32 決意(1)
誰かが名前を呼んだ気がした。
何もない、真っ暗な闇の中。その中に意識を漂わせていると、何も感じない。それすら心地良く感じる。
暗黒の中に一条の光が差し込む。
(あれは、何……?)
こちらへ差し伸べられる手のような光。思わず手を伸ばしてそれに触れると、陽光のような優しい暖かさが全身を包んでいく。
「…………」
長い間深い眠りに落ちていたような感じだった。
普段朝起きる時よりも、すんなりと眼が開いて意識もはっきりとしている。すっきりとした目覚めだ。
リリィは今まで起こった出来事を思い出した。
(ネオスが来て……そうだ、あたしネオスに……)
口付けをされたことは覚えているのだが、それ以降の記憶が全くない。なぜ眠っていたのか、その理由もわからない。
ただ、暗闇の中に差してきたあの光――あれは何だったんだろう。心地良く優しい声に名前を呼ばれた気がした。
「皆、どこ……?」
部屋の中にはリリィ以外だれもいない。何事も無かったかのような静寂。あれは夢だったのか……?
「リリィ!」
レムの声だ。
起きているリリィを見て驚いたような、嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。
「良かった! 大丈夫だったんだな!」
何が何だかわからないリリィに抱きついた。
「レム? 一体何が……」
「大丈夫か? 何ともないか?」
「え、ええ、大丈夫……」
「気が付いたようだな」
続いて、リュカも部屋に入って来た。いつも冷静で感情を滅多に表さない彼だが、今は心なしか安堵したような笑みを浮かべている。
そしてその次に――。
「セス……」
反射的に体が強張る。先程見た時の彼は眼が虚ろで様子が変だったが、今は普段通りだ。
「起きなかったらおもしろかったのにね。ハッピーエンドってわけか。つまらないな」
「セス! てめえ黙っとけ!」
レムが牙を剥き出しにして威嚇するが、セスはいつもの笑みを浮かべるだけだ。
「愛する人のために自分が犠牲になる、か。絵に描いたような美談だ」
その言い方に何かが引っ掛かった。――そういえば、ルシナがいない。
嫌な予感がして、レムに尋ねる。
「ねえ、ルシナは……?」
その瞬間、レムの顔が引きつった。リュカも視線を逸らしている。
「ネオスもどこにいるの? あたし、どれくらい寝てた?」
「ネオスは……もういない。……ルシナ……は……」
途切れ途切れのレムの言葉に、鼓動が早くなっていく。
「ルシナもいないよ」
セスが言った。
「いない……って、どういうこと……?」
「そのままの意味だよ。あの人はもう、いないんだ」
ルシナがいない――? そんなこと、信じられるはずがない。
「まさか……ネオスに……」
「違う、リリエル。ルシナは生きているし、ネオスの手に落ちたわけでもない」
「じゃあどこにいるの!?」
「それは……」
リュカは戸惑ったり、口籠ることは滅多にない。それほど彼が言おうとしたことは重大だったのだ。
「はっきり言った方がいいんじゃない? 傷付けまいとしてるのかもしれないけど、逆効果だよ。ルシナがいなくなった時点で、彼女の心はとっても深く傷付いているんだからさ」
嘲るようにセスは言う。
リリィは声の震えを抑えながら、セスを見据えた。
「教えて。あなたが知ってること、全部」
「いいよ」
そしてセスは語り出した。
* * *
リリィは全てを知った。
ネオスによってリリィは『呪い』をかけられ、ルシナはそれを解くために記憶と力を取り戻した。
ネオスは掟に触れた罰として仲間の聖霊にアル・カミアへ連れ戻され、そのシャナンという聖霊は力を失ったままなら今後一切ルシナに干渉しないと言ったが……
ルシナは力を取り戻すことを選んだ。リリィを助けるために。
そして彼は自分を脅かす聖霊を滅ぼそうと、暗黒大陸へ旅立ったのだ。
「もうあの人は戻らないよ。君に会うこともない」
「…………」
「まあ、彼のことは思い出として割り切ったらいいんじゃない? もう十分でしょ」
「セス……!」
レムが再びセスに食い掛かる。
「もう一度、ふざけたこと抜かしてみろ。てめえの首を噛み千切ってやる……!」
「レム、よせ!」
リュカがため息混じりにたしなめる。
「リリエル……気持ちは察するが、こうなった以上どうすることもできん。ルシナの望みに応えて、お前は今まで通り暮らすのだ」
「今まで通り?」
リュカは思わず驚いた。リリィの声が悲しみや絶望のこもったものではなく、怒気の滲む低い声だったからだ。
「今まで通り暮らすのがあたしの幸せだなんて、どうやって決め付けることができるの? 知らない間にいなくなって……挨拶の一言も言わずにいなくなるなんて許せない!」
