離れていた。


 大きく息を吸って眼を閉じる。


(もしも今の私を、あの時のルシナが見たら……こころのない、寒い空気をまとっていると……きっと言うだろう。私に心を許しはしないだろう……)


 冷たい空気となった吐息を少しずつ吐き出していく。


(いや、初めから……ルシナに慕われていた私は虚構だったのだ。私自身が創り出した嘘でしかなかった……)


 ずっと傍にいてくれるよね――。


 今もその言葉がレイハの中に反響している。


「私は……」


 乾いたレイハの瞳が感情に濡れることはない。ただ己の過去と罪を映しているだけだ。


「裏切った。……語った愛も……約束も……」

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