2 追憶(2)
アル・カミアへ魔人の少年を連れて行ったレイハは、早速一族の運営を担当する最高責任者たちである長老に話を通した。
下界で出会った不吉な力を持つ少年を監視するためだ。
あのまま放っておけばどのような危険因子になるか知れない。そのためにどうしても少年を手元に置く必要があった。
魔人族の少年を聖地たるアル・カミアへ入れることに反対する意見は多数あったが、レイハが一族の存亡に関わる可能性を頑なに主張したため、レイハが全責任を負うことを条件に、意見は通された。
いや――正確には長老たちが最終決定を下したのではない。
族長ヴェルディカ。普段滅多に姿を見せず、一族の問題にも関与しない君臨者である彼が、レイハの意見を受け入れたのだった。
ヴェルディカの決定は、通常の最高権力者たちである長老以上である拘束力を持つが、彼が長老会に干渉することは極めて異例といえる。
それもあってレイハはその少年を監視・育成することとなったのだった。
* * *
少年は言葉を話せないようだった。
大分レイハに慣れて怯えを見せないようになっても、彼が言葉を発することはなかった。
(声を出せないのか、言葉そのものを知らないだけか……)
彼が何かに興味を示したことはほとんどなかったので、反応による発声の有無を調べることもできない。
当たり前だが子育ての経験などないレイハは、彼に困らせられることばかりだった。聖霊とは違い食糧を必要とするし、排泄の処理もある。
ため息をつかざるを得なかった。
「前途多難、だな……」
少年の部屋には子供が興味を示しそうなものを力を使って出現させたりしたが、それに興味を示すことはない。彼が反応するのは食事の時だけだった。
魔人の主な食糧は人肉であるが、聖霊の掟により命を奪ってそれを与えることはできない。故にわざわざ下界まで出向き、亜人のふりをして食糧を乞い持ち帰って与える――そんな非常に面倒なことをしなければならなかった。
レイハの目の前で、少年は黙々と肉やしなびた野菜を食べている。
レイハはぼんやりとその様子を観察していた。
「君は……美しい容姿をしているな」
純粋な感想だった。汚れた体を洗って服を着替えさせると、子供ながらに整った容姿をしていることが判明したのだ。
しかしその褒め言葉に彼が反応を見せることはない。
「そこまで徹底的に無視をされると、中々切ないものだね。一応褒めているんだよ」
「…………」
「まあ、言葉を知らないのなら仕方がないか……」
すると、休むことなく食事を続けていた少年の手が初めて止まった。
何を思ったのか、食べていた骨付きの肉をレイハに向かって差し出したのだ。
「……!」
相変わらず無表情のままだが、レイハに肉を分けようとしているのだろうか。
「……くれるのか?」
反応は何も示さない。頷きもしないが、ただレイハに肉を突き出している。
戸惑いながらもレイハはそれを受け取った。
「……ありがとう」
その時――少年の口元が満足げにほころんだ。それが、彼が見せた初めての笑顔だった。
その可愛らしい笑顔を見て、レイハは心が躍るのを抑えることができなかった。
「そんな風に笑えるのか」
言葉は発さないが、レイハに向けた初めての優しさ――それがはっきりと感じられる笑顔だった。
「そういえば、君の名前をまだ決めていなかったね」
少年から連想される言葉を考えてみる。闇、黒、血、緋、無――。
「……物騒なものばかりだな。困ったね。どのような名前が良いか……」
考え込むレイハの頭の中に、ふと一つの言葉が降りてきた。
「――そうだ。あえて逆の発想をしてみよう」
ぽん、と手を打ったレイハを、少年はきょとんとして見ている。
「『ルシナ』はどうだろう。『光』という意味だ。――うん、これにしよう。中々美しい響きだと思わないか」
「…………」
「君の名前は、ル、シ、ナ、だ。言ってごらん」
とは言いつつも、あまり期待はしていなかった。例のごとく何の反応も示さないだろうと思っていたのだ。
しかし――。
「……ナ」
「!!」
食事の時以外開かれることのなかった少年の口が、初めて動いた。そしてたった今レイハが決めた自身の名を紡ごうとしたのだ。
「そう! そうだよ、ルシナ。ゆっくりでいい、もう一度言ってごらん」
「ル……シ……」
初めて聞く彼の声は、極端に小さく幼児のように拙いものの、まさに年齢通りの少年らしい声だった。
一族のために彼を監視する。そんな本来の目的は、その時のレイハの頭からは消えてしまっていた。
「よしよし、声を発することができないわけではないんだね。言葉はこれから私が教えてあげるから、心配いらないよ。じゃあ、次は私の名前を言ってみて。――私の名前はレイハ、だ」
「…………」
「……まあ、急がなくてもいいか」
レイハはルシナと名付けた少年の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと撫でた。
ルシナはもう一度笑った。嬉しそうに――。