「リ、リリエル……」
頭から湯気の出る勢いでリリィは憤慨している。その迫力に、レムたちもたじろがずにはいられなかった。
「あたしがそんなことで納得させられるしおらしいお嬢様だった思ったら、とんだ勘違いよ! そんなこともわからないなら、無理やりにでも思い知らせてやる!」
リリィは立ち上がり、クローゼットを開いた。怒りの収まらない乱暴な手つきで服を出していく。
「な、何のつもりだ」
「決まってるじゃない。あたしも行くの」
リリィ以外の全員の眼が点になる。一瞬の静寂の後、
「正気か!?」
「何考えてんだよ!! 無理無理!! 落ち着けって!!」
セスは腹を抱えて爆笑している。
「至って正気よ」
「家族はどうすんだ!? こっちの生活だってあるんだろ!?」
「また父さんと兄さんには迷惑を掛けちゃうわね。でも家出は二回目だし、何とかなるわ」
レムは絶望的な表情で天を仰いだ。
「まさか、ここまで無茶苦茶なお嬢様だとは……」
「リリエル、よーく、考えるんだ」
リュカがリリィの両肩を掴む。
「エーゼスガルダに行くのは、常識で考えて無理だ。それこそ聖霊の力が無ければ自由に行き来することなどできない。船など出ていないし、セルドナからは不定期で調査団の船が年に一度か二度、あるかないかだ。仮に――仮にだ。万が一行ったとしても、普通の人間が生きていける場所ではない。ただの自然が豊富な土地だと思ったら大間違いだぞ。厳しい自然環境、未知の病気、獰猛な野生動物――屈強な戦士たちを従えても、魔人族の群れに遭遇したら一巻の終わりだ! いつ死んでもおかしくはない!」
するとリリィは微笑んだ。
「ありがとう、リュカ。心配してくれて。あたしもわかってるよ。行くのが不可能に近いってことも、行ったとしてルシナと会える保障がないってことも」
「それなら……!」
「でも、ここで退いたら一生後悔する。ルシナのことを思い出して――絶対にそれはいや。たとえ死ぬことになったとしても……けじめはつけたいの」
あまりに真っ直ぐな青い瞳。それは覚悟を決めた者の眼だった。
「……だが、行く方法がないのは事実だ」
「なくもないよ」
全員がセスを見る。
「行く方法」
「本当に!?」
セスは例の悪戯っぽい笑みを見せる。
「でも――」
「ただじゃ教えられない、でしょ? 何が欲しいの?」
「……台詞をとらないでよ」
「時間が惜しいの。早く言って。またあたしだとか言うんじゃないでしょうね」
「まあ、それは果たしたからいいよ。――僕も連れて行くこと」
その言葉に、リリィは眼を見開いた。
「何だ、そんなこと。いいわよ。むしろ付いてきてもらうつもりだったし」
「お、おい! ちょっと待て!」
それを聞いたレムが慌てふためく。
「こんな凶暴なのと一緒に行くってのかよ!」
「簡単に生き残れる場所じゃないんでしょ? かえって便利だわ」
「こいつにされたこと忘れたのかよ!」
「忘れるわけないじゃない」
そう言ってリリィは鋭くセスを見た。
「でも、あれはあれ、これはこれ。なりふり構ってられないわよ」
「じゃあ、僕のしたことは不問?」
「今のところはね」
「つまんないなあ。でも、更におもしろそうなことに付き合えそうだから、まあいいか」
「待て! オレも行く!!」
セスとリリィの間に割り込むようにレムは言う。
「レム!? お前まで何を……」
「ここまで付き合ったんだ。とことんまでやってやるさ」
「……全く……」
しかし、呆れたようなリュカの表情には微笑がある。
「リュカ、レム……いいの? これはあたしの勝手なのよ」
「やむを得ん。相棒がその気なら、俺も付き合わないわけにはいかんだろう」
それを聞いたレムは心なしか頬を赤くして、嬉しそうに歯を見せて笑った。
「……ありがとう」
ルシナに初めて会った時は想像もしなかった。ルシナ――そして、初めは命を狙っていた刺客の二人が、ここまで自分の運命に深く関わることになるとは。
「それで――セス。方法というのは?」
「さっき君が言っただろ? 聖霊の力でもなければ、エーゼスガルダに行くことはできない。――聖霊の力を借りるのさ」
セスの言葉に三人は息を呑んだ。
「馬鹿な! 聖霊の力を借りるだと!?」
確かに突拍子もないことだった。だがセスの笑みは相変わらずだ。
「一人だけ、心当たりがある。僕たちに協力してくれそうで、尚且つ現在セルドナにいる聖霊。居場所も知ってる。セルドナに来た時、ネオスと共に彼の場所を訪れたからね」
セルドナにいる――? 到底信じられるはずがない。聖霊族はエーゼスガルダの聖地と呼ばれるアル・カミアにいるのではないのか。
「ある事件をきっかけに、一族を離れた聖霊さ。名前はレイハ。ルシナの育ての親だ」




